18.私鉄私見(その2 京王・小田急)

 
 前回に引き続き、関東地方の私鉄について。
 路線規模からすると、東武が延長470キロほどのダントツで関東最大(全国3位)、西武が180キロほどで第2位(全国5位)であり、その次に営団の170キロ余りというのが来るが、営団地下鉄については第15回で詳述したので省く。
 あとは小田急がかろうじて120キロほどとなっている他は、すべて100キロに満たない路線長である。大手15社のうち8社がひしめいているとはいえ、案外とこじんまりしていることがわかる。
 今回は東京西部をエリアとする京王と小田急を見てみたい。

★京王電鉄★

 京王は、昨年(平成9)に、戦後の鉄道では初の運賃引き下げを敢行して話題を呼んだ。これまで、区間による特定割引はあったものの、全面的に値下げしたのはこれがはじめてである。今まで、設備投資のために高い運賃をとってきたが、各種の工事も一段落したので、これまでとった分を乗客に還元するというのがその説明だった。一旦値上げすると、それが一時的な設備投資のためであっても、なんだかんだ名目をつけて決して下げようとしなかった従来の鉄道会社の中で、一挙に光り輝いたという印象がある。これによって京王の企業イメージはたちまち上昇したようだ。
 もっとも、10年前、いや5年前であっても、このような単独の運賃引き下げには、運輸省からたちまち横槍が入ったに違いない。戦前には併走する鉄道会社同士の間で激越なほどの値下げ競争があったことは知られているが、アツモノに懲りてナマスを吹くと言うべきか、戦後のお役所はこの種の過当競争には実に神経質で、なんとしても横一線並びを維持しようとした。京都市のタクシー会社が値下げしようとして、運輸省と大喧嘩になった事件はまだ記憶に新しい。そんな中で、京王がすんなりと値下げできたというのは、規制緩和・自由化の波が徐々に浸透し始めている証左として喜ばしい限りである。
 そうは言っても、京王がこの大英断を敢行できたのは、営業成績がよく、鉄道経営が黒字であったからこそのことで、多くの赤字ローカル線を抱える東武が、同じ頃に逆に値上げしたというのも、またやむを得ないかもしれない。

 京王は、新宿八王子を結ぶ京王線を本線とし、さらに渋谷吉祥寺を結ぶ井の頭線調布から分岐して多摩ニュータウン内を突っ切り橋本まで伸びる相模原線、それに付随するいくつかの支線から成っている。東京都内のもっともおいしい部分を走っているようなもので、業績がいいのも当然と言えば当然なのである。なお京王という名称は、東と八子からとったもので、別に東京の王者と言うわけではない。
 以前はさらに「帝都」がくっついて京王帝都電鉄と称していた。帝都というのも偉そうな感じだが、こちらは井の頭線が本来帝都電鉄という別会社であったのに由来する。京王電鉄と帝都電鉄が合併して京王帝都となったわけだ。

 話の行きがかり上、井の頭線を先に済ませてしまうが、井の頭線の前身であるその帝都電鉄というのは、もともと小田急の子会社であった。
 いわゆる鉄道会社の戦時合併で、現在の京王・小田急・東急・京急に相当する会社がすべて強制的に合併させられ、「大東急」の名の下に東急に吸収されたことがある。戦後になってそれらが再編成されで再び独立を果たすわけだが、京王電鉄というのは鉄道の他電気会社を経営していて、むしろそちらの方が主な収入源となっていたのを取り上げられてしまったため、京王線だけではとても経営が成り立たないと運輸省に泣きついて、本来は小田急系列であった帝都電鉄を自らの傘下に納めることに成功したのである。小田急こそいい面の皮であった。後述するが、小田急はどうもこの種の政治的駆け引きが苦手なようだ。
 そういう経緯があるため、井の頭線は京王の中ではまったく異質な路線となっている。まず何よりも線路の軌間が違っている。井の頭線は小田急と同じ狭軌を用いているが、その他の路線はもっと広い。そのため線路は一ヶ所も接続しておらず、全く独立したダイヤが組まれている。車輛も全然別のものを用いている。
 まるで継子のような井の頭線だが、まさにドル箱路線で、いつ乗っても混んでいる。収益率は京王全線でも最高だろう。日中は急行と普通が10分サイクルで運行し、中間の永福町で必ず緩急結合が為されるようになっている。
 車輛は長いこと3ドアの小型車が用いられていたが、最近ようやく各駅の拡張工事も出来上がり、4ドア車が走るようになった。これで混雑も多少は緩和されるだろう。渋谷駅の改築もようやく終わった。線としての改良はほぼ完了したと見るべきだろうか。

 京王線の方は、ひたすら甲州街道に沿って敷設されている。やはり古くからの人々の動きに従った路線というのは成功するものらしい。八王子は東京都下最大の都市であり、中間の調布府中も人口が多い。
 新宿からは京王八王子行きと橋本行きの特急が踵を接して発着しているが、デラックス車輛の類は一切なく、すべて通勤用ロングシート車輛のみである。特急を走らせながらここまで徹しているのは、大手では京王と阪神だけで、そういえばこの両社の立地はよく似ている。
 ロングシートとはいえ、新型車輛の乗り心地はなかなか快適で、明るい印象がある。速度もまずまずと言ってよい。
 ただ、専門家に言わせるとダイヤの組み方が下手だそうだ。そう言われてみると、目的地に行く電車がなかなか来なくてイライラした憶えがないではない。特急・急行・快速・通勤快速・普通の5種別があるが、普通電車に乗っているとやたらと通過待ちがあるのは仕方がないとしても、途中を優等列車で走り抜けて目的地近くでまた普通に乗り換える、ということがどうもやりずらい。結局同じ電車で通過待ちをしながら行くのがいちばん早かったりする。緩急結合がうまく行っていないのだと思われる。
 停車駅からすると急行が使い易いのだが、急行に乗れる確率がなぜかばかに低い。次の特急から逃げ切るために、前の特急のすぐあとを走っていたりして、駅に行って最初に急行に当たるということが滅多にない。確かに、もう少しうまいダイヤが作れそうなものである。

 京王線からは、相模原線を除くと4本の支線が出ている。そのうち京王新線は、新宿口の混雑緩和のために新宿−笹塚間に設けられた別線で、都営地下鉄新宿線と相互直通している。事実上一体化していると言ってよい。途中の初台・幡ヶ谷の両駅を、新線のみにし、本線からは排除してしまったのが面白い。初台周辺は最近新国立劇場オペラシティができて、場末の感じだったのがすっかりハイソ化された。
 なお笹塚以遠と直通するのは、早朝深夜を除くとすべて快速である。
 東府中高幡不動から、それぞれ1駅だけの支線が出ている。競馬場線動物園線というわかりやすい名称で、言うまでもなく東京競馬場多摩動物公園へのアクセスのために設けられている。
 東府中駅も府中競馬正門前駅も、かなり広いプラットフォームを用意して、競馬開催日の混雑に備えているが、ふだんはおそろしく閑散として見える。
 多摩動物公園は、動物園の他多摩テックという遊園地もあり、ここは自分で操縦できる遊具が多いので私は結構好きだ。いずれにしろ、休日は行楽客で賑わう。
 同じく行楽客で賑わうのが、北野から分岐している高尾線だ。東京都は実は相当に山地が多い。奥多摩地域には2000メートル級の山々がそびえていて、日帰りは困難なほどだ。その中で、それら山塊の南端に位置する高尾山は手軽なハイキングコースとして親しまれている。都市近郊の行楽地とはいえ、モリアオガエルムカシトンボなど、日本ではほとんどここにしかいない生き物も何種類か棲息し、自然探勝のメッカともなっている。
 高尾線はそのほぼ直下と言ってよい高尾山口まで通じている。休日は特急が直通するが、平日は急行しか走らない。ところが先述の通り、急行にはなぜか乗りずらいダイヤになっていて、分岐駅の北野に特急が停車しないこともあり、どうも不便だ。北野に特急を停めるか、あるいはその手前の停車駅である高幡不動で特急と急行を接続させるか、どちらかの手を打って貰いたい。

 最後に相模原線だが、ほぼ沿線開発が終わっている他の路線に較べ、ここだけはまだまだ余地がある。会社が現在もっとも力を入れているのもこちらで、日中の快速のほとんどが相模原線に直通するようになっている。
 現在は橋本までだが、当初の構想としてはさらに西進し、津久井湖畔の相模中野までが計画されていた。確かに、私が子供の頃の車内の路線図には、計画線として相模中野までが記されていたのを憶えている。しかし、その後免許を失効し、建設用地を売却してしまったりして、当初の計画通りの路線を延ばすことはできなくなった。
 それでも、夢物語のようなものながら、大月まで延長して富士急と直通するというプランがあるにはあるらしい。中央本線の線路容量の限界、中央高速道の慢性的な渋滞などを考えれば、考えられない話ではなく、そこまでやれば、京王がデラックス特急を走らせる日も訪れるであろう。
 

★小田急電鉄★

 小田急は、路線の3分の2以上を占める本線とも言うべき小田原線と、新百合ヶ丘から分岐する多摩線相模大野から分岐する江ノ島線の3つしか路線を持っていない。設立の経緯からすれば当然小田急に属すべき井の頭線が京王に奪われてしまったということがある。井の頭線が小田急の系列だった証拠に、接続駅である下北沢には、間を隔てる改札口がない。この頃は臨時改札を設けることが多くなったようだが、ともあれ別系統の会社の鉄道の間にちゃんとした改札口がないというのは、JRと地方小私鉄などのケースを除くと珍しいことである。
 小田原線の終点小田原からは、箱根登山鉄道に乗り入れており、事実上箱根湯本までが小田急の路線と思えるほどである。箱根湯本以遠は、勾配が急で、スイッチバックなども多くなり、小田急の電車では乗り入れられないため、箱根登山鉄道の専用電車のみの運行となる。
 箱根にせよ、江ノ島にせよ、季節変動の少ない観光地で、年間を通じて観光客の来訪に恵まれている。さらに、路線の中間に、町田という東京都下第2位の都市を抱えて、そこがターミナル機能を持つため、よくあるような、起点から離れるほど閑散としてくるという郊外鉄道の弊害から免れている。また、箱根のすぐ近くに小田原、江ノ島のすぐ近くに藤沢という都市もあって、末端部分も利用率が高い。立地的には大変恵まれた鉄道と言わねばならない。

 そういう恵まれた商売をしていたためか、どうも小田急は伝統的に駆け引きが下手なような気がする。戦時合併の際、合併仲間の鉄道会社の中で最大の規模を持ちながら東急の五島慶太に主導権を握られてしまったのは、まあ「強盗慶太」とさえ呼ばれた五島の野放図もない辣腕を考えれば仕方なかったかもしれないが、その後京王に井の頭線を奪われたのも、いささかおっとり構えすぎて政治的策動を怠ったからであろう。
 だが、その後、駆け引き下手のおかげで、もっと致命的なミスを犯してしまった。
 西武や京王同様、新宿口の混雑はほとんど目に余るものになっている。住宅地の立て込んだ地域を走る鉄道として、小田急は早くも昭和30年代後半から輸送力の不足に悩まされた。
 そこで、地下鉄を乗り入れさせて混雑を緩和し、多摩川を渡る直前の和泉多摩川まで複々線化するという計画が立てられた。かくて代々木上原での千代田線乗り入れが実現した。
 だが、地下鉄乗り入れは、代々木上原−和泉多摩川間の複々線化と一体になって、はじめて真の効果を発揮するものである。
 ところが、間にある下北沢付近の住民の説得に失敗してしまったのである。

 輸送力増強は公的な要請ではあり、複々線化も国の後ろ盾があって計画されたことだった。そのせいか、いきなり高飛車に用地買収を行おうとしたものらしい。
 もともと小田急の突っ切る世田谷区というのは、いわゆる文化人が多く、住民の権利意識が甚だ強い地域である。成田空港の建設問題などがこじれていたのと同じような時期であって、お上の御威光を笠に着てもかえって反撥されるに決まっている。よりデリケートな説得が不可欠だったのに、それを怠ったものだから、下北沢付近の住民との間には修復不能なほどの不信感が生まれてしまい、石にかじりついてでも断固反対というかたくなな住民を増やしてしまった。
 輸送力が不足して小田急がノロノロ運転になり、遠方の人々が困ろうが、乗車率200%を悠に超える混雑で乗客が疲労困憊しようが知ったことではなく、自分の生活だけが大事だという住民エゴもどうかとは思うが、小田急の駆け引き下手が元凶であることは疑いない。
 結果、梅ヶ丘以遠の工事しか実施することができなくなってしまった。これも遅れに遅れ、最近になってようやく喜多見−和泉多摩川のわずか2駅間のみ複々線化ができたが、何しろそれまでがぎりぎりの状況だったため、僅かこれだけでもかなりの効果があり、おそろしく鈍足だった急行のスピードも上がった。だから全面的に複々線化されれば、小田急の混雑は劇的に緩和されるはずである。
 だがそれも、東北沢−梅ヶ丘が現在のまま(代々木上原−東北沢間は地下鉄乗り入れ時に複々線化完了)では、そこがボトルネックとなって、すぐに限界に突き当たる。住民説得失敗は、まさに致命的なミスだったのだ。

 現在、千代田線からの直通電車は、小田急線内では準急として走っているが、1日10往復程度で、都市部の鉄道としてはほとんど乗り入れていないも同然である。それ以上増やす余地は、現状では全くない。
 新たな用地買収をせずに複々線化するためには、地下に別線を設けるしかないが、それなら千代田線を梅ヶ丘か、いっそ経堂あたりまでもぐらせておけばよかったのである。今からまた地下線を作るとなると完全に二度手間だ。
 だが、将来もしそれをクリアして全面的な複々線化が完了したら、ぜひ考えて欲しいのが快速急行の設置である。
 現在の急行は、上記の理由により超鈍足で、ほとんど急行の名に価しないのだが、こまめに停まりすぎるのも問題である。特に本厚木以遠ほとんど各駅停車になってしまい、遠方の住民にとっては通勤などがかなり苦痛である。
 そこで提案なのだが、その快速急行は思い切って遠距離客にターゲットを絞ってはどうか。具体的に言うと、新百合ヶ丘あたりまでノンストップにするのだ。下北沢や成城学園前などは現行の急行や、増発されるであろう千代田線直通準急に任せ、客層を分離するのである。下北沢駅の、狭い劣悪なプラットフォーム事情を考えても、その方がよろしい。乗降客数の多い駅に上位列車を停めるという発想はやや時代遅れになりつつある。82.5キロという、私鉄の1線区としては相当長い小田原線であればこそ、目的地別の分離ということをまじめに考えるべきだ。

 遠距離客の苦痛緩和のためだろうが、最近特急ロマンスカーがばかにあちこちの駅に停まるようになってきた。
 従来、主力だったのは小田原までノンストップの「はこね」で、箱根観光に的を絞った運用だったが、この頃はそれが「スーパーはこね」と改称し、スーパーのつかない「はこね」は町田に停車するようになった。以前は「あしがら」がそのパターンだったのだが、主力特急に「はこね」の名をつけるのが小田急のポリシーなのかもしれない。「あしがら」が増えてしまっては面白くないのだろう。
 なお「あしがら」はトコロテン式に、本厚木、そしてこの8月から秦野にも停車することになり、特急のインフレ現象が進んでいる。そう言えばいつの間にか「えのしま」号が大和に停車するようにもなっている。いずれも、観光特急から、いわばホームライナー化が行われつつあるということだろう。数百円の料金で、ゆったりしたロマンスカーに必ず坐れるのだから、疲れた時には嬉しい。
 ロマンスカーの車輛自体、一時期矢継ぎ早に新車が投入されて、格段にグレードアップしている。それに、私鉄の特急には珍しく、車内販売が乗務している。以前は「走る喫茶室」と称して、ウエイトレスが客席を廻って注文を取り、コーヒーや紅茶を席まで運んでくれたものだが、そのサービスは残念ながら廃止されてしまった。しかし車内販売だけでも、あれば結構嬉しいものである。
 小田急の特急には、上記の他、停車駅パターンが異なる(町田に停車しない代わり、向ヶ丘遊園・本厚木・新松田に停まる)「さがみ」と、JR御殿場線に直通して沼津まで行く「あさぎり」がある。「あさぎり」は以前は御殿場止まりで、御殿場線内は急行として扱われていたため、明らかに小田急では特急でありながら、「連絡急行」と称され、車輛も旧型のものが使われていた。それがJRの急行削減・特急重視策に従って特急化された際に晴れて特急となり、しかも「はこね」よりさらにグレードの高い車輛が投入されて、今や「はこね」をしのぐ看板列車となっている。いっそのこと静岡か浜松まで延長運転してはいかがかと思う。

 そんな具合に、特急に関してはいろいろ考えている小田急なのだから、急行以下の運用についてももうすこしきめ細かな考慮をして貰いたいものだ。とにかく、複々線化問題を解決することがすべての出発点と言わねばならない。
 鉄道ジャーナリストの川島令三氏は、小田急を第二新幹線として利用するという大胆な提言をおこなっている。どうせ複々線化の埒があかないのなら、新たに設ける別線は新幹線と同じ標準軌で、国の事業として敷設してしまえと言うのだ。確かに、東海道新幹線の輸送力が限界に近づいており、リニアもさしたる輸送力が見込めそうもなく、かと言って東京口に新たな新幹線を建造するための用地を確保するのは絶望的に困難だという状況を考えれば、小田急に併設してしまうというのは決して荒唐無稽な話ではない。もっとも金のかかる都心部を小田急併設で乗りきり、新百合ヶ丘から多摩線に併走させて一路西を目指すというプランである。気宇壮大と言うべきだが、考えてみればリニアをわざわざ都心部にひっぱってくる(しかも、ひっぱってこないことにはほとんど存在意義がない)よりは格段に廉価で済むと思われる。
 閉塞した状況を打開するには、このくらい大胆な発想をもって望まなければならないと思うのだが、いかがであろうか。

 今回は東急についても述べたかったのだが、長くなってしまったので次回に廻す。従って次回は、東急・京成・京急について触れることになります。

(1998.8.16.)

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