忘れ得ぬことどもII

ラッカ陥落

 IS(イスラミック・ステート)の「首都」であったシリア北部の都市ラッカが、クルド民兵の攻撃によって陥落したのは2017年10月17日のことでした。
 まずはめでたいと言うほかありません。ISはラッカを中心にそのあたりを占拠し支配していました。最近は世界各地のテロ事件にいちいち関与のコメントを出したりして、なんだかウケを狙っているんではないかというような気配がありましたが、ISの実際の悪行というのはそういうことではなく、占領地に恐怖政治を敷いて多くの住民を殺し、追放し、迫害したことが問題なのです。
 しかも、イスラムそのものの評判もISは叩き落としました。ISの傍若無人な言動により、世界の人々はISを怖れるよりむしろ「イスラムは怖ろしい」と思ってしまったのです。当然ながら身近に住むムスリムへの風当たりも強くなったことでしょう。かつてのアルカイダもイスラムのイメージを落とすことにずいぶん貢献した感じですが、ISはさらに決定的に落とした上に念入りに踏みつぶした観があります。
 ISの活動により、非イスラム圏からのイスラムに対するイメージが最悪になりましたが、実際にはもちろん、いちばん被害を受けているのは同じムスリムたちです。占領地の住民は住み処を追われ、仕事を、家族を、最悪な場合は命を失うことになりました。若い男などは無理矢理兵士にさせられたりもしました。そして他の地域のムスリムたちも風評被害に苦しむはめになったわけです。ISがイスラムに対して何かプラスの貢献をしたということはまったく無かったのではないでしょうか。

 シリアとイラクはけっこう長い国境線を有している隣国同士ですが、ISが占領していたのはその北部国境付近です。ほぼ古代にメソポタミアと呼ばれていた地域と言って良いでしょう。シリアの首都ダマスカスからも、イラクの首都バグダッドからも遠く、なかなか国による実効支配が難しい地域でもあったようです。
 2011年エジプトチュニジアで起きた革命運動がシリアにも連鎖し、アサド政権が強圧的に対処したことで内戦となり、地方都市まで政府の手がまわらなくなっていたところを狙って、ISはラッカの制圧に成功し、以後ここを拠点として支配地を拡げました。彼らにとって既成の国境などは問題でなく、イラク側にも浸透しました。
 イラクやシリアにとっては、これは当然許されるべきことではありません。初動は遅れましたが、イラク側からは正規軍が制圧に向かい、しばらく前にIS勢力を駆逐したという報道がありました。
 一方、シリア側でISに立ち向かったのはクルド民兵(シリア民主軍)であり、これはいわば反政府組織です。シリア政府は内戦の余波もあり、正規軍を向かわせることができなかったようです。ISの制圧を反政府組織が成し遂げたということで、アサド政権の立場はいままで以上に弱くなるかもしれません。
 イラク側でもクルド人たちは活躍しました。2014年キルクークの戦いでは、イラクの政府軍や警察がIS軍にボロ負けして敗走したのに対し、クルド人部隊であるベシュメルガが徹底抗戦、ISの攻勢をみごと撃退しています。部隊というと小規模なイメージがありますが、ペシュメルガというのは20万人以上を擁する大規模な軍隊です。自衛隊の陸海空全隊員が25万人弱ですから、ペシュメルガはほぼ一国の軍に匹敵する兵力を持っているわけです。
 女性の実戦部隊があるという珍しい軍隊で、危ないのではないかと思ってしまいますが、ISの教義では「女に殺された兵士は天国へは行けない」ということになっているらしく、女兵部隊を見るとIS軍はむしろ逃げ出すことが多いのだとか。逆に男尊女卑の激しいIS軍に捕まったりすると女性兵士は大変な目に遭うことがわかりきっているため、みんな死ぬ気で戦うので、女兵部隊は実のところかなり強いそうです。「生きて虜囚の辱めを受けず」というヤツですね。ちなみに旧日本軍のこの標語は、日清戦争のときにできたもので、当時の清軍の捕虜になると、まだ捕虜取扱いの国際条約などもできていない頃のこと、本当に残虐きわまるやり口で惨殺されたために、そんな目に遭うよりも自決したほうがよほどましだという意味でした。間違えている人が多いのですが、第二次大戦時の「特攻のすすめ」などではありません。
 ともあれ、イラクでもシリアでも、対ISに関しては、クルド兵が大活躍だったのでした。実はクルドも自前の国を欲しがっています。第一次大戦後に西洋列強の手によって引かれた国境線を面白からず思っている点ではISと同様だったりするのですが、ISのように無理矢理「国」を起ち上げてしまうと、周囲から袋叩きに遭うということがよくわかっている分、利口ではあります。ただしその利口な分、いまひとつ国家創建に踏み切れない弱さがあるとも言えるでしょう。
 IS退治に積極的だったのも、これで存在感を高めれば、USAあたりが建国に協力してくれるのではないかという下心があったからだとも言われています。しかし、それはなかなか難しいような気がします。クルド人は昔から、強力無比な戦闘能力を持ちながら、政治力に欠けるために、つねに大国や周辺国に利用されるだけで終わってしまうという悲運を繰り返している民族で、今回もそうなりはしないかと思うのです。クルド人が住んでいるイラン、イラク、シリア、トルコなどが、彼らのために領土を割愛する可能性は非常に低いと言わざるを得ません。そしてUSAも、このあたりにヘタに触れることにはためらいがあるでしょう。4国に対し、クルド人の国を作るために少しずつ土地を分けるように示唆するなどというのは、文字どおり火中の栗を拾うようなもので、USAとしてもご免こうむりたいはずです。
 気の毒なクルド人たちに幸あれかしと願わずには居られません。

 それにしてもISという「国」は、何をしたかったのでしょう。
 何度か書きましたが、ISにはどこか、まじめさを欠いているようなところが感じられました。
 外国人を人質に取るのは、まあわからないでもありません。しかし、その人質を使って何をしたいのかというのがよくわかりませんでした。
 日本人も何人か捕まりました。人質になっている写真が公開されました。しかし、その人質を楯に日本政府に何か要求してきた気配はありません。2億ドル払え、と言ったことはあるようですが、そのための交渉窓口など用意しませんでした。仮に日本政府が身代金を払う気になったとしても、いつどこで誰に身代金を渡せば良いのか、そういった指定がなされた形跡が無いのです。そしてしばらくして、人質の斬首写真なるものが流出しました。なんのための人質だったのか、その殺害を公表することにいかほどの意味があったのか、さっぱりわかりません。
 最近ヨーロッパで頻発しているテロ事件で、ISはいちいち「われわれの指示に従った行為だ」とコメントしました。真偽はわかりません。犯人がISに賛同していたということはあったのかもしれませんが、直接的な指令系統があったとはどうも考えられないのです。
 もし指令系統があったとして、テロの目的がこれまたわかりません。大体テロというものは、言論や財力などのまっとうな手段では自分たちの主張や要求が通らないと考えた連中が、暴力でそれを通そうとする行為です。つまりまずは、
 「われわれの以下の要求を呑め。さもないと……」
 という通告があってしかるべきでしょう。あるいは最初の一回だけは無警告でおこなわれるかもしれませんが、その場合でも、
 「われわれはこの行為をさらに続ける用意がある。それがイヤなら……」
 と通告するのが当然です。
 そう考えると、無差別自爆テロを無原則に起こして、「これはわれわれの指示によるものだ」とコメントしても、なんの意味も無さそうです。頭の悪い筋肉バカが、
 「ウワッハッハッハァ! どうだ、おれの力は!」
 とひとりで得意になっているようにしか見えません。
 「おれの力の前に、どいつもこいつもひれ伏すがいい!」
 まで言えば、いちおう目的のようなものは感じられますが、ISはそこを言わないので、結局なんだかわからない、無目的の暴力行為にしかなっていません。
 「ISはイスラム世界と非イスラム世界の対立を激化させ、そこにつけ込んでさらに勢力を伸ばすつもりだったのだ」
 という解説を読んだことがあります。一見もっともらしいのですが、そうするためにはISは、イスラム世界なるものを大同団結させる必要があったはずです。しかしご覧のとおり、ISがいちばん迷惑をかけているのはイスラム教徒たちなのであって、ISを討伐したイラクもシリアも、そしてクルドも、みんなイスラム教です。同じ宗教を信ずるものたちからこれほどの総スカンをくらっているところを見れば、ISが上記のような遠大な野望を持っていたとは到底考えられません。
 ……いや、野望だけは遠大だったのかもしれませんが、その手段は稚拙で、日本人からすれば中二病的とさえ思える振る舞いでした。その中二病的行為の犠牲になった人々こそいい迷惑です。

 「首都」は陥落しましたが、ISはまだ亡びたわけではありません。指導者たちの誰が死んで誰が生きているのかもまだよくわかっておらず、もし大半が生き延びているのであれば、反攻もありうるでしょう。
 カリフ(教父)を自称していたアブー・バクル・アル=バグダーディはしばらく前から行方不明だそうで、2015年4月28日に死亡したという説もあります。また今年の5月28日ロシア軍の空爆により死んだとも言われていますが、生存説も根強いようです。
 生き残った連中が、ひとまとまりになって反攻してくるのなら、まだ始末がよいのですけれども、世界中に散ってしまって各地でテロ行為などを先導するようになったら、これはなかなか大変です。まあもっとも、上層部の連中は自分の命を的にしたテロなどは起こさないような気もしますが。
 それにしても、ISがもともと、アルカイダの中の過激分子がアルカイダ中枢と袂を分かって生まれてきたことを考えれば、ISの残党の中から、また過激分子が分離してあらたな組織を作るという可能性も充分にあります。そしてそういうイスラム過激派には、つねに一定の支持者が居るものです。ISが、ともかくも一時はイラクなどの正規軍を圧倒するだけの軍事力を備えたというのは、それなりにISに共感する者が多かったということでしょう。
 今回たとえISを潰したとしても、そう遠からずまた別の過激派組織が起ち上がって、あちこちでテロ行為を主導するということをはじめるに違いありません。これを終熄させるためには、イスラム教全体の指導者層が一致してテロ行為を否定するコメントを出すしか無いと私は思っています。
 ムスリムがテロに走るのは、個人的な遺恨とか義憤とか、理由はいろいろあるでしょうが、何よりもそれがジハードに相当する行為だと信じているからでしょう。ジハードは聖戦と訳されることが多いのですが、本来は「良きムスリムとして努力すること」という意味です。そしてジハード中に命を落とした者は、無条件で天国に迎えられます。初期のイスラム勢力が、アラビア半島に覇を唱えるための征戦中、兵士たちにはそう言って士気を高める必要があったのだと思いますが、それがムハンマドの言葉として不磨の大典とされ、1500年以上を経てもそのままになってしまいました。
 本来、ムスリムのある行為が、ジハードに相当するかどうかを判定するのはカリフの役割であるはずなのですが、イスラム世界全体にカリフと認められた人物は、1924年アブドゥルメジト2世の退位以来、存在しません。だから実際のところ、当人が「おれはジハードを遂行している」と思えばそのままジハードになってしまうようなところがあります。またISが各地のテロ行為をあとからジハード認定していました。「われわれの指示による」といちいち言っていたのは、ジハード認定するための方便とも思われます。アル=バグダーディはイスラム世界全体に認められたカリフではなかったものの、いちおうカリフを自称していた男にジハード認定されるとなれば、テロリストたちの背中を押すことにはなっていたかもしれません。
 カリフが居ないのは仕方がありませんが、それに次ぐような指導者は何人か居るわけで、彼らが相次ぐテロ事件について、
 「こんな行為はジハードでもなんでもない!」
 と共同声明でも出してくれれば、それだけでだいぶ抑止力になるように思えます。実際のところ、あちこちで起きているイスラムテロに対して、彼らからのコメントが何も伝わってこないのが、不思議でなりません。サウジアラビアエジプトにひとりずつ居る、カリフに次ぐ高位者である大ムフティーが、何か言ってくれればと思わざるを得ません。彼らも実はテロ行為を称賛しているとか、彼らの地位は案外もろいもので下手なことを言うとすぐに追放されたり殺されたりするとか、沈黙の理由もいくつも考えられますが。
 いずれにしろ、これで少しは不穏な空気がおさまれば良いと心から願わずには居られません。

(2017.10.21.)

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