19.私鉄私見(その3 東急・京急・京成)

 
★東京急行電鉄★

 東急は西武と並んで積極的な多角経営で全国的に名前が轟いているが、鉄道部門は意外とこじんまりしており、総延長も子会社の横浜高速鉄道(こどもの国線)を含めればかろうじて100キロを超えるに過ぎない。しかも、その中で特に本線と考えるべき路線があるわけでもなく、10キロ〜30キロ程度の短い路線がいくつも並列している。
 これは、東急の歴史的事情から来ている。もともと東急の骨格となっているのは4つの独立会社、玉川電気軌道・東京横浜電鉄・目黒蒲田電鉄・池上電気鉄道で、それぞれ現在の新玉川線と世田谷線・東横線・目蒲線と大井町線・池上線に相当するが、これらが国盗り物語さながらに吸収合併を繰り返して東急が成立したのである。
 簡単に整理すれば、まず東京横浜電鉄が玉川電軌を吸収し、目黒蒲田が池上を吸収した。さらに目黒蒲田の社長であった五島慶太が東横をも傘下におさめたのだが、この時社名は目蒲ではなく東横を冠した。五島はさらに辣腕を振るい、戦時統合の趨勢に乗って現在の京王・小田急・京急をも支配下におさめた。この時から社名を東京急行電鉄としたが、現在の東急と区別するために、この戦時下の巨大私鉄を大東急と称することが多い。
 戦後になって大東急は解体し、京王・小田急・京急はそれぞれ分離独立したが、その前段階の東横電鉄はそれ以上解体することなく、東急の名前を襲名して現在の形となった。
 従って、本来ならもとの独立鉄道であった4社6線が東急の「幹線」ということになるが、このうち最長の東横線でも渋谷−桜木町の26.2キロに過ぎず、他はいずれも10キロ内外、世田谷線に至っては5キロしかない。
 南海や西武のように、ほぼ同格の幹線が複数ある私鉄もないことはないが、それにしてもこんなにドングリの背比べ状態であるのは珍しく、地下鉄以外にはあまり見当たらない。

 鉄道建設と沿線開発、百貨店や観光資源の創造を同時に行い、多角的な経営をするという私鉄のスタイルは、阪急の小林一三によって作られた。小林は宝塚少女歌劇団の創始者であることからもわかる通り、現実的な敏腕経営者であると共に、人々に夢を与えようという理想に燃えた大変なロマンティストでもあった。五島慶太はいわば小林の弟子というか、「理想を欠いた小林」とでも称されるべき男で、「強盗慶太」と渾名されたのも、小林の手法をコピーさながらに踏襲しながら、儲かることならなんでもやってのけたえげつなさを揶揄されたと思われる。
 ともあれ、東横線や目蒲線、池上線などの沿線開発は戦前にほぼ終了しており、そのためか戦後は鉄道としての発展はあまり見られず、ホテル経営や不動産事業などばかりに力を入れていた。
 東横線にだけは急行が走ったが、あとは優等列車を走らせるに足るだけの距離がなく、鈍行ばかりで、しかもかなり遅い時期まで、戦時中に粗製濫造されたいわゆる「イモムシ電車」が行ったり来たりしていた。すべてステンレスカーになったのはここ15年ほどのことである。
 とはいえ自社開発した自由が丘田園調布などの住宅地は、今なお高級住宅地としてのブランドを保ち続けており、おしゃれで格式の高そうなブティックやケーキ屋なども多い。何やら老大国という印象がある鉄道ではある。

 東急ファミリーの最古参であった玉川線は、もとの社名が「電軌」であったのでもわかる通りの路面電車で、玉川通りの路上をとことこ走っていたが、ご多分に漏れず昭和30年代に相次いだ路面電車追放の波に乗って廃止されてしまった。排気ガスゼロ、ひとりあたりエネルギー消費極小のクリーンな交通機関としての路面電車は、最近海外でも見直されて続々復活しているが、日本では各地に「生き残っている」だけで新規建設はないようである。まして当時は増加し始めたクルマの妨害者、渋滞の元凶、都市の邪魔者とさんざんに叩かれ、次々と廃止されてしまったものである。東京では、その当時は比較的人口密度も低く、しかも専用軌道を走る部分が多かった都電荒川線と東急世田谷線を除いて、全滅してしまった。
 ただ、玉川通りの混雑はその後年を追って深刻化し、中量〜大量交通機関としての電車の復活を要望する声が強くなった。
 しかし、もはや路上に再び軌道を敷設できる状況ではない。東急は思い切って、玉川通りの地下に新線を建設することにした。これが新玉川線である。渋谷から二子玉川園まで全線地下とし、営団地下鉄半蔵門線と相互乗り入れをおこなって都心との直結を図った。
 さらに、戦後のフロンティアとして、大井町線を延長した田園都市線が作られていたが、新玉川線は二子多摩川園からそのまま田園都市線に直通して東京西郊へと走ることになった。現在、半蔵門線と新玉川線と田園都市線は、あたかも1本の線区のように機能しており、よくあるような乗り入れ境界駅止まりの電車というものはない。これを総計すると、水天宮前−中央林間42.3キロとなり、東横線を遙かに凌駕する。
 田園都市線には以前、なぜか急行でなく快速が走っていたが、その走りっぷりは東横線の急行より明らかに上で、東急では急行より快速の方が格上と位置づけているのか、などと言われていたものである。この快速は新玉川線内は各停になっていたが、その後田園都市線内の停車駅は快速と同じものの、新玉川線内は三軒茶屋のみ停車の急行が走るようになり、やはり急行が上と認定された。現在では快速が廃止され、急行と普通の二本立てとなっている。

 近年になって、東急ではいくつかの話題が相次いだ。まずは新玉川線と世田谷線が接続している三軒茶屋のターミナルビルの建設。かたや地下鉄、かたや路面電車では、それまでほとんど没交渉で、乗り場も離れていたのだが、世田谷線の駅をもっと玉川通りに寄せ、地下道で直接乗り換えられるようにした。生き残りの路面電車である世田谷線を、これ以上経費をかけて改良するとは誰も思っていなかったので、このターミナルビル建設は人々の耳目をそばだてた。
 それから、通勤車輛へのクロスシート部分の導入である。これについてはシリーズ第11回で述べたけれど、JR東日本などが猛烈な勢いでロングシート化を図っている中、注目されたものだ。なかなか好評で、始発駅からでもない限り、クロスシート部分に坐るのは至難の業となっている。
 そして、これがおそらく東急の今世紀最後の大事業となるだろうが、目蒲線の目黒−田園調布間の地下化。これは地下鉄南北線の乗り入れをにらんで、第2の新玉川線として構想されたものである。さらに目蒲線は、かつての田園都市線に対する大井町線同様、蒲田方面を支線化し、メインルートとしては田園調布から東横線に乗り入れることになっている。これによって東横線渋谷口の混雑を緩和しようというわけだ。
 なお、南北線には都営三田線も乗り入れることが決まっており、さらに横浜市営地下鉄が東横線横浜口で相互乗り入れすることになっている。そして東横線には以前から地下鉄日比谷線が乗り入れている。従って、東横線はすこぶる賑やかなことになるだろう。老大国の風情などと言われ、もはや鉄道としての発展は完了していると見られていた東横線に、いま新しい動きが始まっているのは、大変喜ばしい。

★京浜急行電鉄★

 京急は関東でほとんど唯一、JRと全面的に併走している鉄道である。品川−横浜というおそろしく交通量の多い区間で真っ向勝負しているけなげさに拍手を送る鉄道ファンも少なくない。全面的併走というと、あと京成の千葉線があるが、現在のところ京成がほとんどJR総武線と勝負する気になっていないので、京急の健闘はいやが上にも光る。
 私鉄初の12輛編成運転を始めたのも京急だし、料金不要の全面セミクロスシート車を走らせているのも関東では東武の快速と京急の快速特急だけである。東横線や相模鉄道は、一部分クロスシートの場所があるというに過ぎない。
 しかも走りっぷりがいい。もっとも関西に持って行けばこの程度の走りをする電車はざらにあるのだが、ノロノロ運転が当然のようになっている関東の私鉄の中では、掃き溜めに鶴のようなスピード感である。
 このようにいろいろがんばっているのだが、今後の課題もまだまだ多い。

 なんと言っても、品川口の輸送力の不足がいかんともしがたい。第一京浜国道にずっと隣り合っているが、もともとが路面電車から始まった鉄道なので、まわりはとっくに住宅や工場が密集し、複々線化は愚か線形改良の余地さえあまりない。増発もスピードアップも限界ということだ。可能性としては地下別線の建造しかなさそうだが、昔のように地下鉄が露天掘りではなくなったとはいえ、駅の部分では路面から掘り返すしか仕方がない。ただでさえ極度の渋滞が常態となっている第一京浜で、その種の工事を施すことができるだろうか。
 対抗するJR東海道線では、本線の他京浜東北線用の線路があってもとから複々線、さらに横須賀線の走る別線もあるので、品川−横浜間に関しては6本の線路があるわけだ。2本しかない京急はどうしても不利である。JRの方も余裕綽々というか、東海道線だけでは混雑がひどくなるので、一部を京急に肩代わりさせてやっているのだとでも言いたげな態度で、あまり競争者として見ていない。京急のひとり相撲の感がなきにしもあらず。
 ぜひ、JRに危機感を抱かせるところまでがんばって貰いたい。

 もっとも、横浜を越えて、三浦半島方面に向かうとなると、逗子横須賀・久里浜あたりで横須賀線と競合することになる。実は、こちらの方は品川からでも横浜からでも、京急が圧倒的に強いのである。スピードでも運賃でも運転頻度でも、あるいは駅の立地の上でも、横須賀線は全く太刀打ちできない。最近横須賀線がロングシート化されたので、快適さの面でも京急の快速特急に劣ることになってしまった。横須賀線の強みは、大観光地鎌倉を通っていることくらいしかない。横須賀−久里浜間に至っては、なんと今時単線のままで、JRは勝負する気にもなれないようだ。
 JR対京急は、一勝一敗と言ったところかもしれない。

 京急は基本的には有料列車はないのだが、着席保証の乗車整理券を発売しているホームライナー的なものがある。京急ウイング号と称されているが、横浜を通過するのがミソで、上大岡以遠の遠距離客に的を絞っているわけだ。評判は上々のようである。

 京浜蒲田から分岐している空港線というのがあって、以前から羽田空港まで通じていたが、空港ターミナルビルに直接乗り入れている東京モノレールとは勝負にならなかった。電車も小編成の鈍行が蒲田との間をごとごと走っていただけで、京急沿線の人以外はこの線に乗って羽田空港へ行こうなどとは誰も考えなかった。飛行機に乗るならモノレール、というのが一般通念であったと言ってよい。
 ところが、空港が沖合に移転して、路線を延長しなければならなくなってから、京急は本腰を入れてモノレールに対抗しようと考え始めた。
 最終的には新空港ターミナルまで直接乗り入れるべく工事を進めているが、さしあたって従来の羽田空港駅(現羽田駅)を地下駅としてモノレールとの乗り換えを短絡した。この乗り換えは非常に楽で、感心した憶えがある。
 そして急行をかなりの割合空港線に乗り入れさせた。今のところ空港線内は各停になるが、それにしても京急の特急・急行は以前から、都営浅草線をはさんで京成とも相互乗り入れをしており、千葉方面からの羽田アクセスは便利になった。
 なお、この前びっくりしたのだが、私の住んでいる埼玉県の川口からは、京浜東北線で品川まで行き、京急経由で羽田でモノレールに乗り換えた方が、浜松町からモノレールに乗るより僅かながら安いのである。日中は浜松町に京浜東北線の電車が停まらないので、乗り換え回数はどちらでも2回となるが、企業体がひとつ増える京急経由の方が安いとは全く驚きであった。
 これで羽田空港の新駅が完成すれば、私などは文句なく京急で空港に向かうことになる。長らく空港アクセスを独占してきたモノレールは危地に立たされることになるだろう。
 また、その時点で、成田空港と羽田空港を直結する特急が走るのもほぼ確実である。都営浅草線が東京駅までの支線を作るという話も出ている。国際線や新幹線と国内線とのアクセスが一気に楽になる。
 ただ、直結特急が、今までのような通勤型ではあまり意味がない。できれば京成スカイライナークラスの豪華車輛を走らせて貰いたい。また、成田−羽田間ノンストップのものと主要駅停車型のものを用意すべきだ。ノンストップとは大胆に思えるかもしれないが、本来ならひとつの空港で済むべきことを、遠く離れたふたつの空港にやらせているのだから、都心に寄らせようなどと妙な色気を出さずにトランジットに徹した方がよい。主要駅停車型と30分おきくらいに走らせれば便利だろう。

 以上のように、京急は、条件の悪かったところでもいろいろ工夫してクリアしてきている。関東ではもっとも元気のよい私鉄と言うべきで、今後も楽しみである。

 (2000年5月後記。1999年から、確かに羽田空港と成田空港を直結する電車は走り始めたが、京急線内快速特急、京成線内特急というタイプの主要駅停車型のものが一日4往復するだけで、車輌もロングシートの場合がある。これではほとんどものの役に立たないというべきである)
 

★京成電鉄★

 京成は長らく、大手私鉄の中でもっともぱっとしない鉄道と考えられていた。営業成績も悪く、周辺事業も失敗続きで、一時は戦後初の鉄道会社の倒産になるかと騒がれさえしたものである。
 経営陣の見通しの悪さもあったが、不運もあった。その最たるものは、成田空港の建設に関わる騒動であろう。
 お膝元の成田に新空港ができるというのだから、さてこそと京成が色めき立ったのも当然の話だ。すぐさま空港アクセス用の豪華特急「スカイライナー」を建造し、目前に迫った空港開業に備えた。
 ところが、京成の期待は2方面から頓挫させられてしまった。
 まずは運輸省である。当時、成田新幹線というものが考えられており、東京と成田は新幹線で結ばれるはずだった。そのため、それと真っ向から対立することになるであろう京成は、空港ターミナルへの乗り入れまかりならぬというお達しが出てしまったのである。その頃はJRでなくもちろん国鉄で、国が空港へのアクセスを整備しようという以上、民間企業ごときが割り込むことは許さぬということであった。
 当てが外れた京成は落胆したが、スカイライナーはすでにできてしまっている。やむなく、成田山参詣と、空港職員の便宜ということで運行を許可して貰った。
 もうひとつの要因は、言わずと知れた「三里塚闘争」である。国の強引な土地買収に反対した住民に、左翼系の政治家やジャーナリストがこぞって肩入れし、さらに革マル派その他の過激派が参入して爆弾テロにまで発展し、収拾のつかない大騒ぎになってしまった。成田空港は必要だなどと言うと、たちまちあいつは保守反動だ、右翼だ、けしからんと叩かれ、場合によっては生命さえ狙われたなどということが、現在から見て信じられるだろうか。
 そんなこんなで、成田空港はやっとのことで開業はしたものの、滑走路1本という、国際空港としては考えられないような見すぼらしいものとなり、しかも空港はほとんど戒厳下にあるようなものものしい警備が行われて、大いに内外の印象を悪くした。見送りに行くだけでも厳重な身体検査と所持品チェックをされたのである。
 京成の予測に較べ、開業は遅れに遅れ、しかもターミナルから遠く離れた場所にしか駅が作れず、スカイライナーは開店休業状態になっていた。不運としか言いようがない。
 と言って、成田新幹線も実現せず、国鉄のアクセスも京成以上に悪いため、成田空港への交通は、箱崎などからのリムジンバスが主力ということになってしまった。定時性や輸送効率の面でバスが鉄道に劣るのは言うまでもない。

 国鉄が民営化されて、ようやく成田空港ターミナルへの直接乗り入れにゴーサインが出た。
 すでに空港内に、新幹線を考えた設備が作られていたため、京成とJRが共同で乗り入れることになったのである。
 長いこと苦汁をなめていたスカイライナーに、ようやく陽が当たるようになった。まことに慶賀の至りである。
 JRの成田エクスプレス(N'EX)との競争になったが、まさに競争のないところに進歩はないのであって、お互い互角の勝負をしている。まあ、東京西部や南部からの客はN'EXを使い、北部からの客はスカイライナーを使うようで、ほぼ棲み分けていると言ってもよい。ただ、N'EXは何を考えたか、時代遅れの4人掛け固定クロスシートを導入した。もちろん昔のボックスシートと較べれば居住性は比較にならないが、新婚旅行客などはいやがるだろう。回転クロスシートのスカイライナーの方が好まれると思う。

 さて、目算外れの多かった京成は設備投資も遅れていたが、最近ようやくぼつぼつと改良工事を開始している。乗降客が非常に多いのにプラットフォームが狭く、おまけに前後の道路が平面交差で開かずの踏切となり、きわめて評判の悪かった船橋駅も、かなり良くなった。
 押上線も従来、都会のローカル線という風情があったのだが、ようやく改築が始まった。高架線が建造中で、荒川橋梁も新しく付け替えとなる。荒川水上バスは、押上線の低い橋梁をくぐるために、おそろしく天井の低い、平べったい船を使わざるを得なかったのだから、付け替えが完了すればもっと大型の水上バスが航行できるようになる。

 その一方で、上野と日暮里の間にあった博物館動物園駅が廃止されたのは残念である。私事だが、私の出身大学はこの駅のすぐ近くにあり、何度も駅廃止の話が出たのを、大学関係者の懇請によって回避してきたという経緯がある。照明が暗く、かび臭い地下駅であった。プラットフォームが短く、4輛分しかなかったので、6輛編成の電車は通過していた。大学と言っても人数が少なく、たとえ昔の井の頭線神泉駅のように一部の車輛のドアだけを開けるようにしたところで、全列車を停車させるほどの利用者は見込めなかった。不便なものだから、だんだん大学関係者も利用しなくなり、ついに駅が廃止された。私は在学中に多少学友会の活動もしていたため、博動駅廃止の報を感慨を持って聞いた。

 京成には、本線と、上記の押上線の他、「寅さん」の故郷柴又を通る金町線津田沼から分岐して千葉へ向かう千葉線、そして旧成田空港駅である東成田へ向かう東成田線がある。また、高砂から出ている北総開発鉄道とその延長の住宅都市整備公団線、津田沼から松戸へ向かう子会社の新京成電鉄も事実上の支線として機能している。
 押上線からは都営浅草線、さらに京急にも乗り入れが為されており、住都公団の印西牧ノ原から京急の羽田までを結んでいる電車のごときは、実に5社の路線を走り抜けることになっている。
 金町線と東成田線はごく短い枝線だが、千葉線は全区間JR総武線と併走しており、準本線と言っていいような存在であるべき路線である。
 ところが、千葉線はその先端に千葉急行電鉄をつなげてちはら台まで乗り入れるということまでしておきながら、いまだに全列車が鈍行であり、上野や押上線方面からの直通列車さえない。この線は、まじめに競争すればたちまち総武線を脅かしうる存在であるはずで、絶対的に不利な条件というものもあまり見当たらない。要は京成のやる気にかかっている。線形を改良し、直通特急を走らせるべきだ。

 時に、いま特急という言葉を使ったが、京成ではスカイライナーを別格とし、一般車輛の特急を別個に設定している。スカイライナーが1種類だった頃はそれで良かったが、モーニングライナーイブニングライナーという、途中駅停車のホームライナー型の列車が走り出したのでややこしくなった。
 特急の下に急行もあるが、これらはその走りっぷりからしても、急行・準急と改称した方がいいような気がする。停車駅も多いし速度も遅い。

 ぱっとしなかった京成が大変身するとすればこれからである。幸い空港と直結したスカイライナーは好評で、売れ行きも良いのだから、今までのイメージを一新させるヒットが欲しい。同じようにぱっとしなかった東武が最近めきめき元気になってきたのだから、京成もやりようによっては飛躍が期待できる。関係者各位の奮闘を期待したい。

 以上、関東の大手私鉄について瞥見してきた。
 私自身が関東在住だし、これらの鉄道は全線完全踏破しているので、かなり詳しいことが書けた。
 しかし、他の地域の私鉄についてはそれほど知らないし、微妙な機微のほどもわからない。次回以降、関西他の大手私鉄、あるいは中小私鉄についても触れてゆきたいと思うが、読者のご教示を願えればありがたい。

(1998.8.16.)

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