忘れ得ぬことどもII

パリは燃えているぞ

 パリがとんでもないことになっているようです。
 マクロン政権による燃料税の引き上げ政策に反対するデモからはじまった騒ぎは、やがてほとんど暴動となり、制圧すべき警察官すらもデモに加担するようになり、警察の武器庫が襲われて武器が持ち去られて、ついに軍隊が出動するに及びました。軍が出動するということは、暴動というよりもほとんど内乱です。
 最初は極右勢力の扇動による騒ぎだとかなんとか言われていましたが、もはや右も左も無い状態で、とにかくマクロン政権に反対する人たちが次から次へと参加して、何日にも及ぶ大騒動になってしまいました。
 夜の街路でそこらじゅうに立ち上っている炎や煙を見ると、なんだか21世紀の先進国の出来事とも思えない気がしてきます。
 大革命のときも、こんな光景が至るところで繰り広げられていたのかもしれない、と思うのでした。あのときも武器庫が襲われ、治安を司るべき衛兵が矛を逆しまにして暴徒に加わったりしています。
 そして民衆の憤怒の赴くまま、国王以下多くの人々がギロチンにかけられました。そこにはもう、まともな法治も行政もありませんでした。
 フランス人というのは、200年以上が経ってもあんまり変わらないものだな、というのが、今回の騒動を見ての私の感想だったのですが、考えてみればあたりまえかもしれません。暴動によって旧体制を打倒し、感情のままにギロチンをフル回転させてきた歴史を、彼らは反省するどころか、誇るべきものとして語り伝えてきたのですから。

 最近よく指摘されますが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」の歌詞ときたら、おそろしく血なまぐさいものです。基本的に彼らは、血が好きなのかもしれません。
 ご存じのかたも多いとは思いますが、訳詞の一部を引用しておきます。

 ──ゆこう 祖国の子らよ
 栄光の日が訪れた!
 われらに向かって 暴君の
 血まみれの旗が掲げられた。
 血まみれの旗が掲げられた。
 戦場の残忍な敵兵の
 咆哮が聞こえるか?
 奴らはおまえたちのもとにきて
 おまえたちの子と妻ののどを掻き切るのだ!

  武器を取れ 市民たちよ
  隊列を組め
  進め、進め!
  汚れた血が
  われらの畑のうねを満たすまで!

 これがのっけから1番です。これを学校で、家庭で、子供たちが真っ先に教わるのですから、どんな影響が与えられるか想像がつきますね。
 次に2番です。

 ──この隷属者の群れは 裏切り者は
 陰謀をたくらむ王たちは 何を望む?
 この卑劣な足枷は誰のためなのか
 永らく用意された鉄の枷は?
 永らく用意された鉄の枷は?
 フランス人よ われらのためなのだ ああなんという屈辱!
 どれほどにか憤激を免れない!
 奴らはわれらを昔のような
 奴隷にしようともくろんでいるのだ!

  武器を取れ 市民たちよ
  隊列を組め
  進め、進め!
  汚れた血が
  われらの畑のうねを満たすまで!  

 いや、確かに圧政に抵抗する人々を奮い立たせる歌としてはすぐれていると思います。メロディーも多くの作曲家によってあちこちに引用されるほど印象的です。
 しかし、平時に国民の統合のあかしとして歌うにはどうなんだろう、と疑いを抱かざるを得ません。
 「ラ・マルセイエーズ」は、この調子で7番まで続きます。何番の歌詞にも、血とか死とかがでてきます。
 わが国の「君が代」が、いかにめでたくのどかで平和的か、本当にこれを国歌に制定した先人に感謝したくなるほどです。
 まあ、よその国がどんな歌を国歌にしようが、文句を言う筋合いではないのですが、とにかく「ラ・マルセイエーズ」のような血なまぐさい歌で全国民が教育されてきた結果がどういうことになっているか、一応考えたほうが良いのではないでしょうか。
 大革命は、国王夫妻を処刑したのちも、さまざまに攻守を代えながら続きました。その中からナポレオンが擡頭するわけですが、これもクーデターによる政権奪取です。
 1830年には7月革命が、1842年には2月革命が起こっています。いずれも市街戦がおこなわれ、多数の死傷者を出しました。ちなみに『レ・ミゼラブル』の第4巻で描かれているのはこのいずれでもなく、1832年6月暴動です。
 パリという街は、実にしょっちゅう、流血の惨事が勃発しているのです。つまり、現在の生活に不満を抱く人々の、暴力によってそれを改変しようという試みが、ひっきりなしにおこなわれていると言って良いでしょう。そしておそるべきことに、それらの試みは歴史の中でむしろ称賛を浴びてきたのでした。
 ロシア革命はフランス革命の直系の子孫であるという見かたがありますが、レーニンらが暴力革命を奨励しそれが受け容れられたのも、フランスの暴力の歴史を鑑みたからではないかと思いたくなります。
 不満がある場合に、それを除くため、根気よく言論で訴えかけ、選挙で多数をとって実現するという「迂遠な」方法ではなく、手っ取り早く暴力をふるうことにより相手を威嚇しあるいは打倒して自分の意見を通す……一応は近代民主主義国家であり──というかむしろ近代民主主義の祖と言われてきたフランスですが、結局いまだにそういう遺伝子が色濃く残っていると考えたほうが良いでしょう。
 マクロン政権は、結局暴動の原因となった燃料税引き上げを断念することにしたようです。ここにまた、暴動によって政府の政策を変えさせることに成功したという、良くない例が追加されました。
 しかし今さら税金の引き上げをやめたところで、暴動がおさまるものかどうか、こうなると行くところまで行ってしまうのではないかと懸念されます。暴徒に寝返った警察官などもひっこみがつかないでしょう。マクロン氏は、逮捕されたカルロス・ゴーンのことで安倍晋三首相に文句をつけているような場合では無かったと言えます。

 そもそもなぜ燃料税を上げようとしたかというと、地球温暖化対策のひとつだったそうです。
 ところがマクロン氏は原発の廃止も訴えています。CO2の温室効果による温暖化を防ぐのにいちばん効果的なのは原子力発電の推進なのですから、原発廃止を訴えつつ温暖化対策を講じるなどというのは、いささか二律背反な様相をおびています。
 フランスは世界一の原発大国で、隣国ドイツが原発を廃止できたのは、フランスから大量に電力を買うことができたからでした。それを表面だけ見た日本の原発反対派が、
 「ドイツでは廃止できたのに、なぜ日本でできないのか」
 などと叫んでいるのは滑稽きわまります。そのうちフランスから買っていることが判明すると、今度は言うに事欠いて、
 「日本も韓国中国から買えば良いじゃないか」
 などと言い出しました。電気というものの性質についても、エネルギーの安全保障についても、そして近隣諸国についても、あまりに無知な主張です。
 ともあれフランスはドイツに電気を売って大いに儲けていました。そのフランスで原発を減らすということは、CO2削減を困難にし、電気の売り上げをふいにし、きわめて困難な道を歩むということにほかなりません。
 燃料税の引き上げは、その困難な道の一環ということでしょう。困難な道を歩むについて、国民に充分な説明があったかどうかというと、どうも心許ないものがあります。増税というのはただでさえ反撥を受けやすいのですから、説明を怠ってはいけないはずです。その説明が不充分なままで税金引き上げとなれば、それは暴動も起こるというものでしょう。極右勢力の扇動などという話ではなかったのではないでしょうか。
 フランスの極右勢力、というときに人々が思い浮かべるのはマリーヌ・ル=ペン氏の国民戦線あたりでしょうが、父親ジャン=マリ・ル=ペンの頃と較べれば、国民戦線の主張はだいぶマイルドに──と言って悪ければ一般に受け容れられやすいものになっています。それにル=ペン氏は前回の大統領選挙で、マクロン氏との決選投票まで持ち込んでおり、もうひと息で政権に手がかかるところであり、何も人々を扇動して暴動を起こさせる必要も無いと思います。
 いずれにしてもマクロン氏は進退を問われることになると思われます。
 ところで彼が原発廃止などと言い出したのは、奥方の影響ではないかという気がしないでもありません。大統領選のときに喧伝されましたが、マクロン氏の夫人は、彼が高校生のときの学校の先生で、20歳以上年上です。日本でもそうですが、学校の先生というのは往々にして脳内がお花畑状態になっていることが多く、そのお花畑な考えかたがマクロン氏の政策を左右することになるのではないか、と私はその頃考えました。高校の先生でも、新任ならせいぜい7つ8つの年齢差であって、そんなに考慮すべきでもないでしょうが、20以上年上となれば、当時としても中堅からベテランと呼べる先生であったはずで、マクロン青年への影響力はほとんど母親に近いものがあったのではないでしょうか。
 原発廃止、それもフランスのように国の一大産業と言うべき原発をやめるなどとは、いかにも「意識の高い」学校の先生などが言い出しそうなことです。
 そして暴動に屈して政策をひっこめなければならなかった事実は、今後の指導力にも大きな影を落とすことになるでしょう。

 今回の暴動を見て、あろうことか「日本でも暴動を起こして安倍政権に抗議する人々は居ないものか」と、待望論みたいなものを言い出すお馬鹿さんも居たようです。
 先年韓国で、朴槿恵前大統領をひきずりおろしたろうそくデモのときにも、「これこそ真の民主主義だ」などと無知をさらけ出す手合いがあとを絶ちませんでしたが、ろうそくデモにしても、今回のパリ暴動にしても、法に則らない手続きによって自分たちの為政者を掣肘しようという趣旨だったことに変わりはありません。
 民主主義というのは、その根底に法治がなければ成り立ちません。法治のない民主主義は、むしろ衆愚主義とでも呼ぶべきものであって、司法も行政も、人々の好みや怒りにまかせて無定見に突っ走る危険な社会となります。残念ながら韓国などはすでにそうなりつつあるようでもあります。
 法治は手続きがすべてです。従って法治を根底に置いた民主主義というのは、とにかく迂遠なものです。ひとつのことを決めるのにも時間がかかります。社会的効率を考えると、専制国家のほうがよほどスピーディでしょう。それでも、トータルで見れば民主主義のほうが、より多くの国民により多くの幸福を与えうる、というのが、20世紀という時代をまるまる費やして人類が学んだ成果であったと私は思います。
 その迂遠さを嫌って暴動を待望するというのは、明らかに暴力革命推奨の共産主義思想の申し子であると言えるでしょう。われわれが見習うべきふるまいであるとはとても思えません。
 パリが落ち着きを取り戻すには、10年くらいかかるのではないかという悲観的な意見も耳にしました。さすがにそんなにはかからないと思いますが、大革命のときだって、不毛な罵り合いや殺し合いが何年もだらだらと続いた「実績」があることを考えると、今後の見通しは立てづらいようです。

(2018.12.4.)

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