35.真夏の中部横断旅行(前編)


 所用があって名古屋に行くことになったが、うまいことにその後が数日あいていたので、ぶらぶらと旅をしてくることにした。今回はその覚え書きを。

 名古屋まで行こうとする場合、普通の人が考える交通手段は当然新幹線であろう。その他の可能性など考えもしない人が多いのではなかろうか。
 暇があってもお金のない学生などは「ムーンライトながら」を検討するだろう。休み中なら「青春18きっぷ」を使えるのが嬉しい。私の学生時代は「大垣夜行」と呼んでいたが、その時代に較べると車輌も良くなり、眠るのも楽になった。
 ちょっと詳しい人なら、夜行高速バス「ドリーム名古屋」その他を考えるかもしれない。青春18きっぷは使えないけれども、運賃で考えると「ムーンライトながら」とほぼ同じ、独立シートでリクライニングも深いから寝る分にはさらに楽だ。
 今回、私は前夜発の夜行で行くのはちょっと難しかった。名古屋での用事は昼の14時からで、夜行で行ったのでは到着が早すぎる。といって、新幹線を使う気は毛頭ない。
 そういう場合、私は昼行の東名高速バスを使うことが多いのだが、名古屋行きの初発(東京発7時00分)に乗っても名古屋着は13時頃になり、途中渋滞したりという可能性を考えるとやや危ない。
 こうなると、東海道線で行くしかない。バスと違って鉄道なら、事故がない限りそう滅多に遅れるものではない。
 そう考えた時、久しぶりに青春18きっぷを使ってやろうと思い立った。昔はずいぶんお世話になった切符だが、最近はあまり使っていない。第一に、青春18きっぷが通用する学校の休暇期間にわざわざ旅行をすることが少なくなった。こんな期間はどこへ行っても混んでいるので、せっかく自由業なのに好んで出かけるには及ばない。第二に、青春18きっぷは普通列車にしか乗れないのだが、最近の普通列車はとみに面白くなくなった。通勤電車みたいなロングシートか、整理券発行機と運賃表を備えたレールバスかになってしまい、昔の客車列車ような旅情を感じづらくなっている。車内で駅弁を食べるのすら何やら気恥ずかしい。
 そんなわけでここ何年もご無沙汰していたのだが、名古屋へ在来線で行くとなれば青春18きっぷを使いたくなり、その後の行程も青春18きっぷを前提にして組んでみた。

 ところが残念ながら、普通列車だけで名古屋へ14時までに着こうとすると、東京発6時32分の電車に乗らなくてはならない。そのためには家を5時半過ぎに出なければならず、いろいろな面から好ましくない。
 やむなく静岡までは東京発7時18分の特急「(ワイドビュー)東海1号」に乗ることにした。これは当然ながら青春18きっぷの対象外列車で、特急料金はもちろん運賃も別に払わなくてはならない。まあこの際やむを得まい。「(ワイドビュー)東海1号」に乗ると、静岡・浜松でそれぞれ1分ずつという絶妙な乗り継ぎができて、名古屋に12時08分に到着できる。それから昼食を食べることにすれば、14時からの用件にちょうど良い。
 前夜ばたばたとしてなかなか寝ることができず、結局3時間ほどの睡眠で、2003年8月3日(日曜日)の早朝6時20分頃、眠い眼をこすりながら家を出た。この年は梅雨明けが遅く、出立の前日になってようやく梅雨明け宣言が出されたばかりだ。早朝の空気はそれほど気温が高い感じはしないけれど、荷物を抱えて駅まで歩くと、早くも汗が噴き出してきた。
 青春18きっぷは前日にすでに購入してある。昔のは5枚綴りになっていて、1枚ずつ切り離して使えるものになっていたと思うが、今のは1枚だけで、券面に5つある押印欄に日付スタンプを捺して貰わなければならない。以前のは例えば5人で1枚ずつ分けるということができたわけだが、この形だと同一行程でなければ多人数では使えない。
 東京から静岡までは切符を買い直さなくてはならないが、私の最寄り駅の川口から東京までは18きっぷが有効である。川口駅の有人改札でスタンプを捺して貰った。駅員は愛想良く、
 「どうぞお気をつけて」
と言った。改札自動化が進んで暇になって心に余裕ができたせいか、最近の駅員はどこでも愛想が良い。

 京浜東北線の電車に乗り込み、座席に坐ると、もう眠くなってきた。電車の振動は眠気を誘う。日曜日で良かった。平日なら6時台でも坐れなかったかもしれない。
 7時過ぎに東京に到着。一旦改札を出て、静岡までの特急券と乗車券を買った。この場合ちゃんと
 「『東海』で」
と言わないと、放っておくと新幹線の特急券をよこすから気をつけなければならない。確かに、新幹線なら62分で行ける静岡まで、わざわざ「(ワイドビュー)東海」で137分もかけて行こうというのはかなり変である。ちなみに「(ワイドビュー)東海」の静岡までの特急券は、新幹線より310円安い。
 7時18分、「(ワイドビュー)東海1号」は東京駅を発車。先ほどからいちいち(ワイドビュー)をつけているのは、列車名がそうなっているので仕方がないのだが、これはJR東海の「ワイドビュー型特急車輌」を使用しているというだけのことで、「富士川」にも「ひだ」にも「伊那路」にも「南紀」にもいちいちついている。鬱陶しいから以後省略する。
 「東海1号」の乗客は、東京を出た時点ではすこぶる少なく、ガラガラである。この列車で東京から静岡まで乗り通そうなどという乗客は滅多にいない。熱海までだったら頻繁に普通列車があるし「踊り子」も走っているから、わざわざ「東海」を選んで乗るという人は少ない。東京から乗るとすれば、沼津富士あたりに用事がある客に限られるだろう。
 この特急の本領は、むしろ横浜あたりから発揮されることになる。横浜には新幹線が通っていないので、地下鉄もしくは横浜線新横浜に出るよりも、「東海」に乗ってしまった方が便利な場合がある。なるほど、横浜大船平塚、と停車するたびに乗客が増えてきた。特急が平塚ごときに停車するのも情けない話だが。

 一応晴れてはいるが雲も多く、小田原を過ぎて見えてくる海もあんまり青くなく、富士山もかすかに輪郭が見える程度である。静岡県内に入るとさらに曇ってきて、富士山はほとんど見えなくなった。
 9時35分、静岡着。時刻表を見ると、直前の欄に9時49分発という普通列車があるので、これに乗り継ぐつもりだったのだが、そのもっとずっと前の方に、なんと9時36分発という列車があった。同一のプラットフォームで乗り継げるようになっており、これでだいぶ時間が稼げた。というのは、この普通列車で浜松まで行くと、またもや1分の接続で大垣行きの新快速に乗り継げるのである。静岡発は13分差だが、名古屋着はほぼ30分差になってしまうのだった。
 ただ難点は、この普通列車743Mは、興津──浜松といういわば短距離列車であるせいか、ロングシートなのであった。
 東海道線の静岡──豊橋間には、昼間は優等列車が一本も走っていない。浜松発着の新快速なども、豊橋までは各駅停車だ。快速くらい走らせればよさそうなものだが、途中駅にさして乗降客数の差がないので停車駅の選定に揉めることになるのかもしれない。そんなわけで、昼間の東海道線に乗ると、否応なくすべての駅にのんびりと停車することになる。
 それはまあ良いのだが、ロングシート車がむやみと投入されているのが、旅情を削ぐこと甚だしい。ずっと京浜東北線に乗っているようなものだ。
 一時期はほとんど全列車がロングシート車となり、私は沼津から豊橋まで蜿蜒とロングシートで旅することを強いられたことがある。最近多少クロスシート車も復活してきたようだが、比較的短距離な列車はまだロングシートが用いられている。
 短距離と言っても、静岡から浜松までは1時間以上を要し、ずっとロングシートで揺られてゆくのは苦痛である。苦痛なら新幹線を使えというわけか。少々腹立たしい。
 この区間、車窓もさして変わり映えしないし、私はひたすら寝の足りなさを補っていた。駅ごとに気がついてはいたようだが、駅間では意識が飛んでいる。そのせいか、わりとあっという間に浜松に到着した気がする。浜松からはJR東海ご自慢の311系クロスシート車で、快適この上ない。
 皮肉にも、静岡を出てから陽が照り始め、雲も薄れてきた。ちょうど富士山が見やすい場所だけ曇っていた観がある。
 浜松から豊橋までは、各駅停車とは言っても、この区間には浜名湖があったりして景色も愉しめるし、30分ばかりなものだからそんなにイライラはしない。まして311系に乗っていれば文句はない。ただ、停車駅ごとにかなり乗降が激しいので、落ち着かないようではある。
 豊橋を出ると、いよいよ本領発揮、72.4キロを46分(表定時速94キロ)で駆け抜けて名古屋到着。12時08分で、東京駅を発車してから4時間50分である。長かったと言うか、在来線にしては速いものだと言うかは人それぞれであろう。私としては、新幹線で1時間40〜50分ばかりで到達するよりは、東京から名古屋という距離感にふさわしい時間なのではないかと思う。

 3日、4日と、人と会う用事があって、名古屋に滞在した。4日の夕方に別れを告げ、私はまたひとりで名古屋を発った。もっとも、この日は大垣に宿をとっており、快速電車に30分ほど乗れば、もう行程は終わりとなる。
 大垣に泊まったのは、樽見鉄道の早朝便に乗りたかったからである。
 岐阜県内には、もと国鉄の赤字路線だった第三セクター鉄道が4つもある。この樽見鉄道(旧国鉄樽見線)と、中央線恵那(えな)から分岐している明知鉄道(旧国鉄明知線)、高山線美濃太田から分岐している長良川鉄道(旧国鉄越美南線)、同じく高山線の猪谷(いのたに)から分岐している神岡鉄道(旧国鉄神岡線)である。
 このうち、神岡鉄道には以前乗ったことがあるのだが、あとの3つは未乗であった。
 正確に言うと、樽見鉄道は国鉄時代に乗っている。ただ、当時はまだ全線開通しておらず、途中の神海(こうみ──旧称美濃神海)までしか行っていなかった。終点の樽見までいよいよ工事が進められた時期になって国鉄再建法が施行され、樽見線はあと一息というところで廃止対象になってしまった。おさまらないのは樽見の住人たちで、陳情を繰り返した結果、第三セクターとして存続することになったのである。そして、廃止対象路線を地元自治体が第三セクターとして引き受ける場合、もしその路線が全線開通していないものならば、開通させた上で開業するという規定があった。三陸鉄道も、秋田内陸縦貫鉄道も、阿武隈急行も、北近畿タンゴ鉄道も、そういう形で全線開通したのである。樽見線もこの規定を適用され、未通だった神海──樽見間10.9キロの工事を完了させた上、樽見鉄道として生き延びたわけだ。
 この新線部分には私はまだ乗っていない。それでこの機会に乗り潰してしまおうと考えた。
 長良川鉄道も、美濃市までしか乗ったことがなかったので、今回全線踏破してしておきたい。明知鉄道はまるきり未乗である。

 旅に出ると早寝早起きになるのが私の性癖で、5日(火曜日)の朝は5時半に起きた。樽見鉄道の一番列車は5時58分発で、朝の身繕いを終えてみると5時50分だったから、もしかしたら間に合うのではないかと心が動いた。
 しかしチェックアウトの手続きにそれなりの手間がかかりそうだし、樽見鉄道の乗り場はホテルから見ると駅のいちばん向こう側だ。しかも樽見鉄道はJRではないから、切符を買い求めなくてはならない。そんなこんなの時間を勘案すると、あと8分ではちょっと危ない。やはり予定通り6時44分発の二番列車を待つことにした。大体そんなに急いでも、行程がよりはかどるというわけでもない。
 6時半頃になってチェックアウトし、駅へ。樽見鉄道の券売機では往復券も買えたので、樽見までの往復券を入手する。
 列車と言っても樽見鉄道は「一部の列車を除き全便レールバス」。レールバスというものの正確な定義はよく知らないのだが、単行(一輌編成)のディーゼルカーを言うことが多いようだ。さらにワンマンバスと同じように、車内に整理券発行機と運賃箱が据えられていたりする。一輌編成でも法的には「列車」と呼ばれるのである。
 昭和62年製のハイモ230であるから、そんなに古びた車輌ではない。一輌だけのディーゼルカーは、6人の乗客を乗せて走り出した。
 なお「一部の列車」というのは大垣着7時42分の本巣(もとす)仕立て206便と、その折り返し便である大垣発7時57分本巣行き207便のことである。この一往復だけはレールバスではなく、客車列車──機関車に牽かれる昔ながらの列車が用いられる。ただし、「休日・休校日はレールバス」となっていて、明らかに通学ラッシュ対策のための便である。今日は夏休み中であるからレールバスだ。
 しばらく東海道線と並行して走り、分かれて早々に東大垣駅に停車する。やがて大垣市を出るが、駅名板を見ると「瑞穂(みずほ)市」と表示されている。聞き覚えのない市名だ。数年前に買った地図帳をひもといてみたが、やはりそんな市はない。ある駅に張られていたポスターで納得した。2003年5月に、穂積(ほづみ)巣南(すなみ)が合併してできたばかりの市だったのである。瑞穂という新市名にはもちろんそれなりの意味が込められているのだろうが、なんだか「ほづみ」をひっくり返しただけのようにも思える。車窓を見る限り、あんまり市域になったようには見えない。
 北方真桑(きたかたまくわ)駅と本巣駅に、数輌ずつ客車が停められていた。これが206便・207便で使われるのだろう。本巣には古びたディーゼル機関車も置いてあった。
 本巣の次の織部(おりべ)は最近できた駅であるようだ。根尾川を挟んで対岸を走っていた名鉄谷汲線が廃止されてしまったので、附近の住民の便宜のために新設されたのだろうか。「道の駅・織部の里もとす」と併設された珍しい駅だ。「織部の里」とは何かというと、戦国時代の茶人武将古田織部の生誕地がこのあたりらしい。ゲーム「信長の野望」シリーズなどのおかげで、相当マイナーな武将でも知っている若い人が増えては来たけれど、古田織部となるとよほど詳しいか、茶道に興味のある人でもないとわからないのではあるまいか。
 神海の駅は、一度来たことがあるはずなのだが、ほとんど憶えていなかった。あれは確か学生時代のことだったが。ここからが新線区間で、格段に山深い雰囲気になる。人家もあまり見られなくなる。その一方で根尾川は極度に蛇行し、それを貫くように敷かれた線路は当然ながら橋梁とトンネルの連続となり、いかにもお金がかかっていそうである。なるほど、これでは採算が見込めなかったのも無理はない。
 7時47分、ほぼ一時間をかけて樽見に到着。どういうわけか6輌分くらいありそうな、無駄に長いプラットフォームがあり、レールバスではもてあまし気味に見える。
 三方から山が迫る、いかにもどん詰まりという風情の集落である。
 駅前に、宮脇留之助という人物の銅像が建っていた。根尾村の振興に力を尽くした郷土の恩人らしい。大正末期に樽見線を誘致したのも彼だった。しかし、実際に列車が来たのは、大正どころか昭和も過ぎ去った平成の話だった。すでに人々はクルマで行き来するのが当然のようになっていて、宮脇翁が悲願した樽見線もそんなに乗車率が良くはない。この先樽見鉄道の経営状態が悪化して廃止などということになったら、宮脇翁が化けて出るかもしれない。
 ここは淡墨(うすずみ)という世界最大の桜の樹で有名だそうだ。天然記念物にも指定されている。ちょっと見てきたかったが、徒歩15分かかるというので諦めた。私は8時10分の折り返し便で帰らなければならない。まあ、桜の季節でもないし。花見シーズンになれば、樽見駅に6輌編成の客車列車が客を満載にして来ることもあるのだろうか。
 駅前の広場から、村営の小さなローカルバスが発車してゆく。なんだか乗りたい気もしたが、これまた諦める。
 駅前には全然ひとの気配がないようだったのに、どうしたことか、折り返しの列車に乗り込むと、すでに15人ほどの客が乗っていた。彼らが駅に来るのにはまるで気がつかなかった。どこから湧いて出たのだろう。

 大垣に舞い戻ると9時08分。ほぼ同時に、大垣で折り返す新快速電車が到着した。プラットフォームに待っている客は多く、たちまち座席が埋まる。私は青春18きっぷに日付印を貰いに、改札口まで行かなければならなかったが、戻ってみると空席は全然なくなっていた。もっとも、次の穂積で坐れたけれど。
 前日のルートをそのまま逆走し、名古屋着9時48分。次は明知鉄道に乗るべく、10時03分発の中央線快速電車に乗る。
 中央線快速というのは、東京側でも名ばかりみたいなところがあるが、名古屋側でも同様で、通過する駅より停まる駅の方が遙かに多い。昔はもう少し通過していたが、だんだん停車駅が増えて、あんまり快速の名に価しなくなってしまった。
 快速が不評になったので、JR東海は「セントラルライナー」というのを走らせ始めた。特急並みの設備で、定員制で着席が保証されている。従来の快速電車よりは通過駅が多く、まあ新快速という位置付けだろうか。多治見までは310円の乗車整理券が必要だ。話の種に乗ってみたかったが、時間が適わない。普通の快速電車に乗らざるを得なかった。4輌がロングシート、2輌がセミクロスシートの6輌編成で、当然ながらセミクロスシートの方に乗る。
 東京口の中央線は相当先まで市街地ばかり拡がっているが、名古屋口ではわりとほどなく嵐気(らんき)が迫ってくる。定光寺(じょうこうじ)あたりの庄内川の渓谷風景は、名古屋から30分足らずの場所とはとても思えないほどだ。ほどなく愛岐トンネルを抜けて、ふたたび岐阜県へ入る。そして私はこの旅行の行程上、もう二度と愛知県には足を踏み入れることがない。だからどうだというほどでもないが、なんだか名残惜しいような気もした。
 多治見からは快速、セントラルライナー共々各駅停車となる。5つ目が恵那だ。

 明知鉄道の乗り場は、恵那駅の1番線を切り欠いた、以前なら0番線とでも名付けられたプラットフォームであった。構内での乗り換えも一応できるようにはなっているが、切符を持っていないので一旦外へ出る。暑い。しかし考えてみると、まだ午前中なのだった。早起きすると、午前中は長い。
 明知鉄道の駅舎には券売機がなく、窓口で直接切符を買う形だった。最近珍しい硬券で、切符マニアなら大喜びだろう。
 乗客は案外多く、25人ほど。やはり単行のレールバスだが、車輌はどこかの中古などではなくてオリジナルらしく、車体番号にはアケチという文字が入っている。その点樽見鉄道より立派ではあるが、走りっぷりの方はごく坦々としており、盆地から山里へとのろのろと走ってゆく。渓谷を遡って、河岸が少しばかり拡がると集落があって駅がある、というようなパターンが連続している。
 斜め前のボックスに、小学生の姉弟と、そのお祖母さんらしい3人連れがいた。お姉ちゃんの夏休みの自由研究ででもあるのか、駅に着くたびにお祖母さんが腰を浮かして、下りる人数と乗ってくる人数を勘定し、それを女の子が書き留めていた。弟くんの方は最初のうち賑やかだったが、そのうち飽きたらしく寝てしまった。
 ほぼ中間地点にあたる岩村での乗降がもっとも多かったようだ。駅のポスターに「女城主の里」とある。なんのことかと思ったら、織田信長の叔母(姉とも)岩村夫人のことである。彼女は遠山景任(とおやまかげとう)の妻として岩村城に居たが、景任は戦死し、未亡人となった彼女が養子の御坊丸(信長の五男)を擁して城を護っていた。そこへ武田信玄の部将である秋山信友が攻め寄せてきたが、岩村夫人はよく城兵を指揮して防戦した。無駄な犠牲を出すことを厭った秋山信友は、なんと岩村夫人に求婚するという奇想天外な方法で城を開けさせた。信長はこの頃近畿方面で苦戦しており、岩村城へ振り向ける援軍はまったく無く、いくら護ってもいずれは落ちる運命だったのである。
 むろんのこと信長は激怒したが、この時点ではどうすることもできなかった。のちに信玄が死亡し、その子勝頼を長篠で破ってから、信長は一気に岩村城に攻めかかり落としてしまった。岩村夫人は囚われ、逆さ磔(はりつけ)にされて殺されたという。非は援軍を送らなかった信長の方にあるようでもあるが、ともあれそのエピソードの舞台がここ岩村なのであった。

 ほぼ1時間で終点の明智に到着。ここは明智光秀生誕の地だとも言われるが、明智光秀という武将の出自は、実はよくわからない。可児市にも明智という地名があってそこが生誕の地だと主張している。たぶん他にもあるのではあるまいか。
 光秀その人の生誕地や経歴が不明ではあっても、明智氏という一族が当時の東美濃一帯に勢力を持っていたのは確かであって、この明智あの明智もそのゆかりの地なのであろう。
 現在は、明智町は「日本大正村」なるアトラクションが設定されている。明治村というのは犬山市をはじめあちこちにあるが、大正という短い時代もテーマパークになるようになったかと思う。もっとも美濃加茂市に昭和村などというのまであるらしい。もうなんでもありである。
 明治村と違って、ここの大正村は、園地を区切ってちゃんと整地し、いろいろな建物を移築してきたりしたというわけではないようだ。もともとあった古い街並みを保存し、そのところどころに資料館や展示館を設置するという形をとっている。従って、それらの間には普通の人家や商店も挟まっているし、

 ──歩けば気分は大正時代。

 というほどのことにはなっていない。しかし、剥製めいた移築建築物が並んでいるよりも、この方がよいかもしれない。
 帰りの列車を一本見逃すことにしたので、1時間20分ばかり時間がある。ごくざっと見るくらいのことはできるだろう。
 まずは大正村資料館に寄った。有料のはずなのだが、入場券売り場には誰も居ない。なお大正村全体で有料施設が4つ(大正村資料館、天久資料館、おもちゃ資料館、大正ロマン館)あり、500円払うとこれらの共通入場券が貰える。
 誰も居ないので、仕方なくそのまま中を見学した。古い教科書、古い蓄音機、古いオルガン、古い新聞記事などが並べられている。別館は当時からの家屋がそのまま保存されていた。オルガンは触ってみたらまだちゃんと音が出た。触ってはいけなかったのかもしれないが、どこにも禁止の表示はなかった。
 一角が土産物屋兼休憩所になっていたので入ってみた。おばさんが居て、
 「どうぞ、冷たいお茶ありますから飲んでってください」
と言ったが、入場料を払えとは言われなかった。いいのかなあ。
 次に天久資料館へ。ここは昭和63年まで京都で営業していた「天久」という有名なカフェの内装を譲り受けてそれっぽく仕立てたところである。展示物はそれほど大したものはなかったが、喫茶店として営業している。昼食でも食べられるかと思ったら、コーヒーとジュースとホットケーキしかできないのであった。昼食にホットケーキを食べる気分ではなかったから、アイスコーヒーだけ飲んだ。アイスコーヒーの代金はもちろん取られたが、入場料のことはやはり言われなかった。ただ、
 「クーポン券お持ちですか?」
と訊かれた。入場券と一緒に貰えるもので、持っていると割引になったらしい。
 このままお金を払わずにすべての有料施設を見てしまえるかな、と思っておもちゃ資料館へ行った。入り口のところに受付があって、おばさんが寝ていた。そっと入れば気づかれなかったかとも思うが、それも気がとがめるので声をかけたら、むくむくと起き上がった。さすがにここで入場料を取られた。クーポン券とやらもくれた。
 「いま『天久』に寄ってコーヒー飲んできちゃったんだよねえ」
 「まあ、もう一度くらい飲んでくださいな。これからロマン館とかも行くんでしょ? あそこの喫茶室でも安くなるから」
 曖昧に口を濁したが、時間的にそろそろ限界である。ロマン館に寄っている時間はなさそうだ。

 かんかん照りつける陽にさらされながら、汗だくになって明智駅に戻った。汗を拭こうとして、手提げバッグの中のタオルを探ったが、見当たらない。よく考えてみると、どうやら天久資料館でコーヒーを飲んだ時に、カウンターに置きっぱなしにしてきたような気がする。もう戻っている暇はないので、タオルは諦めるしかなかったが、天久資料館の方も、薄汚れたタオルなぞ置き忘れられて困ったかもしれない。
 冷房の効いた車内に入ってようやくひと息。ふと気づくと、往路に乗降客数を調べていた女の子たちがまた乗っていた。私は戻りの便を一本見送って乗ったのだから、意外な気がした。どこかでお昼でも食べていたのかもしれない。
 帰路は岩村で列車交換があった。腕木式信号機というものが作動しているところをはじめて見た気がする。これももうじきなくなるらしく、「さよなら腕木式信号機とタブレット」というキャンペーンのポスターをあちこちで見かけた。
 14時23分、恵那着。時刻表より2分ほど早着である。目の前を、中津川行きのセントラルライナーが発車して行った。どうしてあれに接続するようにダイヤを組まないかと思う。おかげで恵那で40分近く待たなければならないのだ。もう数分ダイヤを前に移せば済むことで、明知鉄道のようなローカル線ならそんなに難しいことではないはずだが。
 仕方がないので、昼食を食べるべく駅前をうろつく。すでに昼食どきでないせいもあるが、然るべき飲食店があまり見当たらない。「秋田名物」稲庭うどんの店に入って桜うどんを食べた。何が哀しくて岐阜まで来て秋田名物を食べねばならないかと思うが、まあやむを得ない。
 食べ終わってから駅に戻って、今夜の宿を予約した。
 「申し訳ございません、一般シングルの、5500円のお部屋は満室でして」
ありゃりゃ、と思う。少し高い金を払ってツインルームのシングルユースなどしなければならないか。それなら他の宿を当たるべきかなあ、と思っていると、相手は続けて、
 「少し狭くなりますけど、5000円のお部屋でよろしいでしょうか」
 「もちろん結構です」
私はあわてて答えた。こんな訊ね方をする宿も珍しいのではあるまいか。
 15時02分恵那発。10分で中津川に到着した。

(2003.8.12.)


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