忘れ得ぬことどもII

日展を観る

 義父が日展の入場券を新聞販売店から2枚入手したとかで、マダムにくれました。ご自身は少し前に「日展の日」といって入場無料になる日があり、そのときに行ってきたそうです。
 それで今日、乃木坂新国立美術館まで観に行ってきました。
 美術鑑賞は嫌いではないのですが、日展を観に行ったことはありません。とはいえいままで関わりが無かったというわけでもなく、学生時代に絵の搬出のアルバイトをしたことがあります。当時は東京都美術館が会場であることが多く、搬入や搬出には、都美術館の隣と言って良い東京藝大の学生がアルバイトで駆り出されることがよくありました。主に美術学部の学生がやっていましたが、日展のように掲示作品が厖大で人手が足りないときには、音楽学部の学生にも声がかかることがあり、そういうときに私なんかも加わっていたわけです。実のところ、私がいままで音楽と関係の無いアルバイトをしたのは、その仕事だけなのでした。
 ともあれそういう機会に日展の出品作に接することはあったものの、自分で入場券を買って行ったということはありませんでした。

 日展といえば、不正審査疑惑が取り沙汰されて騒ぎになったことが、まだ記憶に新しいと思います。最初に発覚したのは篆刻(てんこく)部門で、2009年の審査において、有力な流派に入選数をあらかじめ割り振るという八百長がおこなわれていたことが、朝日新聞の調査で判明したのでした。朝日が珍しく良い仕事をした例と言えそうです。
 また、日展役員職などの有力者に手土産を持ってゆくなどして入選の便宜を図って貰うといった行為も普通におこなわれていることが暴露されました。それから、少なからぬ入選作が、「事前指導」を受けていたこともわかりました。
 美術界に師弟関係というものが厳然として存在するのはやむを得ないことですから、指導を受けるのがいちがいに悪いとは言えないでしょうが、それでもその先生の意見が審議のときに強力になりやすいのであれば、やはりある程度は自重するべきではないかと思います。
 なお、たくさんの人を指導している先生といえども、審議において格別に発言力が強くならないようにする方法は、そんなに面倒なことではありません。私が入学した頃の藝大の作曲科の採点方法を用いれば簡単です。例えば10人の先生が審査するとして、ひとりが2点を持っているわけです。提出された答案に対し、ひとりの先生はどうあがいても、2点か、1点か、零点のどれかをつけるしかありません。有力な先生の誰かが自分の生徒をごり押ししようとしても、たかだか20点中2点をつけられるに過ぎず、全体にはほとんど影響を及ぼせないのでした。
 日展の審査方法はどうだったのでしょうか。「えらい先生」ほど持ち点が多いとかいうやりかたであったならば、やはりそれは不正の温床になりやすいと思います。不正審査疑惑を受けて、2014年に日展が組織改革をおこなった際、「ピラミッド構造を改める」ということを眼目にしていたところを見ると、持ち点制であったかなかったかはともかく、地位が上である「えらい先生」の意見のほうが通りやすい環境であったことは間違いなさそうです。
 以前はどんな体制で、それをどのように改めたのか、門外漢の私などにはさっぱりわかりませんが、とにかく今回の日展は、
 「改組 新 第4回」
 と称せられていました。新体制になった2014年を第1回とすると、なるほど今年で第4回目になります。

 西日暮里からメトロ千代田線に乗り換えてゆくつもりが、東北本線のほうで何やら異音騒ぎがあったとかで、京浜東北線もしばらく運転を見合わせ、ダイヤが大幅に乱れていました。私たちが乗った電車は、赤羽駅の手前で停止し、10分くらい待機しました。せめて駅で停まってくれればいろいろ手の打ちようもあるのに、駅間で停まってしまうと、ただ待つしか仕方がありません。
 そのうち動き出したようでしたが、また途中で停められるとかなわんというので、マダムの提案で赤羽で埼京線に乗り換えました。マダムのスマートフォンの乗り換え案内には候補として出なかったのですが、私たちは池袋で電車を下り、メトロ副都心線に乗り換えて、さらに明治神宮前で千代田線に乗り換えるという方法で新国立美術館に行きました。マダムは池袋まで定期券を持っているので、このルートならば運賃を払うのはメトロの区間だけになり、だいぶ交通費が安くついたはずです。
 私はマダムと別に、メトロの24時間パスを購入しました。各社の一日券のたぐいは、その日の終電までしか有効でないというのがまだまだ多いのですが、外国の都市などに行くと、最初に使用した時点から24時間有効なパスというのをよく売っています。昼頃に購入したら、翌日の昼まで有効というわけで、私はコペンハーゲンでもワルシャワでもこのパスのおかげでだいぶ効率よく移動ができました。東京メトロがいち早くこれを導入したのは感心です。都営線やJRにも乗れる一日券も、早く24時間タイプにすべきだと思います。
 メトロの24時間パスはわずか700円で、初乗りが170円ですから、短距離なら5回、200円区間とか240円区間とかをはさめば4回乗れば元が取れます。池袋から乃木坂は200円区間なので、あと3回乗り下りすれば良いわけです。予定としては展覧会を観たあと昼食をとり、そのあとマダムは生徒の訪問レッスンに向かうことになっていましたが、特に用事も無い私はちょっとやりたいことがあって、あえて地下鉄のパスを買ったのでした。

 予定より30分ほど遅れて美術館に着きました。平日の午前中なのにずいぶん混雑しています。新国立美術館では日展の他、企画展として安藤忠雄展新海誠展をやっており、そちらの客入りがすごいことになっていたようです。ちなみに新海誠というのは「君の名は。」で大ブレイクしたアニメ監督ですね。
 もちろん日展の占めるスペースは格段に巨大です。かなり広大な新国立美術館の、実に半分以上を占めています。とにかく出品数が半端ではありません。
 日本画も洋画も、600点以上出品されています。その他に彫刻、書道、工芸デザインなどのコーナーもあるわけです。しかも、ここに展示されているのはいずれも入選作であることを考えると、エントリー数は気が遠くなるほどの数量であったでしょう。まあ「入選率」がどのくらいなのかは知りませんが。
 審査するほうも楽ではないなと思われ、これではあらかじめ流派によって入選数を割り振るという「楽する」発想が出てきても仕方がないのかもしれない、などとも考えました。大先生に媚びへつらうとか、画壇の闇とか、そんな問題ではなく、とにもかくにも選考を簡単にしたい一念でそんな慣習が生まれてしまったのではあるまいか、と疑いたくなるほどの数量なのです。
 600点の作品を、1作1分ずつ眺めたとしても10時間かかってしまう計算になります。とてもそんな時間はかけられません。
 日本画も洋画も、20あまりの部屋に分けられているので、ざっと部屋を見渡し、興味を惹かれた絵があればそれだけを少し時間をかけて観る、という方法でないと、とても間に合わないのでした。
 特選をとったような作品は、おおむね最初のほうに展示されているので、そこだけ観て帰るという人も居ることでしょう。しかし少し進んだあたりに内閣総理大臣賞だの都知事賞だのを獲った作品があったりもするので油断できません。
 洋画などはスペースが足りなくて、上のほうに展示されている絵もありました。応募規定に何号以上というような決まりがあるのか、いずれもかなり大きい絵なのでスペースもとります。中にはポートレートサイズくらいにしておいたほうが印象深いのではないかと思われるような作品も見受けられるのでした。
 画風の傾向によってまとめたりは一切しておらず、機械的に番号を振って部屋を決めているだけらしいので、とにかく雑多で渾沌とした視覚情報が脳裡にどっと流れ込んでくる感じです。テーマを持ち、それによって配列や掲示場所を決めている美術展を見慣れているので、日展のこの雑然とした雰囲気には面食らいました。もっともヴァティカンの美術館なんかもこれに近いものがありますが。
 いずれにせよ、絵画をたしなむ人というのは、日本国内にこれほど居るのかと、茫然とする想いにかられました。

 義父が前に観に来たとき、気に入った作品があって、売店にその絵の絵ハガキでもあったら買おうと思ったけれども無かったので、写真に撮ってきてくれとマダムに頼んであったそうです。
 そういえば、普通の美術展では考えられないことに、カメラやスマホで作品の写真を撮りまくっている人がそこらじゅうに居ました。
 マダムは頼まれた絵のタイトルを忘れてしまっていて、日本画のコーナーを出てから電話をかけて義父に訊いていました。なんでも妙義山の一角を描いた絵らしく、群馬出身の義父としては懐かしく思ったのでしょう。
 タイトルはわかりましたが、画家の名前は忘れてしまったということで、マダムが買っていた日展の目録から探し出すのに苦労しました。画家の名前が判れば、その人の作品がどこにあるかということは目録で簡単に検索できるのですが、絵のタイトルは部屋ごとにまとめられており、配列に法則性がありません。日本画ではなく、まだ観ていない洋画のほうだったようですが、とにかく600以上並んだ画題の中からひとつを見つけるのは容易でなく、私は2度眺めて見つけられず、3回目にようやく発見しました。
 写真を撮っても構わないとわかって、マダムは洋画のコーナーに入ると盛んにスマホを構えはじめました。が、そのうち係員が来て、
 「撮影許可の腕章はお持ちですか?」
 と訊かれていました。やはり無断で撮影するのはNGなのでした。
 「入口の受付のところで手続きをしてきてください」
 それでマダムは受付のほうに行きました。なんのために撮影するのか、というような確認をされたものの、許可はすぐに下り、梱包リボンのような腕章をつけて戻ってきました。
 マダムは南欧風の建物を描いた絵が好みらしく、そういうのがあるとほとんど欠かさず撮っていたようです。それ以外にも相当撮ったらしく、メモリをだいぶ食ったのではないかと思われました。
 義父から頼まれた絵もすぐに見つかり、念入りに撮影していました。

 日本画を観て洋画を観て、それから彫刻のコーナーまで観たらいい加減くたびれました。だんだん頭の中での視覚情報処理が単調になってきたようで、彫刻で裸婦像がずらりと並んでいるのを観ても、もはやそこらのマネキンのようしか見えなくなっている自分に気づきました。少し休憩などはさんだほうが良かったかもしれません。
 とはいえ、マダムの仕事があり、その前に食事をしなくてはならないこともあるので、休憩している間も無かったのが実情です。書道や工芸のコーナーはもう割愛して、美術館を出ました。2時間あまり居たことになります。腰や頸も痛くなりました。
 麻布十番まで歩き、駅近くのファミリーレストランで食事をしてから、マダムと別れました。

(2017.12.6.)

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことどもII」目次に戻る