忘れ得ぬことどもII

続・土星の衛星タイタン

 この前、火星への移住のことを書いたら、そういえばホイヘンスはどうなっただろうかと気にかかりました。
 ホイヘンスというのは、土星の周回軌道をいまなお廻り続けている宇宙探査機カッシーニの子機で、衛星タイタンに着陸したものです。ホイヘンスのタイタン着陸の報に接して、日誌に「土星の衛星タイタン」という項目を書いたのは2005年1月23日のことで、もう10年以上経っているというのが驚きです。
 着陸した時は大いに騒がれましたが、その後あまり話題になることもありませんでした。タイタンでその後どんな新発見があったのか、まだ稼働しているのか、ときおり気になることもありましたが、ウィキペディアなどをチェックしても、そんなにめざましいトピックが付け加えられているようでもなく、少々がっかりしたものです。
 久しぶりにチェックしてみたところ、いちおうそれなりの成果は出ていたらしく、着陸10周年を迎えた先月(2015年1月14日)、NASAからこの10年間の成果をまとめたデータが発表されたようです。英語サイトなので読むのが億劫なため、ウィキペディアに紹介されている主なところを見ただけですが、湖や海があること、雨が降ること、砂漠があることなどが確認されたそうです。また大気中にアルゴン40が検出され、これはタイタンの内部がまだ活溌に動いていることを示唆しているのだとか。

 いずれも興味深いことがらではありますが、10年もかけてそんなものなのかと、ちょっと物足りない気もしないでもありません。
 とはいえホイヘンスは自走できるようにはなっておらず、定点観測しかできませんから、まあやむを得ないことでしょう。もちろん自力でタイタンから飛び立つことも無理で、このままタイタンの上で朽ち果てるのを待つばかりです。いまのところ、地球からもっとも遠い天体の上にある人工物というわけです。
 親機のカッシーニからも、タイタンのデータはいろいろ送られてきています。重力計測によって、内部構造が明らかになってきたことなどは面白いと思います。従来、地球と同じように地殻、マントル、コアがあるだろうと推測されており、実際に木星の衛星でタイタンとほとんど同じ大きさを持つガニメデはそういう構造をしているそうなのですが、タイタンの中身は「融けかかった氷と岩石が混ざったおかゆ」みたいな状態であるらしいとか。その後の分析により、地殻の下はきわめて濃い塩水(死海並み)で充たされていると発表されました。
 いままでの知見がいろいろと修正されてゆくのは好ましいことです。しかし、生命が発見されたとでもいうのでないと、なかなか人々の持続的な関心を惹くのはむずかしいかもしれません。専門家か、素人にしてもある程度天文学に興味のある人くらいでないと、上のような新発見があっても、

 ──それで?

 ということにしかならないように思われます。

 タイタン(ティターン)というのはギリシャ神話の巨神で、特定の神様の名前ではなく、巨神の「一族」の名称です。
 土星のことを英語ではサターンSaturnと言いますが、これは悪魔(サタン)とは関係なく、ローマ神話の農耕神サチュルヌスのことです。このサチュルヌスが、ギリシャ神話におけるクロノスと同一神格とされ、クロノスがティターンの一族であったことから、土星で最初に見つかった衛星にその名が与えられました。
 クロノスはギリシャ神話の主神ゼウスの父親ということになっています。他、ポセイドンハーデスヘラヘスティアといった神々もクロノスの子です。彼は自分の子に主神の座を奪われることを恐れて、生まれた子供を次々と丸呑みしてしまいます。心を痛めた妻レア(この女神も当然ティターンです)は、末っ子が生まれると、襁褓(むつき)に石を入れてクロノスに手渡し、赤ん坊をこっそり育てたのでした。これがゼウスで、成長すると父クロノスに戦いを挑み、堂々勝利してクロノスの腹の中の兄姉たちを救出します。
 クロノスはクロノロジー(時系列)やクロノメーター(時計)など、「時間」に関係した派生語の多い神様ですが、「時間の神」などという抽象的なものを始代の人々が想定したとは思えません。サチュルヌスと同様、農耕の神だったのでしょう。農耕は一年を周期に繰り返す作業ですから、その後ギリシャ人が形而上的なことを考え出すに及んで「時間」と結びつけられたものと思われます。
 ちなみにマーラーの交響曲第一番が「ティターン」です。「巨人」と訳されていますが、実は「巨神」とするべきでした。「巨人」は「巨神」とはまた違った概念で、ギリシャ神話ではギガンテスと呼ばれるものです。こちらはゼウスらの上の世代の神々ではなくて、ゼウスらオリンポス派の神々を懲らしめるために地母神ガイアが産み出した連中であり、オリンポスと一大決戦(ギガントマキア)を捲き起こします。北欧神話ラグナロクのようなものです。オリンポスは敗色濃厚となりますが、英雄ヘラクレスの参戦によって盛り返し、ついにギガンテスに勝利します。神々が寄ってたかってもかなわない敵に、人間の英雄ひとりが参戦したことで形勢逆転するとは、ギリシャ神話のパワーバランスはどうなっているのかと不思議だったりするのですが、ともあれそちらが「巨人」であり、英語でいえばジャイアントに当たります。
 土星の衛星はティターン族の神からとられた名前が多く、タイタンの次に発見されたイアペトゥスはクロノスの兄、その次のレアは上記のようにクロノスの妻(姉でもある)、その次のテティスとディオーネもティターンです。ただ、ティターンで名前が残っている神様は限られており、「ティターン12神」と言われる程度でしかありません。一方、土星の衛星は20世紀に入ってからやたらとたくさん発見され、60個以上が確認されています。当然ながら名前が足りなくなり、最近はパンとかダフニスとか、ティターンでない神様の名前がつけられています。
 ともあれタイタンは、つい最近まで太陽系最大の衛星とも思われており、巨神の名に恥じぬ存在だったと言えましょう。
 現在はガニメデが最大とわかっています。タイタンが最大と考えられていたのは、その濃密な大気のために、望遠鏡で見える輪郭がぼやけており、正確なサイズが測定しにくかったためであるようです。
 大きさではガニメデに一歩を譲りましたが、「濃密な大気」こそタイタンの特色の筆頭と言うべきものです。

 これもつい最近まで、タイタンは大気のある太陽系唯一の衛星とも考えられていました。
 現在では、木星のイオエウロパ、海王星のトリトンにも大気があることが判明していますが、いずれも稀薄なもので、タイタンが「有意な大気のある」唯一の衛星であることは変わりません。
 地球よりずっと小さい(直径で約40%、容積で約16分の1)のに、地球の1.5倍もの大気圧を持つに至った理由はいまだはっきりしていないようです。大気の組成が、金星の二酸化炭素のように比較的重いガスが主であるならともかく、タイタンの大気は、地球と同じく窒素を主成分としているのでした。
 ただ、大気中にはメタンが分解された炭化水素のような化合物がかなり含まれているようです。それがけっこう重いために大気圧が高くなっていると考えられています。
 また、大型で重力が強い上に、低温で分子運動が不活溌なために、そういったガスが宇宙空間に逃げてゆかず、タイタンの表面につなぎとめられているのだとも言われますが、これは全面的に首肯できる説とは思えません。ガニメデもたぶん温度はさほど変わらないと思われるし、重力も同じくらいだろうに、大気を持っていないのです。水星もほぼ同じ程度のサイズですが大気はありません。まあ水星の場合は、太陽に近いので、過去大気ができかけたとしても、強烈な太陽風にたちまち吹き飛ばされてしまったのかもしれませんが。
 タイタンの謎は、まだまだ深いのでした。
 それにしても太陽系の衛星たち、ことに大型のものは、それぞれに多彩な顔つきを持っていて興味深いことこの上もありません。木星の4大衛星、いわゆるガリレオ衛星の4者4様のスタイルなどを見ると唖然とするほどです。地球以外で唯一活火山が確認されているイオと、地球以外で唯一液体の水よりなる海が確認されているエウロパが特に目立ちますが、大気が無いガニメデとカリストも、同じような容貌になりそうなのに相当に違っています。
 木星や土星などの巨大惑星の衛星は、近くを通りかかった彗星や小惑星がその引力につかまってしまったというものも多いのでしょう。しかし少なくとも大型のものは、太陽系の創生期に惑星とほぼ同時に生まれたと考えられています。つまりどれも同じような生まれかたをしたに違いないのに、その後の人生(?)によってがらっと変わった顔を持つに至っているわけです。
 どこか、人の世にも似ているような気もします。

(2015.2.28.)

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