12.サイテーな行楽列車の旅

 
 何年か前の秋、とある列車に乗りに、新潟へ出かけたことがある。
 「秋いろどり号」と名づけられた臨時列車だ。新潟発新潟行きの、いわゆる循環列車で、新潟からまず磐越(ばんえつ)西線を通って会津若松(あいづわかまつ)へゆく。そこから只見(ただみ)小出(こいで)に抜け、上越線・信越本線を経て新潟に戻る。磐越西線も只見線も、なかなか風流な車窓が楽しめそうだ。
 時刻表の月報ページにひっそりと載っているだけで、本文には載っていないほどの列車であり、そんなに知られていないだろうとも思った。月報ページには、よく大宮発鎌倉行きの臨時快速とか、取手発河口湖行きの列車とか、そんなのが載っていて、それまでの経験では、どれに乗ってもそんなに混んでいた記憶がない。知られざるマイナーな臨時列車に乗り込んで、秋の一日を楽しむ、そんな風情を想像して、旅情がかき立てられた。
 臨時列車なので、運転日が限られる。気づいた時には、11月はじめの日曜日しか乗りに行けないことに気づいた。前日の土曜日には夜まで仕事があり、日曜日にも夜に仕事があり、これはダメかなと思いながら旅程を立ててみると、驚くべし、充分行って帰ってこられるのであった。
 土日に限り、JR東日本のどの列車でも、自由席には乗れるという「ウィークエンドフリーきっぷ」を持って、土曜の仕事が終わったあと、夜行快速「ムーンライト」(現在の「ムーンライトえちご」)で出かけた。

 「秋いろどり号」の新潟発は8時09分。「ムーンライト」は5時過ぎに新潟に着いてしまい、時間を持て余すから、そのまま中条(なかじょう)まで乗って寝の足りなさを補った。そこで戻りの電車に乗って、新潟に戻り、構内のコーヒーショップで軽く朝食を摂ってから、発車30分ほど前にプラットフォームに下りた。コンコースの表示には、なぜか「快速 只見行」と書いてあった。
 階段を下りかけて、ぎょっとした。プラットフォームはいやに混み合っている。さては間違えたかと思って一旦戻りかけたが、やはりそのプラットフォームに間違いはない。ピクニック姿の中高年が圧倒的に多く、「秋いろどり号」以前にそのプラットフォームから出る列車もない。この雑踏の爺さん婆さんは、みんな「秋いろどり号」に乗るつもりなのだ。
 私は愕然とした。月報ページにひっそり載っていただけの臨時列車に、なぜこんなに人が集まるのか。
 その理由は、爺さん婆さんが手に持っていた色鮮やかなチラシを覗き見て納得が行った。JR東日本の新潟営業所では、カラフルなポスターやチラシで、この列車のことを思い切り宣伝していたのである。
 それにしても、この臨時列車、「移動手段」としてはまことに不便な列車だ。方々で長時間停車を平気でやり、会津若松までならあとから出る快速「あがの2号」の方がはるかに早く着く。会津若松から只見まではノンストップなので利用できない。只見より先なら、長岡・小出経由で行く方がずっと早い。「移動手段」として意味がありそうなのは、せいぜい喜多方(きたかた)や会津若松から只見以遠というところだろう。
 要するにこの列車は、もっぱら「乗るため」だけに設定されているとしか思えないのである。どこかへ行くための移動手段ではなく、列車に乗ること自体を楽しむ、つまりは私のような阿呆のためにある列車なのだ。その阿呆が、新潟駅のプラットフォームに、これほどひしめいているとは、自分のことは棚に上げてあきれ果てる。
 が、その理由も、当の「秋いろどり号」が入線してきたことにより、判明した。
 列車は、なんの変哲もない、3両編成の普通列車用ディーゼルカーに過ぎなかった。その列車を見て、あちこちからブーイングが飛んだのである。
「なんだ、こんな汽車かい」
「がっかりだわ」
 つまり新潟営業所がばらまいた極彩色なチラシによって、彼らは「秋いろどり号」が、豪華な特別列車、例えばお座敷列車のようなものだと想像していたのに違いない。それなら「乗ること」自体を楽しめるし、そんな列車に普通運賃だけで乗れるとなれば、これは殺到するのも不思議ではない。
 それが、ただのディーゼルカー。
 しかも、最近よくあるタイプの、座席の半分以上がロングシートになっている安っぽいディーゼルカーであると知って、あちこちから失望の声が洩れたのも、これまた不思議ではなかった。
 しかし、すでに切符を買ってしまっているからには、乗らないわけにはゆかない。
 ボックス席はたちまちふさがった。私はロングシートでいちばん隅の、ボックス席の背もたれの後ろの部分に坐ることができた。まあロングシートの途中などに較べればまだしもの位置だが、この状態で7時間半という行程を過ごすのはどうにもありがたくない話である。他の客もみんなぶうぶう文句を言っていた。
 一応定刻、8時09分に、このみすぼらしい行楽列車は新潟を出発した。

 臨時列車は定期列車のダイヤの合間を縫って設定されるため、どうしても行き違いなどで長時間停車が多くなるのはやむを得ないが、新潟から2つ目の亀田で、早くも15分停車する。新津(にいつ)までは信越本線だから複線で、行き違いの問題はないのだが、先述した快速「あがの2号」を待避するためだ。会津若松まではよほど便利な「あがの2号」は、こちらよりずっとすいていた。
 新津でまた17分停車する。人々はこの間に駅弁売場に殺到した。というのは、この列車が丁度昼食時になるのは会津若松なのだが、何を考えているのか、他の駅ではむやみやたらと長時間停車するこの列車が、会津若松に限って2分しか停車しない。とても駅弁を買っている暇はなく、新津を逃すともう弁当を買うところがないのだ。
 プラットフォームの駅弁売場はすさまじい混雑を呈していたので、私は一旦改札を出て、待合室の売店に廻った。すると、「雪だるま弁当」というのがひとつだけあったからそれを買った。話が前後して恐縮だが、この「雪だるま弁当」は当たりだった。雪だるまを模した容器もかわいいし、味も充分満足すべきもので、お奨め駅弁のひとつに挙げておきたい。
 どうせ臨時列車はすいているだろうと、私と同じような予想をしたひとが多かったのか、新津でも、次の停車駅の五泉(ごせん)でも、かなり乗客があり、この行楽列車はほとんどラッシュの様相を呈してきた。どこかへ移動するためならラッシュも我慢するが、乗ること自体を目的としてきてこの状態では、いい加減腹が立つ。
 津川でまたも17分停車、喜多方では7分停車。
「どうせなら、会津若松で時間をとってくれればいいのに」
と、乗客から愚痴がこぼれる。

 これだけ窮屈な車中でも、年寄りのグループ客の多い列車の中では、そのうちオツマミや果物なんかが、グループの枠を超えて飛び交い始める。ロングシートだろうと、床にべったり坐っていようとお構いない。車内に複雑な匂いが充満してゆく。
 紅葉している山が見えると、おばちゃんや婆ちゃんが、車内で知り合っただけの他のおばちゃんや婆ちゃんを小突いては、
「ちょっとちょっと、見て見て、きれいよぉ
と叫ぶ。
「あぁらほんと、きれーい
ほんっとにきれいだわぁ」
 しかし、実のところさほどきれいではない。この年の紅葉はあまり発色が良くなく、茶色っぽい、鈍い感じの色づきである。あとで只見線に入ると、だいぶ色も良くなったが、私が他のところで目にしたような、目も覚めるばかりの燃えるような紅葉にはお目にかかれなかった。おばちゃん方は、列車のみすぼらしさの幻滅を、せめてきれいでもない紅葉に騒ぐことによって補おうとでもしているかのようだった。
 紅葉が見えるたびに、すさまじいエネルギーでいちいち騒ぎ立てるおばちゃんたち。彼女らに、せっかくの日曜をひっぱり出されてきたとおぼしいおっさんや爺さんたちは、
「ちょっと、きれいよぉ、見てみなさいよ
と騒いでいる女房の命令に、面倒くさそうに外を見て、曖昧にうなづいている。ロングシートに坐っていては、外を見るためには首を後ろへ廻さなくてはならない。おっさんたちの大半は、疲れ果てたようにのろのろと振り向くのであった。
 そんな中にも、やたら元気のいい爺さんがひとりやふたりはいたりして、乗り合わせたおばちゃん方に幾分卑猥なジョークを飛ばしたりしている。おばちゃん方は、それでまた大喜びしてはやし立てる。喧噪と雑踏ばかりで、旅情のかけらも感じられず、私は、早く下りたいなあとぼんやり思っていた。どう考えても、今回の旅は失敗だった。

 会津若松でもかなりの乗客があった。中には、会津鉄道の列車と間違えて乗ってしまった人がいて、只見までノンストップと知って狼狽していた。やむなく西若松で臨時停車して、なんとか事なきを得た。
 途中数回の運転停車(行き違いなどのための停車で、客扱いをしない)はあったが、只見までの2時間23分無停車というのは、昼間の列車としてはきわめて長く、そろそろ間延びしてきた。
 只見では27分、そして大白川(おおしらかわ)と入広瀬(いりひろせ)でもしばらく停車し、15時28分、新潟から7時間20分を経てようやく小出に到着したときには、私は疲れ切っていた。
 全く、最低の行楽列車であったと言わざるを得ない。
 「乗ること」自体を目的とさせるような列車なら、お座敷列車とは言わないまでも、もう少しいい車輛を使うべきだし、あれだけ派手に宣伝していたのならなおさらである。
 「秋いろどり号」はその後も、毎年秋になると運転されているようだが、少しはましになっているのだろうか。
 なお、この時はさんざんだったが、只見線はなかなか風情のあるいい路線である。特に冬に乗ることをお奨めしたい。超豪雪地帯なので、並行する国道252号線は完全に杜絶し、道路標識のポールが雪に埋まって頭だけ出しているのを横目で見ながら、鉄道の良さをしみじみ感じながら旅することができるのである。 

(1998.3.5.)

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