忘れ得ぬことどもII

人質殺害

 イスラム過激組織「イスラム国」に人質となっていた日本人ふたりの命は、ほぼ絶望的になってしまったようです。殺害したこと自体もさることながら、世の中を動揺させるためだけに──としか思われません──人の命をもてあそぶかのような所業には、どうにも怒りを禁じ得ません。
 そもそも動画で一方的に要求を突きつけるだけで、日本政府に対してなんの交渉も持ちかけてこなかったらしいというのだから、舐めた話です。身代金が欲しいなら受け渡し方法を指定してくるべきでしょうし、死刑囚の釈放を日本政府からヨルダン政府に掛け合って貰いたいなら、それはそれで窓口を用意すべきでしょう。そういうことを一切やらずに、要求だけをわめき散らす、まるで駄々っ子のような振る舞いです。あるいは、人との直接対話が苦手で、掲示板で自分の意見を垂れ流すばかりである一部の「2ちゃんねらー」同然の精神構造と呼んでも良いかもしれません。要するに大人として話が通じる相手ではなく、ましてや「国」扱いするなどもってのほかだと言わざるを得ません。
 その動画も合成されたもの、いわゆるコラージュであるらしいことは素人目にもわかります。だから、本当はいつ撮影されたのかも定かではありません。実は殺害はとっくの昔におこなわれていたかもしれないのです。

 少なくとも、湯川氏と後藤氏のふたりが「イスラム国」に拘束されたのはもう半年ほど前のことらしく、安倍首相が人道支援を表明したことや対テロの演説をしたこととはまったく関係ありません。安倍があんなことを言わなければふたりが囚われることもなかった、みたいな論調で批難している手合いも少なくないので、このあたりの時系列はしっかりと認識しておくべきでしょう。
 向こうからの直接の働きかけも無く、こちらから交渉を持ちかけるパイプも無い状態で、すべてが暗中模索というか隔靴掻痒というか、日本政府にできることは非常に限られていたと思います。身代金を払うという選択肢は無かったわけですが、仮に払う気があっても、その意向を誰に伝えれば良いのかもわからない状態です。公式に発表したら追って連絡があったとでも言うのでしょうか。
 大半の国民は、「できることが無い」ことに失望しつつ、日本の現状では仕方がないと思っていたのではないでしょうか。世論調査では、政府の対応に納得できるとしている人が6割近くに上りました。
 しかしこういう状況は今後も何度でも起こりえます。こういう状況に対応しうる法整備・組織整備が必要だという認識は高まってきたものと思われます。

 マンガ的妄想ですが、日本国ともあろうものが、こういう時に投入する忍者部隊のひとつやふたつも持っていないのか、とじれったく思った人は決して少なくなかったのではないでしょうか。もしかすると諸外国も、わずかながら期待していたかもしれません。ニンジャといえばもう世界中で通用する言葉です。
 まあ忍者というのも妙なイメージがつきすぎた存在で、現実にはあんな黒装束に身を包んで手裏剣を投げ合ったりはしていなかったと思います。ジェイムズ・ボンドと実際の諜報部員の差くらいの違いはあったでしょう。それにしても、情報収集あるいは偽情報流布などを担当する「忍びの者」は日本史上に実在していたわけで、それに相当する諜報組織が現代の日本に無いというのはなんとも心許ない状態です。
 日本は戦争を抛棄したのだから諜報組織など必要ない、ということなのかもしれませんが、諜報組織というのは別に戦争のためにだけ必要なわけではありません。むしろ、戦争になりかねない芽を事前に摘み取るというほうが重要な役割でしょう。戦争をしないと決めた以上、どこよりも早く正確な情報を入手して危険を回避するという行動が必須であるはずです。ことによると相手側に流言を放って戦争どころではなくしてしまう、といった「攻めの諜報」も必要になるかもしれません。
 それを怠ってきたのは、やはり平和ボケとしか言いようがありません。さしあたっての脅威がソ連くらいしか無い時代であれば、情報についてもUSAが与えてくれるものを甘受していればそれで済んだのかもしれませんが、いまやそんなことは言っていられないのです。
 日本もスパイ組織を持つなどというと猛反対する輩がいまでも絶えませんが、ことここに及んでそんな猛反対をするというのは、日本を攻撃したがっているどこかの国の意識的・無意識的な手先であるか、もしくは思考がGHQ時代で停止してしまっている人か、どちらかであるとしか考えられません。GHQ時代で停止しているというのは、私がすでに何度も書いている「戦後信仰」、つまり

 1. 日本は、武力を持てば必ずそれを使ってどこかを侵略する好戦的な国である。
 2. 日本が仕掛けない限り、少なくともアジアに戦争は決して起こらない。


 という、当初のGHQが抱いていて日本人に刷り込んだイメージを、いまだに持ち続けているという意味です。1も2も、現在では厳然たる事実によって否定されていることなのですが、一種の信仰なので、事実を突きつけたところであまり効果がありません。
 2の信仰は、言い換えれば「日本に戦争を仕掛ける国など存在しない」ということでもあります。だから諜報組織を置く必要も無いということになるわけですが、この考えかたは他の国の意思や事情というものをまったく無視している点において、侵略主義者と少しも違わない傲慢さを含んでいることに、はたして気づいているのかどうか。
 北朝鮮に無辜の国民が拉致され、中国に度重なる領海侵犯を仕掛けられ、今回ついに国際テロ組織からの脅迫を受けて、さすがにそこまでのお花畑脳の持ち主は激減したと信じたいところですけれども、まだまだ油断できません。今回のことにしても、よもや「イスラム国」にシンパシーを感じているのではあるまいかと疑いたくなるような「識者」の意見、あるいはメディアの論調が次から次へと出てきました。

 今回のことについて「安倍政権への怒り」で夜も眠れないなどと公言した某党の議員。「後藤さんの命を返せ」と「首相官邸」を取り巻いて気勢を上げている集団。「イスラム国」の気持ちも配慮すべきだと言わんばかりのコメンテーター。「イスラム国」の勢力下で、まるで「善政がおこなわれている」と評価しているとしか思えないようなスタンスの番組もあったそうです。
 政府の対応について、充分ではない、あるいは間違っている、と批判するのはまあ良いでしょう。しかしこの連中は、「それならどんな手があったのか」ということを決して口にしません。
 取りうる手は誰が見ても限られており、そのうちのどれを選ぶかということに過ぎないはずです。
 まず、テロリストに屈服して、言われるままに身代金を払うという手があります。
 ヨルダン政府に対して、あんたのところのパイロットなどよりこっちを優先してくれ、と要求する手もあったでしょう。
 特殊部隊を持つどこかの国に平身低頭して奪回を依頼するという手もあったかもしれません。
 こちらとして取れる手段は、そのくらいではなかったでしょうか。
 もちろん、どれも実際には難しいことです。
 身代金を払っても、人質が解放されるという保証は無い上に、前にも書いたように、払ったお金はすぐさま大量の武器に化け、テロリストの勢力拡張に寄与することになります。さらに日本人を誘拐すれば身代金がたんまり取れるということをテロリストが学習してしまいますから、中東地域に滞在している他の日本人に危害が加えられる可能性が格段にはね上がることになります。またテロリストに譲歩はしないというG7での申し合わせを破ることになり、下手をするとテロ支援国家と見なされかねません。
 ヨルダン政府に対して、自国民よりこちらを優先しろなどと要求するのは、これも誰が考えても無茶で自分勝手な話です。まるでマンガに出てくる憎まれ者の傲慢な金持ちみたいな言いぐさです。
 特殊部隊による強襲もうまくゆくとは限りませんし、そもそもそんな危険な任務を外国人のために遂行してくれる国などどこにも無いでしょう。
 どの手段も問題があるのです。問題という以上に、是非にと主張すれば良識を疑われるような手段しか考えられません。だから、政府をひたすら攻撃するだけで、誰も代替手段については触れないのです。これはむしろ卑怯な振る舞いではないでしょうか。
 はじめの頃は、
 「身代金としてではなく、協力金として2億ドル渡したらどうか」
 などと言う論者も居ましたが、
 「それはテロ支援ということになるんじゃないのか」
 と指摘されて黙り込みました。たぶん彼は、「イスラム国」を「国」だと錯覚していたのでしょう。
 「人質の首を斬る代わりに、安倍首相がクビを差し出したら良いのではないか」
 と珍妙なアイディアを出した人も居ました。もちろん安倍首相を斬首するという意味ではなく、辞任しろということなのですが、首相が辞任して「イスラム国」になんのメリットがあって人質を解放する気になるのか、どう考えてもさっぱりわかりません。こんなのは代案でもなんでもない、ただの軽口でしょう。不謹慎なジョークとすら言えそうです。しかし、多少なりとも著書もあるような「識者」が真顔でそんなことを言っているのですから救いようがありません。
 結局、実際に政府がおこなったように、あらゆる伝手を使って交渉窓口を探しつつ、より切実な当事者であるヨルダン政府の決断に任せるという方法以外に、有効なやりかたがあったとは思えないのです。残る手段といえば自前で強襲をかけることくらいですが、それには法的にも組織的にもまったく準備ができていませんでした。しかもそれをやるとなると、いままで禁じ手にしていた海外での武力行使ということになります。いま政府批判に気勢を上げている連中が真っ先に猛反対しそうではありませんか。実際問題としても、警察の外事課も自衛隊のレンジャーも、そんな作戦を想定した訓練はしていないと思われます。
 要するに、誰が首相であったとしても、取ったと思われる行動は変わらなかったはずです。
 人質が殺されたのは日本政府のせいだ、いや人質を殺したのは安倍だ、などという批難のしかたは、当の「イスラム国」そっくりの口移しにほかなりません。意識してかしないでか、彼らは「イスラム国」の思惑にまんまとはまって、その走狗になっているのです。
 メディアにもそういった走狗がたくさん紛れ込んでいる、とも言えますが、メディアの場合は、むしろ政府(というより自民党か)と対立する立場に視座を置くということが習い性になっていて、今回はそれが「イスラム国」のスタンスだったということなのかもしれません。それにしても、実際には「国」でもない単なるテロ集団である「イスラム国」に理解を示すような報道のありかたは、なんとも異様です。「イスラム」を理解することは必要でしょうが、「イスラム国」に理解を示すなどは余計なことです。両者はまったく異なる概念です。

 今回の事件で政府を批判するとすれば、唯一うなづけるのは、

 ──こんなことになる前に、なぜもっと強力な情報機関を設置し稼働させておかなかったのか。なぜ対テロ作戦に必要な法整備をこれまで怠ってきたのか。

 という点くらいなものでしょう。これについては、今回の反省を踏まえて、今後大きく進展するに違いないと思います。ただ、官邸を囲んで「後藤さんの命を返せ」等々と気勢を上げている連中は、なぜかその進展を喜ばないような気がしてなりません。スパイ組織の整備とか、海外での武器使用のための法整備とかに、先頭切って猛反対しそうな連中が、今回も騒いでいるように思えてならないのです。現に、「武力では何も解決しない」「積極的『戦争』主義反対」などというプラカードを掲げているのが何人も居ました。今回の事件で日本がいつ武力をふるったのか、そんなことは「イスラム国」に言ってやれ、と言いたくなります。
 要するにこの人たちは、犠牲者を悼むというよりも、安倍首相をひきずりおろしたいという一念があるだけなのではないでしょうか。
 テロ集団であり殺害実行犯である「イスラム国」を批難するより前に日本政府や安倍首相を批難しているような手合いは、あまり信用できないと私は思っています。
 今後、機動性を持つ情報機関はどうしても必要でしょう。正確な情報の素早いキャッチとその適確な分析こそ、日本をテロからも戦争からも回避させるただひとつの方法です。それこそ忍者部隊並み──猿飛佐助霧隠才蔵とは言わないまでも、史実における忍者くらいには動ける組織と構成員が欲しいところです。育成は大変でしょうが、いまからはじめなければ将来どういうことになるか、わかったものではありません。武力云々よりも明らかに先にやらなければならないことです。関係各所の英断を期待したいところです。

(2015.2.2.)

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