24.白鳥の歌(その4)


 作曲者の死によって未完に終わってしまった作品をどう扱うべきかというのは難しい問題である。
 別の人間の手によってでも完成させるべきなのか。あるいは、そんなのは死者に対する冒涜だとして、あくまで未完のものは未完のものとして残しておくべきなのか。
 その作曲家に思い入れが深い人ほど、別人の手によって未完成作品が完成されるのが冒涜的に思えるであろうことは容易に想像できる。
 モーツァルト「レクイエム」を補筆完成させたズュスマイヤーの場合、その大半はモーツァルトの遺したかなり詳細なスケッチをもとにオーケストレイションしたわけだし、生前のモーツァルトから話も聞いていただろうから、その部分に関しては充分正当性があると言ってよいだろう。だが、モーツァルトがスケッチすら完成させられなかった第7曲「ラクリモーザ」、それからまったく手をつけられなかった最後の3曲「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」については、ズュスマイヤー自身がオリジナルのものを書かなければならなかった。終曲「アニュス・デイ」は第1曲「レクイエム──キリエ」をそのまま流用して歌詞だけ差し替えたのだったが。
 「レクイエム」の演奏では、この補筆部分も含めておこなうのが普通だが、潔癖にもズュスマイヤーのオリジナルの「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」をカットし、「ラクリモーザ」もモーツァルトの真筆である8小節目まででやめてしまうという演奏もないことはない。
 かなり認められているズュスマイヤーの補筆でさえ拒否する人がいるのだから、他の作曲家の場合はそれ以上に受け容れがたく感じる者が多いことだろう。
 実際、バッハ「フーガの技法」ベートーヴェン交響曲第10番を補筆して完成させようという試みはかなりなされている。しかし、多くの人が「これなら!」と納得できるほどのものはできていないようだ。学識すぐれた人が綿密な研究の末にやったとしても、それは要するに「試み」でしかなく、完成作品としての価値を持たせることは無理であるのかもしれない。
 モーツァルトに対するズュスマイヤーのごとく、生前の作曲者と親しくつきあい、曲に対する想いやプランなども充分に聞くことができ、なおかつ作曲者のスタイルをしっかり体得している……それだけの信用度があって初めて、人々は彼の補筆を渋々ながらも受け容れるというところだろうか。よほど親しい弟子や友人、家族くらいでないと、この条件にはとてもあてはまらない。
 私個人としては、研究成果としての補筆はどんどん試みて構わないと思う。もし私が死ぬ時に何か未完成の作品を抱えていたとしたら、それが未完成であるがゆえに埋もれてしまうよりは、誰かが補筆して世に出してくれた方がやはり嬉しいだろうと想像する。だがやはり、それは私の作品とは言えないだろうとも思う。

 さて、痛恨の未完成作品を遺して逝った大作曲家がもうひとりいる。オペラの大家プッチーニである。
 プッチーニは、書いたオペラがほとんどことごとく大ヒットした、ハズレのない作曲家としては実にもって稀有な存在だ。バッハにしろベートーヴェンにしろショパンにしろ、ハズしてしまった曲は意外と存在する。そういった駄作に行き合うと、われわれ凡才としては大いに力づけられるものがあるのだが、プッチーニはあてはまらない。
 先輩の「オペラ王」ヴェルディさえ、26曲のオペラを書いたが、その前半15曲ほどはこんにちほとんど顧みられることがない。だがプッチーニは、その半分以下の12曲という数でありながら、そのほとんどすべてが現在でも繰り返し上演されるヒット作だ。あんまりお目にかからないのは第1作の「ヴィッリ」第2作の「エドガー」くらいで、あとは「マノン・レスコー」「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」「西部の娘」「燕」「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」と、知名度に多少の差はあっても、現在まったく埋もれているなどという作品はひとつもない。
 そして第12作目となったのが、未完の大作「トゥーランドット」である。
 空想的中国を舞台としたグランドオペラで、涙あり笑いありスリルありの盛り沢山な内容。登場人物もそれまでの作品に較べて格段に多い。プッチーニの幻想性とロマンティシズムが最大限に発揮された作品なのである。
 終幕まで書き進めたものの、ラストを目前にして病床に就き、ついに完成させることができなかったのだ。
 彼はこの作品の登場人物である可憐な女奴隷リューがことのほかお気に入りだったらしい。どうもこの名前は中国人のありふれた姓「劉」を女名前と勘違いして(「蝶々夫人」の女中スズキと同様である)つけたものらしいが、それはともかく、彼女は主君である主人公を、傲慢な王女トゥーランドットと結婚させるべく献身的に奔走し、最後には命を落とすのであるが、プッチーニはこのリューが死ぬところまではなんとしても自分の手で書き上げたかったようだ。病気をおして音符を書き続け、ついに望み通りリューと一緒にこの世を去ったのである。その直前にある、リューがトゥーランドットに向かって切々と訴えかける最後のアリアなど、まさに鬼気迫る、鳥肌の立つような名曲であって、単独でも頻繁に歌われている。
 さて、このほとんど出来上がりかかっていた未完成作品をどうするか。このまま埋もれさせるのはあまりにも惜しい。
 幸い、ものがオペラなので、台本はすでに完成したものがある。プッチーニのスタイルというのはそれほどわかりづらいものではない。
 そこで、プッチーニよりも約一世代下の、やはり実力あるオペラ作家フランコ・アルファーノが起用され、フィナーレを完成させた。アルファーノは当時すでにボローニャトリノの音楽学校で校長を歴任していたほどの人であるから、補筆したフィナーレも決しておざなりなものではない。ただしズュスマイヤー同様、自分の作品よりは、この補筆によって音楽史に名を留めたような観もある。
 現在の「トゥーランドット」の上演では、たいがいこのアルファーノのフィナーレまで演じられるが、多くの場合、プッチーニの絶筆部分までで一旦音楽を止め、指揮者が一礼するなどして、そこから先が別人の手によるものだということを明確にしてやっているようである。

 ドビュッシーは1917年、 直腸ガンに冒され、第一次大戦の真っ最中でドイツ軍の空襲に脅かされながらこの世を去った。
 最晩年になって計画した、さまざまな楽器のための6つのソナタは、半分の3曲(チェロとピアノのための、フルートとヴィオラとハープのための、ヴァイオリンとピアノのための)だけしか仕上げることができなかった。本気で6つとも仕上げられるつもりであったのかどうかはわからない。せめて6つという目標を立てて自分の生きるよすがにしたかったのかもしれない。4番目のソナタは着手もされなかったようだから、未完のままに気持ちを遺して死んだということはないだろう。しかし、6曲作るという初志が貫徹できなかったのはやや心残りだったかもしれない。
 それらのソナタとは別に、未完に終わってしまった最後の作品がある。
 ソプラノ独唱、混声合唱、オーケストラという大規模な編成を持つ「フランス讃歌」である。
 最後の歌曲となった1915年の「帰る家なき子らのノエル」はドビュッシー自身のテキストによる作品だが、祖国を蹂躙する敵国ドイツへの怒りが満ち満ちた絶唱である。これをさらに拡大して、シベリウス「フィンランディア」のような愛国的なオード(讃歌)を産み出したかったのだろう。
 EUが実現してしまった現在、この「フランス讃歌」が完成していたとしても、いささか時代錯誤な観があり、歌い継がれたとしてもせいぜい第二次大戦までだったのではないだろうかと思われるのだが、ドビュッシーとしては、この愛国的作品を仕上げられなかったのは、ソナタが3曲で終わってしまったのよりも残念だったであろう。
 「フランス讃歌」は戦争もとっくに終わった1928年、ドビュッシーのピアノ作品の演奏で定評のあったピアニスト・指揮者・作曲家のマリユス・フランソワ・ガイヤールによって補筆完成され、初演された。が、モーツァルトのレクイエムや、プッチーニのトゥーランドットなどのような、演奏会の定番的作品とはなっていない。

 ドビュッシーと来れば次はラヴェルだが、こちらも最後の作品はあまりぱっとしない。ラヴェルは最晩年には神経に異常をきたし、結局脳手術の予後が思わしくなく帰らぬ人となったのである。死の9年前の1928年に有名なボレロを書き、29年から31年にかけて2曲のピアノ協奏曲を書いたが、このあたりで彼の創作力は尽きたようである。
 実際には、32年から33年にかけて、オーケストラ伴奏を持つ独唱曲「ドゥルシネアに心を寄せるドン・キホーテ」というのを書き、これが最後の作品となったが、ピアノ協奏曲などに較べると知名度が断然低い。私も本稿を書くためにリストを調べて知っただけで、実際に聴いたことはない。
 そのあとラヴェルはさらに4年間生きる。その間、上記「ドゥルシネア〜」をピアノ伴奏用に編曲したり、もっと前の歌曲「ロンサール、おのが魂に寄せ」を弟子がオケに編曲するのを監修したりしている。もう新作を作ることはできないだろうと思っていたかもしれない。

 大変な意欲をもって着手した曲が結局寿命のために未完で終わったとなると、作曲家としては実に心残りともなんとも言いようがないことになる。
 スクリャビンがそのいい例であろう。彼は1915年に敗血症で死んだが、03年以来、つまり12年越しで構想を立てていた大作「神秘劇」にようやく着手したものの、序幕の数十小節を書いただけで終わってしまった。
 神秘劇というのは、中世に流行した、キリストや聖人の奇蹟などを題材にした大規模な演劇である。特徴的な舞台装置と共に、奇蹟の演出のためさまざまなからくりによる仕掛けが施されることが多い。
 スクリャビンの「神秘劇」は、完成したら何かもっと具体的なタイトルがつけられたかもしれないが、さしあたって本人は「神秘劇」としか呼んでいない。
 これは遺された資料によれば、大規模なオーケストラ、舞踊、色光ピアノ、それに香りまで用いた、五感を総動員させる綜合芸術になる予定だったそうである。
 色光ピアノというのは、大きな箱にいくつかの孔があいており、備え付けられた鍵盤を押すと、押した鍵盤によってさまざまな色の光がその孔から発せられるという装置である。照明のMIDIコントロールの先駆的存在と言えるかもしれない。スクリャビンは1910年の「プロメテ(火の詩)」でこの色光ピアノを用いているが、実際に装置が用いられたのは死後に再演された時からであった。いずれにしろ「プロメテ」でこれを用いたのは「神秘劇」のための実験だった可能性が強い。
 作品73のピアノ曲「2つの舞曲──花飾り・暗い炎」は、のちにオーケストレイションされて「神秘劇」の一場面に使用されるはずだったものだ。
 その他にも、晩年のスクリャビンの行動には、「神秘劇」への準備と思われることが少なくない。まさに、自分のライフワークであると感じていたに違いないのである。
 それが、いよいよ満を持して書き始めたばかりのところで、寿命が尽きてしまった。
 遺された部分があまりに少ないため、これでは後人が補作しようとしても手のつけようがない。スクリャビンがはたしてどのような音楽的構想を持っていたか、誰も知らないのである。
 絢爛で壮大な音と光の大饗宴となるはずだった「神秘劇」の全体像は、ついに作曲者スクリャビンの胸に秘められたままあの世へ行き、本当の「神秘」となって永遠に封印されてしまった。

 一挙に現代へと下るが、スクリャビンに較べると、1992年に亡くなったメシアンは幸運だった。曲がりなりにもライフワークのオペラ「アッシジの聖フランソワ」を完成させることができたのだから。
 聖フランソワ(聖フランチェスコ)は、小鳥と話すことができたと伝えられる聖人である。1950年代から、世界各地の小鳥のさえずりを楽音としてサンプリングすることに熱中していたメシアンとしては、それらの仕事の集大成として、この超能力者を扱ったオペラを書くことは長年の夢だったに違いない。
 メシアンという人は、突然変異的に息の長い作曲家と言うべき存在で、無慮60年以上にわたって第一線にあり続けた。平均寿命も長くなっているとはいえ、作曲家が旺盛な創作力を維持できるのはせいぜい40年間くらいが限界という気がする。20代で「若きフランス」グループの一員としてデビューして以来、各時代にセンセーショナルな作品を産み続け、なおかつ齢80を過ぎてからグランドオペラを完成させたというのは大変立派であったと思う。
 そして、このオペラがメシアンの最後の作品となった。オペラを完成させたので気がゆるんで、その拍子につい世を去ってしまったというところかもしれない。最後を飾るという言葉にふさわしい人生であった。

 死を予感していた人としていなかった人。
 予感していても、なおあがき続けた人と、従容と人生の整理をした人。
 人の生き方はさまざまであり、その死にざまもまたさまざまである。
 「やるべきことはやった」
とうなづきながら死ねるに越したことはないが、なかなかそううまくは参らぬようである。
 人は、その人がこの世でやるべきことを済ませないうちは死なないものだという考え方もある。しかし、スクリャビンの例を見ると、それもややどうかという気がしてくる。それともスクリャビンが「神秘劇」をライフワークと考えたのは過ぎたることで、彼の存在意義は現在遺されている作品だけで充分だったということなのだろうか。
 一方、「これぞライフワーク」と考えていた作品が完成してしまったあと、表現者がある種の虚脱状態に陥るのは当然である。ライフワークなど考えない方が精神衛生上よろしいかもしれない。だが、人間の自己表現欲求というのは、そう簡単に区切りがつくというものでもない。しばらくすれば、また別のものが書きたくなるに相違なく、それもまた当然と言うべきだ。
 結局、
「やるべきことはやった」
などと自分で納得して死んでゆくことなど、表現者にとっては無理なことなのかもしれない。
 平知盛は壇ノ浦で源義経に敗れ、
「見るべきものは見つ」
と言い捨て、笑って世を去ったが、自己表現欲にとりつかれた表現者というものは知盛のような心境に達することは難しい。その意味では表現者はみな、無間地獄をさまよう亡者のたぐいであると言えるのではあるまいか。

(2000.8.5.)


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