26.駅名あれこれ


 今回は肩の凝らない、駅名についての雑談を。
 時刻表の索引地図を見ていると、いろんな駅名があるものだと思う。
 知らないと到底読めない難読駅名も少なくない。アイヌ語の音訳が多い北海道には特に多く、子供の頃、従弟たちと、函館本線の駅名を全部読めるかというので賭けをしたこともある。今ならさすがに全部読めるかと思って、たった今試してみたら、情けないことに掛澗が読めなかった。「かかりま」と読む。野田生(のだおい)、長万部(おしゃまんべ)、蕨岱(わらびたい)、熱郛(ねっぷ)、倶知安(くっちゃん)と言った妙な駅名ばかり並んでいると、北豊津(きたとよつ)だとか黒松内(くろまつない)とか、ごく素直に読める駅名もついつい勘繰ってしまうのがミソである。
 北海道ばかりではない。山手線の日暮里など、東京にあるからみんな読めるので、これが地方にあったらすんなりニッポリと読める人は少ないに違いない。ヒグレサト、ヒボリなどと読むのが普通だろう。本来は、新しく掘られたお濠ということで、新堀(にいぼり)だったのだと聞いたことがある。
 京都の人とチャットで話している時、難読駅名の話になった。
「お宅の近くに、きわめつけに難しいのがあるじゃない」
と私が言ったが、相手は見当もつかないようだった。
 映画撮影所で有名な太秦(うずまさ=山陰本線)である。映画ファンなら読めるだろうが、門外漢にとっては実に奇想天外な読み方である。その時の相手は、あまりに身近すぎて、珍しい読み方だという意識が全くなかったのだ。地名というのはそういうケースが少なくない。関西では、片町線の放出(はなてん)も、大阪付近の人には信じられないだろうが、よそ者にはなかなか読めない。
 難読駅名の横綱格としてたいてい挙げられるのが、やはり山陰本線の特牛(こっとい)である。地名が先にあってあとから文字を宛てたのだろうと思うが、なぜこんな文字を宛てたのかさっぱりわからない。方言由来の地名の場合、意訳して漢字を宛てたりすることがあるので、説明されないとどうにも理解できない場合がある。
 しかし、そういう駅名ほど旅情を誘う。ここは一体、どんな土地なのだろうと好奇心を抱くのである。

 ところで日本一長い駅名は、現在のところ南阿蘇鉄道(旧国鉄高森線の第三セクター化)の南阿蘇水の生まれる里白水高原(みなみあそみずのうまれるさとはくすいこうげん)の22文字。拗音を一文字に数えるなら鹿島臨海鉄道長者ヶ浜潮騒はまなす公園前(ちょうじゃがはましおさいはまなすこうえんまえ)も同じく22文字となる。私が小学校へ上がった頃は、東京競馬場前(中央本線の国分寺支線──現在廃止)がいちばん長いと教わったものだが、拗音を入れてもわずか13文字である。なんでも略語化してしまうご時世に、駅名だけはどんどん長くなるらしい。
 もっとも22文字のふたつは、最初から「日本一長い駅名を!」と狙って作ったものではある。地方鉄道がなんとか話題になろうと涙ぐましい努力をしているのだ。南阿蘇鉄道は特にこだわりがあるようで、「……白水高原」の隣の駅も阿蘇下田城ふれあい温泉と長たらしい名前である。ちなみにこの「……ふれあい温泉」駅は、駅自体が温泉センターとなっているので、近くを通ったら立ち寄ってみるとよいかもしれない。
 一生懸命長い駅名をつけても、利用者や地元民は冷たいもので、まずフルネームなど呼んでやらない。南阿蘇水の生まれる里白水高原も、ただ白水高原と呼ばれるだけである。

 日本一短い駅名は、というと、これは言うまでもなくである。津の駅に行くと、駅名表示板に「つ」と一文字黒々とあるだけなのでなんだか笑えてしまう。ウナギがのたくっている印象である。
 しかし、ローマ字を見ると「TSU」と3文字なので、ふと思った。ローマ字2文字の駅もあるんじゃないか。
 そう考えると、粟生(あお──加古川線)、頴娃(えい──指宿枕崎線)、小江(おえ──長崎本線)などいろいろあることに気づいた。山陰本線の飯井(いい)に至っては、書きようによってはIの上に長音符号をつけただけの、実にローマ字1文字で書き表せる。これは世界一短い駅名ではないか。ローマ字にして1文字というのはさすがに外国にもなく、スイスにある(Re)駅が最短とされている。
 ついでにひとつクイズを。私の大学時代の同級生で、普通に書いても、仮名書きにしても、ローマ字で書いてさえも同じ字数だという女性が居た。さあなんという名前でしょうか。ヒントを申し上げると、ローマ字表記だと一箇所だけ長音符号がつくことになる。苗字はやや珍しいが、名前は珍しいと言うほどではない。答えは次項にて。この人の場合、ローマ字で書くと世界でもいちばん短い姓名の部類になるのではないかと思う。

 駅名をつける時にはいろいろ難しい問題がある。特に、駅が複数の町の境界近くに設置されることになると、政治的な駆け引きが盛んにおこなわれることになる。
 東武鉄道の伊勢崎線と日光線の分岐駅は、埼玉県宮代町にあるが、ほとんど隣の杉戸町との境界近くだ。宮代町内には他に姫宮・和戸の2駅があるが、当時杉戸町内は、線路だけは通っているが駅がなかった。それでごねたのかどうだか知らないが、駅名は杉戸になっていた。その後杉戸駅は東武動物公園と改称され、杉戸の立場がなくなってしまった。幸い最近になって、杉戸町内に杉戸高野台駅が新設されたのでなんとかメンツは立ったものの、漢字で5文字というのはもともと駅名としては長すぎる。杉戸の文字を入れるよう圧力があったのではないかと邪推している。
 一体に、この頃の新設駅はこうした複合駅名が多い。用地買収などの関係で地元の顔を立てなければならない事情が増えてきたからなのだろう。
 しかし政治的に右顧左眄するのもいい加減にしておいた方がよい。駅名というのは案外ばかにならない影響力を持っている。好例が博多である。
 博多と福岡はもともと隣接した別の町で、博多は商人町、福岡は武家町だった。明治になって統合されてひとつの町になり、県名と市名は武家町であった福岡が押さえてしまった。せめて鉄道の駅くらいはということで博多が駅名となったが、駅名となったおかげで博多のイメージが全国的にメジャーになってしまった。福岡市と言われてもなんだか漠然とした印象だが、博多と言えば、新幹線の終点で、どんたく祭りがあって、辛子明太子が名物で、中洲の歓楽街があって……とすぐにイメージが湧く。前にあるテレビドラマを見ていたら、テロップに「博多市」と出てきた。そんな市はないのに(「福岡市博多区」ならあるが)、プロデューサーもディレクターもついうっかり勘違いしてしまったのだろう。駅名というのはそのくらい重要なのである。

 駅名はわかりやすくつけるに越したことはないが、東西南北新本中といった接頭辞をむやみとつけるのも味気ない。有名なのは浦和である。東浦和西浦和南浦和北浦和中浦和、それに武蔵浦和というのまで揃っている。南浦和と北浦和は町名としても存在するが、あとはまったく便宜上つけられている。確かに、実在する町名を尊重して、東浦和を大牧、西浦和を田島、中浦和を鹿手袋、武蔵浦和を白旗などとするよりはわかりやすいことはわかりやすいが、どうにも味気ないこと甚だしいものがある。
 なお東浦和と西浦和がある武蔵野線は、安直な駅名ばかりだと評判が悪い。貨物線を流用して昭和48年にこの線が開業してから後に新設された路線の駅名はそうしたものが多い。首都圏では埼京線京葉線がそれに当たる。
 どのくらい安直かというと、武蔵野線の24個の駅の中で、接頭辞も接尾辞もつかない「固有の駅名」は新座(にいざ)・吉川(よしかわ)・三郷(みさと)のわずか3つしかないのである。既設の駅名に東西南北のいずれかを冠しているのが12、「新」がついているのが5つ(もちろん新座は除く)、その他の接頭辞がついているのがひとつ(武蔵浦和)、残りの3つ(府中本町・市川大野・船橋法典)はいずれも他線の駅名に別のもの(実際にその駅がある町名)をくっつけている。東萩西鹿児島などのように、何かくっつけた駅の方がむしろ町の中心になっている場合もあるが、一般に東西南北などをくっつけるとなんとなく軽い印象があって、地元にはむしろ不利ではないかと思うのだが……。
 只見線も評判が悪い。38個の駅のうち約半分の17個に「会津」がついているからである。「越後」もふたつある。他の線にある駅名との混同を防ぐためなのだろうが、だとすると会津地方にはよほどありふれた地名しかなかったのだなとも思う。
 一方京葉線は、市川塩浜海浜幕張検見川浜稲毛海岸千葉みなとと、ちょっと違ったパターンを打ち出しているが、独自性がないことに変わりはない。

 東北地方は鉄道に対する思い入れが強いようだ、ということを何度か書いたが、東北地方に駅名改称がやたらと多いのはそのことと表裏一体をなしているのかもしれない。観光地のアピールを、それらしい駅名にすることでやろうということであって、鉄道を重視すればこそだろう。東北地方にはアイヌ語由来らしい面白い地名も多いのに、地域振興のためとはいえ、それが消えてゆくのは寂しいことだ。
 1970年の時刻表が手元にあるが、駅名がだいぶ違っている。70年といえばすでに観光地指向の改称がだいぶおこなわれつつあった時期だが、索引地図で目につくままに拾ってみても、当時からずいぶん変わっている。
 二枚橋花巻空港になったのはまあよい。北福岡二戸になったのはむしろ好ましい変化とも言える。金田一(きんたいち)、浅虫(あさむし)、大鰐(おおわに)、鳴子(なるこ)、瀬見(せみ)などには「温泉」がついたが、まあ変化度は低い。それが少しグレードアップすると、上ノ山→かみのやま温泉温海→あつみ温泉などのように、わざわざ平仮名で書くようになる。
 北上線などは徹底していて、岩手湯田・陸中川尻・陸中大石の3駅連続で、ゆだ高原・ほっとゆだ、ゆだ錦秋湖と変更してしまった。
 かなり許し難いのが、龍ヶ森(りゅうがもり)→安比高原(あっぴこうげん)の変更。有名スキー場の安比をアピールするために、龍ヶ森という由緒ありげな駅名を放棄したのはどうもいただけない。
 それから最近延長された山形新幹線のさくらんぼ東根。東根というもとの駅名が残っているからよいようなものの、よくもこんな歯の浮きそうな駅名にしたものである。
「すいません、次の『つばさ』で、さくらんぼ東根まで一枚」
なんて、恥ずかしくて言えない人が多いのではないか。きっとほとんどの人が「東根」としか言っていないだろうと思う。
 現在の東北本線の八戸(はちのへ)は、もともと尻内(しりうち)という駅だった。八戸はそこから分岐する八戸線でふたつ目の駅だった。「尻」という字面がいやだったのか、その後東北本線の方が八戸の名前を簒奪してしまい、あおりを食ったもとの八戸は本八戸と改称された。尻内という味のある駅名は永遠に失われた。こんなケースは枚挙にいとまがない。
 地名は言語の化石と言われる。そして駅名はその化石のラベルのようなものである。大事にして貰いたいものだと思う。

(2000.2.29.)

前項(25.SL急行と森林鉄道)へ 次項(27.線名あれこれ)へ

トップページに戻る
「時空のコーナー」に戻る
「途中下車」目次に戻る