忘れ得ぬことどもII

パリ爆破テロ事件

 パリで発生した同時多発テロ事件は、まだ全貌がはっきりしていないようです。まずは犠牲になった人々をお悼み申し上げます。
 海外でこういう事件が起こったときに、日本のニュースで

 ──なお、日本人の死傷者は出ていない模様です。

 といったことを言うのが不愉快だとかけしからんとか言う人が居ます。

 ──まるで日本人が助かって居さえすればそれで良いと言わんばかりじゃないか。なんという自己中心的な国民なんだ。

 というわけですが、これは少々言いがかりというものでしょう。事件の起こった土地に家族や知人が行っていた場合、巻き込まれていないだろうかと心配するのは当然の人情で、それに対して「日本人の死傷者が居ない」という報道がどれほど心強く響くか、そんなことも想像できない手合いが知った風なことを言わないで貰いたい、と思います。報道する側だって、「日本人が助かっていればそれでOK」などとは考えていないでしょう。
 今回も、作新学院の生徒がちょうど修学旅行でパリに着いた当日だったそうです。修学旅行でパリなどというところに私なぞの年代の者はまず仰天するのですが、それはともかく、家族のかたがたの不安といったら無かったはずです。まず家族や知人の無事を確認し、それから事件のディテールに関心を持つというのは、ごく普通の順序であって、別に日本人だけのことであるとも思えません。

 さて、今回のテロは例によってIS(イスラム国)が犯行声明を出していますが、詳しい背後関係はまだ明らかになっていないようです。自爆した容疑者の近くにシリアの旅券が落ちていたという話もあるようですが、そもそも爆発の近くにあった旅券がそのままの形で残っているというのも不自然な気もします。ISの仕業であることは、まあ間違いないのではないかと思われますけれども、必ずしもその言行が信用できる組織というわけでもなく、他人の「功績」を横取りするなんてことも平気でおこないそうです。
 いずれにしてもイスラム系の過激派の犯行であることは確かでしょう。パリといえば、今年の1月にも風刺マンガ誌出版社のシャルリ・エブドが襲撃され、何人ものマンガ家が殺害された事件がありました。空爆にも参加しています。
 ISの犯行声明には、十字軍への復讐というようなことも書かれていたようです。これはまた古い話を持ち出したもので、われわれが元寇への復讐を叫ぶようなものですが、確かに十字軍の中にはフランス王が主催したもの(第7・8回など)もありました。十字軍については私たちは主にキリスト教側からの見かたばかり伝えられていますが、当時はイスラム側のほうが文明程度がはるかに進んでおり、イスラム側から見れば後進的な「蛮族」の来襲であり、しかも最初は「巡礼」のふりをして近づいてきて突如として牙をむくという卑劣な手段による攻撃だったわけで、ヨーロッパ世界というものに大いに不信を覚えたのは確かでしょう。
 その十字軍への復讐を図ったというのが本気とも思えませんが、ISの担当者が犯行声明を執筆しているうちに、そういえばあれもあった、これもあったと、いろいろ腹の底が煮えくりかえってきたのかもしれません。
 近代の話としては、サイクス・ピコ協定というのがあります。第一次大戦中、その頃はオスマン・トルコ帝国の支配下にあったパレスティナの地を、戦後英国とフランスで分け取りにしようという密約です。もちろん現地住民の意思などまったく無視した協定でした。なお英国はこの協定の他、戦争遂行にあたってユダヤ資本を味方につけるべく、同じパレスティナの地にユダヤ人国家を建設させるというバルフォア宣言を出し、さらに現地のアラブ人たちをトルコに対する反逆にいざなうべく、これまた同じパレスティナの地を戦後与えるという約束、フサイン・マクマホン協定を結んだのでした。要するにひとつの土地を、偽って3者に売りつけたようなものです。現在に続くあの地域の紛争は、この英国のトリプルブッキングに端を発しています。イスラム側のヨーロッパへの不信はこれによりさらに高まりました。フランスは、この三枚舌外交の主犯ではないものの従犯みたいなもので、イスラム側から見れば仇の片割れみたいに思えても不思議ではないのでした。
 そういう歴史的な軋轢はもちろん無視できませんが、今回パリを舞台にこうした事件が起こったのは、やはりパリがヨーロッパの中心というイメージがあったからではないかと思います。同じような事件をベルリンウイーンで起こしたとしても、パリで起こすほどのインパクトは感じられないような気がするのですが、いかがなものでしょうか。

 2004年マドリッドでの爆破テロを思い出します。私はそのとき、ちょうどマドリッドに居合わせました。まさにその朝、爆発のあったアトーチャ駅(マドリッドの中央駅)から高速鉄道AVEに乗り、セビリャへ向かう予定だったのです。
 その朝、ホテルの近くの道を、いやにたくさん緊急自動車が通ってゆくことには気がついていました。何事だろう、と同行者と言い合っていました。
 チェックアウトして、アトーチャ駅まで地下鉄で行こうとしたら、手前の駅で運転が中止になりました。私らはまだ何が起こっているのかよくわからず、とにかく地下鉄の電車はこれより先へは行かないらしいということを理解し、地上へ出たのでした。なんだか大勢の人がアトーチャ駅の方角を眺めています。
 その群衆の中に居た、私らとは別の日本人に訊ねてみて、ようやく爆破テロが発生したことがわかりました。
 アトーチャ駅へはもちろん立入禁止になっており、周辺道路も封鎖されていました。警察だけでなく軍隊も出ていたようで、ものものしい雰囲気でした。
 AVEももちろん運休です。私たちは仕方なく、長距離バスでセビリャへ向かうことにして、バスターミナルまで2キロばかりの道を歩いてゆきました。タクシーもまったくつかまりません。
 バスも、何時頃に出発できるのかよくわからないような状態になっていましたが、しばらく待合室で待っていると、クルマが着いたようでした。
 マドリッドの市街地を抜けるまでに何時間もかかりました。市境で検問をおこなっており、通るクルマがいちいち停止させられていたためでした。もちろん私たちの乗ったバスも停められ、警官が乗り込んできて、パスポートを提示させられました。
 まだ海外で使える携帯電話を持っている人は少ない頃で、一行で1、2機しか無いのをまわして、それぞれの家族に連絡したりしていました。私も家族には連絡しましたが、それ以外には誰にも連絡しておらず、あとで知人から、

 ──それなりの街ならインターネットカフェくらいあるだろうから、そこから自分のサイトの掲示板にでも無事な旨を書き込んでおいてくれれば良かったのに。

 と苦情を言われました。そのことを考えないでもなかったし、実際マラガで泊まったホテルのすぐ近くにインターネットカフェもあったのですが、なぜか寄る機会が得られなかったのでした。
 当初は、ETAバスク人過激派)の仕業と見られていたように記憶しています。ニュースを見るたびに死者数が増えているので、これはえらい事件に居合わせたらしいと、あとから実感が湧いてきました。最終的には191人が死亡、2050人が負傷したのです。
 しばらく経ってから、やっぱりアルカイダだったらしいということになりました。あの時期のテロといえば「またアルカイダか!」と言いたくなるような状態で、ちょうど今の「またISか!」という感覚とよく似ています。
 もう2時間ばかり早い列車に乗ろうとしていたら、巻き込まれていたことでしょう。旅行会社のツアーではなかったので、
 「もしかしてわれわれが巻き込まれて死んでいても、しばらくは『日本人の死者』としてはカウントされないんじゃないか?」
 というようなことを言い合っていた憶えがあります。
 今回のパリの事件では、幸い日本人犠牲者は居なかったようですが、この程度のニアミスを経験した人ならたくさん居たのではないでしょうか。

 シャルリ・エブド襲撃事件以来、フランスもテロに対する警戒を強めていたはずなのですが、それを嘲笑うかのように事件が起きてしまいました。最近大量に押し寄せた難民の中にテロリストが隠れていたとも言われます。レバノンの教育相だったかが、難民の中に2%程度のテロリストが混じっているかもしれないと警告していましたが、そのとおりだったことになります。さらにおそろしいのは、もし教育相の言葉が正しければ、テロリストはまだまだたくさん居るかもしれないという点です。難民は何十万人という単位でヨーロッパ各国に押し寄せていますから、2%であれば数千人ということになります。
 不特定多数の殺傷を目的とした自爆テロは、ぶっちゃけて言えば決して防げないという憂鬱な説もあります。犯人が生き延びようとしていれば、あるいは特定の人物の暗殺を目的としているのならば、付け入る隙もあるのですが、最初から生命を棄てて不特定多数を標的にしていた場合はどうしようもないようなのです。
 そしてまた、そもそも何が目的かわからないというのがISの困ったところでもあります。フランスなり、欧米文明圏なりを相手に、なんらかの要求があり、その要求を通すためにテロをおこなう……という流れではないように見えます。
 もしその流れであれば、まずはテロをちらつかせて要求をおこない、なんらかの交渉があって、その埒があかなかったときにテロを実行するという順序になるはずですが、ISの場合、殺傷すること自体が目的となっているのではないかと思えるようなふるまいが目立ちます。テロによって何をしたいのか、どういう世界を作ろうとしているのかが一向に見えてきません。
 今回の犯行声明にしても、何を要求するというでもなく、言ってみれば

 ──ウワッハッハア! どうだ、おれの力は!

 と筋肉バカがみずからを誇っているだけというような印象があります。今年はじめに、人質に取った日本人ふたりの身代金として2億ドルを日本政府に要求しながら、なんら交渉窓口を用意しようとしなかったというのに似ています。ISはさかんに「領土」を拡げ、「異教徒」を殺し、無法の限りを尽くしていながら、どこか「本気さ」に欠けるところがあるように思えるのです。もちろんその「本気さに欠けるテロ」で生命を落とした人々は余計に浮かばれないわけで、「本気の(切実な)テロ」よりもさらに許し難い所業ではあります。

 今回の事件で、難民受け容れを再考・拒否する国も出てきたようです。
 日本も、少しは受け容れろと言われてきていましたが、はるかに遠い国ではあるし、シリアあたりの難民が日本にやってきても言葉も通じずどうしようもないようには思えるし、消極的だったのもまあ仕方がありません。一部のメディアが、日本の難民認定が厳しい(過去1年間で5千人の申請があったのに、認定したのは11人だけだったとか)ことを批難する記事を出していたりしましたが、こういうことは「かわいそうだから」というだけで受け容れられるものでもありますまい。
 こういう事件が起こったので、欧米各国も、日本でも引き受けろと強くは言えなくなったのではないでしょうか。
 難民たちも行き所を失うわけで、そう考えてみるとISの最大の被害者はやはり同じ中東地域に住むイスラム教徒たちにほかならないことがはっきりします。この点でも、ISの目的というものがいまひとつわかりにくいのです。
 異教徒を伐つことは、まあ百歩譲って理解できるにしても、同じイスラム教徒を迫害して何がしたいというのでしょうか。「世の中を混乱させる」というのはあくまでも手段であって、目的ではないはずなのですが。

 ところでフランスでは同じ日、高速列車TGVの回送列車が脱線・大破するという事件も起こりました。フランスにとっては踏んだり蹴ったりです。パリでのテロの衝撃が大きすぎてすっかり陰に隠れてしまいましたが、これもトップニュース級の大事件です。
 TGVは日本の新幹線と違って、連接車輌を用いています。小田急ロマンスカーと同じタイプで、車輪の上に車輌の連結部分が乗っているというものです。このほうが、高速走行した場合、乗客の感じる揺れが小さくなるというメリットがあるのですが、今回のように高速走行中に脱線した場合には、車輪が片端から外れてしまって大惨事になるという危険もあったようです。写真を見ると、本当にバラバラになってしまっていました。
 営業列車でなかったのがまだしもの救いで、乗務員が5人だか亡くなったものの、何百人という乗客が全滅などということにはならずに済みました。扱いが小さかったのはそのためもあったかもしれません。
 しかし、原因をしっかり究明しておかないと、後日営業列車で同じことが起こらないとも限りません。フランス政府はテロの対策で手一杯かもしれませんが、こちらの事故の調査も怠りなくおこなっていただきたいものです。そしてわが国の新幹線やリニアも、これを他山の石とし、安全にだけはどこまでも配慮して貰いたいものだと思います。

(2015.11.15.)

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