27.線名あれこれ


 前回からだいぶ間があいてしまったが、とりあえず、まずは前回の問題の答えを記しておこう。
 ──私の大学時代の同級生で、普通に書いても、仮名書きにしても、ローマ字で書いてさえも同じ字数だという女性が居た。さあなんという名前でしょうか。──
 という問題だったが、おわかりになったろうか。
 答えは、由宇あおいさん。この通り普通に書いて5文字、苗字は「ゆう」と読むので、仮名書きにしても同じく5文字。そして、ローマ字書きにすると「Yu Aoi」とやはり5文字。ただし通常のローマ字表記だと、uの上に長音符号がつくことになるが、それは前項で申し上げた通りである。

 さて本題。
 最近、東急新玉川線というのがなくなった。「私鉄私見」の東急の項目で書いた通り、新玉川線というのは、渋谷から二子玉川を結ぶ路線で、もと路面電車の玉川線が走っていた玉川通りの直下に作られた地下線である。営団地下鉄半蔵門線、同じ東急の田園都市線と一体化し、水天宮前──中央林間という長大な通勤路線を構成していた。
 その新玉川線が消えたのである。
 もちろん、渋谷から二子玉川を結ぶ線路がなくなったわけではない。線名変更で、「田園都市線」の名称に統合されてしまっただけのことである。つまり、今までは二子玉川──中央林間という区間だった田園都市線が、渋谷──中央林間に改められ、それに伴って新玉川線の名称が廃されたのだ。
 なあんだ、それだけのことか、と思われるだろうが、これがそんなに簡単な話ではない。

 東急は、かなり大胆に線名や運行形態を変えてしまう会社である。
 新玉川線がなくなる少し前にも、目蒲線を2分割し、目黒線(目黒──多摩川)と東急多摩川線(多摩川──蒲田)を作った。これは営団地下鉄南北線ならびに都営地下鉄三田線の目黒乗り入れ(2000年9月)に備えての措置だった。目黒線は両地下鉄と相互直通して、多摩川からは東横線と併走して武蔵小杉まで行く。残りを東急多摩川線とし、多摩川から蒲田までを往復するだけのローカル線にしてしまった。
 ちなみにこの路線は「東急多摩川線」が正式名称で、東急の「多摩川線」ではない。西武にも多摩川線というのがあるので、西武と犬猿の仲の東急としては混同を避けたかったのかもしれない。もうひとつ横道に逸れると、西武にも「西武有楽町線」というのがあるが、これも「西武有楽町線」が正式名称であって、西武の「有楽町線」ではない。
 ともあれ、現在の東急の母体ともなった目蒲線(目蒲電気鉄道五島慶太が東横電鉄他を乗っ取って東急を作った経緯は前に書いた)の名を、あっさり消してしまうあたり、大胆なことをするものである。
 今回の田園都市線にしても、歴史を辿るとかなり複雑だ。戦前からあった大井町線の延長として、戦後になって田園都市線が作られ、やがてそれが統合されて田園都市線となった。つまりその時点で、田園都市線は大井町が起点とされたのである。それがのちに新玉川線が開通し、やがて渋谷方面から直通運転をするようになると、東急多摩川線同様支線扱いになった大井町──二子玉川(当時は「二子玉川園」)は、もとの大井町線を名乗るようになったのだ。つまり田園都市線は、起点が二子玉川園、大井町、ふたたび二子玉川園、そして今回の渋谷と、4度も変わっていることになる。
 電車の運行に合わせて線名を変えるというのは、利用者にとってはすこぶるわかりやすい。古くからの利用者はいささか混乱するかもしれないが、最近は首都圏ならどこでも新住民が増えているから、運行形態に合わせた線名にしておいてくれた方が親切というものだろう。
 だが、どこの鉄道会社でもこれほど簡単に線名を変えるわけではない。いや、むしろ線名というのは一旦登録してしまうと、変更するのに莫大な費用がかかるのではあるまいかと思えるほど、滅多に変わるものではないのである。

 ライバルの西武を見てみると、多摩湖線というのがある。さっき話に出た多摩川線とは別なので注意してもらいたい。多摩湖線は、JR中央線国分寺から一橋学園青梅街道を経て、同じ西武の拝島線萩山で交差し、西武遊園地まで伸びている路線だ。終点の西武遊園地は多摩湖(村山貯水池)のほとりに作られており、以前は駅名も多摩湖であった。
 ところが、この全線を走る電車は一本もないのである。
 中央線の国分寺駅は切り通しの中に作られている駅で、ここからはやはり西武の国分寺線も出ており、それは中央線の線路に並列して切り通しの中にある。多摩湖線の電車はその切り通しの上に発着している。この国分寺発着の電車は、すべて萩山止まりである。そして、西武遊園地まで行く電車は、すべて西武新宿から新宿線・拝島線を通って萩山まで来て、そこから多摩湖線に乗り入れるのだ。多摩湖線の運行は、萩山を境にして完全に分離しているのである。
 東急だったら、一橋線と多摩湖線などに分割するだろう。あるいは多摩湖という駅ももうないわけだから、遊園地線とでもするかもしれない。
 しかし西武鉄道は、一向に多摩湖線の名称を見直す気配がないのだ。

 JRになるともっと頑固である。
 山手線が環状線であることは誰でも知っているが、正式にはそうではない。品川を起点とする東海道本線の支線ということになっている。つまり東京から品川までは、実は東海道本線を走っているわけだ。品川から渋谷新宿池袋を経て田端までは確かに山手線なのだが、田端から東京までは、正式には東北本線なのだ。山手線の戸籍上の区間は品川──田端ということになる。
 明治時代、官鉄の東海道本線が新橋から出ており、一方東北本線の母体となった民営の日本鉄道が上野から出ていたが、新橋と上野を結ぶ線はなかなか作られなかった。この区間は当時としても民家やオフィスが建て込んでいたのと、地盤がゆるかったせいらしい。これでは不便だというわけで、地盤のしっかりした武蔵野台地上に連絡線(当初、品川──赤羽)を作ったのが山手線の起こりで、その後池袋──田端間に支線(豊島線と呼ばれた)ができ、一方中央停車場(東京駅)の建造に伴って上野からの短絡線も高架で作られた。こうして環状運転が開始されたのである。
 そういう歴史を聞けば、ははあなるほどと思うのだが、そんな大昔の事情をいまだにひきずって、山手線の区間をあいかわらず品川──田端のままにしているというのも、相当な頑固さと言うべきだろう。

 JRには他にも、運行形態と路線名が食い違っているところがいくつもある。
 ひどいのは信越本線で、長野新幹線(これも正式名称は「北陸新幹線」)の開業によって路線の途中の横川──篠ノ井間をすっぽりと廃止されてしまったため、高崎──横川篠ノ井──新潟のふたつに完全に分断されてしまった。
 信越というのは言うまでもなく、信濃と越後を意味するわけだが、高崎から出ている信越本線は、もはや信濃へも越後へも通じていない。横川までの30キロ足らずを往復するだけのローカル線になってしまっている。高崎駅で「信越線ご利用の方は……」などと案内しているのは詐欺みたいなものであろう。
 篠ノ井──新潟間は、確かに信濃と越後を結んでいるのだからそのままでよいとしても、高崎──横川間は、横川線なり安中線なり、何か適当な名称を新設するべきである。しかるに、JRにはその気配がない。

 全線を直通する列車が一本もないなどという路線は、かつては珍しかったが、今ではごろごろしている。
 中央本線などはもとから塩尻で東線と西線に完全に分離し、直通する列車は走っていなかった。
 関西本線になると、名古屋──亀山(電化)、亀山──加茂(非電化)、加茂──JR難波(電化)と物理的にも条件が違っている。全線を直通するためにはディーゼルカーが必要になるが、加茂以西は大阪のベッドタウン線として超過密状態であり、のろいディーゼルカーなどを割り込ませる隙間はない。中間部分が電化される見込みも当分はないので、直通列車が走る可能性もほとんどゼロである。
 逆に中間部が栄えていて両端が寂れているのが根室本線新得──釧路間は石勝線経由で札幌からの特急が頻繁に走っている大動脈だが、本来の起点である滝川から新得までは、石勝線の開通以来閑古鳥が啼くようになってしまった。また釧路以東、根室までも、いまやもっとも北海道らしいとまで言われるほどのローカル線になってしまっている。もちろん全線直通する列車などはなく、特に釧路以東は「花咲線」という別称まで与えられて、ほとんど別の路線である。根室側は以前からこんな状態だったので、もとから「釧路本線」と「根室線」もしくは花咲線ということにしておけばすっきりしたのに、と言う人もいるが、そんなことをしていたら根室側は国鉄再建の時に赤字ローカル線として一発で切られてしまったことだろう。

 「花咲線」はJR北海道がつけた愛称名というべきもので、正式の線名ではない。こういう愛称を持つ路線も、国鉄がJRとなって以降増えてきた。わかりづらい路線名を、少しでもわかりやすくして利用しやすくしようという意図だろうが、それくらいなら正式名称も変えてしまえばよさそうなものだと思う。
 同じくJR北海道で、札沼線という札幌近郊の路線がある。札幌の隣の桑園から分岐し、かつては留萌本線石狩沼田まで通じていた。「沼」の字はそこからとられたのだが、石狩沼田側は超閑散路線だった上に、水害に遭ったため、そのまま復旧されずに廃止されてしまい、現在は新十津川が終点となっている。今でも末端の方は利用者もごく少なく、列車の数も非常に少ないローカル線なのだが、札幌側は、沿線に北海道教育大北海道医療大などの大学が移ってきてにわかに忙しくなった。そこで、札沼線というローカル線じみた正式名称を嫌ったのかどうか、JRは「学園都市線」という愛称を与えた。
 JR西日本にもこれと酷似した「学研都市線」なる路線がある。実は正式には片町線と言い、京阪電鉄や近鉄奈良線にはさまれた地味な路線であった。起点の片町など、大阪の市街地のど真ん中にこんなうら寂れた駅がと思わせる、なかば廃墟のような建物だった。だが、やはり民営化後、めきめきと近代化され、沿線に同志社などの大学があるのにちなんで学研都市線と名付けられ、快速電車が頻繁に走る近郊路線となったのである。現在は京橋JR東西線に直通し、京橋から片町までは廃止されたから、片町線を名乗るそもそもの根拠さえなくなったわけで、学研都市線を正式名称にしてしまってもよさそうなものなのだが、やはり戸籍上は片町線のままで、学研都市線というのはあくまで愛称という扱いになっている。

 JR西日本はこういう愛称名を多用している。一本の東海道本線を、琵琶湖線(京都以西)、京都線(京都──大阪)、神戸線(大阪──神戸)と呼び分けて案内しているし、山陰本線の園部までを嵯峨野線、福知山線の新三田までを宝塚線、前述した関西本線の奈良までを大和路線としている。これらの呼称は沿線住民にもかなり定着しているようだ。
 これに刺戟されたのか、JR東日本もいろいろ愛称名をつけはじめた。まあ実を言えば、京浜東北線埼京線などいかにももとから正式名称のような顔をしている路線も実は愛称名なので(京浜東北線は東海道本線と東北本線の近郊電車線の別名、埼京線は東北本線の別線)、愛称名の使用は東京の方が早いとも言えるのだが、最近にわかに増えてきたようだ。もっとも定着しているのは宇都宮線(東北本線の黒磯まで)くらいだろう。上野から東北本線の列車に乗っても、新幹線か夜行特急以外、東北地方まで直接行くことはできないのだから、この愛称は当を得たものだったと思う。
 このエッセイで何度も触れてきたように、東北地方は鉄道の力をまだ大いに信じているところがあって、新しい愛称名はことに東北に多いのだが、こちらはほとんどシャレというか、ほとんどキャッチフレーズみたいなものである。列挙してみよう。

愛称名 正式名称
はまなすベイライン大湊線 ……大湊線(野辺地──大湊)
十和田八幡平四季彩ライン ……花輪線(好摩──大館)
銀河ドリームライン釜石線 ……釜石線(花巻──釜石)
ドラゴンレール大船渡線 ……大船渡線(一ノ関──盛)
奥の細道最上川ライン ……陸羽西線(新庄──余目)
奥の細道湯けむりライン ……陸羽東線(小牛田──新庄)
フルーツライン左沢線 ……左沢線(北山形──左沢)
森と水とロマンの鉄道 ……磐越西線(郡山──新津)
ゆうゆうあぶくまライン ……磐越東線(郡山──いわき)

 どうも、地元の人でさえこんな風に呼んでいるとは到底思えない。

 ともあれ、客寄せのためであろうが、利用者の便宜を図るためであろうが、愛称名はあくまで愛称名であって、正式名称ではない。正式名称は頑として古来のものを使っている。
 かように線名というのはなかなか変わらないものなのである。登録の変更手続きがよほど大変なのか、それとも鉄道会社というものがよほど保守的なのか。それだから、東急の鮮やかな線名変更がいよいよもって引き立つのである。
 まあ、利用者が正式名称に振り回される必要は少しもない。山手線は環状線と認識していて少しも不都合がないし、大阪から京都へ向かう電車を京都線と呼んでなんの悪いこともないだろう。
 だが、過去一度、この「正式名称」が大いにものを言ったことがあった。
 言うまでもなく、国鉄再建法が施行され、赤字ローカル線の廃止が問題となった時である。

 国鉄末期の厖大な赤字のことは、まだ記憶に新しい。民営化されJRとなって、たちまち黒字に転換したのは、返しても返しても減らない国鉄時代の借金を国が肩代わりしてくれたという大特典があった上のこととはいえ、民営化というのがこれほどまでに有効なのかということを国民に瞠目させる契機ともなった。
 分割民営化と同時に、赤字ローカル線の整理が問題になったのも当然である。輸送需要もないのに政治家が票集めのために敷いたような路線も少なくなかったから、整理はまあやむを得なかっただろう。旅情あふれるローカル線が次々と消えていったのは鉄道ファンとしてはまことに残念だったが、空気しか運んでいないような列車を国民の税金で走らせているのはやはりよろしくない。
 この時、存続か廃止かの指標になったのが、輸送密度である。これは、平均して1キロあたり一日に何人運んだかという数字だ。もう少し詳しく言うと、一日の各乗客の乗車キロ数の総和を、その路線の延長キロ数で割った数字である。20キロの路線で、平均10キロ乗る乗客が一日に四千人居たとすれば、4000×10÷20で、輸送密度は2000となる。
 山手線などは、34.5キロ、正式名称に従えば20.6キロの延長距離を持ち、毎日何十万人もの人を運んでいる。もっともそれぞれの乗車キロ数はわりと少なめで、平均して7、8キロくらいなものだろう。この輸送密度は10万近い数字になるはずである。
 輸送密度が2000未満の路線が、特定地方交通線となり、廃止の対象となったわけである。そして、それを計算するのは、路線の「正式名称」ごとだったわけだ。
 これにより、現実に泣きを見た路線がいくつもあるのだ。
 例えば東北地方の久慈線がそれである。八戸から三陸地域の久慈まで、八戸線という路線があるのだが、久慈線というのはこの久慈から新しく延長した路線であり、工事の都合上久慈線と呼ばれていたのに過ぎない。事実上は八戸線と一体化していた。だから単純に八戸線を名乗っていればよかったのに、別の線名をつけたものだから、ひっかかってしまったのである。幸い、第三セクターの三陸鉄道がこれを引き取って、宮古までつないだからよかったようなものの、JRからは縁を切られてしまった。
 四国の中村線も同様で、土讃線と一体化した延長線に過ぎなかった。これまた、別の名前をつけたばかりに廃止対象になってしまったのだ。こちらも現在は第三セクターの土佐くろしお鉄道となっている。
 たかが線名、されど線名、というところだろうか。

(2001.1.8.)

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