忘れ得ぬことどもII

ヒッグズ粒子の発見

 タキオンの夢はひとまず潰えましたが、今日はヒッグズ粒子が発見されたらしいというニュースに接して、またまたワクワクしはじめています。タキオンとは違って、必ずあるはずだとされながら今まで見つからなかった粒子で、より地に足がついた発見という気はします。しかし確認されれば間違いなくノーベル賞級の発見でしょう。
 ヒッグズ粒子の存在が予言されたのは1964年と言いますから、私の生まれた年のことです。それから48年が経って、ようやく見つかったわけですが、最近の物理学は理論的予測から観測による実証までがおそろしく長くなっているな、と思います。ヒッグズ粒子を予言したピーター・ヒッグズ博士は幸いまだ存命でしたが、こう息が長くなってくると、実証されるまでに亡くなってしまう科学者も少なくないでしょう。ノーベル賞というのは原則として存命の人物だけに与えられることになっていますから、観測畑ではともかく、理論畑では取り逃してしまう人も多くなっているのではないでしょうか。

 ニュースを聞いてワクワクしたわりには、私自身はヒッグズ粒子について詳しく知っているわけではありません。いろんな物理学の本を読んでいると、ちょくちょく名前は登場するのですが、いまひとつピンと来ませんでした。タキオンのような、高校生レベルの数学でも充分イメージがつかめるというものではなかったからでしょう。
 ともかく私が理解していたのは、ヒッグズ粒子というのはこの宇宙の万物に「質量を与える」粒子だということです。どういうメカニズムで質量を与えるのかはよく理解できていませんでした。いま泥縄でウィキペディアを参照したところ、

 ──宇宙には最初、いろいろな粒子が自由に飛び回っていた。
 やがて(ビッグバンから10兆分の1秒後くらい)、宇宙が冷えることで、真空の相転移が起き、空間にはヒッグズ粒子が満ちた。
 それに伴って、他の粒子がヒッグズ粒子による抵抗を受けて動きづらくなった。
 その「動きづらさ」がすなわち質量の本質である。


 ということであるようです。
 質量の定義のひとつは、まさに「動かしづらさ」であるわけなので、最後の1行はまあわかりやすいように思います。言い換えれば、動かすためにより大きなエネルギーを要するものが「より質量が大きい」と定義できるわけです。
 相転移というのは、気体である水蒸気が液体である水滴になったり、その水が固体である氷になったりする現象のことで、モノ(この例ならH2O)としては同じでも温度などの条件によって見た目(相)が変わることを言います。この場合、「真空」という、モノであるかどうかわからないものが相転移するというのでわかりづらいのですが、南部陽一郎博士の提唱した(そしてノーベル賞を受けた)「自発的な対称性の破れ」という概念によりそれが可能になるようです。
 ちょっと腑に落ちなかったのは、

 ──ヒッグズ粒子のせいで他の粒子が動きづらくなるのはわかる。
 しかし、ヒッグズ粒子以外の粒子だって、充満していればお互い動きづらくなるんじゃないのか?


 という点でした。
 これはどうも、他の粒子との「干渉性」ということによるようです。
 ニュートリノの話が出た時に、ニュートリノは他の物質とほとんど干渉しないので見つけづらい、ということを書きましたが、粒子にとっては、干渉しない相手はあたかも存在しないようなものです。ニュートリノから見れば、大きな星でもほとんどスカスカのザルみたいなもので、ほとんど行く手をさえぎるようなものにはなりません。神岡スーパーカミオカンデのような装置は、言ってみれば、そのザルの目をできる限り細かくして、なんとかザルにひっかかるニュートリノをすくいとろうという試みです。
 ヒッグズ粒子というのはほとんどの他の粒子と干渉しあう能力を持った、おそろしく人なつっこい(?)粒子であるようです。ヒッグズ粒子と干渉しないのはたぶん光子だけで、それだから光子は質量を持たないとされるわけです(また、質量があると光速では動けません)。
 ダイレクトに衝突すれば他の粒子でも干渉はし合いますが、ヒッグズ粒子の場合は近くを通っただけでも進路が曲げられたり、はね返されたり、なんらかの影響を受けてしまうのかもしれません。
 素粒子論では、粒子が他の粒子に影響を受ける場合、なんらかの「相互作用」が起こっていると解釈し、その相互作用を媒介する別種の素粒子を「交換」しているものだと考えています。例えば電気のプラスとマイナスが引き合うのは、荷電粒子同士が光子を交換しているとするわけです。また、クオークが引き合って原子を作っているのは、グルーオン(糊──のり──粒子)という粒子を交換していると解されます。
 ヒッグズ粒子はほとんどの粒子と干渉し、質量に関連しているわけですから、まだ発見されていない重力を司る媒介粒子「グラヴィトン(重力子)を交換していることになるのかもしれません。少なくともヒッグズ粒子の確認は、グラヴィトン発見に向けての大きなステップとなるのではないかと思います。

 報道を読むと、「宇宙には17種類の素粒子があると考えられ、今までそのうちの16種類が見つかっているが、17番目のヒッグズ粒子だけがまだ発見されていなかった」ということが書いてあります。
 唐突に「17種類」と言われてもわからなかったので、これも調べてみました。
 まず、物質を形成するクオークが6種類。アップダウンチャームストレンジトップボトムという、対になった3世代のクオークがあります。3世代と言っても、別に親子関係があるわけではなく、ただの術語です。
 クオークに関する術語はなかなかウイットに富んでいるものが多く、イメージとしてはわかりやすいのですが、ただ半可通が本質を誤解しやすいという欠点もあります。半可通というのは私のような者ですが、例えばクオークの「色」なんかもそうですね。上記の6種類のクオークには、それぞれ「赤」「緑」「青」の3色があるということになっているのですが、これは電気のプラスマイナスと同様、「混ぜるとゼロになる」ことの比喩に過ぎません。電気の場合は2種類を混ぜると電価がゼロ(中性)になるので、数学のプラスとマイナスで喩えたのですが、クオークは3つひと組となっているので、3色混ぜると白(ゼロ)になるということで光の三原色に喩えたわけです。「世代」も同じような比喩的表現です。
 6種類のクオークの中で、陽子や中性子といった、通常の物質を作っているのはほとんど第一世代のアップとダウンだけです。あとストレンジは比較的早く見つかっていましたが、チャーム、ボトム、トップの3つは理論的に予測されてはいたものの、これまた長い時間をかけてようやく検出された素粒子でした。
 次に、6種類のクオークとそれぞれ対を成している6種類のレプトン(軽粒子)があります。これも3世代に分かれていますが、第一世代の片方はおなじみ電子で、もう片方がニュートリノです。正確にはe-ニュートリノと言います。というのは、第二世代で電子に相当するのがミュー粒子、第三世代ではタウ粒子と呼びますが、それぞれの相棒を、ミュー(μ)ニュートリノタウ(τ)ニュートリノと呼んでおり、ニュートリノにも種類があるからです。
 以上12種類が「物質粒子」と呼ばれるものです。
 その他に、4種類の「ゲージ粒子」があります。上述した「相互作用を媒介する粒子」です。電磁相互作用を媒介する光子、「強い相互作用(強い力)」を媒介するグルーオンについては触れました。その他に「弱い相互作用(弱い力)」を媒介するウィークボソンというのがあります。弱い相互作用というのは原子の崩壊(ベータ崩壊)などに関わる力だそうで、ラジウム温泉なんかを愉しめるのはこの力のおかげだとか。
 それでは3種類にしかなりませんが、実はウィークボソンにはWボソンZボソンという2種類があり、合わせて4種類です。
 ところでグルーオンを調べると、現段階では8種類あることがわかっている、ということが書かれていたりしますが、これはひとまとめに数えるようです。ウィークボソンの2種類よりは差が小さいのでしょうか。
 それから、少し素粒子物理学をかじった者にとっては、このリストは「あれ?」と思う箇所があります。たいていの本には、相互作用は4種類あると書いてあり、それは上記の「電磁」「強い」「弱い」に加えて、「重力」が名を連ねます。そして、重力相互作用を媒介するのはグラヴィトンであるということも書いてあります。ところが、ここにはグラヴィトンの名前がありません。
 それも無理はなく、実はこの「17種類」というのは「標準理論」での数えかたなのです。

 物理学者というのは、自然をできるだけシンプルに理解したいという本能があり、より根源的なものを求めて日々努力している人々です。その努力によって、原子が見つかり、その内部構造である原子核と電子が見つかり、原子核の内部構造である陽子と中性子が見つかり、さらにそれらの内部構造であるクオークが見つかりました。今のところクオークが物質を構成するもっとも根源的な単位であると考えられていますが、それでも6種類もあることが気になって仕方がない学者も居るようです。そのためサブクオークなる概念が考えられたこともありますが、今のところ仮説の域を出ません。
 相互作用(力)が4種類あるというのも、物理学者にとっては複雑すぎることであるようで、それらの力をなんとかひとつにまとめようという努力が、すでに1世紀以上にわたって続けられています。アインシュタインが電磁力と重力を統一しようとして無惨な失敗に終わったことはよく知られています。
 その後、電磁力と重力をいきなり統一するのは無理だということになり、まずは電磁力と弱い力の統一がなされました。つまり、電弱力という本来はひとつの力が、状況によって電磁力に見えたり弱い力に見えたりするのだということが証明されたわけです。
 次に物理学者が挑んだのが、電弱力と強い力の統合です。重力に向かわなかったのは、重力というのが他の3つの力に較べて桁違いに微弱な力であるため(セーターでこすった下敷き程度の微弱な電気力で、地球の重力をキャンセルして紙片や毛髪を吸いつけたりできるのだから、その弱さがわかりますね)、とりあえず後まわしにしたほうが良いだろうという判断でした。
 この統合の理論が、標準理論と呼ばれているものです。標準理論などというと、なんだか普通名詞のようですが、物理学では「電弱力と強い力を統合する」という理論につけられた固有の名称となっています。
 標準理論は、ほぼ完成に近づいており、たぶん正しいだろうとされていますが、まだ決定的な結論は出ていなかったようです。今回のヒッグズ粒子発見をもって完成ということになるのでしょう。
 さて、標準理論には重力が含まれていませんから、当然、基本素粒子の中にもグラヴィトンは含まれないことになります。重力とグラヴィトンが出てくるのは、標準理論よりももう一段か二段上の理論ということになりそうです。
 以上、12種類の物質粒子と4種類のゲージ粒子、計16種類が今まで見つかっており、最後の17番目が、このたび発見が伝えられたヒッグズ粒子であったわけです。いわば、役者が出揃ったわけで、これからどんな新しい考えが生まれてくるか、楽しみです。

 重力をもひっくるめて力を統一的に記述するのが、まだまだ先の話になるであろうことはもちろんですが、その有望な考えかたのひとつが超ひも理論(超弦理論)です。この理論、私が興味を持ってからだけでも、2、3回浮き沈みしています。つまり、「これは有望な理論だ!」と持ち上げられる時期と、「やっぱりこれは無いんじゃないか?」と貶められる時期が交互にやってきています。
 超ひも理論の基本的な骨組みとなっている「超対称性」なる数学概念については私はさっぱりわからないのですが、ともかく10次元だか11次元だかの空間を想定しないと成立しない、というあたりが、嘘くさいようでもありロマンを感じさせるようでもあり、いろんなところに「超」の文字がつくのがカッコ良かったりもします。いまだに賛否両論あるのも、そのあたり地に足がついていないような印象があるからかもしれません。
 ともかく今回のヒッグズ粒子発見で、まず標準理論を完成させ、それを拡張した大統一理論もしっかり足固めをして、超ひも理論が実体を持ち始めるのはそのあとのことでしょう。それは半世紀くらい後のことかもしれませんが、あるいはここ数年で急激に進展することなのかもしれず、門外漢の私としては胸をときめかせつつ眺めていたいと思います。

 以上、それこそ半可通の生半可な知識だけで書きましたので、いろいろ間違いがあるかもしれません。詳しいかたのご指摘をお待ち申し上げております。

(2012.7.4.)

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