16.寝台車あれこれ

 
 寝台列車が、人々の移動の主力でなくなって久しい。
 昔は寝台車を併結した夜行列車がたくさん走っていた。特急、急行は言うに及ばず、普通列車にも寝台が連結されていることが珍しくなかった。私が高校生くらいだったわずか15年前にさえ、「山陰」「ながさき」「南紀(のち改め「はやたま」)」「からまつ」といった寝台鈍行が走っていた。鈍行なのに愛称がついているのは、国鉄(当時)の指定券発券装置マルス(Magnetic-electric Automatic Reservation System 電磁自動予約システム)の入力の便宜のためである。
 それが今や、鈍行はもとより急行も「銀河」「だいせん」「きたぐに」「はまなす」のみとなり、特急さえ廃止や区間短縮が相次いでいる。
 これは言うまでもなく、飛行機に簡単に乗れるようになって、わざわざ長時間かけて列車で移動する必要がなくなったのが最大の原因だが、それだけではない。
 日本ではまだ飛行機の深夜便は飛んでいないから、夜のうちに移動するのなら列車でもいいはずである。昼間と違い、夜は寝るだけだから、ビジネスや観光の時間が削られるということがなく、いわば見かけ上の所要時間をゼロにすることができるわけである。昼間に新幹線や飛行機で移動するより効率的であるとさえ言えるのだ。
 しかし、多くの人は寝台車を嫌う。夏休みや年末年始など、シーズンにはさすがに満員にもなるが、オフシーズンに乗るとまずはガラガラであることが多い。所要時間以外にも、何か問題がありそうだ。

 寝台列車の不振とうらはらに、別の深夜交通機関がどんどん勢力を伸ばしている。
 夜行高速バスがそれだ。以前から、東京大阪間などに、国鉄のハイウェイバス「ドリーム号」などが走っていたが、昼行のバスと同じ車輛を使っていたため、乗り心地が悪く、あまり人気はなかった。しかし最近の夜行高速バスは、ハイデッカー(高床式)、ダブルデッカー(2階建て)などでデラックス化し、シートピッチも拡げてリクライニングを思い切り深くし、椅子は独立3列にして隣の人が気になるということもなくなった。トイレや洗面所、軽食や飲み物のサービスもついている。
 今や夜行高速バスは全国の主要都市間に張り巡らされ、いずれもなかなかの乗車率を見せている。
 このことを考えると、夜行での移動そのものが嫌われているというわけではなさそうだ。
 他の条件を考えず、移動の快適性だけで判断すれば、バスよりは列車の方が楽に決まっている。いくらリクライニングが深くても椅子は所詮椅子であって、寝台の寝心地には遠く及ばないし、車内の移動もバスでは容易でない。また、列車とバスでは振動の向きが違っていて、多くの人にとって列車の振動のリズムの方が快適なのは、電車内で眠りこけている人の多さからもわかる。
 とすれば、考えられるのは、寝台車の値段の高さである。

 東京・青森間で較べてみよう。バスはJRバス関東、JRバス東北、京急、弘南バスの4社が走らせている「ラ・フォーレ号」、列車は東北本線まわりの特急「はくつる」を選ぶ。
 「ラ・フォーレ1号」は東京八重洲南口を21時30分に発車し、青森駅に翌日7時00分に着く。これに対し、「はくつる」は上野発22時23分、青森着8時15分。所要時間ではバスの方が速いように見えるが、夜行の場合はスピードよりも、到着時刻を優先して走っているから、これは能力差ではなく、ダイヤ設定の考え方の差と見るべきである。現に逆行の「ラ・フォーレ2号」と上り「はくつる」ではほとんど差はなくなっている。東京ではなるべく出発が遅い方が助かるだろう。一方青森では、7時に着いてしまうと少々活動時間帯まで間があいてしまうかもしれない。「はくつる」の方が時間帯的には使い易いのではなかろうか。
 だが、値段を較べてみると、「ラ・フォーレ号」は10,190円、これに対して「はくつる」は、運賃が10,190円でバスと同額だが、この他に特急料金3,150円、寝台料金が安いB寝台でも6,300円かかり、計19,640円(平成10年現在)を払わなくてはならない。これだけ差があると、多少快適度は上であっても、列車を使う気になれないのはやむを得ないかもしれない。
 なんと言っても、特急料金と寝台料金を別々に払わなければならないのがあほくさい。鈍行寝台が全滅した今、寝台車に乗るためには否応なく特急料金・急行料金を別途支払わなければならないという不合理なことになっている。
 値段で高速バスに対抗するには、運賃や料金の大幅夜行割引をするか、それだけの追加料金に見合った付加価値をつける他はないだろう。このうち割引については、夜間と言うことで人件費も高くなり、タクシーのように割り増ししたいくらいが本音かもしれない。しかしバスの攻勢に対抗するなら不可欠である。
 もうひとつの、付加価値の方はどうだろう。

 寝台列車全般は不振だが、その中でもいつも賑わっている列車がないではない。「北斗星」(上野−札幌)と「トワイライトエクスプレス」(大阪−札幌)である。どちらも札幌と行き来しているのが共通しているが、それ以上に、この両列車は、思い切って豪華指向にしている。広々とした個室寝台、おしゃれな食堂車やロビーカーなど、むしろ乗ること自体を売り物にしている列車と言える。実際、札幌に飛行機で行くと言っても当節誰も驚かないが、「北斗星」で行くと言えば、
「えーっ、そいつはいいなあ」
と目をむいてうらやましがられる。すでに「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」に乗ることは一種のステータスになっているのである。飛行機でせかせか飛んで行くのではなく、ゆったりと豪華な寝台列車で行く、それだけの時間的・金銭的余裕があるという風に見られるわけだ。こうなると、人間は見栄張りな生き物だから、多少値段が高くとも争って乗るのである。
 寝台列車生き残り策としては、まずこの方向が考えられる。

 寝台車がイヤだという人に理由を聞くと、値段の他、プライバシーが保たれないという点も大きいようだ。確かに現在の主力である開放式B寝台は、2段(一部3段)ベッドが向かい合ってひとつのユニットになっているが、同じユニットにどんな人間が来るかはわからない点、不安である。ベッドそれぞれは一枚の薄いカーテンで保護されているに過ぎない。
 夜行高速バスも、その点では同様というかもっと開放的だが、平服のまま椅子で寝るのと、一応寝台で、多くの場合浴衣などに着替えて寝るのとでは、プライバシー感覚が異なってくるようだ。若い女性などが寝台車をいやがるのはこれが主な理由らしい。
 今は多くの列車で「女性専用車両」が設定されているが、意外と知られていない。また、女同士でも知らない人の隣で寝るのはイヤだということもあるだろう。
 開放式B寝台は、戦後アメリカ方式を採り入れたものだが、昭和30年代頃の寝台車全盛期には威力を発揮したものの、すでに時代に合わなくなっていると言わざるを得ない。
 時代は、個室寝台を要求しているのである。
 運賃の他1万円近くとられるのであれば、せめてプライバシーくらい保たせて貰いたいものだ。

 個室寝台も以前からあったが、当然ながら値段が高く、誰もが使えるというものではなかった。B寝台ではなくそれより上のA寝台として設定され、しかも普通のA寝台よりさらに高くなっていた。
 だが、JRになってから、画期的な個室寝台が誕生した。Bコンパート、通称「ソロ」である。
 寝台そのものは2段式なのだが、それぞれに別の入口がついて、個室になっている。横から見るとL字と逆L字を組み合わせた形だ。当然、入口には鍵もかかる。途中で他の人間が入ってくることは決してない。
 この「ソロ」の破格な点は、料金が普通のB寝台と同額(現在6,300円)であることだ。同額であると知った時には、私は仰天したものだ。民営化されればここまで発想が柔軟になるのかと驚いた。
 私が「ソロ」にはじめて乗ったのは、平成6年の秋、九州旅行をした帰りのことだった。
 私の旅行の癖として、最後に少し豪華な想いをしてみたくなる。基本的に貧乏旅行に近いのだが、最後だけは寝台車で飾るというパターンが多い。この時も、西鹿児島から寝台特急「はやぶさ」で一挙に東京まで帰ってこようと考えた。「はやぶさ」は今では熊本までになってしまったが、当時は西鹿児島までを往復しており、定期列車としては日本最長の走行距離を誇っていた。ただその分、所要時間も長く、西鹿児島発13時13分、東京着は翌日10時13分、実に21時間、8分の7日を要するのである。
 この列車に「ソロ」が連結されているので、乗ってみようと思ったのだ。
 ところが困ったことに、「ソロ」は熊本からしか連結しない。熊本まで他の列車で行って乗り換えてもよいのだが、最長列車に乗り通したいという想いもある。
 そこで一策を案じた。上り「はやぶさ」は博多までの間、「立席特急券」で乗車することができる。これは、明るいうちの走行区間が長い寝台列車によく用いられる制度で、昼間の間だけ自由席特急券と同額で乗ることができるのである。ただし、席の指定はない。寝台があいていれば坐っていてもよいが、その寝台の指定券を持っている人が乗車してきたらあけなければならない。
 これを活用し、西鹿児島から熊本まで立席特急券を買い、熊本からは「ソロ」を、と分けることにした。こういう買い方をする人は少なかったらしく、乗車の数日前に熊本駅で切符を手配したとき、係の女の子が、いやに感動したように、
「勉強になりました」
と言っていた。

 さて、13時13分、列車は南端の駅西鹿児島を発車した。こんな真っ昼間から寝台車に乗るのが、なんだか気恥ずかしい。特急ならL特急の「つばめ」が1時間おきに走っているのだ。
 すでに寝台はセットされている。昔のように、昼間は上部寝台をはね上げておくといったようなことは、手間がかかるからやめてしまったのだろう。
 立席特急券は、乗る号車だけ指定されている。私は指定された4号車に乗った。乗客はちらほらである。あいた寝台に坐って、ぼんやりと車窓を眺めた。シラス台地のさびしげな光景が蜿蜒と続いている。鹿児島本線と言えば九州内では最大の幹線だが、末端のこのあたりに来るとただのローカル線としか思えない。
 伊集院(いじゅういん)、串木野(くしきの)、川内(せんだい)と、こまめに停車してゆくが、乗降客もあまりなく、駅もしんとしている。
 出水(いずみ)で乗ってきた老紳士が、私を見て
「あれ」
と言った。どうやら私が座っていたのが、老紳士の寝台だったようなので、明け渡して反対側に坐った。
 南九州のひなびた線路を約3時間、ことことと走って、16時18分に熊本に着いた。
 ここで、「ソロ」をはじめとする何輛かの車輛を連結するため、14分停車する。「ソロ」への移動と、もうひとつには駅弁を仕入れるため、私は一旦外へ出た。
 駅弁を買うのは、もちろん駅弁が好きだからではあるが、「はやぶさ」の場合、もっと切実な理由がある。なんとこの8分の7日を過ごすほどの列車に、食堂車がないのである。
 以前は食堂車がついていたし、その名残のようなものは今もある。が、食堂ではなく、ただの売店で、しかもずっと営業しているわけではない。弁当もそこで売ってはいるが数も少なく、なにより種類が少ない。
 この貧相な状態は、「はやぶさ」だけでなく、「富士」「さくら」といったほかの九州特急も同様だ。
 「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」に連結されている豪華な食堂車を思うと、南向きの寝台列車はどうにも見栄えがしない。
 そんなわけで、熊本の駅弁「地鶏弁当」を買って、連結された「ソロ」に移った。
 狭苦しく、寝台の他には折り畳みのテーブルが1基据えられているだけで、まさに独房のようなものだが、それでもこれから18時間、私の城となるのである。開放式B寝台に較べれば、ずっとよい。
 これとは別に昔のA個室寝台、現在はAコンパート(通称「シングルデラックス」)と呼ばれている個室寝台もついている。あとでちょっと覗いてみたら、2段式ではないので高さはあったが、雰囲気はやはり独房で、値段(13,350円)を考えると「ソロ」の方がずっとまさっているように思えた。
 明るいうちから独房にこもっているのも気が塞ぐので、陽が暮れるまでロビーカーで過ごした。カーペットが敷かれ、ソファやストゥールが置かれて、このうら寂れた寝台列車の中でも僅かに豪華な印象が得られる空間である。
 大牟田でなぜか5分も停車する。こんな駅でなぜ、と思ったら、後続の「つばめ」に追い越されるのだった。特急が同じ特急に追い越されるとは情けない話だが、電車特急で民営化以来スピードアップもめざましい「つばめ」に対し、「はやぶさ」は電気機関車がひっぱる客車列車で、あまりスピードが出ない。熊本以北は30分おきに走っている「つばめ」から逃げ切ることができず、ここで追い越されてしまうのである。ブルートレインの栄光もかたなしだ。
 博多を過ぎると陽が暮れてきたので、個室に戻ってさっきの地鶏弁当を食べた。
 もう1食分を確保しなくてはならない。東京着は10時過ぎなので、朝食が必要だ。
 関門トンネルをくぐる時、専用の機関車に付け替えるので、門司下関で5〜6分ずつ停車する。門司で外に出たら駅弁売りがいなかった。下関で「ふく寿司」を買うことができて、ひとまずほっとした。
 途中、広島あたりで眼が醒めたが、あとは熟睡し、起きてみたら名古屋を過ぎたあたりだった。洗顔し、ロビーカーでくつろぎ、個室に帰って「ふく寿司」を食べ、あとは個室を幸い二度寝して、東京までごろごろしていた。これができるのがいい。
 すっかり堪能して、これでしばらく寝台車はいいや、とは思わなかった。また機会があったらいつでも乗りたい。特にこの「ソロ」は感心した。
 実際、去年の夏、従弟の結婚式に出席するために札幌へ行った際、私は「北斗星」の「ソロ」を奇跡的にとることができて、また乗ってきたのである。奇跡的というのは、夏休み中の「北斗星」の個室は、まず滅多にとれるものではないのである。私は発売日(1ヶ月前)の午後に買ったら、すでに最後の1室だった。

 今後の寝台車の主力はこの「ソロ」タイプの個室になるべきである。そして大事なことは、これ以上値段を上げないことだ。ある程度廉価で、しかも鍵のかかる個室に乗れるならば、夜行高速バスより寝台列車を選ぶ人は少なくないはずである。たいていの人はまだ「ソロ」などの存在を知らず、寝台車と言えば開放式寝台を想像して毛嫌いしているので、充分な宣伝も必要だろう。
 一鉄道ファンとして、寝台列車の復権を望んでやまない。

(1998.6.9.)

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