忘れ得ぬことどもII

ブリュッセル同時テロ事件

 今度はブリュッセルで同時多発爆破テロが発生したようで、ヨーロッパもまったく物騒になってきたものです。この前のパリの爆破テロの犯人がベルギー国内で逮捕されたので、その報復という意味合いがあったのかもしれません。だとしても、明らかに過剰報復であって、擁護の余地はまったく無いと思います。
 ベルギーという国は、日本にとってはそんなに馴染みがあるところではないかもしれません。チョコレートが名産の国、あるいはモンドセレクションの開催地という程度の認識の人が多いのではないでしょうか。
 あと「フランダースの犬」の舞台なので、その関係で知っている人も居るでしょう。ただし、「フランダースの犬」という小説の作者はウィーダという英国人です。「聖地めぐり」を試みた日本人が、現地の人がネロパトラッシュの話を何も知らないのでがっかりする、というのはよくある光景だそうです。あまりに勘違いする日本人が多かったため、アントワープ(アントウェルペン)に像が建てられたという話も聞きます。
 その「フランダースの犬」でさえ、日本で放映されたアニメでは、風景や衣裳がオランダっぽくなっていて、ベルギー人が見るとやや不快感を覚えるとのことです。制作陣は、前年の「アルプスの少女ハイジ」で長期のスイスロケをおこなったためお金が無く、「フランダースの犬」のときには現地ロケはしなかったのですが、それでオランダっぽくなってしまったというのは、当時いかに日本でベルギーという国が馴染み無く、資料もろくろく入手できなかったことを偲ばせる事実です。

 ベルギーは九州から大分県を除いたくらいの面積に、東京の区部より少し多いくらいの人口を持つ国です。ヨーロッパに残る7つの王国(英国スペインスウェーデンノルウェーデンマークオランダ、ベルギー)のうちのひとつで、まあ決して大国とは呼べないところですが、北海に面した海岸線のほぼ真ん中くらいの位置にあり、海峡を隔てて英国とも向かい合っているということで、ヨーロッパの十字路という呼ばれかたもよくされています。
 こういう地理的条件にある土地というのは、どうしても時代時代の周辺強国に狙われやすいところがあります。第一次大戦でも第二次大戦でも、ドイツ軍は英国への侵攻の橋頭堡としてまずベルギーを押さえようとしました。どちらの大戦でも中立を標榜していたのですが、ドイツはそんなことをまったく顧慮しなかったのです。
 これを見ると、スイスが中立を維持できたのがむしろ不思議です。スイスは中立を保てるだけの軍事力を持っていたからドイツに侵略されなかったのだと言う説を唱える人も居ますが、スイス程度の軍事力をドイツが怖れるはずもありません。たぶん、山岳ばかりで大軍を展開できる場所がないために、スイスを通過するプランを採らなかったというだけのことでしょう。
 第一次大戦で蹂躙されたため、ベルギーは戦後フランスと同盟を結びますが、何が気に入らなかったのか1936年に同盟を解消してしまい、ふたたび中立を宣言します。そしてまたしてもドイツに蹂躙されることになります。
 フランス人はベルギー人をやや軽侮する傾向があるようで、ベルギー側としてはそれが癪にさわったのかもしれません。しかしその時期に同盟を断ったのは、やはり少々愚かな選択であったと言わざるを得ません。ヒットラーとしては、わざわざ門を開けてくれたような気分だったことでしょう。
 第二次大戦後は、小国同士であるオランダ王国、ルクセンブルク大公国と結んでベネルクスという連合体を作り、これが現在のEUの中核となったことはよく知られています。はベルギーのベ、はネーデルラント(オランダのこと)のネ、ルクスはルクセンブルクの最初の音節です。大国の驥尾(きび)に付すのはこりごりだったのかもしれません。
 戦後すぐの1948年に、ベネルクス関税同盟が結ばれて、この3国の中での関税が撤廃されました。それから1960年に、ベネルクス経済連合となり、資本と労働力の自由化がおこなわれました。つまり経済的には、この3国はひとつの経済圏としてまとまったわけです。
 これを中核にして、1957年EEC(ヨーロッパ経済共同体)が発足、67年にはEC(ヨーロッパ共同体)となり、93年に現在のEU(ヨーロッパ連合)となったのでした。
 こういう経緯ですので、ベルギーの首都であるブリュッセルには、ヨーロッパ委員会などEUの主要な機関が配置されており、いわば「EUの首都」とも言うべき位置づけになっています。「ヨーロッパの十字路」とされた地理的条件の上でも、ブリュッセルがそういう立場になるのは自然だったと言えましょう。

 そのブリュッセルのすぐ近郊にモーレンベークという地区があり、ここが最近「テロの温床」などと呼ばれてしまっているようです。
 地図で見ると、近郊も近郊、中央駅から地下鉄で6駅ばかり行ったあたりであるようですから、東京で言えば東陽町とか茗荷谷とかそんなところです。この地区が、モロッコからの移民を中心として、ムスリムの多く住む界隈なのでした。住民の約4割がムスリムであるとも言います。
 それだけでテロの温床と呼ぶのはどうかと思いますが、パリ爆破犯の手がかりとなったのはモーレンベークで発行された駐車違反切符であり、実際犯人はモーレンベークで逮捕されました。ブリュッセル圏内でも失業率の高い地域で、それゆえ治安も悪く、警察もあまり踏み込んだ捜査をしないとさえ言われています。
 旧ユーゴ諸国やアルバニアなどで製造された武器が流れ込んでいるという噂もあり、ここからISに参加した者も数百人に及ぶとのこと。
 「EUの首都」にすぐ隣接してこんな地域があるのは、やはりかなり危険な気がします。ムスリムをひとくくりにして危険視するのは良くないと思いますが、ISは各地のムスリム・コミュニティを通して参加者を募っているわけですから、行政当局もコミュニティの指導的立場にある人々との意思疎通をしっかりとおこなっておかなければならないでしょう。なんとなくアンタッチャブルにしてしまうのがいちばん良くありません。

 パリの事件のときは邦人の犠牲者は出ませんでしたが、今回はふたりほど巻き込まれたようです。ひとりは軽傷でしたが、もうひとりは重傷だそうで、容態が案じられます。
 日本人は世界中どこにでも居るようなので、何か起こったときに巻き込まれる人が出てしまうのは仕方がないかもしれません。ただ、群れる性格があまり無いようで、そのため大量に巻き込まれるとか、その土地の日本人コミュニティが標的になるとかいうことはまず起こらないようでもあります。1992年ロスアンジェルスでの暴動のときに、当時バブル期で傲慢だった日本人が経営する商店が狙われたというような報道がありましたが、これは誤報というか捏造報道に近く、実際に襲われたのはほとんど韓国系の商店であったらしい。ふだんから露骨に黒人やヒスパニックに差別的な扱いをするなどしていたので、ここぞとばかりに報復されたとのことです。
 基本的に日本人は、外国に住むときにあまり群れることが無く、むしろ他の日本人と関わるのを避けるような傾向があるようです。先に出て行った者を頼って次々と海外へ渡り、どこにでもたちまちのうちに中華街を作ってしまう中国人などとは正反対の性質です。
 最近、海外へ雄飛する若者が減ったことを嘆く論説をよく眼にしますが、日本人の場合、「自分ひとりで居場所を切り拓かなければならない気鬱さ」というようなものがあることを考慮してやらなければならないかもしれません。中国人並みのコミュニティが各地にあれば、もっと気軽に出てゆくに違いないと思います。
 ともかくそうしたわけで、日本人はどちらかというとその土地土地に融け込んでしまうことを是とすることが多くて、その意味では現地住民から「集団」として認識されることが少なく、従って「狙って襲撃される」ことも滅多に無いと言えそうです。日本人の評判が(特定アジア3国以外では)おしなべて高水準であるのも、各地で「異質なコミュニティ」を作ることがまず無いからではないでしょうか。

 ムスリムは残念ながらその点、イスラム圏以外の土地では「異質なコミュニティ」を作らざるを得ない存在になっています。礼拝堂などを設置する必要があるし、食物タブーも厳しいので、どうしてもある程度まとまって居住しなければならないでしょう。彼らは晩のおかずをそこらのスーパーで買って帰るなんてことはできないのです。「ハラール認証」を受けた店でないと買い物ができません。
 イスラム圏の内部でもいろいろあるのかもしれませんが、ともあれ非イスラム地域にあっては、ムスリムたちは日本人のように「その土地に融け込んで暮らす」わけにはゆきません。それは「信仰よりも『異教徒との妥協』を優先する」ことになり、ムスリムにとって決して許されることではないからです。
 自分たちの信仰を第一に考える以上、どこへ行っても信仰のコミュニティを作らなければ生きてゆけないのでした。
 しかし、そういう「異質な集団」を作ってしまうと、どうしても周囲から色眼鏡で見られることになってしまいます。もともとの住民たちとのあいだに、のっぴきならない対立が生まれることも珍しくありません。
 ヨーロッパ各国は、好況な時代に盛んに移民を受け容れました。最近の大規模受け容れ、そしてその破綻についてはまた別に考えなければなりませんが、それ以前からどの国も低廉な労働力として移民を入れてきたのです。その多くがムスリムでした。従って、ヨーロッパの多くの都市に、モーレンベークのようなムスリム居住地区ができています。
 しかし、前にも書きましたが、移民というのは、用が済んだからと言ってお帰りいただくというわけには絶対にゆかないものなのです。不況になり、失業者が増えてきても、一旦入れた移民を送り返すことはできません。失業者が増えてきた場合、移民はどうしても不利な立場に立たされます。言葉も通じづらく、日常のふるまいも違って、気心も知れないとなれば、雇いたがらない事業者が多くなるのは必然でしょう。つまり、移民の失業率は、もとの国民の失業率をはるかに上回るのが常で、そうなれば不満も高まります。
 そしてその不満の受け皿としてのISという存在が出てきたときに、そこに共鳴し参加する若者が、各都市のムスリム居住地区から次々に出てくるのも、やむを得ない流れと言えそうです。
 「異質なコミュニティ」を作らざるを得ない人々を移民として受け容れたところから、なるべくしてなってしまった事態……と言い切ってしまっては酷でしょうか。

 解決は前途遼遠です。
 ISをなるべく早い時期に潰すのはもちろんです。ISという受け皿が無ければ、各国の不満を抱えたムスリムもすぐに暴発することにはならないでしょうから、まずその受け皿を叩き壊してしまい、それからじっくりと対策を練ってゆかなければなりません。
 さしあたっての不満は経済的問題でしょうから、まずそこについての解決策を見出さなければなりませんが、根本的な原因は、ムスリムが群れなければ──「異質のコミュニティ」を作らなければ成立し得ない宗教を持っていることにあるわけで、ここの解決は容易なことではありません。おそらく、イスラム教義の一大改革が成されるまでは、真の解決は不能でしょう。
 イスラム教のプロテスタント化、つまり心の中で信仰していればそれだけでアラーは救って下さるのだ、といったような教義が生まれれば、ムスリムがそれぞれの土地で融け込んで暮らすこともできるようになると思います。しかしいまのところ、そんな教義が生まれる気配はありません。また万一生まれたとしても、原理主義者や保守派とのあいだで、おそらく数世紀にわたる血みどろの闘争がおこなわれることになるでしょう。それはキリスト教カトリックプロテスタントの闘争史を考えただけでも明らかなことです。
 まったく厄介なことですが、ムスリムは世界で十億人くらい居るわけですから、やはりなおざりにはできない問題です。ムスリム国家が往々にして政情不安定な理由も考える必要があるでしょう。
 イスラム教を「どうするのか」というのが、21世紀最大の懸案事項になるかもしれません。非イスラム側から考えるだけではなく、イスラム教の内部からも「世界とのつき合いかた」を真剣に考える人々が出てきて貰いたいものです。

(2016.3.24.)

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