忘れ得ぬことどもII

国旗・国歌への敬意

 大阪橋下知事が、府下の公立学校の教員に、式典での国家斉唱時の起立を義務づける条例を定めようとしているそうです。
 そんなことが条例で定めるほどのことかと思いますが、職務命令として起立を求められた教員の中に、従わない者が少なからず居たというていたらくですので、やむを得ないことかもしれません。橋下知事自身、

 ──条例を作らなければならないこと自体がはずかしい。

 と述べているとか。まったく同感です。

 君が代・日の丸については、私が子供の頃もいろいろかまびすしい議論がありました。反対派の論拠としては、「軍国主義の象徴」やら「天皇の個人崇拝」やらあれこれと挙げられていましたが、そんなのは末節で、最終的には

 ──君が代が国歌、日の丸が国旗であるということが、法律で定められていない。

 という点をよりどころにしていたように私には見えました。法律で定められていない以上、それらを国歌や国旗であるとは認められないと言われれば、そうかと引き下がらざるを得ない雰囲気でした。
 ですから、1999年国旗国歌法が定められ、これらが正式に国旗であり国歌であるということになった以上、もう議論の余地も無くなったはずで、反対派だった人たちも納得したのだろうとばかり私は思っていました。
 ところが、こういうことはイデオロギーの問題なので、一部の先生がたはむしろかえって依怙地になった気配があります。確か東京でも、不起立をとがめられて処分された先生が、不服として訴訟を起こしたという騒ぎがありました。
 君が代や日の丸に、それぞれ好き嫌いがあるのは仕方がないと思います。しかし少なくとも公立学校の先生は公務員なわけですから、内心はどうあれそれらに敬意を表すべきでしょう。さらに譲ってどうしても敬意を抱けないとしても、式典で起立するという式次第になっていたのなら起立すべきです。それすらもイヤだと言うなら、もう公務員を辞めて貰うほかありません。ごく普通の考え方であるはずですが、その普通の考え方ができない人たちが、学校という場にはまだたくさん巣くっているようです。

 国歌や国旗には、自国他国を問わず、自然と敬意を示せるように子供たちに教えておかないと、外国へ行った時に大恥をかくことがあります。
 たいていの国では、国歌が流れると直立不動になって聴いたり歌ったりするものです。多くの場合、起立するだけではなく、ひじを水平に曲げて胸に拳を当てるなどの敬礼姿勢をとります。
 グアテマラの国際合唱祭に参加した時、参加国各国の国歌合唱がありました。グアテマラ国歌は5番くらいまであってえらく長いのですが、向こうの人々はそのあいだじゅう、上記の敬礼姿勢をとり続けて歌っていたので感心しました。もちろんグアテマラだけではなく、他の参加国の国歌の時も、その国の人たちは同じようにしていました。われわれが君が代を歌った時だけ、どうもだらしがなかった気がします。
 同じ合唱祭の最中、街中を歌いながらパレードするという、楽しいような照れ臭いようなイベントがありましたが、ある街角まで来て私たちが歌い始めようとすると、
 「しーっ」
 と声がかかりました。17時の時報代わりのように、街頭放送で国歌が流れるのです。そのあいだは遠慮してくれということでした。もっともなことで、私たちは謝るしかありませんでした。
 国歌というのは、それくらい由々しきものであるわけです。国旗も同様で、外国へ行ってその国の国旗にイタズラをして逮捕された日本人も居ました。
 中国韓国で、反日のデモなどがあると、よく日の丸を燃やしたり切り裂いたり食べたりする映像が流れます。日本人はそれを見ても、せいぜい苦笑するくらいですが、本来なら政府が即座にその国の大使を呼びつけて厳重抗議すべき事柄です。また政府がそれをしなかったら、国民から猛烈な突き上げを食らうのが当然であるはずです。苦笑で済ませてしまう日本人は、「オトナ」であると言えば聞こえは良いのですが、まあ諸外国からは「ヘタレ」としか思われないでしょう。そしてその程度の感覚であるから、よその国へ出かけて国旗にイタズラをしたりする輩が出てくるのです。
 子供たちの将来を考えれば、国歌や国旗というものの由々しさをしっかり教えておかなければならないと思います。それは好き嫌いの問題ではありません。それなのに、先生がたが率先して好き嫌い──思想がどうの良心がどうのと理屈はこねていますが、要するに好き嫌いに過ぎません──を言い立てて、儀礼の式次第すら無視しているのでは、救いがたいことです。

 ちなみに反対派の論拠をちょっといじってみますと、まず「軍国主義の象徴」について──
 これについては、軍国主義でなかった長い期間はどうであったかと反問することですぐに論破できます。日本が「軍国主義」であったのはどう考えても昭和10年代くらいのもので、それまでの明治時代・大正時代は全然そんなことはありません。日清戦争日露戦争の頃も、シビリアンコントロールが完璧におこなわれていました。
 ただし、明治時代の「富国強兵」政策を軍国主義と同一視し、明治維新以来終戦までずっと軍国主義であったとするような教養のない先生も、世の中には居ないではありません──というか、けっこう多いかもしれません。そんなことを言い出せば、世界に「軍国主義」でない国がいくつあるのかという話になってしまうのですが……。
 また、軍国主義が短期間であったことは認めるけれども、それまで問題なかった君が代・日の丸が、第二次大戦のせいで「汚れてしまった」という意見もあるかもしれません。しかし、靴ではあるまいし、汚れてしまったから履き替えるというのは無定見に過ぎましょう。国歌や国旗は国の象徴です。であってみれば、痛みや汚れも不名誉も、すべて呑み込んでゆくべきものです。
 「しかしね、国体が替わって国歌や国旗がそのままだった国ってあるかい?」
 私の高校の時の先生で、そんなことを言った人が居ました(在学中ではなく、私が卒業してからの会話の中です)。ドイツの国歌はヴァイマール体制・ナチス体制・戦後の西ドイツ・現在の統一ドイツを通じてハイドン作曲の「ドイツの歌」ですし、英国もハノーヴァー朝ザクセン=コーブルク=ゴータ朝ウィンザー朝を通じて「God save the King(Queen)」を国歌としています。それよりも、先生は日本の国体が戦前戦後で替わったと認識していたのかと驚いた記憶があります。
 ともかく、革命でも起きない限り、国歌や国旗をそう簡単に変える国はありません。
 「天皇の個人崇拝」のほうは──
 君が代の歌詞が民主主義にそぐわない、と主張する人が多いのですが、これについても、デモクラシーの老舗みたいな英国の国歌が「God save the King(Queen)」であるという一点を挙げれば充分かと思います。また、歌詞の中の「君」が一意的に天皇を意味しているかという点についても議論はあるわけで、私もそれについては短い文章を書いたことがあります
 反対派であっても論理的な人ならば、このくらいで納得しそうですが、すでに反「君が代・日の丸」がしみついてしまっていると、

 ──それはそうだけれど、やっぱり気に食わん。

 という気持ちになるかもしれません。これはもう合理的な反対ではなく、やはり好き嫌いのカテゴリーだとしか言えないと思うのです。
 教師の好き嫌いを子供に押しつけるのはやめましょう。

(2011.5.19.)

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