33.仙山線の車窓


 仙山線(仙台──山形《正確には羽前千歳》)を「短編小説の傑作」と呼んだのは宮脇俊三氏である。
 私もかねがね同感であった。快速「仙山」に乗れば約1時間で全線走破してしまう、短い路線であるにもかかわらず、幽翠な深山、峻険な渓谷の美がぎっしりと詰め込まれ、しかも変化に富んでいる。この路線に乗って車窓を眺めていれば、1時間があっという間に過ぎてしまう。まさに珠玉の短編小説を読んだ味わいに似ているのである。

 仙山線に初めて乗ったのは中学3年生の時だった。
 最近の鉄道マニアの子供などは、小学生のくせに全国どこへでも出かけたりしているようだが、私が子供の頃は、子供だけで泊まりがけの旅行に行くなどということはなかなか許されなかった。中学2年の時、母の実家がある札幌に家族で行って、その帰りに、家族は飛行機で帰るというのを、私だけ列車に乗ることにしたのだが、その時もしっかり指定券を取ることを条件にようやく許可して貰ったほどだった。
 その私が、初めて友達と一週間ほどの東北旅行に出かけたのが中3の夏休みのことだったのである。
 同行の友達も私にシンニュウをかけた鉄道マニアであったので、あんまり観光らしいこともせずひたすら列車を乗り回す旅になったが、それでも猪苗代湖五色沼に立ち寄ったし、当時山形に住んでいた私の叔父の家を宿にした日はちょうど花笠祭りの当日だった。
 その翌日、仙山線に乗って仙台へと向かったのである。
 花笠祭りの翌日とあって、列車はおそろしく混んでいた。すし詰め状態だったと言ってよい。途中の山寺(やまでら)で下車した時はホッとしたものだった。駅名の山寺というのは立石(りゅうしゃく)のことで、芭蕉

 ──しづけさや岩にしみ入る蝉のこゑ

 が詠まれた場所でもある。一応そこも観光対象に入れておいたのだった。寺に行きたかったから仙山線に乗ったのではなく、仙山線のルート上にある寺だったから行ってみる気になったのである。
 私の旅行は今でもそんなコースの立て方をすることが多い。行きたい地点が先にあるのではなく、通りたいルートが先にあり、その途上に気になる観光地があれば、観光もしてゆく、という方法である。だから、
 「どこへ行って来たの?」
と訊かれるのが苦手だ。観光した場所を答えてしまうと、まるでそこがもともとの目的地であったかのように思われてしまう。
 立石寺もその日は観光客であふれかえっていたが、ともあれしばし芭蕉を偲んだのちに再び仙山線の客となった。
 今度はそれほど混んではおらず、座席に落ち着いて車窓を眺めることができた。
 車窓の渓谷美は息を呑むほどだった。鬱蒼たる樹々に覆われた深い山と谷。思春期の私の心に、その景観は痛いほどの感動を与えた。日本という国は、これほど美しかったのかと思った。その頃は生意気盛りの中学生の例に漏れず、私は自分が嫌いだったし、自分の周囲のものも嫌いだったし、自分の生まれた国も好きではなかったように思う。いろいろ問題はあるけれども、少なくとも自分の国の国土というものがまだこんなに美しいものだったのだということ、それを14歳という時期に気づくことができたのは私の幸せだったのかもしれない。

 実際、その後多少海外も見たけれども、日本は「森の国」なのだ、という想いをそのたびに強くする。欧米も中国も、古来森を「切り拓く」ことで文明を発展させてきたのだが、ただ日本のみは、森と「共生する」ことで生きてきた。
 海外からの帰り、飛行機で日本の上空にさしかかると、本当に全土が森に覆われているように感じられ、それを見てホッとする。ところどころに市街地や田畑があるものの、面積比率から言ってそれらは大したこともなく、いずれもゆったりと森林の中に抱かれているかのように見えるのである。
 ちなみに日本全土に占める森林面積の割合は約7割と言われ、いわゆる先進工業国中ではずば抜けて高率だ。
 樹木があまり生えていない禿げ山を見ると、私たちは異様な気がするのだが、海外へ行くと珍しくもなんともない。私たちは山には森林があるものだと信じきっているが、世界的に見れば決してそんなことはないのであって、日本の山というのは貴重なものなのである。

 ともあれ、緑の洪水のような車窓に、中学生の私はすっかり感動していた。
 感動を分かち合おうとして同行の友達の方を見ると、彼はぐうぐうといびきをかいて熟睡していた。鉄道マニアのくせに、車中では閑さえあれば居眠りをしている男であった。列車に乗ること自体が目的であって、車窓の景色などは余計なことだと達観していたのかもしれない。

 思春期だったから感動したのかもしれない、とも思ったが、そんなことはなかった。
 中学3年生の時の友達との旅行を皮切りに、私はあちこちに旅をした。翌年、高校1年生の時には早くも北海道をひとりで旅して、無人駅の待合室で一夜を明かすなんてこともしている。休みのたびにどこかへ出かけ、鉄道の通っていない沖縄県以外の都道府県にはすべて足を踏み入れた。
 そうやって日本各地の車窓を見てきた眼で見ても、仙山線の車窓は出色である。
 仙山線は路線分類上で言えばローカル線ではない。仙台・山形という二大都市を短絡するという立地からしても、利用者は多く、地方交通線ではなくて幹線鉄道網の方に分類されている。
 全線電化されており、しかも電化の歴史は古い。実は日本全国でももっとも古い電化路線に属する。県境にある面白山(おもしろやま)トンネルは大変長く、東海道線の丹那トンネルや上越線の清水トンネルが開通するまでは日本最長のトンネルであった。蒸気機関車では煤煙がこもって大変なので、このトンネルの前後のみ、早い時期に電化されてしまったのだ。東京や大阪の都市部しか電化されていない時代である。
 かなり以前から急行が何往復も走っていた。現在はほぼ一時間おきに快速電車が走っている。ところどころ通過するだけの名ばかりの快速ではない。表定時速60キロというから、中央線特別快速などより速いのである。単線区間としてはなかなかの頑張りであろう。仙台の市街地である仙台──愛子(あやし)間にはこの快速の間に2本ずつの区間電車が走る。つまり快速と合わせて大体20分おきの運転となり、かなりの頻度と言ってよい。
 つまり、規格的にはローカル線の名には当てはまらない。
 われわれ鉄道旅行愛好者には困った先入観があって、ローカル線であればあるほど車窓が面白く、旅情があるような気がしてしまう。国鉄時代には毎年、各路線ごとの収支が発表されていたが、収支係数1000以上、つまり100円稼ぐために1000円以上費やすというようなとんでもない赤字線の名前を見ては旅情に誘われていた。天北線美幸線湧網線添田線──いま思い出しても赤字ローカル線には魅力があふれていた。現在はそのほとんどすべてが廃止されてしまった。廃止手続きの進行中は身を切られるような哀しみを感じたものである。
 そうであってみれば、「幹線鉄道網」に分類されている路線などつまらない、旅情のかけらもない、と考えてしまうのも仕方がない。
 実際にはそんなことはないのであって、例えば山陰本線など、京都附近と米子──松江間あたりを除いてはどこを走ってもローカル線風情満載であるし、根室本線東北本線鹿児島本線日豊本線などの末端部分、函館本線関西本線紀勢本線の中央部分などもまごうことなきローカル線である。ピンポイント的な車窓風景の見事さであれば、長野平野を一望できる姨捨(おばすて)駅の絶景など篠ノ井線(幹線)にある。意外と指摘されないが、幹線中の幹線である東海道本線でも、真鶴海岸あたりの景観は実に素晴らしい。
 そういうことはわかっているはずなのだが、やはり分類上の幹線よりローカル線(地方交通線)の方が面白いという先入観は抜きがたく根を張っている。
 仙山線は、そういう頑迷な固定観念を一喝してくれるような路線なのだ。

 先日、新潟県の長岡でちょっとした仕事があった。
 翌日が一日あいていたので、私は用意された帰りの新幹線の切符をキャンセルし、例によってへんてこな切符を購入した。
 「長岡──東京都区内/経由 信越・羽越・米坂・奥羽・仙山・東北・逢隈・三河」と長々しい経由地が記された切符である。最後の「逢隈(おおくま)・三河」は常磐線経由であることを示している。「三河」は日暮里の隣の駅である三河島の略。
 駅員にルートを記したメモを渡したら、だいぶ入力に苦労していたようである。それでも今は自動発券になったからよいけれど、手売りの時代だったらいやがられたことだろう。
 その切符を持って、長岡駅から東京に背を向け、新潟行きの朝の快速電車に乗る。快速電車とは言っても新津──新潟間がノンストップなだけで、新津までは各駅停車だ。
 そういえばこのあたりを鈍行で通ったことがない。特急で突っ走るのとはまた違った風情がある。あたりは行けども行けども田植えを終えた田んぼである。さすが米どころ。
 朝の新潟行きだけあって、途中駅からどんどん通勤客が乗ってくる。最終的にはすっかり通勤電車という感じになってしまった。
 新潟駅で一旦改札を出て、軽く朝食を摂る。北口の跨線橋上に軽食堂が並んでおり、あまり時間はないが小腹がすいたような時に便利だ。
 米坂線直通の快速「べにばな2号」に乗る。この快速も「仙山」同様、もとは急行であったのが格下げられた。急行の名も同じ「べにばな」であったが、その前は「あさひ」と言った。沿線の朝日岳にちなんだ列車名であったが、上越新幹線が開業する時に名前を奪われたのである。
 米坂線は、山形県の米沢と新潟県の坂町を結ぶから米坂線という、わかりやすい線名である。この線に初めて乗ったのも、上に書いた中学3年生の旅行の時だった。しかし仙山線と違って、ほとんど憶えていない。確か坂町に夜行列車で真夜中に到着し、駅で仮眠をとって一番列車に乗ったので、眠くて仕方がなく、ほとんど寝て過ごしていたような記憶がある。
 それ以来、米沢から今泉までの短い区間を除けば、一度も乗っていない。かれこれ四半世紀ぶりの乗車となる。
 現在の「べにばな2号」は、坂町までの羽越線区間では快速運転をし、その先今泉までは各駅停車となる。坂町──今泉間は一日6往復しか列車が通らないから、それもやむを得まい。非電化単線の、こちらは典型的ローカル線だ。従って「べにばな」も電車ではなく、2輌連結されたディーゼルカーである。
 冬季は飯山線・只見線などと並んで豪雪路線のひとつであるが、まあ一体に地味な感じで、沿線にしかるべき観光地があるわけでもない。荒川(秩父から東京湾に注いでいる川とは別)に沿って朝日山地の中に分け入ってゆく。
 越後金丸小国の間で県境を越えるが、分水嶺はそこではないのが面白い。山形県に入ったはずなのに、川の流れは新潟側に向かっているから不思議な気がした。分水嶺は小国町と荻生町の境界にあり、駅で言えば羽前沼沢手ノ子の間になる。それを過ぎると、最上川の源流のひとつである白川に沿って米沢盆地へと下ってゆく。分水嶺近くの渓谷にはそれなりの険しさはあるものの、一体に坦々とした車窓であった。
 ところで米坂線に入った頃から尿意を覚えていた。この列車には、あろうことかトイレがついていないのであった。昔だったら、単線区間の列車など、至る所で長時間停車をおこなうものだったから、そういう駅でトイレに走ればよかったのだけれど、今はダイヤが合理化され、上下列車のすれ違いも実にスムーズになり、2分と停まっている駅がない。もしトイレに寄っているうちに乗り遅れたら、次の列車は4時間後まで来ないのである。こんな列車にはトイレくらいつけておいていただきたいもので、2時間というもの我慢しなければならなかった。
 米沢に着いて、何はともあれトイレにダッシュしたが、ここの乗り換え時間も7分しかない上、トイレがいやに不便な場所にあって、危ないところだった。

 米沢からは奥羽本線の普通列車で山形へ。奥羽本線山形新幹線が通るにあたって改軌をおこない、現在は新幹線と同じ国際標準軌となっている。だから支線から乗り入れるということができなくなった。急行「あさひ」の時代は、今回の私のルートそのままに、米沢から奥羽本線に乗り入れて山形から仙山線へ、そして仙台まで走っていたのだったが、今やそういう経路はとれなくなった。現在研究中のフリーゲージ・トレインが一般使用されるようになるまでは無理である。
 新幹線が通るにあたって、複線化もしたのだと私は思っていたのだが、そうではなかった。単線新幹線というのもなんだか情けないものがある。ただ駅構内の線路の形は改良したらしい。どの駅も一本は直線で通過できるようになっており、「つばさ」はそちらを通る。だから必ずしも左側通行の原則が守られなくなっていた。
 山形でも5分の乗り換えである。最近どこへ行っても、接続が妙に良くなった。いよいよ仙山線再訪だ。

 山形からは線路が2本並ぶ。しかしいわゆる複線ではない。狭軌の線路と標準軌の線路が、それぞれ単線で並んでいるのだ。
 路線図を見るとわかるのだが、山形のひとつ先の北山形から左沢(あてらざわ)が分岐し、さらにひとつ先の羽前千歳から仙山線が分岐している。左沢線も仙山線も、列車はすべて山形発着であり、北山形もしくは羽前千歳までは奥羽本線のレールの上を走っていた。なお左沢線に関してはずっと起点は山形とされ、山形──北山形間は「二重戸籍」になっていたものを、国鉄改革の時に起点を北山形に変更された。
 奥羽本線が狭軌の時代は、どちらの路線も奥羽本線のレールを間借りできたが、改軌されてしまった現在ではそうはゆかない。左沢線と仙山線の列車が通る狭軌の線路と、奥羽本線の列車が通る標準軌の線路が、羽前千歳まで並行することになった。
 山形を出ると、狭軌線が西側、標準軌線が東側に配置されている。左沢線は西側に分岐するのでその方が都合がよい。しかし仙山線は東側に分岐する。従って狭軌線は羽前千歳で標準軌線と交差しなくてはならない。新幹線も走るようになったことだし、当然立体交差しているものと思っていたのだが、なんのことはない、あっさりと平面交差で渡ってしまった。仙山線快速が標準軌線を渡っている時に「つばさ」が猛スピードで突っ込んできたら大事故になる。ダイヤ上そんな危険があるようにはしていないだろうが、遅延が出た場合などはどうなるかわからない。それにこの箇所がネックになって、輸送力に難が生まれそうな気もする。

 奥羽本線と分岐すると、早くも峻険な山岳地帯に入る。電車だから急勾配をものともせずにぐんぐんと分け入ってゆくが、ディーゼルカーならあえぎあえぎ登ってゆくところ。分岐して10分足らずで山寺に停車する。今はそれなりの門前町があるが、開山の頃はどんなだったろうと思う。向こう側の高い崖の上に立石寺の奥の院がそびえていた。
 山寺より先はもう、人家も稀になる。時に深い渓谷を下に見ながら、密林のような緑の洪水の中を進み、この先に何があるのだろうと思い始めた頃、面白山高原駅を通過する。昔は仮乗降場に過ぎなかったが今は正規の駅に昇格したけれど、どのくらい利用客が居るものやら。駅名の由来になった面白山は、何かが面白かったわけではなく、雪を冠した姿を見て「顔(面)」が「白い」と言ったのだろうと思うが、ユーモラスな名前ではある。
 駅を過ぎると、かつては長大トンネルに名を連ねていた面白山トンネルに突入する。最近長大トンネルが増えたのは主に新幹線のせいであり、在来線だけ見れば面白山トンネルはまだ充分上位にランクされる。新幹線と在来線の速度の差もあって、実際に走ってみれば、長いトンネルだという感覚は今でも残っている。
 トンネルを抜けると、県境を越えて宮城県に入るばかりか、すでに仙台市内である。しかし当分は、全然市内という感じがしない。あいかわらず深い山々が続く。仙台が政令指定都市になった時に市域に編入され「太白区」となったが、私がはじめてこのあたりを通った中学3年生の頃にはまだ名取郡であった。
 八ツ森という臨時駅を通過すると間もなく作並である。ここは古くから温泉地として知られている。その次は西仙台ハイランドといういやにハイカラな名前の臨時駅だが、遊園地でもできたのかと思って周囲を見廻してもなんにもない。ゴルフ場やレースウェイなどがある仙台ハイランドというリゾートがあるらしいのだが、この駅で下りて歩いて行こうとすると大変な目に遭う。4キロほども歩かされるはめになるのだが、もちろんゴルフ場の利用者は電車など使わず、クルマで訪れるに決まっている。最近こういう、あまり意味のない駅名が増えてきた。
 熊ヶ根陸前白沢と下ってくるに従い、周囲もだんだん拓けてくるが、まだ「街」というより「里」という呼び方がふさわしい雰囲気だ。しかもこの期に及んで、広瀬川の渓谷が依然として美しかったりする。
 そして、いわば仙台の近郊区間のどん詰まりというべき愛子に到着するのだが、車窓がはっきり市街地になるのは、ほとんど北仙台あたりからである。ここまで来ればもう仙台は目の前だ。

 こうしてみると、ローカル線の車窓に期待する景観は、仙山線にほとんど備わっていると見てよい。それが、ほどよい起承転結を持って、僅か1時間ほどで完結する。しかもその両端は仙台と山形という県庁所在地であり、どちらも到達は容易だ。
 よくできた短編小説の魅力といえばいろいろあるだろうが、まず「とっつきの良さ」が挙げられる。第1ページ目からぐいぐいと読者を引きこんでゆく迫力がなければならない。長編ならば、最初のうちは多少退屈でも、だんだん面白くなってくるだろうという期待感をもって読み続けることができるけれども、短編ではそれは許されない。
 それから、もちろん「一気呵成に読ませる勢い」。短編小説を何度にも分けて読む人はあまり居ないのであって、たいていは何時間か集中して一気に読んでしまう。そのためには途中で筆が停滞しているような書き方をされては困る。
 そして「印象的な幕切れ」も必要だ。もう少し読みたいのに、と若干の未練を読者に残すくらいが最高だという。長編だと「あ〜、読んだ読んだ」という充足感を与えればよいのだが、短編の場合は、ちょっと物足りないくらいがちょうど良い。しかしあまりに尻切れとんぼではこれまた未練と言うより不満が残り、その辺のさじ加減が作家の力量であろう。
 仙山線の車窓は、これらの条件を見事に満たしている。
 「とっつきの良さ」は上に書いた通りで、両端の駅はどちらも到達が容易であり、しかもどちら側から乗ってもほどなくローカル線情緒が漂ってくる。
 「一気呵成」も、1時間という手頃な所要時間で、しかも渓谷ありトンネルあり寺院ありの変化に富んだ車窓である。
 「印象的な幕切れ」は「とっつきの良さ」を逆に見ればよい。仙台側にしても山形側にしても、山岳路線の余韻がさめやらぬうちに、あれよあれよという間に終着駅に到着してしまい、「えっ、もう着いちゃったの?」と未練が残ることは請け合いだ。
 こうして見ると、仙山線を「短編小説の傑作」と呼んだ宮脇俊三氏の評は、まさしく言い得て妙だという気がする。長年中央公論社の敏腕編集者の職を勤め上げた宮脇氏ならではの言葉である。私もまったく同感であるゆえ、ここにご紹介いたした次第。

 ちなみに仙台に着いた私は、東北新幹線ではなく常磐線に乗った。それも時間の関係で原ノ町までは普通列車で、これまた典型的な幹線と思っていた常磐線の、意外なまったり感を堪能したのだったが、これはまた別の話になる。

(2002.6.4.)


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