青春18墓参行 (2011.9.9.)

 先月山梨に行った時に、青春18きっぷを使ったのですが、この切符はのべ5日分が1枚になっています。ひとりで5日間使うのもアリだし、同じ行程であれば5人で1日使うのも可能です。昔は確か切り離しができるようになっていたのですが、たぶんバラにしてチケット屋に売るような不埒な者が居たためでしょう、1枚の券面にスタンプを捺す枠が5つという形になりました。
 山梨に行った時、往路はマダムとふたりで、2枠を用いました。清里まで足を伸ばしたりしたので充分元は取れたと思います。青春18きっぷは現在11,500円ですので、一日にひとり2,300円以上のJR線に乗れば元が取れるわけです。
 しかし復路は、寄り道せずに直行で帰ってきました。この場合、竜王または甲府から川口まで乗れば、かろうじて2,300円をオーバーしますので、一応元は取れることになります。ところが、マダムは川口〜日暮里の定期券を持っています。つまり、日暮里までの運賃を計算すれば良いことになりますが、これだと2,300円に達しません。つまり18きっぷを用いると損になってしまいます。
 それで、マダムの復路分だけは当日現金で払い、私は18きっぷを使ったのでスタンプが3枠になりました。
 あと2枠残っています。この夏の18きっぷの使用期限は9月10日なので、それまでに使い切らないともったいないことになります。
 そこで、墓参りをしてくることにしました。

 流山おおたかの森の駅近くにあるマダムの母方の祖父母のお墓にはこのお盆に参りました。この墓地はマダムの実家からすぐ近くなので、墓参りの機会も多く、私自身も自分の祖父母のお墓より沢山訪れているほどです。
 私の母方の祖父母の墓は札幌の郊外にあり、これはそう簡単に訪れるわけにはゆきません。札幌に行く機会があっても、公共交通機関が無しに等しいので、親戚のクルマに乗せて貰うくらいしか行く手段が無いのでした。だからこれはちょっと別格として、残りの、私とマダム双方の父方の祖父母の墓は、いずれも関東地方にあるにもかかわらず、あまり訪れることがありません。お盆に母方のお墓参りをしたマダムが、急にそのことを気にしだして、それらのお墓参りもしたいと言いました。
 私の父方の墓は高尾に、マダムのそれは前橋にあります。この2箇所を、青春18きっぷを使って一日で廻ってこようというのがマダムの発案でした。
 しかも、八高線を使いたいと言います。なんでも、前橋に住んでいたマダムの祖父が、聖蹟桜ヶ丘に住んでいる息子の許を訪ねる際、いつも八高線を使っていたそうです。ずいぶんのんびりとした話で、当時としても高崎線赤羽なり上野なりまで出て新宿へ移動し、京王線を使ったほうが時間的には速かったのではないかと思いますが、八高線で高崎から八王子まで乗り通し、歩いてかバスでか京王八王子に移動してそこから京王線に乗っていたのでしょう。都会の人混みを好まないタイプであれば、なるほどこのルートも良いかもしれません。
 マダムは、この祖父を偲ぶべく、八高線に乗りたいと言ったのでした。もちろん私にも異存はありません。
 マダムの祖父の生前と違って、現在八高線は高麗川(こまがわ)を境にして運行系統が完全に二分されています。南側は電化されて、川越線と直通するようになりました。こちらは日中だいたい1時間に2本くらいずつ運転しています。一方北側はいまだ非電化で、ディーゼルカーがのんびりと走っています。本数も少なく、基本は1時間に1本、時には1時間半〜2時間近く空く時間帯もあったりします。スケジュールはこの区間に拘束されることになるはずです。
 高麗川発13時02分、高崎着14時33分という列車を中心にして、行程を考えてみました。

 家を朝の8時頃に出ました。もちろん平日ですから通勤時間帯で、駅への道は勤めに向かう会社員たちがたくさん歩いています。こんな時間に家を出ることの少ないマダムは新鮮な気分だったようです。
 高尾のお墓に供えるべく、昨夜マダムが近くのスーパーで花束を買ってきてありました。墓地近くでは必ず花を売っていますが、たいてい足許を見たような法外な値段なので、あらかじめ用意したわけです。前橋のほうのお墓のためには、前回参った時と同様、前橋駅前のイトーヨーカドーで買ってゆく予定でした。
 この花を持ち歩くに際して、ラッシュの電車に乗るのは避けたいですから、人々の流れとは逆の、大宮方面に向かいました。いや、花のためだけではないのですけれども。
 実は、大宮から八王子というルートを走る「むさしの号」という列車が、一日3本だけ運転されています。朝1本夕方2本という運転で、朝の八王子行きは8時53分に大宮を発車します。貨物線を利用して武蔵野線に入り、新小平から再び貨物線を走って中央線に入るという珍しい経路で、このレアな列車にぜひ乗りたかったのでした。
 たぶん無理してこれに乗るより、普通に南浦和〜武蔵野線〜西国分寺〜中央線、という乗り換えかたで行ったほうが速いことは速かったと思いますが、貨物線を通るという珍しさと、中央線内は立川にしか停車しないという滅多に味わえない気分(普通の中央線電車だと、特快に乗っても立川から先は各駅停車になってしまいます)をエンジョイしたかったのです。

 ちょっと残念だったのは、「むさしの号」が以前の115系中距離列車ではなく、ただの205系──つまり普通に武蔵野線を走っている国電タイプの電車に替わってしまっていたことでした。武蔵野線をボックスシートの列車で走るというのも、滅多に味わえない気分だったのですが、これがおじゃんになってしまったわけです。この気分を味わうためには、もう「ホリデー快速河口湖号」に乗るか、時折走ることのある臨時列車を目ざとく見つけるかしかなくなってしまいました。
 そういえば去年の12月のダイヤ改正で、それまで「快速むさしの号」だった愛称名から「快速」が取れてただの「むさしの号」になり、武蔵野線内が各駅停車になってしまった(前は新小平・新座は通過でした)というニュースを聞いた時、いやな予感はありました。同時に大宮から湾岸方面へ向かう「しもうさ号」というのも設置されましたが、廃車寸前の115系をそんなに充当できるとは思えなかったのです。あの時に、全部205系にしてしまったのでしょう。
 車輌はがっかりでしたが、それでも珍しいルートにマダムが喜んでくれたので、まあ良しとするべきでしょうか。
 中央線に入る時に少々信号待ちがあったせいか、数分遅れて八王子に到着しました。すぐに高尾行きの電車が滑り込んできます。

 秋を思わせる風を感じるようにはなりましたが、陽差しはまだじりじりと熱く、高尾駅のバスターミナルでバスを待っていると、それだけで汗ばむようでした。
 高尾近辺にはやたらと大規模な霊園が多く、私が最初にひとりで墓参りをしようとした時など、霊園そのものを間違えて結局辿り着けなかったことがありました。その後何度か家族で墓参りをし、さすがにもう霊園を間違えるようなことはありませんが、都営の霊園であるせいか無数に並ぶ墓石の形が完全に統一されているため、久しぶりに行くとどこに目的の墓があるのかわからなくなりそうです。今回もあらかじめ母に墓の所番地を聞いてゆきました。「3区12側16」といったように、それぞれの墓にちゃんと所番地がつけられているのです。
 幸い今日は全く迷わずに行き着けました。草むしりをしなければならないかもとマダムが心配したので軍手などを持って行きましたが、この墓地は墓石が芝生の上に直接据えられ、芝生に関してはきわめて美しく整備されているので、その必要はありませんでした。考えてみるとこの墓で草むしりをしたことは今まで無かったような気がします。私がいかに久しぶりな墓参りであったかわかろうというものですね。
 風も弱く、線香の火をつけるのにも全く障碍はありませんでした。祖父が好きでいつも欠かさなかった東ハトオールレーズンと、家から魔法瓶に詰めてきたコーヒーをカップに入れて墓前に備え(すぐ下げて私たちが飲食しましたが)、つつがなくお参りを済ませました。

 高尾駅に戻り、さらに八王子まで戻ると、すぐに八高線の電車が発車するところでした。マダムの祖父が利用していた頃は、朱色一色の古くさいディーゼルカーがのろのろと発車していたはずですが、今はライトグリーンと黄色の帯を巻いたステンレスの電車が軽々と走り始めます。もっとも、東飯能を過ぎてからなど、こんな通勤型の電車がまったく似つかわしくないような鬱蒼とした車窓になります。電化されても、沿線が急に開けたというわけでもなんでもないのがわかります。
 実は墓参りが少し早く終わり、この八高線電車は予定していた便より1本早いものでした。つまり約30分ばかり早いわけですが、高麗川で乗り換えるディーゼルカーは同じ列車になります。そちらを1本早くしようとすると、1時間半ほど前になってしまいます。「むさしの号」に乗る限りは無理なスケジュールでした。
 当然ながら、高麗川でだいぶ時間が空きます。まだ発車まで45分ほどもあるのに、もう乗り換えのディーゼルカーが入線しているのに驚きましたが。すでにそれに乗っている人が居るのにも驚きました。
 時間を潰そうと思って一旦改札を出てみて、納得してしまいました。高麗川駅は最近では日高市の代表駅になったりしていますが、基本的には交通の要衝ではあっても、後背の街が大きいわけではありません。広い駅前ロータリーにものものしいモニュメントが建っていたりして、以前下車した時よりはずいぶん再開発されましたが、駅前にはしゃれた喫茶店やショッピングセンターのひとつもあるわけではなく、不動産屋や飲み屋がちらほらと建っているだけなのでした。つまり、列車の待ち時間に下車してみても全然やることがない駅であるわけです。
 本格的な昼食は高崎に着いてからとるつもりでしたが、すでに正午を過ぎ、少々小腹がすきましたので、陰に隠れているようなコンビニを発見してパンなどを買い込み、早々に駅に戻りました。何しろ暑いので、まだ発車まで30分以上ある列車に乗り込むのが正解でした。車内は冷房が効いています。停車中ディーゼルエンジンがずっとアイドリングされているので、省エネの見地からしていかがなものかと思ったのですが、冷房をするために仕方なかったのでした。
 川越からの電車や八王子からの電車が着くたびに乗客が増え、けっこうな乗車率になって高麗川を発車しました。合理化が進んで、空気ばかり運んでいるような列車が少なくなったのは何よりですが、日中のローカル線でも立っている客が居るのを見ると、どうも余裕が無くなっているなあと慨嘆を禁じ得ません。

 越生(おごせ)、小川町寄居と、数駅ごとに東武線と出逢いながら、関東平野の西端を北上します。現在は高崎線に較べて裏街道みたいになっていますが、鎌倉時代はこの線の近くのほうが本道でした。新田義貞が倒幕の挙兵をした時は、この辺を南下したはずです。児玉という駅がありますが、児玉七党と呼ばれた豪族たちの本拠地で、上州から武蔵国に入ったばかりの義貞軍に、すぐさま彼らが呼応したことで、軍勢の士気は大いに上がったのでした。
 そういえば寄居近辺は室町時代の大戦のひとつである高見原合戦の舞台でした。八高線は悠久の歴史の道でもあります。
 神流(かんな)を渡ると群馬県に入り、やがて群馬藤岡駅に到着します。その先の北藤岡は、近づいてきた高崎線にへばりついたような小駅で、次が高崎線との接続駅である倉賀野となります。
 高崎駅ではブラットフォームの先端を切り欠いて作ったような片隅に到着します。全列車が2輌編成だけになってしまったので、それで充分なのですが、何やら余計者扱いされているみたいに感じられます。

 高崎はいつの間にか「パスタの町」として有名になっていました。ラーメンの町とか焼きそばの町とか、以前はまるで思いもよらなかったような町おこしの「名物」があちこちにできていて、旅をするにも特にグルメ指向などのない私などはすっかり面食らうのですが、マダムはそういう方向に大変敏感です。今回も、高崎に寄るならパスタを食べようというので、あれこれ検索して調べていました。
 昼食時間として1時間弱ほどとっていましたが、パスタを食べるとなるとそれほど余裕はありません。またマダムはここの駅ビルで買いたいものがあったようで、パスタも駅ビルの中に出店している店を指定しました。
 高崎駅は、東口側と西口側で別の駅ビルができているという変な駅になっていました。西口側はつい数ヶ月前にオープンしたばかりのようですが、どうせなら一緒にしてしまえば良さそうなものです。パスタ屋は東口側の駅ビル、買い物は西口側の駅ビルだったので余計にあわただしかったのでした。
 取って付けたような「名物」とはいえ、プライドを持っていろいろ研究しているようで、パスタの味は申し分ありませんでした。私は別にこの種の「名物」を否定するつもりはありません。その土地の伝統となんの関係もない「名物」の氾濫に眉をひそめる人も居るでしょうが、地方都市の静まり返った「シャッター街」をあちこちで見ている身にしてみると、町全体で「イチオシ」を新たに決めて一丸となって頑張る姿は、とても頼もしく眼に映ります。新しい「伝統」を作り出す意気で、しっかりやって貰いたいと思います。

 昼食は少し急ぎ気味でしたが、買い物も無事済み、前橋行きの電車に乗りました。
 上記のように、前橋駅前のイトーヨーカドーで供花を買うつもりでいたのですが、駅から下り立ってみると、なんと2年半前にはちゃんと営業していたイトーヨーカドーが、看板を取り外しシャッターを閉めた、図体の大きな廃屋と化していたので唖然としました。
 駅を出て1分という、こんなに立地の良い店が潰れてしまうとは信じがたいことです。確かにJR前橋駅は前橋市の繁華街からは外れているのですが、駅の利用者はかなり多いはずです。潰れたわけではなくて「ザ・プライス」とか「ヨークマート」とかに模様替えするつもりなのか、あるいは駅前再開発(前橋駅の場合「再々開発」になりそうです)の予定でもあるのか、事情はよくわかりませんが、とにかく駅近くで花を買うことはかなわなくなりました。
 墓地の最寄り駅は上毛電鉄心臓血管センター駅ですから、上毛のターミナルである中央前橋駅に移動しなければなりません。前回は買い物をしていたら時間が無くなってタクシーを利用しましたが、今日は歩けるだけの時間的余裕を計上していました。1キロ足らずですので、タクシーに乗るのはあほらしい距離です。歩きながら花屋を捜すことにしました。スーパーならもっとありがたいです(安いので)。
 ところが、一応メインストリートみたいな大通りなのに、花屋もスーパーも一軒も見当たらないままに中央前橋駅までたどり着いてしまいました。中央前橋駅は確か店舗が一緒になっていたのではないかという記憶がありましたが、売店のちょっと大きめという程度のものに過ぎませんでした。
 イトーヨーカドーに寄らなかった分少し時間があったので、駅周辺をもう少し歩いてみました。そうしたらようやく一軒の花屋を発見し、菊やリンドウを包んで貰いましたが、だいぶ高くつきました。それでも墓地の近くで買うよりはましかな。

 井の頭線そのままの上毛電鉄に乗って、12分ほどで心臓血管センターに到着します。もともと信号所に過ぎなかったのが駅に昇格して日が浅く、駅前にはなんにもありません。駅名になった医療施設への入口があるばかりです。
 民家の間を縫うような小径を歩くと、遮断機も警報機もない踏切があり、それを渡って少しゆくと霊園の裏門に着きます。高尾の霊園の開門時間が16時半までという表示があったため、こちらも閉まってしまったらどうしようかと少し焦りましたが、裏門と言っても別に閉まるべき門があるわけではなくて、柵の一部が切れているだけで、何時になっても入園は可能らしかったので安心しました。管理事務所に居たおばさんに向かってマダムが
 「こんにちは」
 と呼びかけると、おばさんは答えもせずにカーテンを引き、事務所を閉じてしまいました。何か気に入らないことがあったのか知りませんが、ともあれ事務所が閉まっても墓地そのものはいつでも参拝できるようです。
 こちらのお墓も公営でしたが、芝生ではなかったもので、だいぶ雑草が生えていました。軍手をはめ、まずは草むしりを始めましたが、でかい蚊がひっきりなしに近寄ってくるので閉口しました。
 墓石を水拭きし、花を供え、今度はマダムの祖父母が好物であったという「焼き饅頭」の包み(これを高崎駅で買った)を置いて、こちらもつつがなくお参りを済ませました。いや、蚊の襲撃にびびって退散したというのが正しいかもしれません。

 心臓血管センター駅に戻り、前橋と反対側の西桐生へ向かいました。落ちゆく夕陽を眺めながらローカル電車に揺られ、30分ほどで西桐生に到着します。この電車は自転車を載せることが認められており、2、3台の自転車が載っていて、あまり見慣れない光景なので面白く思いました。
 西桐生はJRの桐生駅と数百メートル離れています。マダムがここで「忠次漬け」なる漬け物を買いたがっていました。国定忠次にちなんだ一種のワサビ漬けで、この辺に親戚が住んでいた頃よく買っていたそうです。売っている店を探して商店街をしばらくぶらつきましたが、どうも見当たりません。仕方なく駅に戻ったら、構内に物産館があって、そこであっけなく入手できました。
 桐生からは再びJR両毛線の電車に乗り、小山に向かいました。もう外はとっぷりと暮れ、幸いボックスシートの車輌でもあり、夜汽車の趣きだと言いたいところですが、小山までの全行程を通じて高校生が大量に乗っていて、残念ながら夜汽車の雰囲気にはほど遠いものがありました。もう20時近く、ずいぶん遅い下校時刻だと思います。
 小山は何度訪れても使いづらい駅で、両毛線のプラットフォームは特に、別の会社の路線なんじゃないかと思えるくらい乗り換えに手間取ります。もうひとつの乗り換え線である水戸線も便利とは言い難く、基本の設計がうまく行っていないとしか思えません。いま構内を改装中で、完成すると少し商業施設などもできるようですが、そんなのは本質的なサービスではないということをJR東日本に強く言いたいところです。
 小山からは上野行きの通勤快速に乗り換えられました。両毛線の電車は、東北線快速との接続もあまり芳しくなく、小山着19時56分、発20時09分というこの乗り継ぎは、終日を通して数少ない好接続なのでした。
 通勤快速は力一杯走っている感じで、通過する駅の名前が読み取れないくらい速く、20時55分には浦和に到着しました。往路と同じく、ラッシュとは逆向きで川口に帰ってくることができました。

 「むさしの号」が通った貨物線の距離がよくわからないので正確ではありませんが、290キロ以上のJR線に乗ってきた計算になるようです。重複区間(八王子〜高尾、大宮〜川口)や欠けた区間(前橋〜桐生)があるので、きれいな片道切符にはならず、たぶん普通に切符を買いながら乗ったら4,830円を必要としたと思います。
 高尾と前橋という、相当離れた場所にある2箇所の墓地を訪れつつ、青春18きっぷの活用法としてもなかなか充実していたのではないかと思う次第です。

(2011.9.9.)


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