LAST EMPERORS

はじめに

 中国史には奇妙なところがある。
 その長さは言うまでもない。確認されているだけでも4千年近い歴史記述を持つ。これほど長い期間、ほとんど連綿として切れ目なく歴史が続いているところは、他にはない。
 中国文明が世界最古の文明ということは言えないが、少なくとも現存最古であることは疑いない。近年の発掘で、日本にも中国以上に古い文化が栄えていたらしいことが明らかにはなってきたけれど、いかんせん文字を持たなかったので、歴史記述になっていない。考古学的な発見があるのみである。
 その点、中国ではごく早い時期に、文字によってものごとを記録する習慣が生まれた。
 一旦文字の便利さを知ると、それを駆使したくなるのも人情である。かくて、おそろしく記録好きの民族が誕生した。
 彼らは実にあらゆることを記録した。ただし、戦乱が絶えなかったので、その記録が散逸するのも早かった。
 そのため、時々、散逸した記録をまとめて、統一的な歴史書を作るという作業がおこなわれた。
 やがて、歴史書の編纂は、時の権力者の重要な任務のひとつになった。
 多くの人力と知力が結集され、それぞれの時代に、おそろしく厖大な歴史書が作られた。まさに汗牛充棟というべき分量である。
 その熱意と厖大さには、まさに唖然とさせられるものがある。

 ところが、4千年に及ぶ歴史記述をざっと瞥見すると、なんとも不思議な気分にさせられるのである。
 最初のあたりは面白い。春秋戦国時代(770B.C.〜221B.C.)などは手に汗を握る面白さだ。古い話だけにだいぶ面白く脚色もされているのだろうが、斉の襄公とその妹文姜との近親相姦の話だの、重耳こと晋の文公の放浪物語だの、南方の楚・呉・越三国の確執だの、戦国七雄の合従連衡の駆け引きだの、実に生き生きとしている。日本人の口に膾炙したさまざまな故事やことわざも、多くはこの時代に由来している。「食指を動かす」「管鮑の交わり」「矛盾」「漁夫の利」「奇貨措くべし」などなど、枚挙にいとまがない。
 やがて、西方のが全土を統一する。しかししばらくは戦乱が続く。秦の遺産を受け継ぐべく死闘を繰り返した項羽劉邦の物語もよく知られている。
 読んで楽しいのは、せいぜいそのあたりまでなのである。
 このあと三国志の時代があるが、それを過ぎると、なんとも退屈になる。いや、その前の後漢時代にしろ、さっさと飛ばして三国志に入りたくなるつまらなさだ。要するに三国志をほとんど唯一の例外として、あとは同じような連中が、同じような事件を繰り広げているばかりで、のびたソーメンのごとき記述が蜿蜒と続く。単に、

 ──王朝が興った。後継者争いで乱れた。権臣が専横をふるった。外敵が力をつけ、それに内通する者がいた。亡びた。

 と書けばそれで充分ではないかと思われるようなていたらくなのである。
 現代の中華人民共和国の公式史観としては、始皇帝による統一(221B.C.)から辛亥革命(1911)までの2100年余りを、マルクスの発展段階説で言う「封建制の時代」としているが、その定義の妥当性は別としても、2千年間同じ段階にとどまり続けたというのは尋常でない。

 天命を受けた「天子」が地上に君臨して、手足となる官僚を駆使してすべてを支配する。手足の届かないところは野蛮な夷(えびす)の住む土地なので、そこは蕃族の王を「册封」し、代行支配させる。
 2千年来続けられてきた中華帝国の統治システムはそういったものだった。このシステムは、早い時期に完成されていたために、彼らはこれ以外のシステムを思い浮かべることさえできなかった。19世紀に至るまで、これに匹敵するほどのシステムを携えた人間が身近に現れることもなかったので、たとえ一時的に異民族が支配者の地位に就いても、このシステムに吸収されざるを得なかった。
 この点、同じ幕府という名を持ちつつ、鎌倉政権、室町政権、江戸政権でそれぞれまるで違った統治システムを編み出している日本とは大いに異なっている。

 そんなこんなで、極端な話、それぞれの王朝の最後の天子(皇帝)さえ語れば、その王朝の抱えていた問題点だの、王朝の性格だのといったことはわかってしまうのではないか、とかねてから思っていた。 王朝の創始者を語るのはたやすい。本人も意欲満々だし、各種の伝説も生まれやすい。だが、創始者の時代というのは、何しろ創業の意気に燃えているだけに、問題点が見えずらいのである。歴史を理解しようと思えばむしろ最後が問題だ。その政権がなぜ亡びたかということが見えれば、亡びないためにはどうすればよいかというノウハウも見えてくるのではないか。
 そのようなことを思って、「ラストエンペラー」シリーズを始めることにした。
 もちろん、えらそうなことを言うほど私は中国史に通暁しているわけではない。その上、ラストエンペラーというのは大体次の王朝から必要以上に悪く書かれるもので、史書をどこまで信用してよいかも微妙である。
 そのあたりを手探りしつつ、いわば「亡びの中国史」といったものを書きつづってみたい。
 私のウンチクを傾けるというのではなく、書きながら勉強してみようと思ったまでのことなので、事実誤認や認識不足も多いだろうと思う。お気づきの点などございましたらご指摘下さい。

(1999.5.22.)


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