高松多忙行 (2013.6.1.〜3.)

I

 高松植田くんから、2013年6月2日(日)に開催するコンサートでピアノを弾いて貰えまいかと打診があったのは、3月のことでした。
 6月というのは、行事が重なることが多い月です。まず板橋のオペラが必ずあって、そのリハーサルなども立て込みます。隔年ですが、コーロ・ステラの定期演奏会も6月に入ることが多くなっています。
 今年はコーロ・ステラの演奏会は無いのですが、これが無い年には川口第九を歌う会の自主演奏会があります。何度か書きましたが、この団体はベートーヴェン「第九」だけでなく、いろんな歌を歌います。今年はヴェルディレクイエムをやることになっています。
 それから今年に関しては、マーラー『嘆きの歌』の初稿版2台ピアノヴァージョンの初演というのも入っています。
 あと、JCDA(日本合唱指揮者協会)の主催する合唱フェスティバルというのがあって、Chorus STが出演することも少なくありません。今年も出演するのですが、板橋オペラのゲネプロ日と丸かぶりで、私は残念ながら不参加ということにしてあります。
 かように忙しい月で、日曜などはたいてい全部ふさがっているのが常なのですが、なんとも奇跡的に、2日だけは手帳が空白になっていました。これは何かのお導きであろうかと思うところあった私は、すぐ承知したのでした。

 植田くんは大学の後輩ですが、私の従妹と結婚しましたので、縁戚でもあります。ふたりとも声楽科の1年であった時から早々に交際をはじめて、7年だか8年だかそのままで、周囲をかなりやきもきさせたものでしたが、1995年の夏にめでたくゴールインして、植田くんの故郷である香川県で暮らしはじめました。
 その結婚式の時にふたりで歌いたいからというので、私が依頼されて作曲したのが「静かに訪れて」という二重唱曲です。彼らの結婚式イベントはなかなか大がかりで、まず高松で挙式と第一回披露宴をやり、1週間後に新婦の故郷である札幌第二回披露宴をやり、さらに1週間後には東京の大学の食堂で第三回披露宴をやり……と、前後3週間がかりに及びました。その都度「静かに訪れて」の演奏もやったので、私は伴奏のために3回全部出席しました。3回とも出席したのは私だけだったと思います。
 1回目の高松から2回目の札幌まで、やはり両方に出席した私の家族などはもちろん一旦東京に戻りましたが、私はふらふらと列車を乗り回し、1週間たっぷりかけて移動しました。その時にかつての最長昼行特急「白鳥」大阪青森)に全区間乗り通したという話は、前にも書いた憶えがあります。
 指折り数えれば、もう18年前のことで、月日の過ぎゆく速さを嘆ぜざるを得ません。
 その後も「静かに訪れて」を3人で合わせる機会は何度かありました。私自身の結婚式の時にも歌って貰いました。
 今回も、自分たちで企画した音楽会で、この曲を歌いたいというので、私に打診してきたわけです。他の伴奏者にピアノを弾いて貰ったこともあるようですが、作曲者自身のお出ましというのをひとつの呼び物にしたい意向のようでした。

 2日そのものは奇跡的に空いていましたが、その前の1日(土)は普通に仕事があります。ピアノ教室でのレッスンの仕事で、翌週の8日には上記のオペラのゲネプロが入っていて休まざるを得ませんので、休みを連続させるわけにはゆきません。
 また3日(月)には、オペラのオケ合わせが入っています。こんな状態だと、飛行機を使ってとんぼ返りをするしかありません。
 しかし、いままで何度も書いているとおり、私は飛行機が嫌いで、できることなら乗りたくありません。それにせっかく高松まで行って飛行機で戻ってくるのではつまらな過ぎます。
 幸いなことに、3日のオケ合わせには、私が立ち会わなくても特に支障は無さそうな様子でしたので、この日は休みを貰うことにしました。
 結局、1日の仕事を終えた後、寝台特急「サンライズ瀬戸」で高松へ向かい、2日の演奏会とその打ち上げに出たあと、泊まらずに、しかし一日かけて帰ってくるという旅程を立てました。「サンライズ」についてはわりとすぐ決め、出かけたついでに手配しました。
 帰りはいろいろ迷ったのですが、高松〜神戸間の深夜便のフェリーを見つけ、これを使うことに決めました。神戸に早朝に到着することになります。そのあとは方法もよりどりみどりですので、その話になった時にご説明いたします。

 ピアノ教室のレッスンは、生徒がフルに来ると4時間ほどを要しますが、たいていはひとりかふたり抜けることが多くなっています。
 しかし、1日に限って、どうしたわけか全員ちゃんとやってきて、フルに労働しなければなりませんでした。
 レッスンを終えた後、東川口駅まで歩きます。くたびれている時は、バスを使いたいのですが、ちょうど良い時間の便がありませんでした。
 そのまま帰宅すれば20時くらいになるのですが、「サンライズ瀬戸」の東京発時刻は22時00分、家から余裕を見て行こうとすれば21時くらいには出なければなりません。1時間で出たり入ったりでは少々落ち着きません。といって、直行するのでは時間が余ってしまいます。
 そこで一計を案じ、赤羽でマダムと待ち合わせて夕食をとることにしました。なぜ赤羽かわかった人はなかなかJRの規則に詳しいと言えます。
 高松行きの切符は「東京都区内」発になっています。つまり23区内であればどこから乗っても同じ運賃で、距離計算は東京駅からなされます。赤羽は23区の最北の駅ですので、ここから乗ることにすれば、赤羽〜東京間はタダということになります。これがもし、家の最寄り駅である川口で落ち合ったとしたら、川口〜赤羽間の運賃130円を別に払わなければならなくなります。それで川口ではなく赤羽にしたのでした。
 また、マダムは川口池袋の定期券を持っているので、赤羽で乗り降りする分には運賃がかかりません。わざわざ出かけるのが億劫というのでなければ、お互い都合がよいわけです。
 舞台衣裳などを詰めたキャリーバッグは、教室まで持ち歩くのが大変なので、マダムに赤羽まで持ってきて貰いました。こういうことができるのは、結婚していて良かったと思う点ではあります。

 赤羽の京浜東北線乗り場でマダムと別れ、東京駅へ。
 「サンライズ」に乗るのは久しぶりです。確か植田くんのお父さんに招かれて小豆島の合唱団の練習を見に行った時が最後だったと思います。一昨年、大國和子さんの追悼演奏会で出雲へ行った時、「サンライズ出雲」をとろうと思ったら、なにぶんゴールデンウィーク真っ最中だったもので、全然空席が無くて断念しました。
 「出雲」「瀬戸」の両「サンライズ」は、東京〜岡山間は併結して走り、岡山で分割併合します。
 個室主体で、しかも「電車」寝台車である「サンライズ」が登場した時、これは寺本光照さんなどが提唱していた次世代型寝台車だと思い、やがては増備されて全国の主要路線に続々投入されるに違いないと信じたものです。
 従来型の開放寝台などは、プライバシーやセキュリティを重視するようになった最近ではもう時代遅れで、高い寝台料金を徴収するに価しないと思います。だから開放寝台は全部「ゴロンとシート」扱いにして寝台料金をとるのはやめるべきだと私は考えています。「あけぼの」などにある「ゴロンとシート」は、指定席特急券だけで乗れる代わりに、寝具のたぐいを一切備えていない開放寝台で、2回ほど乗ったことがありますがまったく不満はありませんでした。どうしても毛布やシーツ、枕や浴衣などが欲しいという客には、有料でそれらを貸し出せば済むことです。寝台料金をとるのならば、現在では最低限個室である必要があるでしょう。
 電車の寝台車というのは、いわゆる「月光」型の、昼夜兼行車輌583系という先駆がありましたが、これは昼間も座席車として使おうとして無理に設計したものだけに、いろいろと中途半端で評判が良くありませんでした。それでも、電車はモーター音がうるさくて寝台車には不向きだという先入観を打ち破ったのは大きな功績であったと思います。「サンライズ」はそれに続く電車寝台で、その意味でも次世代型と言えました。電車であればスピードも出せるし、鈍足の客車列車が主体であった寝台列車を、徐々に「サンライズ」型に置き換えてゆくつもりなのだろうと、私はJRのもくろみを推察していたわけです。これが九州夜行などにも投入されれば、「はやぶさ」「富士」などが「有明」「にちりん」から逃げ切れなくて途中で待避するようなぶざまな姿をさらさなくて済むようになるでしょう。鉄ちゃんとしては、客車列車が消えてゆくのは残念ですが、寝台列車の改革のためにはそれもやむを得ないだろう……と、先回りして納得したりしていたのです。
 ところが、「サンライズ」は一向に増備される様子も無く、そのままずるずると寝台列車が廃止される事態に陥ってしまいました。九州夜行は東京発着も関西発着も全滅、東北方面も「あけぼの」を残して全滅、あろうことか「銀河」まで廃止し、いまや定期の寝台列車はこの両「サンライズ」の他はわずかに「北斗星」「はまなす」だけになってしまいました。
 「銀河」が廃止されたのは、聞くところによると、電気機関車の運転士がJR東海から居なくなってしまったため(最後のひとりが定年退職したのでしょう)だそうですが、それなら余計、電車化して残すべきではなかったでしょうか。
 割り切れぬ想いを乗せて、「サンライズ瀬戸・出雲」は走りはじめました。
 私は通常、1時2時まで起きていることが普通なのですが、車輪の刻む心地よいリズムに誘われて、23時になるまでには寝入ってしまったようです。1時過ぎの浜松で一旦眼が醒め、トイレに行ったりお茶を買ったりして、豊橋を通過するあたりでまた眠りました。あとは5時半頃の姫路まで一度も眼を醒ましませんでした。
 その先は起きていたつもりですが、時々意識が遠ざかることもあったようです。岡山からはすっかり眼が醒めました。
 高松着7時27分。5年前に来た時に、高松駅の変貌ぶりにびっくりしたのでしたが、要するに昔の高松駅よりも駅が手前に移され、その跡地にシンボルタワーなどが建てられたということであるようです。
 9時くらいまで、その辺をうろうろしたり、上厠したり、朝食を食べたりして過ごしました。
 会場はミューズホールというところで、植田くんたちの結婚式はそこの式場で挙げられたのでしたが、結婚式場はやめてしまったようで、跡は駐車場になりました。しかし音楽ホールはまだ残っています。
 鉄道やバスで行くのは少々不便であるようで、タクシーでも拾うのが有効手段なのですが、正午くらいまでに入れば良いという話だったので、いざとなったら全部歩いても良いくらいの気分で、歩き始めました。小雨模様だったのがうっとうしかったのですけれども……
 途中の道を曲がり、商店街のアーケードに入りました。屋根がついているので小雨も気になりません。ひとつには、マダムが「うどんクッキー」なるものを土産に買ってこいというので、それを探したい気持ちもあったのでした。
 しかし、日曜の朝9時台とあって、商店街の店はあんまり開いていません。時折、これは、という感じの開いている店を覗きますが、うどんクッキーなるお菓子は見当たりませんでした。
 この商店街、おそろしく長いシロモノでした。あとで植田くんに言うと、
 「あそこ、長さだけは日本一なんですよ」
 と苦笑していました。丸亀町から田町へと名前を変えながら蜿蜒と続き、やがてついにJR高徳線の高架が見えてきました。その先はもう栗林公園です。結局うどんクッキーは見つかりませんでした。
 周辺地図を持っていたわけではないのですが、なんとなく方向を定めて歩いていると、やがて会場のミューズホールに着いてしまいました。まだ10時半くらいですが、距離は6キロ以上歩いた計算になりそうです。携帯電話についている万歩計を見たら、まさにそのくらいで、すでに1万歩をかなり過ぎていました。

 音楽会は、まず植田夫妻の弟子の発表会、それから従妹のミニリサイタルで、このパートの最後に「静かに訪れて」を歌います。それで終わりではなく、最後に植田くんが教えている高松西高校の合唱部のミニステージがあります。かなり長時間を要する構成でした。関わる人数も多いのですが、控室が少なくて、私は第1部の生徒さんたちと同じ大部屋で待機することになりました。女性が着替える際にはその都度外へ出ていなくてはなりません。
 プログラムを見たら、植田夫妻の長男と次男も出演するようなので驚きました。長男は歌を歌い、次男は2人ほどの伴奏をするようです。上は高1、下は中3で、もうそんなになるかと感嘆しきりでしたが、まあ考えてみると夫妻の結婚式がもう18年前です。もうひとり小5の三男が居るのですが、彼はまだ舞台に乗るには早いということのようです。
 開演しばらく前に、マダムからメールが届きました。マダムは植田夫人である私の従妹の弟──つまり私の従弟ですが──とミクシィ友達で、ちょくちょく通信をやりあっているのですが、その従弟からの情報として、両親──すなわち私の伯父伯母ですね──が朝から高松に向かったという話を伝えてきました。札幌からはるばる、孫と娘の舞台を観に足を運んだようです。札幌から高松の直通便というのは昔はあったのですが、いまは廃止されてしまったため、羽田で乗り換えての大移動だったのでした。
 マダムからの情報のおかげで、開演前に客席へ行き、伯父たちに挨拶することができました。ついでに子供たちの演奏と、もう何人か聴いてから控室に戻りました。なかなか達者に歌ったり弾いたりしていました。
 肝心の「静かに訪れて」ですが、よりによって本番でちょっとした事故がありました。プリンターで打ち出した譜面を糊づけして製本し、それを使っていたのですが、前々日に製本したばかりであったのが悪かったか、その時に限って──つまりリハーサルではなんともなかったのに──、ページをめくろうとしたら2枚いっしょにめくれてしまったのです。あわてて1枚戻そうとしたら、またもや2枚いっしょに戻ってしまいました。そんなに手の空いている箇所ではなく、かなり音が抜けてしまったのでした。
 その場の仕儀としてどうしようもないことではありましたが、私の落ち度に違いはありません。聴いていた人にはあんまりわからなかったかもしれませんけれども、私個人として少々面目を失った気分でした。歌のほうは手慣れたもので、
 「相当長い曲なのに、ほとんど憶えてるものだね」
 と従妹は言っていました。
 ラストステージの合唱は相当にレベルの高い合唱部で、何しろ人数が多いのがうらやましい限りでした。無伴奏の曲でも無調の曲でも危なげなく仕上げていて、植田くんの指導よろしきを得た成果でしょうが、合唱団固有の実力もかなりのものだと思います。曲数は少なかったものの、聴きごたえのあるステージだったのではないでしょうか。

(2013.6.3.)

II

 6月2日(日)高松での音楽会を済ませたあと、打ち上げにも参加しました。復路も「サンライズ瀬戸」であったり、あるいは飛行機で帰るとかいうことであれば、打ち上げに参加する時間は無かったでしょう。深夜便の船ということにしたのは正解だったと思います。もちろん、高松で一泊すれば良いだろうと思う人が多いでしょうが、そうなるとホテル代が別にかかったり、チェックインやチェックアウトの手間がかかったりと、また面倒になります。
 出演者の打ち上げと言うより、スタッフの打ち上げという面が強かったようです。この日の裏方は「ウエッティ企画」という団体のメンバーが受け持っていたのですが、これはなんのことはない、主催者の植田くんが個人で集めた合唱団で、毎週自宅で練習をおこなっているんだそうです。まだ結成1年だそうですが、すでにあちこちのコンクールに出場して好成績を収めているとか。
 そんな団体ですから、当然ながら歌いたくてたまらず、しかしこの日の音楽会では裏方に徹していて自分たちが歌う機会は無かったものですから、打ち上げは後半に行くに従って彼らのフラストレーション解消の場になりました。つまり、いろんなレパートリーを片っ端から合唱しはじめたのでした。私も一曲だけ参加しましたが、アマチュア合唱団の飲み会特有の、ひたすら声を張り上げる様相に辟易して、自分の席に逃げ戻りました。
 近くの席に、伴奏を務めたピアニストがふたり坐っていたので、私は主に彼女らと話していました。ふたりとも愛知芸大の出身で、愛知芸大には「四芸祭」の関係で何度か足を運んだことがあります。四芸祭というのは東京・愛知・京都の芸術大学と、金沢美術工芸大学の4校の合同イベントで、毎年持ち回りで開催しています。私はたまたま東京大会の時の副委員長を務めていたもので、思い入れもひとしおでした。その翌年が愛知大会で、この2回は私が中枢に居て経験したことになります。ピアニストのひとりは、私よりは後ですが四芸祭でわりと積極的に参加して愉しんだらしく、その話題でひとしきり盛り上がりました。
 その委員をしていた頃に仕入れた話ですが、愛知芸大は「小牧・長久手の戦い」長久手にあり、敷地がまさに古戦場跡なもので、いまでも時々合戦の物音や落ち武者の悲鳴などが聞こえると言うのでした。ふたりともその噂は知らなかったと言いましたが、
 「あ、でも、前にあるテレビ番組で、霊のスポットの特集か何かやってて、霊能者が愛芸の門の前まで来て『これ以上はとても中に進めません』なんて言ってましたね」
 とのこと。

 打ち上げ会場は演奏会場の近くの、去年できたばかりというイタリアンレストランでしたが、なかなか味が良く、量もたくさんですっかり満腹しました。
 19時半頃お開きとなりました。外に出ると、もちろん陽は暮れていましたが、まだ微妙に薄ら明るい感じで、だいぶ西に来たことを実感します。
 さて、船が出るのは深夜の1時ですので、まだだいぶ時間があります。それまで植田くんの家にお邪魔することにしました。夫婦ともだいぶ疲れているようだし、翌日は普通に仕事もあるので、やや心苦しかったのですが、まあまったくの他人というわけでもないので、お誘いに応じることにしました。もっとも、彼らの家を訪ねるのはこれが初めてです。
 従妹は子供たちを乗せて自分のクルマで帰り、私は植田くんのクルマに同乗させて貰いました。ひとり1台必要な地方ではあります。
 マダムに言いつかっていた「うどんクッキー」が気になるので、高松駅に寄って貰い、土産物などを売っているビッグキオスクを覗いてみました。打ち上げの時にまわりの人に訊いてみたのですが、うどんクッキーなんてものは誰も知りませんでした。マダムのメールには
 「超有名だよ」
 と書かれていましたが、地元の人が誰も知らない「超有名」名産品というのも、何やらうさんくさい気がします。
 土産物売り場にもやっぱり無く、ちょっと近いであろう「うどん煎餅」で勘弁して貰うことにしました。「超有名」なら駅の土産物売り場に無いはずがありません。帰ってマダムに会うと、うどんクッキーのメーカーのことを調べていたらしく、「滝宮」にあるお店だと言いました。滝宮は高松琴平電鉄(琴電)に40分以上乗って行った場所です。そもそも高松市内ですらありません(綾歌郡綾川町)。うどんクッキーは銀座のアンテナショップでも買えるとのことですが、たぶん何かのテレビ番組で扱われた程度のことで、「超有名」というのは言い過ぎと思われます。
 とりあえず土産物を買い込んで植田宅に向かいました。フェリーの乗り場は、駅からはだいぶ離れていて、送迎バスが出ているくらいなのですが、植田宅に面している道路をひたすらまっすぐ行けば着くという場所であるようです。
 暗くて周囲の様子はよくわかりませんでしたが、香川県下の溜池で3番目に大きいとされる「三郎池」の近くに植田くんの家がありました。いちばん大きいのは空海が拓いたことで有名な満濃池ですが、2番目とされる溜池は時代によってちょくちょく変わっていたにもかかわらず、どうしたわけか3番目の座は三郎池が不動であるのだそうです。
 家はなかなかの豪邸で、27畳分とかいう大きなスタジオを備えていました。なるほどこれなら自宅で合唱団を抱えられるわけです。
 音楽会で届けられた花束などをそのスタジオに放り出してありましたが、私の家だったらひと部屋まるまる潰れてしまうほどの量でした。まったくうらやましいくらいの広さです。
 23時過ぎまで積もる話などしていて、それから心苦しいながら港まで送って貰うことにしました。

 深夜便ではあるし、少し早く、例えば零時頃から入港して客を乗せてくれるのかと期待したのですが、そういうわけにはゆきませんでした。神戸発20時15分という便が折り返すことになっており、この航路は所要時間がちょうど4時間ほどです。早くとも零時15分にはならないと入港はしませんし、ジャンボフェリーという名称どおり非常に大きなフェリーなので、積載したクルマを下ろしてあらたな乗客を迎え入れるまでも手間がかかります。
 四国にはすでに本州とつながる3本もの橋が架かっており、フェリーを使う人がそんなに多いのかと疑っていたのですが、船着き場に到着して納得しました。乗船を待つクルマのたまり場に大型トラックの姿が非常に多いのです。大型トラックになると、橋の通行料よりフェリーの運賃のほうが安いのかもしれませんし、長距離を走る場合は運転手としても少しでも休みたいと思うでしょう。瀬戸内海のフェリーは、まだ全然、役目を終えたわけではないのでした。
 この神戸〜高松便のジャンボフェリーは、外洋航路並みに大きな船で、客室は5層にもなっています。人気があるのは、横になることができる床席です。青函連絡船を思い出しました。
 前の晩も寝が足りていないのと、音楽会の出番前に服んだドリンク剤の効力が切れてきたのとで、どうも先ほどから軽い頭痛がします。4時間とはいえしっかり眠りたかったので、私も床席を目指しました。
 ところが床席があるのは4層目で、船内にエレベーターは無く階段で上がらなければなりません。乗船の時のタラップもかなりな高低差でしたし、立て続けに階段を昇っていたら、頭がガンガンと痛くなってきました。いつも旅先には頭痛薬を持ってきているのですが、今回に限って忘れてきています。とにかくさっさと横になろうと思いました。
 シーズンオフではあり、そんなに混んではいません。楽々とからだを伸ばせました。しかしすぐに眠れるかと思ったのですが、頭痛のせいでなかなか寝付けないのでした。首筋が烈しく凝っているようです。
 1時間あまり、寝返りを打ちながらゴロゴロしていました。眠ったのか眠ってないのかよくわかりません。尿意を覚えたのでトイレに行きましたが、これがまたその層には無くて下の階へ下りなければならず、戻る時に階段を昇ったらまた頭痛がぶり返しました。どうもいけません。
 しかし、そのあとはなんとか眠れたようです。到着間近を告げる船内アナウンスで眼が醒めました。2時間半ほどは眠ったことになりそうです。それも睡眠時間としてはわずかなものでしたが、起きてみると幸い頭痛はおさまっていました。
 埠頭に入るのに少し手間取ったようで、5時ジャスト到着の予定が、5時10分くらいに下船となりました。夜明けの神戸の街に下り立ちます。

 クルマがある人は別として、ほとんどの乗客は、三ノ宮駅へ向かうバスに乗り込みました。私は少し歩いてみたかったので、バスに背を向けました。歩いても20分とはかかりません。同じように歩く人も居て、方向は迷わずに済みました。
 神戸の桟橋から、国道2号の交差点まで、国道174号を歩きますが、これは実は「日本一短い国道」として知られています。全長わずか187メートルに過ぎません。歩いても3分ほどで踏破できます。ただ道幅は広く、11車線だそうです。
 国道2号を渡ると、あとはフラワーロードという、三ノ宮駅前からのメインストリートとなります。途中に神戸の象徴というべき花時計があるのでフラワーロードと呼ぶのでしょう。
 西側には公園があったり、震災のモニュメントがあったりして、それらをちょこちょこと眺めながら歩いたので、わりに時間がかかりました。頭痛はおさまったのですが、寝不足であるせいか、歩いているとそう暑くもないのに変な汗をかくようです。
 市役所の脇を過ぎ、花時計を見ると、もう駅は間近です。それにしても、市役所をはじめ重要な官庁などみんなこの辺にあるのに、なぜここの駅が「三ノ宮」であって、「神戸」駅がここから2つも西に行ったところにあるのかが不思議です。兵庫県庁も神戸駅近くではなく元町駅が最寄りですし、これは言ってみれば、いまの東京駅が例えば「丸の内」というような駅名で、それとは別に錦糸町あたりに「東京」という名の駅があるみたいなものですから、不自然なこと甚だしいものがあります。初登場した頃の新快速は、確か三ノ宮には停車して神戸を通過していたような記憶があります。
 最初に鉄道を造った時に、神戸駅をいまの場所にしてしまったので仕方がないのでしょうが、よそ者からするとどうも不合理に思えてなりません。

 さて、私はJRの三ノ宮駅ではなく、その手前の阪神電車三宮駅に入りました。三ノ宮と「ノ」が入るのはJRだけで、阪神も阪急も地下鉄も、表記は全部「三宮」です。そういえば東京の四谷も、JRの駅は「四ッ谷」で地下鉄は「四谷」でした。
 神戸からの帰りかたは、東京までJRを使わないという方針です。もっとも後半は東名高速バスなのでJRグループではありますが、そこは仕方がありません。
 昔は鉄道もバスも国鉄のを使わずに東京〜大阪(実際には姫路まで可能)を一日のうちに移動するということができました。宮脇俊三さんが『旅の終りは個室寝台車』の中でチャレンジしています。その頃は、新宿から小田急新松田まで行くと、そこから沼津行きのバスがあり、沼津から静岡まで、静岡から浜松までも民営の高速バスが走っていたのでした。浜松〜豊橋間は少々苦労したようですが、三ヶ日あたりで乗り換える路線を発見してクリア、豊橋まで出ればあとは名鉄近鉄の太い流れに身を任すのみ、という行程でした。
 これを読んで、私も真似をして試みたことがありますが、私がチャレンジしようとした頃には、新松田〜沼津のバスも、沼津〜静岡のバスも廃止されており、グダグダになってしまいました。静岡〜浜松の静岡鉄道・遠州鉄道共同運行の高速バスはその後もしばらくは残っていて、何度か利用したことがありますけれども、いまはもう撤退してしまいました。
 現在では、各社が運行している夜行バスなどを使えば、JR抜きでの東京〜関西移動などは簡単になりましたが、逆に日中にそれをやろうとすればほとんど無理でしょう。
 今回はそんなに凝る気もなかったので、後半はあっさり東名高速バスを使うことにした次第です。
 阪神の三宮から、直通特急に乗って尼崎まで行きます。平日ですが、まだ朝早いので、混んできたのは最後のほうだけでした。阪神は長らくロングシート車しか走らせていませんでしたが、山陽電鉄との直通特急を走らせることになってから、初めてのクロスシート車を導入し、この点ではライバルの阪急よりもまさるようになりました。阪急のクロスシート車は京都線だけで、神戸線には使われていません。
 もっとも全部の直通特急がそうなっているわけではなく、運が悪ければロングシートに当たってしまうこともあるのですが、幸いやってきたのはクロスシート車で、尼崎まで快適に乗車できました。それにしてもかなりちょこちょこと停車しているようで、JRの新快速との競争は諦めて快速をターゲットにしている感じです。
 尼崎でなんば線の快速急行に乗り換えました。近鉄に乗り入れてそのまま奈良まで行く電車です。私の乗ったのは近鉄車でした。
 もうそろそろラッシュアワーのはずですが、そんなに混んではきません。立っていた客も桜川あたりで下りてしまい、難波に着く時にはガラガラに近くなっていました。
 私は上本町(最近の正式名称は大阪上本町)で一旦下車しました。近鉄大阪線の電車は上本町から発車するからです。難波発着電車の乗り場と始発電車の乗り場が地下と地上に分離している上本町で下りなくとも、鶴橋まで行けば同一のプラットフォームで簡単に乗り換えられるのですが、大阪線の電車に起点から乗りたかったのと、このあたりで朝食をとりたかったのとで、一旦下りたわけです。
 JRを使わないことの他、今回はもうひとつ自分ルールを決めていました。特別料金の必要な列車に乗らないということです。と言ってもそのルールに関わるのは近鉄だけですが、近鉄の名阪特急には何度も乗っているので、たまには一般車で乗り通してみようと考えたのでした。
 ところが、近鉄の一般車はほとんどがロングシートです。長距離をロングシートで移動するのは少々しんどいので、たまに使われているクロスシート車に乗りたいと思います。また近鉄にはL/Cカーと言って、通勤時間帯はロングシートに、日中はクロスシートにとモードチェンジできる車輌もあります。
 そういうのが投入されているのは、まず一般最上位である快速急行であろうと考えました。
 それで朝のうちの快速急行を調べてみると、上本町8時15分発の宇治山田行きというのがあり、あとはなんと17時52分の松阪行きまでありません。快速急行という種別は奈良線のためのもので、大阪線ではあまり重視されていないことを知りました。
 ともあれその8時15分のに乗ることにして、食事を済ませました。
 駅に戻ると、間もなく電車が入線してきましたが、入線してきたのを見ると「準急」と表示が出ています。これが折り返して快速急行になるのです。これはどうも望み薄かな、と思って眺めていました。やはりオールロングシートです。ただ長距離用らしく一箇所だけトイレがついていて、そのトイレの脇だけボックスシートになっていました。
 トイレ側の窓は見えませんし、ボックスシートに乗りたいだけのためにトイレ脇に坐るのもどうかと思いましたので、仕方なく普通のロングシート部分に坐りました。まあ、通勤通学と逆向きなので、全行程を通じてずっと空いており、山手線にずっと乗っているかのようなやりきれない苦痛は感じずに済みましたが。

 快速急行電車は、鶴橋を出ると、五位堂までの26キロをノンストップで走り抜けますが、あとはちょくちょく停車してゆきますので、名阪ノンストップ特急に乗っているのとはまた違った車窓の印象を受けました。
 この頃の近鉄は、駅名の表示やアナウンスで、接頭辞をちゃんとつけるようになりました。以前は時刻表には「河内国分」「大和高田」「大和八木」「伊勢中川」などと書いてあっても、駅の表示も車内アナウンスも、「国分」「高田」「八木」「中川」で済ませていたものですが、いつの頃か方針を変えたらしく、正式名称で言うことになったようです。大和八木駅の駅名板など、何やら修正した痕がはっきり残っていたので笑ってしまいました。上述の「大阪上本町」もしっかり言っていましたし、「近鉄日本橋」なども同様です。阪神と相互乗り入れをはじめて、いままでの沿線の外の利用者が増えそうだからということで改めたのかもしれません。
 快速急行は一般車最上位ですが、やはり特急からは逃げ切れず、名張で2本まとめて追い抜かされました。ただ、この辺が近鉄の列車運用のうまいところで、漫然と待っているのではなく、この待ち時間のあいだに車輌の切り離しをおこないます。名張より先は10輌もの電車を走らせるのは無駄なので、ここで4輌切り離して6輌で先へ進むわけです。
 名張から先は山間部に入って車窓も楽しく、ずっと眺めていたかったのですが、寝不足はいかんともしがたく、時々意識が飛びます。伊賀神戸駅は知らないうちに通り過ぎていましたし、民鉄最長の青山トンネルを通り抜けたのも気がつきませんでした。榊原温泉口でようやくはっきりしましたが、その次の停車駅はもう乗り換える伊勢中川です。
 名阪特急用の連絡線を左に分けると、まもなく伊勢中川に到着しました。名古屋行きの急行電車は隣に着いています。伊勢中川駅は、すべての線が左右どちらにでも下りられるようになっており、乗り換えが非常に便利な駅です。場合によっては、停まっている電車を通り抜けてその向こうの電車に乗り換えるという芸当さえできるのでした。交通量の多い駅だと難しいかもしれませんが、ここまで「乗り換えやすさ」を徹底した駅は他に知りません。
 名古屋線急行は、まぎれもなくL/Cカーでした。ところがなんとしたこと、もう通勤時間帯ではないのに、ロングシートモードのままになっているではありませんか。モードチェンジするのが面倒だったのかどうなのかわかりませんが、これにはがっかりしました。しかもいままで乗ってきた大阪線の快速急行と違って、けっこう乗客が多くなっています。坐れないということはありませんでしたが、この状態だと山手線気分が強くなります。
 名古屋線は大阪線に較べて簡素な駅が多く、特急で走り抜けると駅名さえよく読み取れないということが多いのですが、停車駅の多い急行で走ると、各駅の様子が少しよくわかりました。
 名古屋着11時26分。3時間10分ほどの旅でした。ノンストップのアーバンライナーよりは約1時間、普通の乙特急よりは30分ばかり余計にかかりましたが、これはこれで面白かったと思います。

 名古屋ではすぐに名鉄の特急に乗り換え、国府(こう)で下ります。豊橋まで行かずに国府で下りたのは、豊川に行こうと思ったからでした。東名高速バスには東名豊川から乗ります。豊橋からでも行けますが、せっかくだから豊川稲荷に参詣し、昼食も済ませたいと考えたのでした。
 名鉄豊川線は、名鉄で残った最後の「軌道」です。名鉄はかつては多くの「軌道」を持っていましたが、岐阜市内線をはじめほとんどは廃止されてしまいました。
 ただし、豊川線は「軌道」という言葉から思い浮かべる路面電車のようなものではなく、見た目は名古屋本線その他の「鉄道」とまったく変わりません。歴史的な経緯から法規上の扱いが「軌道」になっているという、ただそれだけのことです。
 わずかな距離の単線の路線ですが、途中で2回も行き違いがありました。真ん中の諏訪町駅だけ行き違いができない片面駅になっていますが、駅で行き違えない代わりに、すぐ近くに信号所が設置され、そこで交換できるようになっていました。単線としては相当に列車密度が高いと思われます。
 12時42分、豊川稲荷駅に到着。民鉄の旅はここで終わりです。

 豊川稲荷にははじめて参拝しましたが、想像以上にキツネにこだわっていて思わず笑ってしまいました。いろんな人が寄贈したキツネの石像が所狭しと並んでいます。並べておきながら「○○の寄贈した像には触れないで下さい」などとゴーマンかましているのもありました。また、「千本幟(のぼり)」というのもここの特徴で、境内の通路の両脇にびっしりと商売繁盛などを祈念した幟が立てられています。1000本どころではなさそうです。
 参拝は、つい神社式の「二礼二拍手一礼」でやってしまいましたが、実はここは正式には妙厳寺という曹洞宗のお寺だとあとで知りました。大きな鳥居を立てていたりしますし、間違えられるのも無理はないでしょう。お寺でも鳥居を立てる黄檗(おうばく)というのもありますがそれではなく、また稲荷信仰と習合した女神「荼枳尼(ダーキニー)からなんとなく予想される真言宗でもなく、曹洞宗だというところがまた意表を衝いています。曹洞宗というのはこの種の偶像崇拝を厳しく排除しているものとばかり思っていました。すっかり神仏混淆してしまって、明治の神仏分離の時にも分けようがなかったのかもしれません。
 「いなり寿司」はここが発祥の地です。一種の精進料理として寺で作っていたのか、それともお稲荷さんにちなんで門前の茶店ででも作られたのか、ともかく甘辛く煮付けた油揚げに酢飯を包むという簡便なレシピが受けて、いまや全国で食べられるようになりました。
 参道の店のひとつで昼食にしました。せっかくだからいなり寿司を食べたいと思いましたが、他のものにも食指が動き、結局「まぶし稲荷きしめん」なるセットを頼みました。「まぶし」というのはひつまぶしのことで、これもこのあたりが発祥です。きしめんはもちろん愛知県の特産です。いなり寿司の上に、ウナギの蒲焼きの小切れが乗っているというものでした。少々生臭物を加えてしまったことになりますが、おいしくいただきました

 豊鉄バスで東名豊川駅へ向かいます。豊鉄バスの東名豊川着は14時36分、東名高速バスの豊川発は14時40分なので、これは明らかに接続を意識しているはずなのですが、鉄道と違ってバスの場合は、4分しか乗り換え時間が無いというのは少々不安です。
 はたして、豊橋から走ってくるまでに1、2分遅れており、それを取り戻さないうちに長い信号にぶつかってしまったりして、ちゃんと乗り継げるか心配なタイミングになってしまいました。間違えないように高速バスの乗り場を運転手に訊ねたところ、運ちゃんがとぼけた男で、豊川駅方面へ帰るバスのことを訊かれたのかと勘違いして変なことを言い始めます。
 ようやく問答にらちがあいて、道路を横断する地下道を抜けて反対側に行けば良いとわかり、大あわてで地下道を走り抜けて階段を駆け上がったら、ちょうど高速バスが停車したところでした。もう数十秒遅れたら、高速バスはそのまま行ってしまったでしょう。
 猛ダッシュしたら、今朝はおさまっていた頭痛がまたぶり返して、席についてしばらくは眼がくらんでいました。豊鉄バスはもう少し余裕のある接続を図って貰いたいものです。
 バスは「スーパーライナー」で、「超特急」と謳っていますが、それにしてはずいぶん停車駅が増えました。そもそも以前は東名豊川など停まっていなかったように思います。「ドリーム号」と同じ、ダブルデッカー・独立三列シートの車輌を使っているものをスーパーライナーと呼んでいるだけであって、停車駅だけならちっとも「超」ではなくなりました。
 そのけっこう多い停車駅で、乗り降りもけっこう多いのが驚きでした。乗車率は東京までずっと25%前後くらいなものでしたが、入れ替わりがかなり激しかったのです。私の乗った豊川とか、静岡、御殿場などのように、高速道路から一旦下りたインターチェンジのあたりに駅があるならともかく、高速道路のまっただ中まで乗りに来たり下ろされたりしてどうするんだろうと前から思っていました。しかし意外と、そういう使いかたをする人は少なくないようです。
 二日続きの寝不足が出て、バスではかなりぐっすりと眠りました。
 途中、5分ほど遅れているということでしたが、首都高速が珍しく空いていたのか、東京駅に到着したのは予定時刻より6分早い19時10分でした。
 かくて、少々あわただしい、しかし新幹線や飛行機ばかり使っている人から見ればのんびりした高松への旅は終わりました(従妹はそういう人で、私の旅程を聞くといつも心底あきれた顔をします)。本当なら、ついでに四国の他の部分に足を伸ばすとかしたいものでしたが、何しろ日程的余裕がなくて、帰り道を工夫するくらいしか遊びの余地が無かったのが残念です。

(2013.6.4.)


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