忘れ得ぬことどもII

ミュージカル版始動

 5年前に書いた音楽物語『星空のレジェンド』ミュージカル版制作の話が動き出したということを、前にちょっと書いたと思います。
 『星空のレジェンド』はおかげさまで毎年7月に平塚市で上演され、私の作品としては再演回数の多いものとなっています。やるたびに新しい発見がある、などと、何やらクラシックの名曲のごとき過褒もいただいています。
 ただ毎回同じ上演形態だと、だんだんマンネリ化してくるのも事実です。
 それで管弦楽化といったことも計画され、数年後に平塚市の新しいホールが落成するのに合わせてオーケストラ版を発表するという話にもなっています。
 それとは別に、いろいろ「見せかた」を工夫しても良いのではないかという意見もあり、ことにナレーションを務めているお芝居関係の人たちと話をしたこともありました。そのときは、影絵などを映してみたら、などというアイディアが出ていましたが、そちらのほうでも話が動き出したらしく、今年の公演のためのリハーサルに顔を出したとき、ナレーターの高森秀之さんから、ミュージカル化の打診を受けました。つまり大川五郎先生脚本の元のかたちの音楽物語を「原作」とし、それをふくらませて芝居仕立てにするというプランです。「原作」の曲も活用するようにして……ということだったので、私としては面白いと思い、賛意を示しました。
 すると、それから1ヶ月も経たない公演本番のとき、挟み込みチラシの中に、そのミュージカル化計画と、出演者募集のことを記した、けっこう立派なチラシが含まれていたので、

 ──へえ、仕事が速いなあ。

 と感心したのでした。

 で、来月(8月)中くらいにいちど打ち合わせを、と言われたので、連絡を待っていたのですが、その後ぱったりと音信が途切れてしまいました。ミュージカル版の上演は来年(2020年)の7月中〜下旬という心づもりだということだったのですが、この分では作曲している暇が無くなってしまうぞ……とやきもきしていたところ、11月なかばになってようやく電話がかかってきました。
 それでプロデューサーである高森さん、それに脚本家や演出家のかたがたと1、2回会合を持ちました。やっと動き出したかと安堵しましたが、しかし関係者一同、作曲にかかる時間を過少に見積もっておられるような気がして不安が残ります。元の曲を作曲したときは、約1年ほどの猶予がありました。実際にはオペラ『セーラ』や邦楽曲『法楽の刻』と同時進行であったこともあって、その半分以上が作業できない状況でしたが、ともあれ本番の1年半前に話を受け、半年前くらいまでに仕上げるという約束でした。
 今回は、話が動き出した現在が、すでに本番半年ちょっと前というタイミングになっています。
 お芝居畑の人の感覚というのはそのくらいなものなのかもしれません。公募で素人を集めるにしても、だいたい半年くらい前から動きはじめて、台本も並行する感じで作り、ことによると稽古中に練り直すなんてこともするのでしょう。音楽のほうは、それではなかなか忙しいことになります。
 しかも脚本家のプロットによると、かなりの曲をあらたに書き下ろすということになりそうです。
 年明けくらいから取りかかるとして、春ごろからはまた板橋オペラ(来年は2回目の『ラ・ボエーム』らしい)のアレンジに没頭することになるのでほとんど動けません。実際に使えるのは2ヶ月かそこらと思われます。これは『おばあさんになった王女』並みに大急ぎの仕事になりそうな気がします。
 幸い、曲の音源打ち込みなどまではしなくて良いようで、私自身はいつものように譜面を書き起こせばそれで良いらしく、その点はホッとしています。音源まで作らなければならないとなると大変です。私はシンセサイザーを持っておらず、パソコンのソフトシンセしか使えませんし、シーケンサーソフトも古いのしかありません。前のパソコンで使っていたのですが、何か他のソフトと抵触したようで途中から使えなくなり、いまのパソコンのWindows 10にはそもそも対応していなくて、インストールしようとしたら失敗に終わりました。つまり音源を作れと言われたらシーケンサーソフトを購入するところからはじめなければならず、新しいソフトに習熟するまではいろいろ試行錯誤が必要になり、ほとんど気が遠くなるほどの手間を覚悟しなければならないところでした。高森さんの知り合いに打ち込みが得意な人が居るらしくて、そちらに頼んでくれるそうです。
 とりあえず役者(歌手)の稽古のためにピアノ伴奏程度の譜面を作ってどんどん流してゆき、あとで(『ラ・ボエーム』の作業が済んだら)それをアレンジするというようなスケジュールになるでしょうか。なかなかスリリングです。

 さて、公募していた出演者のほうは、40人くらい集まったということだったので驚きました。板橋オペラで、毎年合唱への区民参加を呼びかけているのですが、いつも30人集まれば良いくらいなのです。よく集まったものだと感心しましたが、大半は高森さんがやっているワークショップに参加していた人たちであったようです。そのため、すでにお互い面識があったりする様子でした。
 様子でした、というのは、昨夜、旗揚げ会というか納め会というか、関係者の集まる会合があり、私も顔を出してきたのでした。いちおう作曲者として皆さんに覚えて貰ったほうが良かろうと考えたのでした。
 実はそれ以上に、会合の場所を聞いて出席する気になったのでした。湘南モノレール富士見町駅から徒歩3分のスタジオというのです。高森さんは横浜鎌倉あたりで主に活動している人だということはわかっていましたが、スタジオが湘南モノレール沿線とは知りませんでした。このモノレールには、たぶん30年近く乗っていません。昔いろいろ関東地方の私鉄を乗りつぶしていた時期にいちど乗っただけだと思います。年末のかなり忙しい時期ではありますが、このために俄然行く気になったのでした。
 湘南モノレールは、大船から江ノ島(駅名は湘南江の島)を結ぶ6.6キロの短い路線です。富士見町は大船の隣の駅で、この区間だけ乗るのでは物足りません。それで、江ノ島側から乗ってみようと思いました。
 そのためにはまず江ノ島に行かなければなりません。江ノ島に電車で行く方法はふたつ。小田急江ノ電です。江ノ電もご無沙汰しているので乗りたい気がしたのですが、あまり時間をかけるわけにもゆかないし、小田急の快速急行で江ノ島まで行ったことがまだ無かったので、今回は小田急を使うことにしました。
 小田急の快速急行は、もと江ノ島線に走っていた湘南急行というのが元になっています。江ノ島線の急行停車駅は、何十年も前から、相模大野・南林間・大和・長後・藤沢、以遠片瀬江ノ島まで各駅、という具合に決まっていました。ところが、他の私鉄が沿線まで延びてくるにあたって、地価が高い急行停車駅を避け、東急田園都市線は南林間の隣の中央林間に、相鉄いずみ野線横浜市地下鉄は長後の隣の湘南台に接続したのでした。中央林間と湘南台は、新しいジャンクションとして、当然ながら再開発が進められ、大きな駅ビルができたりもして、南林間や長後よりもずっと近代的で機能的な駅に生まれ変わりました。
 小田急としては、南林間に換えて中央林間に、長後に換えて湘南台に急行を停めたかったでしょうが、そんなことをすれば南林間や長後の駅周辺の住民から猛反対が起こるのは目に見えています。それで、南林間・長後に「加えて」中央林間・湘南台に停車するということにしました。
 ところがこれでは、停車駅が多すぎて、ただでさえ遅いと定評のある急行がますます遅くなります。そこで、新しく湘南急行という種別を導入し、相模大野・中央林間・大和・湘南台・藤沢という停車駅にしたわけです。
 その後快速急行が導入され、江ノ島線内の停車駅は湘南急行と同じことになりました。現状、急行の便数よりも快速急行のほうが多くなっており、徐々に旧急行停車駅である南林間と長後が見放されつつあります。
 快速急行は、しばらく藤沢止まりが多かったような気がしていたのですが、最近片瀬江ノ島行きが多くなったようです。そしてふと路線図を見ると、藤沢から片瀬江ノ島のあいだにある本鵠沼・鵠沼海岸の両駅を通過するようになっています。たぶん10輌編成に対応していなかったのでしょうが、この両駅は長いこと急行停車駅になっていたので、通過する気分も味わってみたいと思いました。
 そういうわけで、新宿から片瀬江ノ島行きの快速急行に乗り込みました。
 午後の日差しが眠気を誘います。ときどき意識が飛んだ気がしますが、相模大野駅から江ノ島線に入ります。こちらに乗ったのも久しぶりです。
 中央林間駅と湘南台駅は、特に駅の構造が変わったわけでもなく、昔のままの相対式2面2線プラットフォームの駅でした。大和と長後で待避できるので、それ以上作る必要も無かったようです。ただ湘南台駅のプラットフォームはかなり広くなっていたようでした。相鉄と地下鉄、2本も接続路線ができたので、昔のままだと手狭だったのでしょう。
 藤沢で進行方向が逆になります。それは良いのですが、藤沢駅に待機していた各駅停車が先に片瀬江ノ島へ向かうので、お急ぎのかたはお乗り換え下さい、とアナウンスがあって驚きました。快速急行が各停に先を譲るとは。
 それほど急ぐわけでもなく、何よりも本鵠沼と鵠沼海岸の両駅通過を味わいたかった私は、そのまま快速急行に乗っていました。
 ふと気づくと、その快速急行が停まっていた1番プラットフォームに、乗客の列ができています。先に出る各停にも乗らなかったようだし、このプラットフォームは片瀬江ノ島方面だけのはずだし、いったい何に乗るつもりだろう……と不思議に思いました。
 やはりプラットフォームの長さが足りないために通過扱いになったのだろうと思われる途中2駅を経て、間もなく終点の片瀬江ノ島に到着します。この駅もプラットフォームを仮設で継ぎ足した感じで、とりあえず10輌に対応できるようになったので、快速急行が行くようになったのでしょう。駅全体が改装工事中で、有名な竜宮城めいた駅舎もほとんど隠れていました。
 なお、片瀬江ノ島に着くと、さっき藤沢駅で列を作っていた人々の目的がわかりました。私の乗った快速急行が到着するのとほぼ入れ替わるように、特急「えのしま」が出発して行ったのです。おそらく特急は、新宿方面の3・4番プラットフォームではなく、1番線に発着することになっていたのでしょう。

 片瀬江ノ島駅は、江ノ島のほぼ対岸にあって、いちばん近いのですが、そこから江ノ電の江ノ島駅、湘南モノレールの湘南江の島駅までは、土産物店街を抜けてそれなりの距離がありました。3駅はごく近いものだと思っていたので、案外な遠さにやや焦りました。
 土産物店街を抜けたところに江ノ電の駅があり、その脇の踏切を渡ってさらに道路を渡ったところに湘南モノレールの駅がありました。
 モノレールというのは普通、街中の、それも道路の上に設置されることが多いのですが、湘南モノレールは山あり谷ありの複雑な地形の上に敷かれています。トンネルをくぐることもあるし、目がくらみそうな高いところを走ることもあるし、車窓はなかなか変化に富んでいます。羽田空港へ行く東京モノレールのような跨座式でなく、千葉モノレールなどと同じ懸垂式であるところがまた良く、高いところを走っているときなど、足の下は車輌の床一枚だけであとは中空だと思うと、何やら尻がむずむずするような気分になるのでした。
 全線が単線というのも、モノレールにしては珍しいかもしれません。だから駅でしか上下線が行き違えず、片面駅もいくつかありました。行き違える駅ではすべて行き違っていたようです。これをネットダイヤと言い、もはや1本も増発できなくなった状態です。土曜の午後という、比較的閑散な時間帯でもネットダイヤならば、平日の朝夕などは大変でしょう。間隔はこれ以上詰められないのだから、せいぜい2輌編成を3輌にするくらいで、すごい混雑になっていることと思われます。
 駅も簡素な造りが多いようです。富士見町も無人駅でした。改札口も無く、プラットフォーム上にICカードを当てる検札機が立っているだけです。途中下車をごまかすこともできるのではないかと思いました。

 富士見町駅からスタジオまでの道は、私は事前に地図を印刷していたのに、うっかり家に忘れてきてしまっていました。うろおぼえで歩いてみましたがよくわかりません。だいぶ行き過ぎてしまったようでした。携帯電話で地図を参照しようとしましたが、私のガラケーで表示できる地図ははなはだ不明瞭でした。それでもなんとか判読して、スタジオにたどり着きました。
 普通の2階建ての家屋のようでしたが、その1階がスタジオになっているのでした。あとで聞いたら、家主が高森さんの芝居のファンで、この建物をスタジオとして使っても良いと言ってくれたのだそうです。もとはそば屋か何かが入っていたらしいのですが、しばらく空き家になっていたとか。
 稽古場としてだけではなく、50人ほど収容できる小劇場としても使えるようになっていて、実際に年間十数本の公演をここでおこなっているそうです。むろんその本数を同じメンバーでまわしているわけではなく、ワークショップに参加した人などを中心に、いろいろな組み合わせでやっているわけです。なるほど、募集をかければたちどころに40人ほども出演希望者が集まるわけだと納得しました。
 私は道に迷ったせいで少し遅れてしまいましたが、スタジオに着くと、集まった人々に向かって、高森さんがスケジュールその他の説明をしているところでした。前のほうに机があって、脚本家と、もうひとりの女性がそこに向かい、一同に面していました。私はその机のところの空いた席に招じ入れられました。
 もうひとりの女性というのは、歌唱指導の先生なのでした。ちゃんと歌唱指導がつくということで、私としては安心しましたが、その名前にどうも聞き覚えがあって、首を傾げていました。
 あとで休憩時間の時に、高森さんが紹介してくれましたが、東京藝大で私の一年上だったと聞いて、聞き覚えが確信に変わりました。片桐雅子さん、私が最初に書いた音楽劇『かげの砦』の総監督のような立場だった人でした。
 『かげの砦』は藝大の学園祭(芸術祭と呼んでいた)で音楽学部・美術学部の有志学生合同で制作された芝居で、私は友人から頼まれて作曲を引き受けたのでした。劇中歌が何曲か、それから歌の入らないいわゆる「劇伴」が何曲か、全部で8、9曲書いたと記憶します。私はこの作品と、もうひとつ音楽劇団熊谷組のために書いた『こおにのトムチットットットット』との2作で、ほぼその後の方針を確定しました。その意味では私の作曲家としての道筋を定めた非常に重要な作品だったと言えます。
 オペラというわけではなく、単に歌入りの芝居でしたので、作曲者である私の関与は限られており、制作の深いところまでは関わっていませんでした。そのため、片桐さんのほうは私のことをまったく忘れていたようです。名前を聞いても特に反応はありませんでした。しかし『かげの砦』のタイトルを持ち出すとすぐに合点し、
 「あ〜、すっかり忘れてました。すみませ〜ん」
 と苦笑混じりに言いました。片桐さんは卒業後、歌の仕事ではなくひたすら芝居畑を歩んできたようで、数年前に属していた劇団を辞めてフリーになったので、いろいろなことができるようになったとのこと。まったく予想もしなかった再会でした。33年ぶりくらいかな。
 高森さんによる説明のあと、演出家がやってきて、いきなりエチュードをはじめたのでびっくりしました。一同を4グループに分け、

 ──「七夕」をテーマにした「映画」の「予告篇」をそれぞれのグループで作り発表すること。ただし、必ず1曲は「歌」を入れること。

 という課題を与えたのです。そういえば芝居のエチュードというのはこんな感じだったな、と思い出しました。私が普通の芝居に関わったことはそれほど多くなく、関わるにしても音楽がらみですのである程度稽古が進んでからになるのでした。それで、芝居の稽古の初期段階については詳しくなかったのですが、こんな風に、簡単な課題を与えて小芝居をやらせるなんてのは、確かによく使われるメソッドです。音楽劇の場合はまず「譜読み」からはじまることが多いのですが、芝居だとこういう形でまず「役者としての自覚」をうながすのでした。
 それにしても、顔を合わせたばかりの一同が、そんなにうまく小芝居を作れるのだろうかと、疑いつつ様子を見ていました。すると、どのグループでもけっこう活溌なディスカッションがおこなわれて、だんだんに方針が固まってくるようです。
 20分もすると、第一回の発表ができる段階までになりました。どれもなかなか面白いので驚きました。ひととおり見た上で、演出家が改善点を指摘し、それからまた5分ほどの打ち合わせがおこなわれて、第二回の発表となります。それでさらに面白くなっていたので、大したものだとほとほと感心しました。
 まあ、一同は「ミュージカル初体験」ということはあっても「芝居初体験」という人は居なかった様子で、高森さんの指導などもずいぶん受けているようでしたから、このくらいは朝飯前だったのかもしれません。
 とはいえ、中学2年生だという女の子まで達者に小芝居していたので驚愕です。アドリブと思われるセリフ回しもやたらと可笑しいのでした。何やら末恐ろしいほどです。
 こういう人々に歌って貰う曲を書くのかと肝に銘じることができた点で、やはり出席して良かったと思いました。いまのところ、まだ誰がどの役につくかはまったく決まっていません。それはしばらく基礎練習をしてゆく中で、演出家が決定することになります。いま書いた中2の女の子などは、台本に出てくるワガママな「王女様」役など素でできそうな雰囲気がありましたが、歌唱力のほうはまだ未計量です。歌うところが多い役なので、芝居が達者なだけでは務まりません。どういう配役になるか、皆さんも期待と不安がいっぱいでしょうが、私も同じ気持ちになりました。
 エチュードで相互の一体感を高めたのち、スタジオにカセットコンロが運び込まれ、鍋や酒などが持ち込まれて、忘年会となりました。私は遠いこともあり、途中で失礼しましたが、来年早々にはじまるであろうミュージカルの作曲が楽しみになってきました。
 帰りはおとなしく大船駅に出て、上野東京ラインに乗って帰宅しました。

 実は、去年(2018年)はオリジナルの作品をひとつも書けませんでした。学校を卒業して以来、多作な年も不作な年もあったとはいえ、曲がりなりにも毎年なにがしかのオリジナル曲を作ってきたのに、その連続記録がとうとう途切れてしまったのです。
 さらに今年(2019年)も、秋口まではなんにも作曲の仕事が無くて、これはまさかの2年連続無実績の醜態をさらすことになるかと冷や汗をかいていました。
 幸い、来年おこなわれるChorus STの演奏会で、「ひとりの作詩者の詩に、3人の作曲家が曲をつける」という企画が持ち上がり、私もその1曲を担当することになりました。年内くらいで良いということでしたが、ミュージカルのこともあるし、早めに仕上げてしまおうと思い、11月中に「紫」という曲を書きました。おかげで今年は無実績を免れました。
 来年は年明けから大仕事です。台本を見ると音楽物語『星空のレジェンド』のミュージカル化と言うよりも、スピンオフ作品というか、かなり元ネタを離れたストーリーになっており、新しく書き下ろさなければならない曲も10曲くらいあるようです。
 今年も実際は、『続・TOKYO物語』女声版と混声版の制作とか、『セーラ』のオーケストラ化とか、かなりの大仕事をやっているわけなのですが、どうしても編曲と作曲とでは気負いかたが違ってきます。そういう自分をかんがみて、やはりおれは「作曲家」なのだな、と、今更ながらに実感するのでした。

(2019.12.29.)

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