忘れ得ぬことどもII

続・いろいろ変革のきざし

 緊急事態宣言が撤回され、ようやく少しずつ世の中が動きはじめた感じです。政府も都道府県も、このまま停滞が続くと、景気その他に回復不能なほどのダメージが与えられてしまうことを懸念したのでしょう。学校は順次再開されるようですし、閉まっていた商店なども開きはじめました。外食店も時間制限が緩和される見通しです。業種によってはまだゴーサインが出ないところも少なくないようですが、様子を見ていずれは、というところでしょうか。
 どういうところに自粛を求めるかなどといったガイドラインは都道府県知事の権限だそうで、大阪府のようにいち早く独自の判断基準を示したところもあれば、他県のやりかたを窺ってという県もありました。そんな中で、東京都は他県よりも一段厳しめなガイドラインを敷いているようです。小池百合子都知事が、都知事選に向けて存在感を締めそうとしているのだ、などと悪口を言っている向きもありますが、東京都は感染者・重篤者・死亡者ともに他県に抜きんでて、人口比で言っても多数を出している以上、判断基準も厳しくなるのが当然かとも思います。
 東京がなかなか緩和されないのでは経済が復活しないではないか、と懸念する人も多いでしょうが、ものは考えようで、この際、なんでもかんでも東京を経由しないと世の中が廻らないという一極集中の状況を、なんとか変えてみる努力をするべき時とも考えられます。
 緊急事態が解除されたからと言って、いろんなことを「元に戻す」のでは意味がない、ということはこの2ヶ月、あちこちで聞いたり読んだりしました。会社にしても大学にしても、あれこれオンラインで廻す模索をはじめたのに、元に戻して旧態依然のまま社員や学生を「一箇所に集める」ことを再開してしまっては、せっかくの改革の機会を逸してしまうとも言えます。
 このコロナ禍を好機として、社会のありかたを根本的に考え直してみようではないか、と提唱する識者は多かったようです。私もその点には大いに共鳴するものです。中途半端なところで戻ってしまうのでは、「大戦争」とか「大恐慌以来の危機」とか言われたコロナ禍を経験した甲斐が無いというものです。
 IT企業など、比較的「いま」風の会社は、在宅勤務(テレワーク)を続けてもあまり問題は感じない、として、今後も続けてゆく方向に進む気配ですが、老舗の大企業などになると、発想の切り替えがそれほどうまくはゆかないかもしれません。会社とは社員を社屋に集めて集団で仕事をさせるところだ、という古い思い込みを捨て去るのは難しいでしょう。
 社屋の中で「三密」を避ける工夫をしたとしても、世の中には「通勤」という「究極の三密」が残っています。段階的に在宅勤務を切り上げて元に戻そう、などとしている企業が少なからずありますが、通勤というクラスター発生源が残っている限り、褒められたことではありません。工場など人手が不可欠なところはともかく、デスクワークを主とするオフィスは、むしろ在宅勤務をこれからも推奨する方向へ行くべきでしょう。
 学校も同様です。まあ小中高くらいまでは、教師や仲間との身体的な距離感が大事であるとも言えそうですが、大学になればオンライン講義をどんどん採用すべきです。放送大学というのがすでに定着しているのですから、講義の形態としてオンライン式にすることに大きな障碍があろうとも思えません。問題なのは教師側の意識改革だけでしょう。
 そんなこんなで、個々の企業や学校に関しては、「ポストコロナ」をどうしようかという模索が、徐々にではありますが動きはじめています。
 であれば、「東京」抜きでも世の中が廻るようにするという、もっと大きな流れについても、要路の人々は考えてゆく必要がありそうです。
 もちろんこれは、「東京」不要論とかそういうことではありません。首都としての東京は依然として大切です。しかし戦後日本は、東京にあまりに多くを求めすぎたと思います。ほとんどいかなる分野においても、東京に本拠を置いていないと動きが取れないような仕組みにしすぎました。東京都の自粛緩和についての厳しさは、この一極集中の構造を考え直す好い機会になりそうな気がします。

 実際のところ、街に人が戻ってきたと喜んだ途端、東京都の感染発覚者は2日続けて2桁をマークしました。油断するとたちまちこれです。このまま全面緩和してしまえば、またどんどん増えるに違いありません。
 それはそうで、いまだに特効薬もワクチンもできていない以上、状況として何が変わったというわけでもないわけです。街に人が少なくなっていることで増加を抑えていただけのことですから、人が多くなればまた増加することは眼に見えています。
 その意味でも、「元に戻す」ことを拙速に求めるべきではないと言えます。武漢ウイルスの蔓延を覚悟した上で、あるいは組み込んだ上で、さてどのような社会を創ってゆくかというのが、いまのところ喫緊の課題であろうかと思う次第です。
 その過程では、閉店する店もあり、倒産する会社もあり、斜陽化する業種も出てくるでしょうが、それは社会が変革する時期にはどうしても避けられない痛みというものです。明治維新のときも、第二次大戦後も、主要エネルギー源が石炭から石油にシフトしたときも、個別の悲劇は枚挙にいとまがないほどに起きました。しかし、日本あるいは日本人全体としては、それまでより幸せになったと言い切って良いと思うのです。
 新聞にもテレビにも、長い自粛期間のために苦境に陥っている店や施設の悲鳴があふれていますが、だからと言って「元に戻す」ことばかりを優先していては、世の中はいつまで経っても変わりません。
 コロナ禍の前も、景気が良くなっていたとは言われていたものの、人々の中に漂うそこはかとない閉塞感が、拭うべくもなく蔓延していました。たぶんそれは、数字としてもたらされている景気動向と、自分たちの生活実感が、だいぶかけ離れていたことによるものでしょう。企業は業績がアップしても、従業員の給料を上げることには消極的でした。上げずに済むように、外国人労働者の導入を政府にせかしたりもしていました。いろいろと要素は挙げられるでしょうが、要は世の中の仕組みそのものが老朽化して、身動きがとれないということだったのではないかと思います。
 自粛要請があり、人々が家から動かなくなって、それまでおざなりにしか受け取られていなかった「働きかた改革」が否応なしに進められたところがあります。「働きかた改革」は、必ずしも個々の勤労者の勤務形態が変わるというだけの話ではありません。人が通勤しなくなれば、交通機関のありかたが変わります。交通機関のありかたに依存していた商業施設なども再編を余儀なくされます。そうすると大規模商業施設が、通信販売に取って代わられることになるかもしれません。意外と大きな変革を伴う政策であったと、いまさらながらに実感します。

 人間の歴史において、疫病というのは数え切れないほど何度も発生し、ときには社会そのものを根底から変えてしまったりもしています。
 中世から近世にかけてのヨーロッパでのペスト禍などはその最たるものでしょう。ペストはノミやネズミを媒介として拡がる感染症です。ヨーロッパの都市はほとんどが下水処理に無頓着で、現代日本人などがその場にいたら1時間と保たないくらいに不潔でした。近年のライトノベルなどで、現代日本人が中世ヨーロッパ的な世界観の異世界に転生するなんて筋書きが流行していますが、本当に中世ヨーロッパ的であれば、その不潔さにわれわれなどはたちまち心が折れてしまうでしょう。
 ハイヒールの靴は、路上の汚水だまりで足を汚さないように作られました。香水は、耐えがたいほどの体臭をごまかすために発達しました。女性の異様に拡がったスカートは、立ち小便・立ち大便が容易であるように、そしてそのときに服を汚さないようなデザインです。
 汚水・下水はバケツやタライに溜めておいて、いっぱいになったら外に捨てます。そのとき、下を婦人が通っていたら、ひと声かけるのがエチケットでした。言い換えれば、婦人でなければ、いつ頭から汚物をぶっかけられるかわかったものではなかったのです。
 フランスの王様がヴェルサイユに宮殿を構えたのは、パリの街があまりに不潔で、悪臭に耐えられなくなったからだとされます。しかしそのヴェルサイユ宮殿にも、トイレは設置されませんでした。
 こんな様子を知ると、ペストが何度も大流行したのもあたりまえだという気になります。
 カトリックとプロテスタントの全面衝突であった30年戦争では、ドイツの人口が3分の1になったと言われます。3分の2が戦死したり処刑されたりしたわけではありません。戦闘があった場所で、死傷者の処理を誰もせず、腐敗するに任せていたため、ペストその他の疫病が蔓延したのだと思われます。それでなくとも、ヨーロッパは土葬の習慣であるため、屍体から病原体が撒き散らされる危険は、火葬に較べて格段に高いでしょう。
 ちなみに音楽史の上で、バロック期の到来がほぼこの30年戦争の時期に一致しています。その前のルネサンス期に流行していた、教会などでの大規模な合唱音楽が下火となり、独唱に簡素な器楽伴奏が加わったモノディー様式や、少人数での器楽合奏などが主流になったのは、疑うべくもなく人口の減少の影響です。疫病の大流行は、芸術作品のありかたまでも変えてしまったのでした。
 日本では、そんなに全国的に大流行した疫病はさほど見られません。清潔好きの国民性、河川がわりと短くて流れが急であるために水資源の淀みが少なかったこと、山地などで国土が細分化されて人の行き来がそれほど多くなかったことなどが要因でしょう。しかし明治以降は、コレラ・結核・インフルエンザなどの全国的流行がちょくちょく起こるようになりました。
 いずれにしろ、ほんの150年ばかり前まで、人類は疫病に対抗するすべを持ちませんでした。いくばくかの経験則によって、石灰を撒くなどの防疫措置が試みられるばかりで、基本的には流行の終熄を神に祈るしか、人間にできることはなかったのです。
 パストゥールコッホにより、病原体という概念が確立されて、ようやく人類には疫病への抵抗手段を手に入れました。人工的に無毒化した病原体をあらかじめ人体に注入し、人体の免疫機構により抗体を作っておいて、実際の病原体の侵入を撃退するというのがワクチンの考えかたですが、これなどは驚くべき発想の転換であったと言えるでしょう。種痘を発明したジェンナーは、病原体を息子に注射したということで、人でなしとか狂人とか罵られたものです。そういう経緯を経て、人類はいくつかの病原体を絶滅させるまでになりました。
 しかし、新種の疫病はいくらでも湧いてきます。病原体にもニッチ(生態的地位)のようなものがあって、ある病原体が絶滅すると、それまであまり害を為していなかったものがうって代わって突如狂暴化するなんてこともあるのかもしれません。
 武漢ウイルスへの対抗策も、人類はいずれ、と言うより近いうちに必ず見出すでしょう。そもそも往年のペストなどに較べれば、感染率も死亡率もはるかに低い病原体です。しかし、そんな病原体でも、世界的な蔓延ということになると世の中を変えてしまえることが明らかになりました。
 重篤者・死亡者が奇跡的に少なくおさまっている日本とは違い、欧米では数万の死者が出ている国も珍しくありません。どの国も国境の出入りを厳しく規制するようになりました。国境を無くするというEUの理想は、こんなことであっさりと覆えされてしまいました。コロナ禍がおさまっても、EUはもう元の形には戻れないのではないでしょうか。
 変革は、あるいは被害の大きかった国のほうが早く進行するかもしれません。だとすれば、被害の小さかった日本などはまた世界的潮流に乗り損ねることにならないとも言えず、なんというか痛し痒しというところです。

(2020.5.27.)

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