忘れ得ぬことどもII

ミサイル襲来

 北朝鮮が立て続けにミサイルをぶっ放す暴挙に出て、剣呑なことになってきました。私の住んでいる埼玉県にはまだJアラートとやらは発動されていないようですが、すでに隣県まで発動しています。次の機会あたりにはアラートが鳴るかもしれません。
 ミサイルの飛距離は順調に伸びているようで、すでにグアムあたりまでは射程に収まっているとも言われます。本土ではないにせよUSAの領土を直接狙えるようになったとなると、USAも黙ってはいられないでしょう。
 もっとも、毎回北海道を飛び越すとかそちらのほうばかりに飛ばしているのは、ひょっとしてコリオリ力を制御できていないのではあるまいか、などと考えています。ミサイルの着弾点を正確に決定するためには、当然ながら地球の自転に由来するコリオリ力を計算に入れる必要がありますが、その辺がまだ不充分なのではありますまいか。実は北朝鮮が飛ばしたミサイルの弾道は、狙ったところよりもだいぶ北東方向にずれているというオチがあったりして……と希望的観測を抱いたりしているのですが、さてどんなものでしょうか。とにかく距離だけはグアムが射程に収まるとはいえ、あさっての方向にばかり撃っているのは、USAをとりあえず本気にさせないための意図的なことなのか、それとも一種のミスであるのか、微妙なところです。
 狙いが本当に定まっていなかったとしても、「間違って日本に着弾する」ことだって充分ありうるわけですから、油断はできません。どこかの新聞社は「一発だけなら誤射かもしれない」などと能天気なことを言っていますが、誤射であっても人は死傷するのです。

 USAが本腰を入れれば、北朝鮮くらいはすぐに制圧できるとは思うのですが、いまのところトランプ大統領と金正恩とは、威勢の良いことを言い合っているばかりで、なかなか戦端を開くには至らないようです。
 実のところ朝鮮半島はUSAにとって、ある種のトラウマになっている可能性もあります。人によっては、朝鮮戦争はUSAの歴史上もっともみじめな敗戦だったと言うくらいです。ヴェトナム戦争よりさらに深刻だったと判定しているわけです。ヴェトナム戦争は、はじめてテレビカメラが戦場に持ち込まれることによって、戦争の赤裸々な現実を見せつけられた銃後の市民が厭戦気分に陥ったという意味でトラウマレベルだったわけですが、朝鮮戦争の場合はそういうことではなく、中国軍の圧倒的な人海戦術に文字どおり蹴散らされて、あやうく戦線が崩壊するところだったのですから、なるほど軍事的にはむしろこちらの敗戦のほうが大きかったかもしれません。
 この場合、米軍を蹴散らしたのは明らかに北朝鮮軍ではなく中国軍だったわけですから、本来北朝鮮相手にトラウマを感じることも無さそうなのですが、北朝鮮をヘタにつつくと中国が出てくるという恐怖感がUSAに刷り込まれたと言えるでしょう。先日の国連による非難決議も、決議したこと自体は良かったにせよ、その内容はかなり生ぬるいものに終わっていました。やはり中国とロシアが制裁に消極的であったためであるようです。それでも問題が例えば中東あたりのことであるなら、USAは中国やロシアなどあまり頓着せずに行動を開始するだろうと思えますから、北朝鮮への及び腰はやはり過去のトラウマの成せる態度ではないかと思ってしまうわけです。

 まったく厄介な場所に厄介な国があったもので、朝鮮半島が無ければ、日本は清国ともロシア帝国とも戦争などしなくて済んだのではないかと思います。あそこにああいう形で突き出している半島が敵対的な大国の領土になった場合、日本の位置としては本当におちおちしていられない気分だったことがよくわかります。現実に何年かを日本で過ごしたマッカーサーは、朝鮮戦争が起きたときに、
 「いまはじめて私は理解した。日本が先の大戦をはじめたのは、もっぱら自衛のためであったのだ」
 と述懐しました。朝鮮半島が共産主義勢力の手に落ちるのが、日本という位置に居るとものすごく怖いことなのだということを、マッカーサーは自分の感覚として知ったのです。それで、彼はトルーマン大統領に朝鮮半島への原爆投下を具申するのですが、ワシントンで安閑としているトルーマンにはマッカーサーの危機感が一向に伝わらず、具申をにべもなく却下し、駐日軍総司令官の職も解いてしまうのでした。このためマッカーサーは、同格だったアイゼンハワー(大西洋方面軍司令官)のように大統領選に出馬することもなく、ひっそりと消えてゆきました。
 韓国や北朝鮮からしてみれば、日本さえこの世に無ければ、と思っていることでしょうが、その場合は中国かロシアの一部になっていたに違いなく、少なくとも、北朝鮮人はともかく韓国人が、今より良い生活ができていたとはまず考えられません。

 何度も領空を通過するミサイルを撃たれて、日本の国防は大丈夫なのかと不安になっている人も多いことでしょう。
 自衛隊は当然迎撃準備はしていますが、日本本土に着弾すると予測されるミサイル以外を撃ち落とすことは、現状では法的に不可能なのだそうです。本土に着弾し、日本国民の生命や財産が損なわれると判断された場合のみ、一種の警察力行使としてミサイルを撃ち落とすことができるらしいのですが、そうでない限りは指をくわえて見ているしかないという話で、アホか~、と心底言いたくなります。国土に直撃しなくとも、領海内を航行中の漁船などが巻き込まれる可能性は無いとは言いきれないでしょう。つくづく日本という国は国防意識をおろそかにしてきたのだなあと嘆息せざるを得ません。
 また今回のミサイルのように、弾道の高度が高いものについては、技術的にも迎撃は困難であるそうです。イージス艦で撃ち落とせるのは高度500キロくらいの弾道のミサイルまでで、今回は800キロくらいのところを飛んで行ったそうなのでこちらの迎撃ミサイルが届かないのでした。
 一発でも二発でも、北朝鮮の撃ったミサイルを撃ち落としていれば、自衛隊への信頼度は格段に上がるでしょうし、政府もいろいろな点で国民を説得しやすくなりそうなのですが、法的にそれができないというのは歯がゆい限りです。北朝鮮もそれがわかっていて、あえて日本本土に着弾するような飛ばしかたはしていないとも考えられます。じりじりするような心理戦です。
 心理戦と言えば、この期に及んでいまだに、「北朝鮮を刺戟するから防災訓練などするな」とか、「こういうときこそ経済制裁などせずに真摯に北朝鮮と話し合うべきだ」とか論じている手合いがあとを絶たないのが不思議でなりません。防災訓練を妨害しに出かけた人も居るそうです。ことここに至ってしまえば、そんなのはもう、北朝鮮の間諜と疑われても仕方のない言動と言えましょう。いままで何十年もの、あらゆる話し合いの機会が功を奏せずに、現在ミサイルをポンポン撃たれまくっているのですから、もう話し合う段階などとっくに終わっているのです。
 最近、さすがに「ISと話し合うべきだ」などと世迷い言を吐く者は見なくなりましたが、北朝鮮に対しては、まだ相手が話し合いに応じてくれると思っている人が残っているのでしょうか。いや、そんなことはこれっぽっちも思っていないけれど、とにかく安倍晋三首相の足をひっぱりたいがために言っているだけなのかもしれませんが。

 タイミング良くと言うか悪くと言うか、朝鮮学校への補助金打ち切りが違法ではない由の判決が東京地裁で下されました。この前大阪地裁では、同じ案件が違法と判断されましたが、東京地裁ではなんとか常識が通った感じです。朝鮮学校への補助金が北朝鮮への資金として渡っていることはなかば公然の秘密ですから、こんな情勢下では打ち切りが当然でしょう。そうでなくとも、兄を暗殺するような独裁者を偉大な指導者として称えるような学校に、公金を支出する理由は無いと思います。
 子供には罪は無い、彼らから学ぶ機会を奪うな、というのが打ち切り反対派の常套句ですが、罪のない子供たちにわが国の理念や常識と反する教育を施すのは、わが国にとってみれば立派な罪でしょう。学ぶ機会と言えば、彼らには普通の、公立の学校に通う権利は認められているのですから、これも言いがかりのようなものです。
 民族差別である、という意見もあります。しかし北朝鮮人の子供が朝鮮学校で学ぶのは、アメリカ人の子供がアメリカンスクールで学ぶとか、フランス人の子供がリセ・フランコ・ジャポネで学ぶとかいうのと同等のはずであり、これらの外国学校には補助金など出ていません。従って朝鮮学校のみ差別していることにはなりません。
 公立でない学校に補助金を出す条件は、いわゆる「一条校」(学校教育法第一条に規定されている教育機関)であることです。一条校であるためには、文部科学省の管轄下に入り、一定の教育内容を充たしている必要があります。朝鮮学校はそれを拒んでいるのですから、そもそも補助金を貰う資格がありません。貰いたければ一条校になれば良いだけのことです。
 しかし従来、在日韓国・朝鮮人に対してはなんとなく引け目があったのか、法を曲げて朝鮮学校に補助金を給付している自治体がずいぶんとありました。市役所レベルでは担当職員への個人的恫喝などに抗えなかったのかもしれません。
 本来法を曲げての温情的措置であったはずなのに、それを既得権と思った朝鮮学校側が騒いでいるわけですが、昨今の情勢下では、一旦打ち切りになった補助金が復活する目はあまり無さそうです。そもそも朝鮮学校の設立理由は、将来帰国したときに生活に不自由が無いようにするためだったはずなのに、卒業生が一向に帰国しないというのも妙な話で、帰国しないならもう設置意義が無いと言っても過言ではありません。そろそろ、帰国するか学校を解散するかの二者択一を迫っても、そう批難はされないのではないでしょうか。

 北朝鮮のような、独裁者の君臨する専制国家体制が、一向に揺らがないことに首を傾げている人々も多いと思われます。北朝鮮の国民の生活はどう考えても苦しいはずで、不満が湧き上がらないはずはなさそうに思えます。自由に発言することもできませんし、上に睨まれればいとも簡単に強制労働所送りとなります。国外の情報も遮断されているのでしょうが、それにしても革命の火種のひとつも無いのか、といぶかしい気持ちになることでしょう。
 前にも書いたことがありますが、北朝鮮の体制は李氏朝鮮の再来と言えます。王族・貴族・両班(ヤンパン)・常民(サンミン)・白丁(ペクチョン)それに奴婢という身分がガチガチに固定され、上の身分の者は下の者に対して何をしても許され、下の者はそれを恨みには思いますが結局反抗することもなく受け容れ続けます。
 歴代中華帝国でも表向きは儒教国歌としてそんなところがありましたが、中国というのは所帯が大きいため、案外と抜け穴も多く、帮(パン)といったような横の(そして裏の)ネットワークも発達し、ときにはそれが帝国自体を揺るがすことにもなりました。
 しかし朝鮮は小所帯であったために、儒教体制が末端の先までがんじがらめにまとわりつき、そこから外れた存在などはありようもなかったのでした。
 そしてその李氏王朝は、驚くべし518年も続いたのです。
 中国の諸王朝でこれを上回る長さだったのはだけです。しかも周は、文字どおりの天下王朝であったのは最初の200年ほどだけで、あとの600年近くは宗教的権威を保つだけのお飾りに過ぎませんでした。そのまえのも550年ほど続いたと言われますが、こちらは前半の文献史料が無いため、まったくあてになりません。
 李氏朝鮮が500年以上にわたって、ほとんど体制が変化することなく続いたのは、歴史上の奇蹟と呼べそうです。しかも神代とか古代とかの王朝ではなく、時代的には近世王朝です。オスマン帝国も長く続きましたが、こちらは国の規模や体制にかなりの消長があり、安定したのはコンスタンティノープルに遷都してからで、約470年間となります。それだとやはり李氏王朝よりも短いのです。
 見るところ、北朝鮮の社会のありかたは、李氏王朝と非常に近いものが感じられます。金日成金正日・金正恩と続く「国王」が居て、金一族が「王族」にあたります。貴族は労働党幹部たちです。一般の労働党員は両班と言えるでしょう。そして常民以下の一般国民に対してしたい放題しています。
 実は、この形は朝鮮民族にとって、もっとも安定した体制であるという考えかたがあります。李氏王朝が518年も続いたのは、その国民にとって安定した形であったからという理由が大きいのではないでしょうか。
 近代社会というのは、ひとりひとりが個として世の中に向かい合わざるを得ない社会であって、それなりの訓練期間を経てからでないと、意外とストレスが大きいものです。欧米はプロテスタンティズムを通じてその訓練をおこなってきました。日本も、多少趣きは異なるもののプロテスタンティズムに類似した、浄土真宗とか禅宗とかを通過することで、近代社会に向き合うべき訓練を積んできました。
 共和国を名乗り、大統領や議員などが形ばかりの選挙で選ばれていても、どうにも部族社会から脱皮できていない国というのが、アフリカあたりにはまだずいぶんあります。彼らは能力が劣っているわけではなく、絶対的に「近代への訓練」が足りていないのです。
 そして朝鮮民族も、その種の訓練が充分でなかったと言うべきでしょう。日本が併合していた35年間、彼らも否応なく近代社会を経験せざるを得ませんでしたが、まったく下地ができていなかったために、彼らは近代社会の恩恵を感じるよりもストレスを感じるだけに終わってしまったような気がします。ときどき日本人の側から、併合期にあれほどのインフラ整備をして近代化してやったのだから、感謝しろとまでは言わないけれどもああまで怨まれる筋合いは無いはずだ、という意見が出てきますが、彼らにとって近代社会が、便利でありがたいものだったわけではなく、ただただストレスフルでおぞましいものだったとすれば、そんな場に無理矢理ひきずり出した日本を怨むというのも、理解はできるようでもあります。
 そして金日成が、在りし日の李氏王朝と似た体制の国家を作ったとき、彼らは何はともあれ「ホッとした」のではないかと私は想像しています。もちろん個人個人にとってみれば、生活は苦しいし両班(労働党員)は威張り散らすし、イヤなことばかりかもしれませんが、それでも日本統治下で経験させられた「近代社会から受けるストレス」に較べれば、よほど「身に親しんだ苦労」だったのではないでしょうか。
 「金王朝」が樹立されて60年以上、「近代人」にとってみれば到底辛抱できそうにない不自由さを抱えつつ、「金王朝」を打倒しようという動きがさっぱり起こらないのは、やはりそういうことなのだろうと思えるのです。
 「こんな体制が長く続くはずがない」と私たちは考えます。しかしその「こんな体制」は、すでに518年間という超長期にわたって安定的に続けられてきたという「実績」があることを忘れるべきではありません。北朝鮮という困りものの国家には、「近代人」の常識はあてはまらないと知るべきでしょう。「金王朝」は、まだまだ数百年も続くことになるかもしれないのです。USAが中国とロシアをはばかってなかなか有効な手を打てないように、今後も大国間の駆け引きや思惑をうまいことかいくぐって、案外長持ちしてしまうというイヤな将来が見えるような気がしてなりません。

 日本としても、この国との対しかたに腹をくくる必要があります。本当は無視したいところですが、拉致被害者の問題がありますし、駄々をこねるかのようにミサイルを撃ってくる「構ってちゃん」国家なので、そうもゆきません。
 日本国憲法では、平和を愛する諸国民に(を?)信頼することが前提となっていますが、現状では少なくとも、明確な悪意を向けてくる「諸国」がひとつかふたつか、あるいは3つほど確かに存在しています。前提が崩れているのですから、その点だけでも憲法は見直す必要がありそうです。条文になかなか手をつけられないなら、とりあえず前文だけでも取り替えてみたらいかがでしょうか。

(2017.9.16.)

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