忘れ得ぬことどもII

はやぶさIIの届け物

 小惑星りゅうぐうに着陸して試料を収集した日本の探査機「はやぶさII」が、試料の入ったカプセルを地球に届けることに成功しました。カプセルの分離がうまくゆかないのではないかという危惧も抱かれていたようですが、無事に予定どおり、オーストラリアの砂漠に落とすことができたのでした。
 小惑星に着陸して試料を持ち帰ったのは、先代の無印はやぶさをはじめとして、他の国の探査機でもおこなわれていましたが、表面を掘り返して(実際には人工クレーターを作って)地中の物質を採取したのははじめてのことで、日本の宇宙探査の快挙と言って良いと思います。打ち上げられたのは2014年12月のことでしたので、丸6年をかけた大プロジェクトでした。
 はやぶさIIが小惑星りゅうぐうに着陸したときのニュースは、私も人並みに感動して文章にも書きました。これは2019年2月のことでしたが、今朝の新聞に載っていた探査記録を見ると、りゅうぐうに「到着」したのは2018年12月のことだったそうです。これはどうしたことだろうかと頭をひねりましたが、りゅうぐうに「着陸」する前、はやぶさIIがかなり慎重に、着陸可能な地形を調べていたという話を思い出しました。りゅうぐうと遭遇してから2ヶ月くらい、一緒に宇宙空間を飛びながら、表面の様子を観察していたのでしょう。そして、ここなら大丈夫という確認がとれてから、おもむろに着陸したわけです。その様子を想像してみると、じっと寄り添っていた想い人にようやく手を差し出した男の子のようで、微笑ましいやら涙ぐましいやら、つい声援を送りたくなります。

 なお、たいての報道では「小惑星リュウグウ」とカタカナで書かれているようですが、私はひらがなで書きたい気がしています。先代はやぶさが向かったイトカワのように、人名までならカタカナでも良いのですが、日本人が日本の説話から名付けた天体名なのですから、ひらがなでも構わないでしょう。
 一時期、いささかなりとも学術的な単語はなんでもカタカナにするのが流儀になり、身近な動植物などでもイヌ、ネコ、サクラ、イネなどとカタカナで書かなければならないような空気だったりしましたが、学術論文などでの取り決めはそれで良いとしても、一般の文章までそれに従わなくても良さそうです。それともカタカナで書いたほうが学問的もしくは国際的に見えるという判断でしょうか。科学特捜隊ウルトラ警備隊の隊員名を、ムラマツキャップとかアマギ隊員とかわざとカタカナ書きにしていたのを思い出します。まずそれと同レベルの話でしょう。
 りゅうぐうの名は、はやぶさIIが出発したあとにつけられたもので、それまでは1999GU3という、味も素っ気もない識別番号で呼ばれていただけの小惑星でした。小惑星は初期の頃こそそれぞれに名前をつけられていましたが、何万何十万と発見されるに至って、いちいち名前はつけないことになりました。ただし今回のりゅうぐうのように何か正当な理由があれば名前を登録することができますし、アマチュアが新発見したようなときには命名権が与えられるようです。少し前にやっていた「恋する小惑星」というアニメはそれをメインテーマにしていました。
 はやぶさIIは試料カプセルを分離したあと、そのまま別の小惑星に向かって飛んでゆきました。いわば、地球にちょっと立ち寄って届け物をして行ったようなものです。これからまた何年もの旅を続けることになるのかと思うと、心からご苦労様と言いたくなります。次の目標となっているのは1998KY26という小惑星だそうですが、これももう少ししたら日本語の名前がつけられるかもしれません。
 りゅうぐうの上の地形には、乙姫岩とか竜神尾根とかの地名がつけられました。これらは浦島太郎ネタなので良いのですが、そのほかに桃太郎クレーターとか黍団子クレーターとかの名前もつけてしまいました。桃太郎ネタは次の小惑星まで取っておけば良かったのに、と思うのですが、当時としてはりゅうぐうに辿り着いただけでも大騒ぎで、次の小惑星に向かえるのかどうかもわからなかったのですから、まあ仕方がないでしょう。りゅうぐうの地名は浦島太郎ネタに限っておいて、次の小惑星を「おにがしま」とか名付けて桃太郎ネタで固める、などというセンスを見せて貰いたかったところですが。

 小惑星の地中の物質を採取してきたのが重要であるのは、太陽系生成時の状態ほぼそのままであると期待されるからです。
 小惑星はもともと大きな惑星であったものが砕けてあのようになったのだ、という説が唱えられていた時期もありましたが、現在ではほぼ否定されています。地球や火星並みの大きな惑星であったのならば、内部は地球と同じように地殻、マントル、核といった構造になっているはずで、それが砕けたとき、それぞれの構造に由来する特徴的な成分が見出されなければおかしいことになります。しかし、小惑星の成分のスペクトル分析が進むにつれ、そういった徴候が見られないことがはっきりしてきたのでした。
 つまり、小惑星は過去にもっと大きな天体の一部であったことは無く、太陽系が生まれたときからずっと小惑星のままであったらしいと判明したのでした。
 太陽系の構造を見ると、太陽に近いほうには水星・金星・地球・火星という、岩石が集まってできた惑星が回っています。月もまたこの一族でしょう。太陽に近い領域は、宇宙を漂うチリの密度が濃く、またそれぞれの相対速度も高いために、チリ同士がぶつかってくっついてしまうということが繰り返され、次第にそれが大きくなって惑星となったのでした。
 これに対し、太陽から遠ざかるにつれてチリは少なくなり、水素などの軽いガスの多い領域となります。そのあたりでは木星や土星などの、ガスを主体とした惑星が生まれました。これらはけっこう大きく、それ自体が小型の太陽のような役目を果たして、近傍のチリを集めて衛星を作ったりしました。また小惑星を引力圏にとらえて衛星にしてしまうということもあったでしょう。木星や土星にやたらとたくさん衛星があるのはそういう事情だろうと思います。
 小惑星は、地球型の岩石惑星と、木星型のガス惑星との境界に位置します。宇宙のチリが、惑星を作るほどには密集しておらず、また太陽から離れているために相対速度も低いので、たとえぶつかったとしてもお互いはじけ飛ぶだけで、合体するほどのエネルギーは得られなかったのでしょう。合体するには、チリ同士の相対速度分の運動エネルギーが、熱に変換されて岩石や含有金属をドロドロに融かし、それが糊の役目を果たす必要があります。
 そんなわけで、小惑星は太陽系ができた頃、45~46億年前くらいの状態から、それほど変化していないだろうと考えられています。だから、原初の太陽系の状態を知るためには、小惑星に行って物質を採取してくるのが良いというわけです。惑星サイズになってしまうと、それ自体の重量や圧力により、内部の成分が変質してしまいます。また大きくなると大気や水も獲得するので、地上の成分も、風や河川の流れなどによって変わってゆきます。だから地球には、すでに原初太陽系の状態は保存されていません。これまでに発見されたもっとも古い岩石は38億年くらい前のものとされ、いろいろ激動の時代であったろう最初の7~8億年のデータはまったく得られないのです。
 その点、小惑星だったら、ケレスパラスなどの特大級でない限りは内部構造も持たないでしょうし、物質が変成した可能性はごく低いと思われます。原初太陽系のデータを得るには好都合です。
 ただし、いままでは地表の物質を採取するにとどまっていました。残念ながら宇宙空間は何もないわけではなく、四方八方から宇宙線と呼ばれる放射線が降り注いでいます。また太陽に面したときはけっこう温度が上がり、寒暖差も大きいと思われます。そのため、地表の物質はやや変質している可能性があります。
 その点、地中になるとそれはほとんど考えられません。宇宙線のほとんどは数十センチ程度の土壁があれば遮断できますし、寒暖差もほとんど影響しません。地面を50センチも掘れば、夏であれば土はひんやりとしていますし、冬ならほかほかと温かく感じるのは皆さまご存じでしょう。わずかな深度であっても、地中というのは外部の影響をごくわずかしか受けないのです。今回のはやぶさIIの偉業は、まさにその、小惑星の地下の物質を世界ではじめて採取してきたというところにあるわけです。
 標的であったりゅうぐうは、事前のスペクトル分析で、水や有機物が比較的豊富にあるということがわかっていたようです。水といっても液体ではなく、含水シリケイトのように水を含む鉱石という形で存在しているわけですが。それにしても反射光を分析しただけでそんなことまでわかるのかと驚愕します。
 水と有機物が豊富ということは、生命の誕生の謎に迫れるかもしれないという期待が高まります。
 水と有機物は生命の材料ではありますが、実験室に水と有機物を混ぜて置いておいても生命が誕生することは無く、原初太陽系にあった何か未知の条件が必要だったと考えられています。一方、地球における生命の誕生については、生命の誕生に必要と思われる条件が揃ってから、ほとんど間を置かずに実際に誕生しているらしいのでした。適温、大気の存在、液体状態の水の存在などですね。原始地球は地表全体がマグマのように煮立っていたはずで、それが冷めるに従って大気や水が安定して存在できるようになりました。そのようになってから、生命が誕生するまでには、ほとんどタイムラグが無いのだそうです。と言っても何百万年かくらいの間はあったのでしょうが、何億年というオーダーの地質年代の中ではほとんど一瞬のようなものです。つまり生命とは、それが誕生する条件が整いさえすれば、わりに簡単に生まれることが可能であるらしいのでした。異星人とのコンタクトに期待が持てる結論です。
 それゆえ、原始状態の水や有機物を研究するのは、生命の萌芽を探究するにあたって大変役に立つことになります。はやぶさIIは、そういう期待を背負ってりゅうぐうに到達したのでした。
 先代のはやぶさが、長期間にわたってロストされながら、無事に地球に戻ってきたのは感動的でしたが、宇宙探査としては褒められたことではありません。その点、はやぶさIIは最初から最後まで完璧にJAXAの管理下にあり、いちどもロストすることなく旅路の全行程を見守られていました。採取してきた試料も、段違いに多量であろうと期待されています。カプセルに詰められて届けられた試料によって、どんな輝かしい研究成果が得られるか、いまから楽しみです。
 もちろん、生命の誕生の謎には少しも近づけなかったという研究結果もあり得ます。しかし、それはそれで素晴らしいことです。なぜなら、謎に迫るアプローチがここではなかったということが証明されるからです。手がかりのひとつを消すのは、新しい手がかりをひとつ得るのと同じくらいの価値があるのです。推理小説で、終章に近づいた名探偵がやることは、数多くの錯綜した手がかりをひとつひとつ潰してゆく作業です。

 はやぶさIIの一挙手一投足がきちんと把握されていたとはいえ、オーストラリアの砂漠で切り離されたカプセルを発見したときの関係者の喜びは大きなものだったでしょう。
 なぜオーストラリア? と思ったりもしましたが、アフリカやアメリカあたりだと回収に行くのが大変だったでしょう。もちろん海上では探すのが厄介です。日本から近くて、カプセルを落としても建造物などにぶつかるおそれの無い広大な空き地ということになると、オーストラリアが最適でしょう。
 ゴビ砂漠とかタクラマカン砂漠とかなら距離的にはもっと近いでしょうが、ほぼ中国領であるのが問題で、JAXAが回収に行くのを拒否されるおそれがあります。
 「わが国のスタッフが回収してきてJAXAに引き渡すので、お待ち願いたい」
 などと言われるのが目に浮かぶようです。そしてそれに従った場合、下手をすると、
 「カプセルは破損していて、試料は回収できなかった」
 と報告され、その実すべての試料を中国側が横領していた、なんてことまで想像されてしまいます。そんなことを想像するのは中国に対して失礼かもしれませんが、想像したくなるようなふるまいを、中国が過去さんざっぱらやらかしているのも、また事実です。少なくともオーストラリアであれば、そんなことはしないだろうという安心感があり、回収地点にオーストラリアの砂漠を選んだのは妥当かつ無難であったと納得できます。
 それにしても、試料を地球に配達しただけで、自分は休みもせずにまた次の小惑星目指して飛んで行ったはやぶさIIのタフネスには感嘆しきりです。一回の往復だけで満足せず、試料を配達したのちのふたつめの目的地までプログラムしていた関係者の貪欲さとチャレンジ精神にも頭が下がります。

 ・地球から飛び立つ。
 ・りゅうぐうに到達する。
 ・りゅうぐうとの相対速度を限りなくゼロにしつつ、周囲を飛び回って着陸可能地点を探す。
 ・着陸可能地点に3メートル以下の誤差で実際に着陸する。
 ・試料を採取してカプセルに詰める。そのための人工クレーターを作ったりもする。
 ・りゅうぐうから飛び立つ。
 ・地球に接近し、カプセルを分離する。
 ・再度地球から離れ、1998KY26に向けて飛ぶ。

  地球とりゅうぐうは3億4千万キロほど離れており、光速でも20分くらいを要します。従って、いちいち地球から指令を出して作業をおこなったわけではありません。りゅうぐうに搭載されたプログラムが臨機応変に判断したのだと思われます。これだけの作業をおこなわせるために、一体どれほど厖大なプログラムを組んだのだろうかと思うと、なんだか気が遠くなりそうです。
 1998KY26でどのような探査をおこなうのかは知りませんが、おそらくりゅうぐうと同じようなことをして、そしてまた地球に帰ってくる予定なのでしょう。宇宙という、とんでもなく大きくて空虚な世界の中を一生懸命駆け回っている宅配業者──いまならUber Eatsの配達人でしょうか──という趣きがあって、つい人格のようなものを感じてしまうのは私だけではないと思います。ともあれ、次の目的地までも無事でありますように。

(2020.12.7.)

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