夢想の鉄道

 私の趣味はいろいろあるのですが、そのひとつに「架空鉄道」というのがあります。
 鉄道マニアの少年が一度はハマる──とまでは申しませんが、けっこうやっていた人は多いのではないでしょうか。
 実際には線路の敷かれていないところに架空の線路を敷き、好みの列車を走らせるのです。はじめの頃は地名そのものも架空だったりしましたが、そのうち実在の土地に敷設するようになりました。
 そんなことをして一体何になるのかと言われては、返す言葉がありません。なんにもならないからこそ「趣味」なのではないかという気もします。実益を兼ねた趣味というのは、どこか不純ではないでしょうか。
 小学生くらいの頃には、そこそこ同好の士が居たりします。2歳年下の従弟なども、私と一緒になって架空の路線図を書いたりしていました。しかし、それが中学生高校生になっても続けているとなると、少々発育の程度を疑われるかもしれません。

 が、私は高校生くらいになっても、この趣味をひそかに続けていました。
 そのくらいの齢になると、発想も大がかりになってきます。国内に存在する私鉄をすべてつなげ合わせて、全国的な路線網を構築したりしました。国鉄=現在のJRはこの場合全く仲間に入れず、ただ国鉄との接続駅には架空の準急や快速なんかを停めたりするのでした。
 「私鉄全線全駅」というムック版の本があって、それは参考書としてボロボロになるまで読み耽りました。既成の私鉄が無い地域には新たに敷設しますから、分県の日本地図帳も詳細に眺めました。今ならYahooやGoogleの地図を使ったでしょうが、当時は書籍になった地図帳しか持ち合わせがありません。
 「私鉄全線全駅」と地図帳を左右に置いて、私はひたすら、わら半紙を横長に綴じたノートに路線図を書き続けました。色鉛筆で準急や快速、そして急行・特急などの停車駅を示します。
 当然ながら、親には小言を言われました。今となっては当然だと思います。高校生にもなった息子が、あいも変わらずそんなことにうつつを抜かしていたら、心配になるのも無理はありません。日本地理に強くなる以外に、なんのメリットも無さそうです。それでも私は親の眼を盗んで、この作業を続けました。

 例えば東京から大阪に向かう路線。この路線に活用できそうな既成私鉄は、まず小田急静岡鉄道名鉄近鉄というところです。京急も使えそうですが、東京近郊の私鉄では小田急がいちばん西まで行きますので、メインルートとなります。
 新宿から小田原まで、小田急の路線をそのまま活用し、小田原から清水までは地図帳と首っ引きで新設してゆきます。清水から静岡までは静鉄を使い、静岡から豊橋までは再び新設路線となります。豊橋からは名鉄、そして名古屋から近鉄を使って大阪までの一本の路線を作り上げます。この大幹線の途中にある地方私鉄、例えば伊豆箱根鉄道伊豆急岳南鉄道大井川鐵道遠州鉄道豊橋鉄道などはすべて支線ということになります。
 名鉄の名古屋以北も活用します。近江鉄道京阪阪急などとつないで、名阪間の北廻りルートとします。
 中央ルートとしては、京王を出発点とします。関越方面には東武東上線、東北方面には東武伊勢崎・日光線、常磐方面には京成などが活用できます。
 関西のほうでも、南海を紀伊半島方面へ延ばし、神戸電鉄あたりを活用して山陰方面へ延ばし、山陽電鉄広島電鉄をつないでさらに九州へと、文字通り日本中に、国鉄よりさらに稠密な路線網を築き上げました。
 ここには縦横に準急や快速が走ります。急行や特急は、当時すでに国鉄でもだいぶ凋落が始まっていましたが、私の夢想の中の鉄道ではあくまで格の高い存在で、長距離を走破します。
 車輌マニアではなかったので、どんな車輌が走るかまでは設定しませんでしたし、さすがにダイヤを組むところまではしませんでしたが、全国に路線を張り巡らせ終えた時には、我知らず感動を覚えました。何度か構想を練り直し、書き直したあとのことだったので、余計に達成感が大きかったようです。
 もちろん、実際には何も達成していません。妄想が完成したというだけのことです。
 まったく、われながら、よくやったものだと半ばあきれます。

 全国版の架空鉄道を敷き終えたところで、ひとまずこの趣味からは脱したように思いますが、浪人中だったか大学に入ってからだったか、ちょっとだけ再燃したことがありました。
 今度はさすがに全国版などという大それたことは考えませんでしたが、当時はゆいレールがまだ通っていなかった沖縄に鉄道網を敷いたら、という考えでした。
 それまでは駅だけ設定すれば気が済んでいましたが、私も成長しており(?)、今度は沖縄県の大きな地図を買い求めて、細かい駅間距離も算出しました。さらに勾配なども考慮して、各区間どのくらいの時間で列車が走れるかといったことまで設定しました。
 そしてついに、方眼紙を用いてダイヤを組み始めたのでした。考えた路線網の、いちばん主要な部分(確か那覇名護)だけでしたが、一応パターンダイヤを組み上げた記憶があります。以前のように雑多な種別は走らせず、準急・急行・特急という整然としたものになりました。
 それが本当に最後だったと思います。私は「架空鉄道」の趣味を卒業しました。

 ところが、最近になってまたちょっと昔の虫が疼きだしています。
 ウィキペディアの体裁を真似た「Chakuwiki」というサイトがあるのですが、ここに「勝手に鉄道建設」なるコーナーがあって、なかなか盛況です。架空鉄道の同好の士はやはりかなり居たのだとわかって、なんだか愉快になりました。
 まったくの新路線というのは少数派で、どちらかというと既成鉄道の延伸などをしているケースが多いようです。
 私もいくつかやってみました。京王相模原線富士五湖方面にまで延長してみたり、東武東上線渋川まで延ばしてみたり。東海道新幹線の直下に、埼京線みたいな通勤新線を設置したこともありますし、関東鉄道の各線(廃止された鉾田線筑波線も復活させて)を延長してネットワーク化してみたこともあります。
 今はそれこそ、YahooやGoogleのweb地図があるので、どの辺に駅を設置するかということもかなり詳しく考えることができます。
 作業していると、これが楽しいんですね、やっぱり。
 さすがに昔のように、何日もかけて、暇さえあればやっているというほどのことはありませんが、やっている間は時間を忘れます。

 最近は、札幌急行電鉄というのを作ってみました。
 札幌近辺にじょうてつバスというのが走っていますが、これはもともと、定山渓鉄道という私鉄会社でした。私が札幌で生まれ、住んでいた頃にはまだ列車が走っていましたが、私が物心つく頃には廃止されてしまいました。
 廃止する少し前、定山渓鉄道は東急の傘下に入り、経営指導を受けていたそうです。東急は定山渓鉄道の様子を調査し、結局は廃止が適当という結論を出すのですが、その前になかなか遠大な構想を立てていたことを、ウィキペディアの定山渓鉄道の項目を眺めていて知りました。
 定山渓鉄道は函館本線白石を起点とし、札幌南郊の温泉地である定山渓まで走っていました。一部は現在の地下鉄南北線と似たルートを走っている部分もあります。定山渓からさらに奥へ行くと、洞爺湖方面へ通じる中山峠に達します。東急は、定山渓鉄道を中山峠まで延伸する計画を持っていたというのです。
 また、もうひとつの札幌近郊私鉄であった夕張鉄道との間に連絡線を新設し、直通運転をおこなうというプランもあったとか。
 こうなると定山渓だけを目的とした鉄道ではなくなるので、東急(東京急行)にちなんで、札幌急行鉄道という新社名まで考えられていたそうです。
 実際に交通量調査などをしてみると、札幌のクルマ社会の浸透が予想外に急速で、巨費を投じて延伸や連絡線建設をおこなっても、あまり利用者は居ないだろうということになり、札幌急行は計画倒れとなりました。
 そして間もなく、定山渓鉄道も夕張鉄道も、姿を消しました。1970年代はじめ頃のことです。
 かくて、札幌は私鉄の無い都市となりました。JRの他、地下鉄と路面電車がありますが、いずれも市営で、民間企業ではありません。
 札幌市は現在、東京・横浜・大阪・名古屋に次いで全国第5位の人口を持つ都市です。上位の4都市はいずれも私鉄が非常に発達していますし、6位の神戸、7位の京都、8位の福岡、9位の川崎と、いずれも私鉄が大きな存在になっています。10位のさいたま市に至ってようやくあまり私鉄に依存していない印象の都市となりますが、それでも東武野田線があり、その他に第三セクターとして埼玉高速鉄道・埼玉新都市交通が通っています。
 こうして見ると、私鉄がひとつも無い札幌市は珍しい都市だという気がします。
 もちろんその理由は、東急が断念した事情の通り、クルマ社会にどっぷりと漬かってしまっているからです。それに加え、私は何度か書いたことがありますが、北海道民は鉄道に対する愛着が稀薄です。隣の東北地方のように「悲願何十年」というような路線はほとんどありません。だからローカル線廃止もきわめてすんなりと運びました。こんなところに、新たに鉄道を敷こうとする民間企業は現れないでしょう。
 しかし、札幌周辺の道路渋滞はかなり深刻になってきていますし、地下鉄はけっこう利用されています。いつまでもクルマ社会のままでいいのかという反省も生まれていないわけではありません。
 同じくクルマ社会が定着していて、利用者は少ないだろうという意見があったつくばエクスプレスが健闘しているところを見ても、速く、頻繁に運転する鉄道があれば、クルマからシフトする人も居るものです。定山渓鉄道も夕張鉄道も、のろい列車がたまにしか来なかったから使われなくなっただけのことです。
 そう考えてみると、札幌急行の構想をもういちど再検討しても良いのではないか、と思いました。
 さすがに私も大人になって、これだけの前提条件を揃えて、ようやく架空鉄道の敷設にとりかかったのでした。やみくもに地図上に線を引く無邪気さは、もう持ち合わせていないようです。
 札幌駅周辺はJRと地下鉄に任せ、新札幌駅にターミナルを置くことにしました。そのほうが定山渓と夕張双方につなげやすいし、千歳空港から来るにしても便利になります。
 旧線で活用できるところは活用します。幸いウィキペディアには、廃止された路線や駅の項目もあるので、どのあたりにあったのかもよくわかります。
 ターミナルを変えたことで新設しなければならない部分もありますが、できるだけ地下鉄と連携が取れるようなルートを考えました。定山渓線夕張線、それに丘珠空港を経由して石狩市役所あたりまで行く石狩線というのを設置しましたが、出来上がってみると地下鉄各線の終点駅をすべてフォローしていることに気がつきました。
 ダイヤまでは引きませんが、急行が一時間何本だとか、どこ行きの普通列車が何本だとかは考えてみました。急行が普通を追い越せる駅はどこか、折り返せる駅はどこか等々。
 東急に倣って沿線の不動産開発に力を入れ、今はただの農地になっているあたりをおしゃれな田園都市にしたらどうかとか、要所要所に大きなショッピングモールを併設したらどうかとか、闇雲に路線網を拡大するばかりだった昔と較べると、いろいろディテールにこだわるようになりました。
 もちろん、実現する可能性は万に一つもないでしょう。やっていることはあいかわらず妄想に過ぎません。
 しかし、なんとなく贅沢な時間を過ごしているような気がしてしまうのは、私のひいき目というものでしょうか。

(2011.9.18.)


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