忘れ得ぬことどもII

台本完成

 2014年2月16日(日)には、ようやく『セーラ〜A Little Princess〜』の台本が仕上がりました。
 この前の日誌では、タイトルをどうするかまだ迷っているようなことを書いていましたが、一応これで行こうと思います。「A Little Princess」というのは「小公女」の原題ですので、同じことではあります。ただ日本の読者には長らく「小公女」という字面で親しまれていたので、ポスターなどを見た時に、なんの話かパッとはわかりづらいかもしれないという懸念はあります。「F.E.バーネット作『小公女』より」というような註記を目立つようにつけておく必要はあるでしょう。
 なお「公女」というのは「公爵令嬢」のことですが、プリンセスというと公女であると共に「王女」でもあります。最初に訳した人がこのプリンセスを王女ではなく公女であると判断した理由はよくわかりませんが、ヒロインのセーラは実際には王女でも公女でもなく、ただ「プリンセスのような気概」を持って生きようとしているだけですので、どちらでも良いとも言えます。訳された時期がもう少し後なら「ちいさなお姫さま」とでもなったかもしれません。伊藤整の訳本(新潮文庫)では「公女さま」という言いかたを多用していますが、私の台本では「プリンセス」とそのままの言葉を使いました。

 結局3幕6場という、かなり大きな芝居となりました。最後のシーンはエピローグみたいなものなので、実際には5場と言って良いのですが、音楽がついた場合にどのくらいの長さになるか、自分でもまだ見当がつきません。とりあえずA4判で40ページほどになっていますが、見やすくするために、話者が変わる時には1行空けたりしているので、実際の内容量は少なくなります。新作オペラの場合、正味2時間半を超えるとやはりきついでしょう。休憩を入れて3時間というのが限界ではないかと思います。
 それでも、原作のエピソードをだいぶ削ったり統合したりしています。ただ逆に、原作ではあまり詳しく書かれていないところをふくらませた部分もあります。マダムにフランス語テキストを作ってもらった、フランス語の授業のシーンなどもそのひとつです。ミンチン先生コックを叱りとばしているシーンも私の創意でふくらませたもので、児童小説にはあんまりふさわしくない、経費節減に関する会話をさせてみました。往々にして、こういう場面のほうが、書いていて楽しかったりしました。
 終盤の解決篇のあたりは、乗りに乗って書いた気がします。セーラのために立て替えていた何百ポンドというお金を支払って貰いたいというミンチン先生に対し、弁護士のカーマイケル氏が、あなたはセーラを無給で働かせていたではないかと指摘し、さらにダメ押しのように、その分を法定賃金で差し引けば5ポンド18シリングにしかならないというようなことを言うセリフを書きましたが、こんな細かいことは原作にはまったく出てきません。こういうのは言ってみれば大人が愉しむためのスパイスで、私の愉しみでもありました。
 ちなみに時代設定は19世紀末ということにしましたが、これはまさにシャーロック・ホームズの時代でもあります。シャーロック・ホームズのことをいろいろ調べたり考えたりしていた時の知識が、台本を書く上でだいぶ役に立ちました。
 一例を挙げれば、上記の貨幣単位の問題です。私はホームズ物を読み、あれこれ考えた上で、当時の1ポンドはおおむね現在の2万円くらいの価値があっただろうと結論しました。1シリングは20分の1ポンドですから千円くらいになります。
 「ブナの木荘」事件で、住み込み家庭教師の給料の相場が週4ポンドということがわかります。週4ポンドだと、年にすれば200ポンドくらいになるでしょう。住み込みですから食費と住居費はかかりません。
 セーラは教師の助手として小さい子のクラスの指導を受け持たされます。野口英世が尋常小学校の4年の時に「生長(生徒長)」として1年生を教えたという話もありますから、昔はそういうこともあったのでしょう。代用教員といったところです。「ブナの木荘」のヴァイオレット・ハンターが職としていた家庭教師よりは格下だったでしょうが、年100ポンドくらいの給金を貰ってもおかしくはなさそうです。その他にメイドとしてこき使われたりもしていたわけなので、そんなことを何年も続けていたとすれば、何百ポンドという負債もほとんど返済済みとなっていたはずです。ミンチン先生が何百ポンド返して貰うつもりが、たった5ポンドなにがしにしかならなくて凹むというのはまあギャグですけれども、一応私なりに計算をした結果の数字なのでした。600〜700万円返して貰うつもりのところ12万円ほどになったと考えてくださればイメージがつかみやすいと思います。

 ミンチン先生はとにかく口数が多いことになりましたが、これなどはアガサ・クリスティの小説によく出てくるようなおしゃべりなおばさんのイメージを流用しました。その妹のアメリアは、口下手でいつも姉にしゃべりまくられて、言いたいことも言えないというキャラですが、ラストでぶち切れてまくし立てます。このあたりも書いていて楽しいところでした。
 私の英文学体験はどうしてもミステリーに偏っていて、ディケンズですらまともに読んだのは「二都物語」「クリスマス・キャロル」くらいです。「ガリバー旅行記」「ジェイン・エア」「嵐が丘」「テス」「不思議の国のアリス」「ドリトル先生航海記」等々、まあ基本教養に属する程度のものは読んでいますけれども、高校生くらいの時にごくざっと眼を通したくらいで、あんまりディテールまで読み込んだということはありませんでした。しかし、たとえドイルとクリスティくらいでも、じっくり読めばいろんなことがわかります。

 ラヴィニアという、まあ敵役の女の子が出てきます。意地悪ばかりしています。原作では最後まで意地悪です。
 この子に関しては、台本では少し救いを持たせてみました。最後までひたすら意地悪というのも面白いのですが、改心したほうが観客受けはするでしょう。観客受けを狙ってそうしたという点もありますが、アリアを1曲歌わせたかったので結果的にそうなったというのが実際のところです。
 ミュージカル「レ・ミゼラブル」で、エポニーヌという、原作ではごく薄い印象しか残さない登場人物に、「On My Own」という全曲中でも一二を争うような名曲を割り当てている感覚とちょっと似ているかもしれません。アリアはもちろんこれから作曲しなければならないわけですが、台本の段階では、ラヴィニアのアリアにはかなり気合いを入れて書きました。セーラに対するアンビバレントな心のうちを切々と吐露するような内容ですので、これを聴かされては改心しないことには納得できないだろうという気がするのでした。
 大金持ちとなったセーラが、大人になったら学校を作りたいと言うところがあります。原作には無く、私が創作したくだりです。ミンチン先生に対する大変な皮肉になるわけですが、このくだりを入れておいたおかげで、ラヴィニアの改心も自然な形で表現することができるようになりました。エピローグで「学校を作る時には協力するから」とセーラに告げるのです。将来的にはベッキーでもアーメンガードでもなく、ラヴィニアこそがセーラの最大の親友になるのではないかという含みを持たせることができました。便宜的に創作した設定が、他のところで妙に活きるというのは、ものを書いていて至福を感じることのひとつです。
 ラヴィニアといつも一緒にいるジェシーという女の子が居て、これは言ってみれば腰巾着キャラなのですけれども、私はどちらかというとツッコミ役のようなつもりで書いてみました。ただ、全体のバランスもあって、ツッコミ役としてのシーンがあまり描けなかったのは残念です。オペラでなく演劇の台本であれば、私はここぞとばかり掛け合い漫才をやらせたことでしょう。

 ともあれ16日の未明に台本の第1稿を仕上げ、ファミリー音楽会の時に何冊か持ってゆき、企画の中心となりそうな何人かに渡しました。
 打ち上げの席で、さっそくそれが話題になりました。配役をどうするのかということがやはりいちばんの関心ごとのようです。
 水島恵美さんが、以前からミンチン先生役をやりたいと予約していました。おかげで台本を書く時にイメージしやすかったとも言えます。まずこれは動かないところでしょう。その他、何人か私のほうで配役をイメージして造形した役もあります。
 しかし、肝心のヒロインがイメージできていません。演奏家協会のメンバーを思い浮かべて、キャラが合いそうな人は幾人か思い浮かびますが、オペラなので声の問題もあります。
 「これはオーディションするしかないでしょ」
 と水島さんは言いました。オーディションするためには、セーラが歌うところをそれなりにいくつか先に作曲しておく必要があります。
 とにかく、女性が演じられる役がたくさんあるので、大勢に出て貰うことができるのは嬉しいことです。役付きは少なくとも9人、それにコックの役は男でも女でも良いような台本にしてあります。たぶん女になるでしょう。そうなると、男の登場人物はほとんど終盤にしか出てきません。
 協会員でまかなえる役がたくさんあるということは、チケットがそれだけさばきやすいということでもあります。賛助で出て貰う人には、どうしてもなかなか配券を強要することがしづらく、少数の主要人物に負担をかけてしまうことになります。『セーラ』の役付きの人物の中では、もちろんヒロインのセーラとミンチン先生が突出して出番が多いものの、他のキャストにもそれなりの見せ場を作っておきました。「自分の出番が少ないから売れない」などということは言わせない勢いです。あとは、売りたいと思わせるような曲を作ることだけです。まあそれが私にとってはいちばんの難関ではあるのですが。
 キャストがベテラン勢ばかりになると、女学校というところに無理が出てくる可能性もあります。
 「いっそ、『ミンチン・デイサービス』にしてしまおうか」
 などという冗談も飛びました。
 いずれにしろ、まずは曲を作らなければなりません。明日の役員会で一応ゴーサインを貰ったら、少しずつ下書きをはじめるつもりです。

 実は今日、少し前に頼まれた「七夕の曲」の打ち合わせがありました。平塚市合唱連盟からの依頼で、平塚の有名な七夕祭りにちなんで、オリジナルの合唱劇のようなものを創りたいというのがコンセプトでした。
 今年の七夕に間に合わせるなら大変だと思っていましたが、話を聞いてみると、考えていたより大がかりな構想で、先方としても、今年はとても無理で来年の七夕の心づもりであったことがわかりました。さしあたって、作曲は今年いっぱいにメドをつけるくらいの進めかたで良さそうです。深く深く安堵いたしました。もっともあまり安心していると、月日はすぐに経ってしまうので要注意ではありますが……
 上半期に3つも作曲が重なるという事態は避けられ、なんとかなりそうな気がしてきました。

(2014.2.18.)

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