忘れ得ぬことどもII

海賊談義

 ソマリア沖に海賊船が出没するという話を、一時期ずいぶん聞かされました。
 1990年代にソマリアで内戦がはじまった頃から海賊の被害が出はじめましたが、猖獗をきわめたのは2005年頃からで、インド洋大津波災害への支援物資を積んだ国連チャーター船が襲われたり、フランス船籍の豪華帆船が乗っ取られたり、戦車や兵器を満載したウクライナの貨物船が乗っ取られたりと、被害が相次ぎました。ひどいときには2日で3隻襲われたなんてこともあったようです。
 日本の船も被害に遭っています。日本人船員が人質に取られたということは無かったようですが、パナマ船籍の貨物船ステラ・マリス号が襲われたときは、運航していた日本の会社が200万ドルの身代金を払いました。
 海賊はロケットランチャーなどで武装しているので、なかなか普通の船では抵抗できません。USA英国インドロシアなどが海軍を派遣して掃討を図りました。本物の軍艦相手では、ボート程度の海賊たちにはもちろん太刀打ちできませんので、一目散に逃げ散ります。しかし、その場では逃げ散っても、またしばらくして軍艦が居なくなると活動をはじめるといういたちごっこで、きりがない状態でした。

 結局、沿岸住民の生活苦が原因で、「海賊でもするより生きてゆくすべがない」のが実情でしたから、根絶は困難と思われました。
 日本にかかわるエピソードとしては、ピース・ボートがこのあたりを航行する際、海上自衛隊の護衛艦に護衛して貰っていたという笑える話があります。いや、もちろん護衛して貰うのは構わないのですが、問題はピース・ボートというのが非常に思想性の強い団体で、自衛隊の海外派遣に猛反対していたというところにあります。ちなみに設立にはあの辻元清美氏などが関わっています。当然、ソマリア沖への派遣も大反対でした。
 あれだけ猛反対していたくせに、その海外派遣されていた自衛隊艦に護衛を頼むとは恥というものを知らないのか、いっそのこと海賊たちと話し合ってお得意の憲法9条でも布教してきたら良かったのではないか、等々と、当時さんざんに揶揄されたものでした。当時というのは確か2009年頃だったと記憶しますが、調べてみたら去年も同じ事をしているのですね。
 ピース・ボート事務局は、「船旅の企画・実施をおこなう旅行会社が国土交通省海賊対策連絡調整室と協議した結果、海自の護衛する船団に入ることが決まったのであって、ピース・ボートが直接海自に護衛を依頼したわけではない」と言い張っています。なんだか南スーダン韓国軍が自衛隊から銃弾を借りたときに、韓国政府が「国連軍本部に銃弾の貸与を要請したらたまたま自衛隊のが送られてきたのであって、直接頼んだわけではない」と言い張った件を思い出します。どうもああいう人たちの論理展開というのは、どれもこれも似てくるのが不思議です。

 さて、猛威を振るっていたソマリア海賊ですが、最近あまり話題になりません。
 2012年頃から海賊被害は減少しはじめ、15年にはほぼゼロになっています。まだ警戒は怠れない状況ですが、一時期の猖獗はおさまったと見て良いでしょう。今月の13日に、久しぶりにタンカーが襲われたという事件があったようですが。
 ネットではわりと話題になりましたが、「すしざんまい」木村清社長が海賊終焉の立役者だというのです。木村社長が現地に乗り込んで住民たちと話し、水産物などを継続的に買い付ける約束をして、要するに「海賊をしなくとも生活してゆける」基盤を作ってやったので、海賊が居なくなった……という話です。
 本当なら大変な功績で、それこそノーベル平和賞モノでしょう。多くの大国が手を焼いていた問題を、一民間人があっさり解決してしまったのですから。
 もちろん、海賊の消滅の功を、木村社長だけに帰するのは無理かもしれません。被害がいちばん多かったのが2009年くらいで、その頃から各国は、軍艦を派遣するだけではなく、ソマリア沖の定点監視をはじめています。海上自衛隊も拠点を設置しました。このため、海賊行為がおこなわれると、軍艦がいちいち本国から出張ってくるのではなく、すぐ駆けつけられるようになりましたので、なかなか海賊仕事もやりづらくなったという事情があります。
 木村社長は、このようにして少し海賊の活動が下火になってから乗り込んだようです。
 だから100%木村社長の功績とは言えず、各国軍による締めつけがあってこそ向こうも木村社長の話を聞く気になったのでしょうが、それにしても大したお手柄であることに変わりはありません。
 ソマリアは内戦以来事実上の無政府状態となっており、沿岸住民が水産物を獲っても、それを買ってくれる相手が居ないという状況であったそうです。それでは生活できませんので、海賊行為に手を染めたというのが実情のようです。
 継続的に取引してくれる相手さえ居れば、海賊などという危ない真似をしなくても良いわけです。
 各国軍の締めつけだけでは、住民の窮状は解決できず、また別の悲劇が起こってしまったかもしれませんが、そこへいわばタイムリーな形で乗り込んだ木村社長が、うまく話をまとめたというところだと思います。
 「一旦海賊行為で大儲けすることを覚えた沿岸住民たちが、はたしてまともに漁業に戻るだろうか」
 と危惧する人も居るようですが、海賊というのはハイリスクハイリターンな稼業であって、うまくゆけば大きく儲けることもできますが、いつだって命がけです。やらずに済むならやりたくない人のほうが多いでしょう。
 このままソマリア沖が静かになることを祈らずには居られません。

 そういえば、保険というものの事始めは海賊だったと言います。
 あらかじめみんなでプール金を蓄えておき、襲撃行為のときに怪我をしたり死んだりした場合、それに応じて見舞金が支払われるというシステムでした。右腕が切り落とされたら何ポンド、右眼が潰されたら何ポンド、といった、生々しい規定があったようです。
 昔の船は、軍艦でなく商船であっても、武装しているのが普通でしたから、海賊側にも被害が出ることが珍しくありませんでした。
 たぶんエリザベス1世キャプテン・ドレイクを配下におさめた頃から、この保険システムが一般の船舶などにも弘まったのではないかと思います。エリザベスは、スペイン無敵艦隊を破るために海賊と手を組んだのでした。それで海賊が仲間うちでやっていた保険を、他の船会社も
 「これは良い」
 というので採用したのでしょう。
 ともあれ、海賊というのは命を的にした危険な稼業であったことは間違いありません。
 それだけに一種独特なプライドもあって、例えば人質は鄭重に扱うというような暗黙の決まりがありました。これは意外なことにソマリア海賊にも受け継がれていて、人質にされた船員や船客はちゃんと食事が与えられ、タバコや酒なども供されていたそうです。またフランス軍が制圧したヨットからは、人質を虐待しない、女性の強姦を禁じる、などの「規則書」が発見されています。食い詰めた沿岸住民がやっている海賊行為でも、そこには厳然たる規律があったのです。
 船の上というのは文字どおりの一蓮托生であり、船底板一枚の下は地獄です。そのため、どの時代のどの国の船であっても、そこには絶対的な規律が求められました。規律に従わない者は殺されても文句は言えないというのが船の掟です。その厳しさは陸上の軍勢などとは較べものになりません。
 先日ようやく曳き上げられたセウォル号の乗組員などは、そのあたりがいささか甘かったのではないでしょうか。

 海賊というのは人間が海上交通をはじめて以来どこにでも居ましたが、その中からけっこう大勢力を持つ者も生まれました。
 デンマーク王室といえば、現存の君主の家系としては日本の皇室に次いで長い歴史を誇る由緒正しい王室ですが、その濫觴はおそらく海賊だったのではないかと私は考えています。
 海賊は、所帯が小さい頃は、通りかかる船を手当たり次第に(と言っても、「勝てそうなときは」という条件がつきますが)襲って財貨を奪ったりしますが、そういうのは非効率だし、逆襲されて殺されたりすることもあります。それで、少し大きくなって、城塞のひとつも構えるくらいになると、通る船を襲うのではなく、保護して通行料を徴収したほうが実入りが良いことに気づくのです。
 もちろん保護するのですから、他の海賊が襲ってきたら撃退できるだけの実力が必要です。通行する船のほうも、一箇所で通行料を払いさえすれば、その海域では他の海賊に襲われることがないとわかれば、喜んで払うはずです。その海域が安全となれば、通る船も多くなり、従って通行料収入もどんどんふくれ上がります。
 こうなると、海賊から水軍へとクラスチェンジできます。そして大規模な水軍を率いる首領は、うまく運べば王様になることもできるでしょう。
 デンマークの王様は、もともとはスンド海峡に出没する海賊だったのだと思います。それが海峡の両側に城塞を構えるようになって、やはりスンド海峡を安全に通行させてやるかわりに通行料を取る水軍に成り上がったのでしょう。スンド海峡は、内海であるバルト海から外海の北海に抜けるにあたって必ず通らなければならないところですから、ここを押さえた水軍は左団扇みたいなものです。どんどん稼ぎを増やし、武器や大船なども増やして近隣の群小海賊どもを斬り従え、領土も増やして、その王様におさまったのが現在のデンマーク王の祖先であったと思われます。
 日本でも、村上水軍とか九鬼水軍とか呼ばれている連中は同じような経緯でのし上がっています。村上の棟梁などは代々「海賊大将軍」なる称号を名乗っていたほどです。洋の東西を問わず、海賊が大きくなるとむしろ海域の治安を司るような存在になってゆくのは共通しているようです。
 ソマリアの海賊たちも、時が経てばそんな風になって行ったかもしれないなどと、ちょっと考えないでもありません。しかしまあ、あのあたりは各国の利権が複雑にからまり合っているので、デンマーク王室みたいに勢力を巨大化してゆくことを各国が許しはしなかったでしょうが。

(2017.3.28.)

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