忘れ得ぬことどもII

唱歌の歌詞

 最近ちょっと、いくつかの小学唱歌を編曲する機会があったのですが、あらためて昔の歌には歌詞が難しいものが多いなと思いました。
 以前『唱歌十二ヶ月』という曲集を作っているので、そのときも同じ想いに駆られたはずですが、「冬の夜」とか「スキーの歌」なんかはそんなに難しい歌詞ではありませんでした。「春の小川」「鯉のぼり」「蛍」「海」「虫のこゑ」「村祭」「紅葉」なども、やや文語調のところはありますが、そうわかりづらくはありません。若干わかりづらいのは「朧月夜」とか、「夏は来ぬ」「冬景色」などはかなり難度が高かったと思います。
 よく言われるのが「故郷」の冒頭の、「うさぎ追いしかの山」のところ、「うさぎ美味し」と解してしまう子供が多いなんて話ですが、これは次の「小鮒釣りしかの川」と並べれば、「おいし」は「美味しい」ではないんだろうな、と子供でもわかるような気がします。こんなのはいわば初級編みたいなもので、難しい歌詞は本当に難しく、昔の子供はちゃんとわかったのだろうかと不思議に思うほどです。
 たぶんわからなかったのではないでしょうか。先生が教えてくれたのでしょう。ところが、いまとなっては若い先生では歯が立たないのではないかと思われるような言葉もけっこう出てきます。

 短大の保育科に勤めていた頃、教材として使った瀧廉太郎「花」の歌詞の解釈を学生にさせてみたところ、なかなか面白いことになっていました。
 「はるのうららのすみだがわ、のぼりくだりのふなびとが」はまあさほど問題がありません。次の「かいのしずくもはなとちる」あたりから怪しくなります。かなりの学生が、「かい」を「貝」と解したのでした。「ながめをなににたとうべき」は大丈夫でしたが、ただ「ふなびとが」の「が」の解釈ができず、全体の意味合いがつかみとれないという事態に陥っていました。もちろんこの「が」は「おらが村」というときの「が」で、所有格をあらわす助詞、いまで言う「の」です。それを「私が言いました」という格助詞の「が」と勘違いするので、船人が一体どうしたのだ、ということになってしまいます。
 2番以降はさらにカオスになります。「みずやあけぼの、つゆあびて」の「みずや」を「水屋」と解した者が半数くらい居ました。こういうことがあるので、楽譜に記載する歌詞の中で、漢字が宛てられる文字には極力漢字を使っておいたほうが良いわけです。「見ずや」と表記されていれば、さすがに「水屋」とは思わないでしょう。「見ずや」の意味が初見でわからなくとも、どういうことだろうと疑問に思うはずです。
 蛇足ながら申せば、これは「否定(ず)の疑問(や)」ですから「××しないの?」ということになり、従って「××すれば?」「××しようよ」と等値になります。つまり「見ないの?」=「見ようよ」ということです。
 3番もいろいろあります。「にしきおりなすちょうていに」……「ちょうてい」はほぼ全員が「朝廷」と解してしまい、「長堤」つまり長い土手と正答した学生はほとんど居ませんでした。全然意味が通じなくなりますが、そんなことはどうでも良いようです。
 「げにいっこくもせんきんの」……「げに(実に)」というのは古語と言うほどではなく、明治時代くらいの文章を読んでいればいくらでも出てくるのですが、これも意味がわからない学生が大勢居ました。
 保育科の学生ですから、当然保育士となって、子供たちに歌を教えたりする立場になる子たちです。それでも歌詞の理解などこんなものなのかと驚いた記憶があります。

 最近やった編曲仕事というのは、とある出版社が企画した、中学生向けの合唱曲集に載せるためのもので、ゲラ刷りを送ってきたのを見たら三百何ベージなどと記されており、相当に大部の曲集だったようです。その中で5曲ばかり、唱歌などを編曲したわけです。
 その中に『唱歌十二ヶ月』にも入れた「冬景色」があり、あらためて歌詞が難しいなあと感嘆したのでした。
 クラス合唱用の曲集らしく、アレンジはとにかく易しくして欲しいと頼まれていました。音楽の先生ではなく普通の教科の先生でも指導できるようにというのが目標だったのでしょう。
 それでまあ、アレンジはできるだけ平易におこなったのですが、それはそれとして歌詞の解釈は、若い人なら国語の先生でもないと難しいのではないかと思われたのです。
 「さぎりきゆるみなとえの、ふねにしろしあさのしも、ただみづとりのこゑはして、いまださめずきしのいへ」
 理科の先生などには手に負えないのではないかと心配になります。
 まあ、これもゲラを見たところ、同じページに歌詞が漢字交じり文でちゃんと載っていたので、ある程度はわかると思いますが。
 「さ霧消ゆる湊江の、舟に白し朝の霜、ただ水鳥の声はして、いまだ覚めず岸の家」
 それでも「さ霧」の「さ」はなんだ、などとこだわり出すと、なかなか骨が折れるのではないでしょうか。
 2番には「花」にも出てきた「げに」が出てきます。「のどけしや」はわかるでしょうか。
 3番はさらに文法的に難しかったりします。
 「若し燈火のもれ来ずば、それと分かじ野辺の里」を正確に現代語訳できるかと言えば、若い先生に限らず、私と同世代くらいでもけっこう大変な気がします。

 「夏は来ぬ」も扱ったのですが、これもなかなか難しい歌詞です。この唱歌は、もともとが高学年向けであって、音域もかなり広くなっています。しかし当時は12、3歳くらいでいちおう歌詞の内容も理解できたわけですね。
 いまだと、タイトルからして、夏が来るのか来ないのかわからないことになりかねません。「なつはこぬ」と読んでしまうと来ないことになりますね。それが「きぬ」と読むと「来る」、というか「来た」、という意味になるというこの文語の微妙さ。
 この歌は5番までありますが、基本的には5首の短歌であり、それぞれの最後に「夏は来ぬ」といういわばリフレインを付けた形になっています。しかも5番ではそれまで出てきたアイテムを簡潔に思い返すという仕組みになっており、そこに気づくとなかなか凝った構成であることがわかります。
 「卯の花の匂う垣根に時鳥(ほととぎす) 早も来鳴きて忍び音もらす」
 「さみだれのそそぐ山田に早乙女が 裳裾ぬらして玉苗植うる」
 「橘(たちばな)の薫る軒端の窓近く 蛍飛びかいおこたり諫むる」
 「棟(おうち)ちる川べの宿の門遠く 水鶏(くいな)声して夕月すずしき」

 最後の「夏は来ぬ」につなげるために、3番と4番などは連体形で終わっていますが、これを「おこたり諫む」「夕月すずし」と終止形にしておけば、それぞれが独立した短歌であることがわかると思います。作詩者の佐佐木信綱は本来歌人です。
 従って、この歌詞は短歌として解釈しなければならないことになります。2番などちょっとエロティックな趣きもあり、小学生に歌わせるにはいかがなものかと思ったりしました。
 3番の「蛍飛びかいおこたり諫むる」などは、かなり想像力を働かせないとイメージが湧かないでしょう。蛍が飛ぶのは良いとして、それがなぜ「おこたり諫むる」つまり自分が怠けているのをとがめていることになるのか、私が中学校の国語の先生なら、これだけで授業時間の半分くらいは費やせる自信があります。
 4番の「棟」と「水鶏」はすでにそのもののイメージすら湧かないのではないでしょうか。「おうち」は「せんだん」のことだと言うのですが、そのセンダン(栴檀)という植物もよくわかりません。「栴檀は双葉より芳し」という成語は知っていても、実物を見た記憶がないのです。クイナという鳥も見たことがない人が多いでしょう。
 これに続く5番は、
 「五月闇蛍飛びかい水鶏なき 卯の花咲きて早苗植えわたす」
 で、「蛍」は3番、「水鶏」は4番、「卯の花」は1番、「早苗」は2番(ただし「早乙女」と「玉苗」の重複イメージでしょうか)から採られており、この季節の風物を列挙した形になっています。それと「五月」が旧暦であることも先生は説明しなければなりませんね。

 「ロンドンデリーの歌」も編曲しました。前にカワイ出版『リーダーシャッツ21』に載せたアレンジに較べると、はるかにシンプルなものにしましたが、これも歌詞(訳詞)は一筋縄では行かない感じです。
 「ロンドンデリーの歌」の原曲自体、いろんな歌詞がつけられて歌われており、「ダニー・ボーイ」などもそのひとつです。ある調査によれば百種類以上の歌詞があると言われています。ゲーテ「野ばら」と逆のパターンですね。「野ばら」は同じ詩に対して150種類くらいのメロディーが作曲されています。有名なのがシューベルト作曲のものとヴェルナー作曲のものですが、それ以外にもゴマンとあるのでした。
 訳詞もいろいろ考案されていますが、いちおうスタンダードなものとしては津川主一訳があり、今回もその訳詞を用いたのですけれども、これがまた古風な言葉遣いで、ひらがなだけ見ているとさっぱりわからないことになりそうです。
 津川主一という人は牧師でもあって、讃美歌や聖歌の訳詞もずいぶんしています。讃美歌などの日本語詞を見ると、口語と文語が混じった妙な文体になっていることがちょくちょく見られますが、それは津川氏などがやったことと思われます。本来ヨーロッパ語で書かれている讃美歌を日本語に訳すにあたっては、どうしても音節が合わないということがよくあり、そのあたりを解決するために、津川氏やその他の牧師さん神父さんたちは、口語と文語を自在に混ぜるという方法を採ったのでした。
 前に、麻稀彩左さんの台本で音楽劇を作曲しているとき、テキストにちょくちょく不自然に思える文語形が出てくるのでその点を指摘したところ、
 「わたしは『聖歌育ち』なのでちっとも不自然には思いません」
 との答えが返ってきて、ああなるほどと思ったことがあります。
 聖歌の場合、あまりにくだけた訳語にすることもはばかられるでしょうから、古格な訳詞になることはやむを得ないかもしれませんが、それにしても口語なら口語、文語なら文語で統一して貰いたいものです。

 歌詞についていろいろ述べてきましたが、逆に古文の学習の入口として、昔の歌の歌詞を利用するというのも可能なのではないかとも思います。
 もっとも、古文の学習というのが、なんのためにおこなわれているのか、私にはよくわかりません。普通に考えれば、明治以前の文芸遺産に触れて教養を広め深めるための手助けということになるのではないかと思えるのですが、それにしては授業では文法とかそんなことばかりやっていたような気がします。文法というのはどちらかというと、その言葉を「書く」ためのツールで、「読む」ためにはそんなに必須のものではないと私は考えるのですが、どうなのでしょうか。いまさら文語文を「書く」人など、よほどの好事家以外は居ないでしょう。
 読むにあたっては、口語文のようにストレートには理解しづらいので、そのハードルを下げてやるというのが古文の授業の役割でしょう。ある程度読めるようになったら、どんどん好き勝手読ませるのが良さそうです。
 その意味では、いま生きている時代に近いほうから手がけるのが良いと思います。ものの感じ方や価値観が近いからです。それで私は、「東海道中膝栗毛」を導入にすれば良い、と主張しています。ほとんど会話文で成り立っていてするすると読めるし、要所要所に挿入される狂歌はもっと古い和歌を読み解くために格好の入門編となってくれるはずです。
 「会話文ばかりで口語に近く、あまり古文の授業で扱う意味がない」
 と言う先生も居ることでしょうが、要点は難解な文語文を解読することではなく、過去の文芸作品を愉しむというところにあるはずです。「膝栗毛」ならその導入としてぴったりだと思うわけです。ただ内容にシモネタが多いので、ちょっと学校向きではないかもしれませんが……
 しかし文語文の導入ということであれば、古い唱歌の歌詞などもなかなか良いかもしれません。明治以降は「古文」にならない、などと偏狭なことを言わず、まず「花」とか「冬景色」とかの歌詞を解釈するあたりから入れば、それなりに面白い授業になるのではないでしょうか。

(2017.10.28.)

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