7.地底湖のある洞窟


 岬と共に好きな地形が、洞窟である。
 「日本三大洞窟」というのがある。山口の秋芳(しゅうほう)、高知の龍河(りゅうが)、そして岩手の龍泉(りゅうせん)である。私はその全部に行ってみた。
 秋芳洞は、バスでも行けるが、私は小郡駅でレンタカーを借りて行った。秋芳洞は単独の景勝地ではなく、奇怪な風景で知られる秋吉台カルスト地帯の中にあるし、大正洞景清(かげきよ)洞など、付属するいくつかの洞窟もあり、それらを自由に廻ってみたかったからである。
 さすがに日本最大、世界でも最大級と言ってよい鍾乳洞だけあって、スケールが大きい。洞穴と言うよりも、巨大な地下宮殿のような趣がある。支洞もたくさんあり、おそろしく入り組んだ構造を持っているが、もちろん観光客が入れる場所は限られており、順路に従って歩いてゆかなければならない。
 龍河洞には土讃線の御免(ごめん)駅からバスで行った。ここは案内人がついて、他の客とグループになって引率されて歩いた。朝早かったせいもあるが、ひと気も少なく、秋芳洞よりはコンパクトで洞窟らしかった。

 しかし、私がいちばん気に入っているのは、龍泉洞である。
 三大洞窟の中では、交通の便はもっとも悪いだろう。盛岡からバスで2時間半ほど。最寄り駅は岩泉だが、岩泉と言われて即座にわかる人も少ないと思う。岩泉線の終点なのだが、岩泉線と言ってもまだ、どのあたりを通っている線だかわかるまい。
 「山田線茂市(もいち)から分岐しているローカル線ですよ」
ここまで説明しても、山田線自体がマイナーである。
 盛岡から陸中海岸側の宮古へ伸び、さらに海岸沿いに南下して釜石に至る路線が山田線なのである。そして、その途中、宮古の少し手前に、岩泉線が分岐する茂市がある。こういう、支線区からさらに分岐する支線というのは、かつては沢山あったが、現在のJRでは、この岩泉線の他は、石巻線と大船渡線を結ぶ気仙沼線、成田線から分岐する鹿島線、青梅線から分岐する五日市線くらいなものになってしまった。成田線も青梅線も、支線区とはいえ一応「幹線鉄道網」の方に分類されている線区だから、岩泉線は今や貴重な二次ローカル路線なのである。
 山田線は「平民宰相」原敬が強引に敷かせた路線だが、あまりに政治路線であることが見え見えで、当時の議会でも問題になった。
「人も住まない山の中に鉄道を敷いて、一体総理は山猿でも乗せるおつもりか」
 原敬少しもあわてず、
「鉄道法によれば、鉄道に猿は乗せないことになっております」
と言ってすましていたものだから、相手も毒気を抜かれて茫然としたらしい。
 実際、山田線は盛岡近郊の限界というべき上米内(かみよない)を過ぎると、深山幽谷としか言いようのない山間部に分け入ってゆく。その先、茂市までは、約77キロあるが、駅はその間に9個しかない。8.5キロ強に一個の割だ。
 それこそ、山猿しか住まないような寂しい土地を蜿蜒と走って、いい加減心細くなってきた頃やっと駅があるのだが、その駅がまたうら寂れた無人駅に過ぎない。このままどこへ連れてゆかれるのだろうと心配になるような路線である。
 その途中駅から、さらに分岐する岩泉線の終点が最寄り駅なのだから、龍泉洞がいかに遠いかわかろうというものである。そういう龍泉洞に、私はなぜかすでに3回も行っている。他のふたつの洞窟は一度しか行っていないのだから、われながら奇妙な気がする。まあ、旅の指向が北に偏りがちであるせいもあるだろうが。

 3回とも、上記の山田線や盛岡からのバスではなく、三陸鉄道小本駅から行った。
 三陸鉄道は日本で最初に、旧国鉄の赤字ローカル線を第三セクターとして再生させた鉄道である。廃止対象となっていた旧国鉄久慈(くじ)線・宮古線・盛(さかり)を引き受け、1984年の4月に開業した。地元民と一体となった必死の努力の結果、なんと初年度から黒字経営となり、全国に第三セクター鉄道が続々誕生するきっかけとなった。
 第3回に書いた通り、東北人には鉄道に対する格別の思い入れがあるようで、三陸鉄道にしても、
 ――われらが線路を自分たちの手で護ろう。
 という意識が強かったに違いない。
 私は開業日に三陸鉄道に乗った。直前に札幌の親戚のところにいたので、帰京するついでに乗ってみようと思ったのである。
 一番列車ではなく、久慈からの2本目の列車だったが、車内は大混雑で、都会のラッシュ以上の有様だった。どの駅にも大勢の地域住民が繰り出し、小学生の鼓笛隊が祝典曲を奏で、そのフィーバーぶりは呆気にとられるほどであった。駅のプラットフォームにも人があふれ、そのためどの駅でも発車が遅れて、そのうち1時間以上ダイヤが乱れてしまった。
 新生鉄道の盛況は喜ぶべきだが、あまりの混雑に、これはたまらんと思い、小本で下りた。どうせ下りたのだから、そこからバスで行ける龍泉洞に寄ってみようかと思ったのが、私と龍泉洞の最初の出逢いである。いわば偶然とまでは行かないにしても、ついでのようなつもりで立ち寄っただけだったのだ。
 それで気に入って、3回も行ってしまった。

 龍泉洞の特徴は、洞内に地底湖があることだろう。
 この辺に湧く水は、日本百名水のひとつに選ばれているほどだから、非常にきれいで澄んでいる。地底湖には、そのきれいな水が満々と湛えられている。どこまでも透明なのに、底は見えない。深い方は、ぼうっと青く霞んでいるばかりである。洞窟内の薄暗い明かりでは、せいぜい10数メートルの深さまでしか見えないのだ。地底湖の底は、はるかに、はるかに深い。
 現在発見されているもっとも深い部分は、「第4ホール」の水深120メートルというものだ。公開されているのは「第3ホール」までで、ここは92メートルある。洞窟の中だから、湖底の地形も著しく複雑で、ところどころ突起物などが見えるところもあり、それらが不可視の深淵へ沈み込んでゆくあたりは、吸い込まれるような、奇妙な戦慄をおぼえる。
 この地底湖のたたずまいが、私を惹きつけてやまないらしい。
 鍾乳石に触れないようにとの注意書きが至る所に掲げられているが、3度目に行った時は、岩を棒タワシでごしごしこすっているおじさんがいた。
 「そうやって、ちゃんと掃除するわけですか」
私は意外に思って訊いた。
「いやあ、苔とかカビとかついちまってなあ。ここ、電気点いてるもんだから。暗いまんまならそんなもんもつかないんだども、明るくしとかんと観光にならんし」
「明るいせいでつくんですか?」
「それと、お客さんの吐く息とか、服から出るこまいホコリとかな。そういうので、苔やらカビやらついちまうんだなあ。前はここも真っ白だったんだべ」
 いろいろ苦労があるものだ。景勝地は自然にできるものではなく、こういうたゆまざるメンテナンスがないと、すぐに醜くなってしまうものかもしれない。
 地底湖にしても、心ない人が幾人かいれば、汚すのは簡単なのである。気をつけなければならない。
 龍泉洞の地底湖が、いつまでも青く美しく澄んだままであらんことを。

(1997.12.4.)

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