29.私鉄私見(その7 阪神・南海)


★阪神電気鉄道★

 阪神は、本線梅田−元町)32.1キロの他、西大阪線西九条−大物)5.4キロ、武庫川線武庫川−武庫川団地前)1.7キロの、計39.2キロという営業距離しか持たない「大手」私鉄である。キロ数から言えば準大手の相模鉄道といい勝負というところであり、中型鉄道の長野電鉄富山地方鉄道より遙かに短い。
 それでも、大阪・神戸という巨大都市を結び、途中の尼崎西宮芦屋も人口の多い市であり、路面電車時代からの「庶民の足」的なイメージを今に伝える鉄道であるためか、ファンも多い。ちなみに沿線住民はもちろん圧倒的に阪神タイガースのファンが多数を占めている。
 阪神は、今あるような形の都市間高速鉄道の草分けと言ってよい存在だ。明治時代、民間資本によって多くの鉄道が敷かれ、その中には東北本線や高崎線、常磐線などの前身である日本鉄道や、山陽本線の前身である山陽鉄道など、現在では考えられないほど巨大な私鉄もあったが、日露戦争を契機に政府は鉄道の国有化政策を採るようになり、私鉄はどんどん買収されて行った。民間の鉄道会社は、もっぱら地域住民の便を図るだけの小規模なものに限るとされたのである。
 そんな時代に、大阪と神戸を結ぶ都市間鉄道を敷こうとしたのだから、当時の逓信省鉄道局が渋ったのも当然であろう。
 「これは鉄道ではない、軌道である」
経営陣はそう強弁した。軌道(路面電車)であれば、鉄道法ではなく軌道法に準拠するため、都市間鉄道を禁じた条項に抵触しないし、そもそも逓信省ではなく内務省の管轄となる。
 しかし、計画線には専用敷の部分が多く、はたしてこれを軌道と呼べるのだろうかということで大いに問題になった。
 すったもんだの揚句、一部に路面部分があれば軌道法を適用しても構わないという法解釈が採用され、阪神はようやく開通した。
 しかし、もうひと波瀾があった。当時の軌道法では、電車の最高速度は時速8マイルと定められていた。メートル法に直せば僅か時速13キロ程度である。電車というものが鉄道馬車の代替物として考えられていた時代の、なんとものんびりした規定であったと言える。渋りに渋った逓信省も、この速度では官営鉄道の脅威となるはずはないと説得されてOKを出していたのである。
 しかしもちろん、こんなスピードでは役に立つはずがない。阪神の経営陣は、確信犯的にこの規定を破り、阪神間を約1時間で走らせた。時速18マイル以上になる。
 その頃の電車の運転台にはスピードメーターはついていなかったらしく、時々逓信省の役人が視察に来て、電車が速すぎるではないかと文句をつけると、
 「ありゃ、さいでっか。そら運転士はんがえろう急ぎよったんでんなあ」
とごまかしたそうである。また、スタフ(運転士が持つ運転時刻表)は暗号で書かれ、もし役人に見られても意味が分からないようにしてあったという。
 こうして既成事実が積み重なり、またそのうちには阪神電車が必ずしも官鉄の客を奪っているわけではなく新しい需要を喚起していることが理解されたのだろう、時速8マイル規制はやがて撤廃された。
 阪神が先鞭をつけたこの方法で、その後多くの都市間高速鉄道が誕生した。京阪も南海も、阪神の成功例を見て生まれた鉄道なのである。
 お上をものともしないこの反骨精神はいかにも大阪人的であり、現在の阪神にもある程度受け継がれていると言えよう。

 特急は梅田−元町を31分で結んでいる。比較しやすくするために三宮までを見ると29分、阪急の特急と僅か1分しか違わない。阪急に較べて線形が悪く、駅がたくさんあることを考えると大健闘と言うべきであろう。なお、阪神自身の終点である元町で折り返す電車はほとんどなく、三宮で折り返すか、でなければたいてい神戸高速鉄道に乗り入れて高速神戸まで行っている。神戸高速鉄道というのはいわゆる第3種鉄道業者で、駅や線路などの施設は持っているが自前の車輌がなく、阪神、阪急、神戸電鉄山陽電鉄の4社の電車に乗り入れさせているのである。
 神戸高速鉄道を貫通し、山陽鉄道まで乗り入れる電車も多数あったが、近年では梅田から姫路までの直通特急が走るようになった。車輌は阪神車と山陽車の両方が使われている。阪神の車輌は伝統的に全部ロングシートで、直通特急もそうなっている。これだけの長距離を走る電車にしては(そして関西にしては)やや見劣りがする気がしないでもない。
 車輌の面では、阪神はむしろ各駅停車が強かった。駅がたくさんある路線で、各停電車のスピードアップを図ろうとすれば、加減速を大きくするしかない。阪神には日本一加減速の大きい電車、人呼んでジェットカーが装備されていた。鈍行電車にそんな愛称がつくのは珍しい。もっとも、最近はその高加減速を、あまり使用していないとも聞く。

 短い路線なのに、列車種別としては直通特急、特急、区間特急、快速急行、急行、区間急行、準急、各駅停車と、西武に次ぐ8種類もの電車が走っている。しかもそれぞれが、時間帯によって停車駅が微妙に異なり、その複雑さといったらおそるべきものがある。
 しかも、停車駅パターンは必ずしもここに挙げた順序に整然としているわけではない。例えば西宮には特急は停まるが区間特急は停まらない。御影には特急が停まるのに区間特急も快速急行も停まらない。魚崎に至っては特急や快速急行が停まるのに急行は通過する。いわゆる千鳥式停車であり、ラッシュ時などにできるだけ列車間隔を詰めて運行できるようにしてあるのである。
 それはよいのだが、各停に案外しわ寄せが来ている。各停しか停まらない駅だと、日中は一時間5本しか乗ることができない。都市部の大手私鉄としてはかなり少ないと言ってよく、「待たずに乗れる阪神電車」を謳い文句にした阪神にしては少々困るのではないか。

 西大阪線JR大阪環状線の西九条から大物までの支線だが、大物も各停のみの停車駅である。ただし大物からひとつ先の尼崎までは複々線となっており、全列車が尼崎まで走る。
 いまのところ西大阪線には各停しか走っていない。快速急行は西九条発着にするという話もあったのだが実現しなかったようだ。
 かなり前から噂だけはあるのだが、西大阪線を環状線内に延長し、近鉄難波とつないで直通列車を走らせる計画があるとかないとか。実現すれば、もしかすると名古屋−姫路という、驚くべき長距離特急が走ることになるのかもしれない。近鉄の伊勢志摩ライナークラスの豪華車輌が阪神の線路を駆け抜けるようになれば面白いと思う。

 もうひとつの支線、武庫川線の方にはそんな華やかな噂はない。武庫川団地と阪神本線を結ぶだけの生活路線である。
 この線の連絡駅である武庫川は珍しい形態を持っている。なんと、橋の上にプラットフォームがあるのだ。高架線の上の駅ならいくらでもあるが、ここは正真正銘、川にかかった橋の上の駅であり、他ではまず見られない。川の名はもちろん武庫川である。両岸に改札口が設置されている。京成江戸川駅、東急二子新地駅など、川岸ぎりぎりに置かれた駅は少なくないが、こういう駅は当然、対岸にいると利用しずらい。その点武庫川駅は、どちらの側からも利用しやすいようになっているのだ。ちなみに下り線の外側には自由通路があり、歩行者用の橋としても機能している。私は武庫川線に乗るためにこの駅で乗降したことがあるが、プラットフォームから見下ろすと、線路の枕木の間に川面が波立っているのが見えた。見ているうちになんだか船酔いみたいな気分になってきた。

 阪神の今後の発展というと、上に述べた西大阪線の延長の他、現在工事中の高架化くらいだろうか。沿線はほぼ開発が終了しており、あとは今ある資源をいかに有効に使ってゆくかという面に絞られてくるかもしれない。草創時に見せた反骨精神と根性を、いつまでも失って貰いたくないものだと思う。


★南海電気鉄道★

 南海は大阪と和歌山を結ぶ路線として、JR阪和線と競い合う立場にある。
 だが、JRと私鉄が並行する他のところと違って、ここでは南海の方が先輩格に当たる。南海が難波−和歌山市間を全通させたのは明治36年。同44年には電化まで完成している。美人ウエイトレスの乗務する喫茶室を連結した急行を走らせたりして、当時としては眼を見張るようなサービスをおこなっていたという。
 阪和線の方は、もともと阪和電鉄という私鉄だった。阪和間の路線を確保しようとした国鉄が、最初は南海を買収しようとしたのだが、南海側の強い抵抗にあって断念。それならばと自前で建設しようとしたが、その頃政府は財政難で予算が下りない。そこで大阪商船などの民間資本により阪和電鉄が作られたのであった。
 阪和電鉄は最初から国鉄紀勢本線に乗り入れることを前提として作られていた。当時の和歌山駅(現在の紀和)でなく東和歌山駅(現在のJR和歌山)に接続したのは、和歌山駅につなげるとスイッチバックになってしまうからであった。
 阪神に対する阪急と同様、阪和電鉄は繁華な市街地を避けて、山の手側にまっすぐな線路を敷いた。沿線人口が希薄であるというきらいはあるが、高速運転ができ、ゆくゆくは阪急のように沿線開発をおこなって不動産収入も見込んでいたらしい。残念ながらそうなる前に戦争が始まり、阪和電鉄は国鉄に買収されてしまった。
 南海は市街地を結んでいて短距離客は多かったが、肝心の阪和間では、どれほどスピードアップを図っても阪和電鉄にはかなわなかった。何しろ阪和電鉄の超特急電車は、表定時速実に80キロを超え、国鉄ご自慢の「燕」を悠々と上回る戦前最速列車だったのだから。現在のJRでも、表定時速が80キロを超える在来線列車はそんなに多くない。
 ところが、阪和電鉄から国鉄に移った職員は、最速列車の実績を誇りにして、何かと国鉄当局に逆らったらしい。戦後の阪和線はいわば「干された」状態になってしまった。車輌も、高性能だった阪和電鉄時代のものはあちこちに転出させられ、代わりに評判の悪い70型が投入された。
 戦後の南海は、この国鉄内部の不和のおかげで、それほど深刻な競争にさらされずに済んだとも言える。しかし今やJR西日本は各線に強力なてこ入れをおこない、国鉄時代は勝負にもなんにもならなかった並行私鉄を次々に脅かしている。片町線、奈良線といった、ほとんどローカル線みたいな存在だった路線にさえ、スピードの速い快速電車を次々投入しているくらいだから、阪和線を放っておくわけがない。本格的な競争は、むしろこれからとも言える。
 特に、関西空港には両者合同で乗り入れており、この競争はまさに熾烈なものになりつつある。成田空港のJR「成田エクスプレス」と京成「スカイライナー」の比ではない。成田エクスプレスとスカイライナーは、ある程度棲み分けができており、東京の北側からの客はもっぱらスカイライナー、西側・南側からの客は成田エクスプレスを使うようになっている。しかし阪和線と南海とは、起点も同じミナミの天王寺と難波でそれほど差がない上に、JRは線路のつながっている強みで、キタ方面は愚か京都まで特急「はるか」を走らせて客を集めている。南海「ラピート」は苦しい戦いを強いられることになっているわけだ。

 さて、南海には本線の他、本線とほぼ同じ規模を持つ高野線、そして多くの支線があり、総延長距離は全国の私鉄で第4位を誇る。なお、路面電車の阪堺電軌が、過去南海の傘下に入ったりまた離れたりしているが、現在は別会社となっている。
 南海にもデラックス特急が走っているが、歴史的にはともあれ、路線網が現在の形になってからは、なぜか高野線の方が有料特急では先輩格になっていた。ズームカーの愛称を持つ特急「こうや」が長らく南海の看板列車となっていて、本線には一般車両による料金不要の特急が走っているだけだった。本線は観光的要素が少ないので、豪華列車を走らせる必要はないと考えられていたのかもしれない。本線特急「サザン」が走るようになったのはずっと新しい。しかも、名鉄の本線特急と同様、「サザン」も多くは一般車両と有料車輌が併結された形になっている。特急料金は速度に対して支払われるのではなく、席料という性格であるわけだ。
 むろん「こうや」は健在であり、高野線にはそれ以外に橋本止まりの「りんかん」も走るようになっている。それに空港線の「ラピート」があるから、南海の特急体系はなかなか充実していると言えよう。なお「ラピート」には難波−関西空港ノンストップの「ラピートα」と、主要駅停車の「ラピートβ」がある。
 一般車には本線・高野線ともに急行、区間急行、準急、各駅停車があり、この他に空港急行がある。どういうわけだか急行と停車駅が違っているが、「ラピート」がJRの「はるか」に対抗した存在とすれば、この空港急行は関空快速に対抗するためのものであろう。
 以前は、紀勢本線に直通するディーゼル急行「きのくに」があったが、現在は乗り入れはおこなわれていない。私は高校時代にこの直通急行に乗ったことがあるが、冷房もついていないオンボロ車輌だったのを憶えている。

 南海本線の起点である難波駅は、私鉄ターミナルとしては阪急梅田駅に次ぐ大きさだろう。おのおの乗車ホームと降車ホームを備えた7線で構成されている。
 高野線も全列車が難波に発着するが、実は書類上は長いこと、難波ではなく汐見橋が起点となっていた。交差駅である岸里が隣の玉出と統合されて岸里玉出となり、線路上で直通することができなくなったため、汐見橋側は汐見橋線という別の名前を与えられて、高野線から独立したのである。岸里玉出−汐見橋間は、本数も少ないローカル支線区になってしまったのである。
 長いこと高野線の名目上の起点であった汐見橋は、千日前通り新なにわ筋の交差点近くにあるまことに地味な駅で、地方のミニ私鉄の駅に来たような気のする古色蒼然たる雰囲気がある。大阪環状線の内側でありながら一時間に3本しか発着しないという、なんとも悠然たるたたずまいだが、過去は貨物輸送で栄えたこともあるらしく、途中には側線のたくさんある駅も見受けられた。

 高野線の本体の方は、上述の通り全列車とも難波に発着する。難波から岸里玉出までは、本線と高野線がそれぞれ複線で並列しているが、難波の次の今宮戎(いまみやえびす)駅は、ちょうど阪急の中津駅のごとく、なぜか本線側にはプラットフォームがなく、本線は全列車通過ということになっている。
 高野線には支線はないが、中百舌鳥(なかもず)で接続している泉北高速鉄道が事実上の支線として機能しており、準急などが数多く直通している。
 河内長野では近鉄長野線と接続し、さらに橋本ではJR和歌山線と接続し、次第に山岳路線の色合いを強めてゆく。
 橋本から2つ目の学文路(かむろ)は、その字面から受験生などに人気が高く、南海では大々的に入場券を売り出している。読みの方は難読駅名のひとつと言ってよいであろう。
 高野線の終点極楽橋ほど、駅前になんにもない駅は珍しいだろう。実のところ高野山までのケーブルカーとの接続だけのために作られた駅と言ってよい。駅名の極楽橋は、駅の脇を流れている小川にかかった小さな橋の名前であるに過ぎない。時刻表では、ケーブルカーを一体と見て、高野山までを同じ表に書いてある。列車の行先表示幕も「高野山」となっていて、その傍らに小さく「極楽橋」と書かれている。

 本線からはこの他、高師線羽衣−高師浜(たかしのはま))、空港線泉佐野−関西空港)、多奈川線みさき公園−多奈川)、加太線紀ノ川−加太(かだ))といった短い支線が出ている。また、貝塚から出ている水間鉄道も、支線的に機能していると言ってよい。
 多奈川線は以前は重要路線のひとつで、淡路連絡急行が乗り入れていた。途中の深日港(ふけこう)が淡路島への連絡船のターミナルだったのだ。明石大橋が開通して深日港は役割を終え、現在は沖合の友が島への渡船が細々と出ているに過ぎなくなり、多奈川線もただのローカル線となってしまった。しかし、プラットフォームは長く、広く、在りし日の隆盛を偲ばせるものがある。
 本線の終点和歌山市から、さらに和歌山港線が出ている。「サザン」や急行の一部は和歌山港まで乗り入れている。こちらは四国連絡の船へのアクセスとして今でも健在だ。徳島港への高速船が頻繁に発着する。和歌山港線は支線というよりは本線の一部と考えるべきかもしれない。線路脇のキロポストも、本線から通算で立てられている。
 ところが、和歌山港線の終点、水軒(すいけん)は不思議な駅だ。なんと、一日に2本しか列車が来ないのである。2キロ半ばかり手前の和歌山港までは頻繁運転しているのに、どうしてこの最末端だけそんなに閑却されているのか、いやむしろ、そんなに閑却されているのにどうして今まで廃止されずにいるのか、よくわからない。私は水軒駅を訪れてみたことがあるが、周りは貯木場や倉庫ばかり、特に貨物列車が発着しているようでもないし、あとは紀州侯の庭園だった養翠園とかいうのがあるばかりで、人家らしきものはほとんど見当たらなかった。一日一往復だけだった国鉄清水港線はとっくに廃止されているので、この水軒こそ日本一訪れる列車の少ない終着駅と言ってよい。

 さらにもう一本、貴志川線というのがある。これはどういうわけだか南海の他の路線にはつながっておらず、JRの和歌山駅から出て、線名通り貴志川に沿って遡り、貴志まで達している。まったく独立していて、「するっとKANSAIネットワーク」のカードも使えない。駅の雰囲気も古色蒼然としている。なぜ南海のターミナルである和歌山市までつなげなかったのか、腑に落ちない。沿線には大した観光地もないが、大池遊園(おいけゆうえん)は桜の名所でボート遊びもできる。

 空港線は実際には関西空港鉄道という会社が駅や線路を保有しており、これはJR関西空港線も同様。というより、りんくうタウン−関西空港間は、JRと南海の線が並行しているのではなく、完全に合流して同じ線路の上を走っているのである。この関西空港鉄道も第3種事業者で、自前の列車は持っていない。JRと南海に設備を貸して家賃をとっているわけだ。
 「はるか」の天王寺−関西空港と、「ラピートα」の難波−関西空港の所要時間は共に30分前後でほとんど変わらない。車内設備もほぼ互角。運転頻度は「はるか」が30分ごと、「ラピート」はαとβ合わせて30分ごとだからこれも互角。「はるか」には上記のように、キタ側やさらには京都まで直通してその方面の客をごっそり集められるという強みがある。一方「ラピート」の強みは特急券込みで1400円という値段の安さで、「はるか」の天王寺から2270円という価格に大きく水をあけている。
 では料金不要列車はどうか。JRの関空快速の天王寺からの所要時間は45分ほど。南海の空港急行は43分でほとんど差はない。関空快速は日根野まで紀州路快速と併結されているものが多く、その分割併合作業に2分ほど費やすのがこの2分差の原因であろう。車内設備はJRが2−1スタイルの転換クロスシート、南海がロングシート(車輌の隅だけボックスシートになっているものもあり)で、若干JRの方に分がある。運転頻度は共に一時間3本とこれも互角。やはりキタに通じるJRの有利さと、値段の安さによる南海の有利さが相殺している感じだ。
 要するに空港線に関しては、がっぷり四つに組んでいる状態である。
 しかしそれは、旧国鉄が阪和線を継子扱いしてきたせいでもある。もし東京の5方面作戦のようなことが関西でもおこなわれていて、70年代くらいまでに阪和線が複々線化でもされていたとしたら、南海は到底太刀打ちできなかったのではあるまいか。
 JR西日本は遅ればせながら阪和線へのてこ入れを始めている。従来まったく相手にもならなかった阪急に悲鳴を上げさせているJR西日本のこと、これからどんどん押しの一手で来るにちがいない。南海の正念場は、これからである。

(2001.3.1.)

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