忘れ得ぬことどもII

漢字と旧かな遣い

 漢字に音よみ訓よみがあることは誰でも知っています。
 本来異国の文字である漢字を自分たちの言語体系に導入するにあたって、われわれの先人はすばらしい方法を残してくれました。
 訓よみは、漢字の持つ「意味」に着目し、その文字と同じような意味を持つ日本語を宛てたものです。「山」という文字は日本語の「やま」に近い意味であったので、これを直接「やま」と読んでしまうことにしたわけです。こんな大胆なことをした人々は、世界を見渡しても、皆無ではないにせよごく稀でした。
 漢字という文字が、これまた世界でも珍しい「表語文字」であったおかげでもあります。ひとつの文字がひとつの語をあらわすため、同じ概念さえあれば置き換えが可能だったのです。しかしそれにしても、漢字を導入した朝鮮でもヴェトナムでも、訓よみの可能性を考える者は居なかったらしいので、これは日本人の創意であったと見て良いでしょう。
 例えば英語圏の人が「山」と書いてmountainと訓よみすることがあっても良さそうです。どうしても漢字の概念で表せない部分だけローマ字で書くようにすれば、日本語の漢字仮名交じり文と同じことです。こういう表記がもし広まれば、世界中の人々が筆談で意思交換ができるようになるかもしれません。発音がわからなくとも意味はかなり通じることでしょう。そんなに無理して「会話」を憶えなくとも良いことになります。日本は「訓よみ」の国際的な普及を図ってみてはどうでしょうか。

 妄想は置いといて、今日考えてみたいのは音よみのほうです。
 音よみは、本来の中国音を日本語的に写したものとされています。そして、同じ音よみでも、伝わってくる時期によって、呉音・漢音・唐宋音などと分けられていることもご存知でしょう。例えば日本の「日」の字は呉音でニチ、漢音だとジツになります。「行」の字だと呉音でギョウ、漢音でコウ、唐宋音でアンです。行脚(あんぎゃ)、行灯(あんどん)などは唐宋音での読みですね。一体に、呉音は比較的柔らかい響き、漢音は硬めの響きという印象があります。唐宋音は現代中国語に近い感じですね。
 呉音は古い時代に伝わってきた発音で、この読みかたを身につけて行った初期の遣唐使が、向こうへ着いて全然会話が通じず、あわててその当時の新しい発音を導入したのが漢音でした。唐宋音は主に、もっと後代の僧侶などが用いました。 
 しかしながら、漢字の音よみが、はたして古い時代の中国語の発音をしっかり再現しているのかというと、やや心許ないものがあります。唐詩などを音よみしてみても、あんまりぴんとこないのではないでしょうか。
 前にも例に使ったことがありますが、孟浩然「春暁」を採り上げてみましょう。

 ──春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少

 日本語で読み下せば、

 ──春眠 暁を覚えず 処々に 啼鳥を聞く 夜来 風雨の声 花 落つることの多少を知る

 となりますが、これを音よみで読んでみましょう。

 ──シュンミンフカクギョウ ショショモンテイチョウ ヨライフウウセイ カラクチタショウ

 なんだかお経のようです。まあお経は漢文を音よみしているわけなので、それも当然です。しかし韻を踏んでいる感じはわかりますね。
 次に、現代中国語だとどうなるか記してみます。カタカナ書きなので本当の発音ではありませんが、雰囲気くらいは伝わるでしょう。太字のところは上げ調子になります。

 ──チュンミャンーチシャォ チュチュゥウェンティニャォ ェラフェンユシァン ホァォツィドゥォシャォ

 何やらなまめかしい響きですね。チャイナドレスのキレイなお姉さんにでも読んで貰いたいところです。
 の時代に満洲族が支配者となったため、首都の北京あたりでは満洲なまりの中国語が話されるようになり、それが現代の標準発音である北京官話につながっています。そのため、唐の頃の漢字の発音とはだいぶ異なってきています。変化のしかたにある程度の法則性はあるので、唐代の発音を類推することは可能ですが、それでも「ある程度」にとどまります。
 むしろ当時の発音を写しているのが日本語の音よみなのかもしれないのですが、それにしても昔の発音を復元するには、かなりの操作を加える必要があります。

 注意点はいくつかありますが、まず音読みといっても、現代日本語の発音を考えてはいけないということです。手がかりになるのは旧かな遣いです。
 旧かな遣いを現代人が読むのはなかなか難儀なのですが、その理由は無数の「音便」が発生しているためです。「てふ」と書いてあれば「チョウ」と読まなければならないのですが、このように記された文字と発音が異なるのが音便です。
 しかし、旧かな遣いは、その言葉が作られた頃にはほぼ発音どおりに記されていたという話で、例えば奈良時代頃の発音を写しているらしいのでした。つまり奈良時代の人は「てふ」を確かに「テフ」と発音していたようです。ただし現代の「tefu」とはちょっと違って、テは少し平べったくなってティに近く、フはプに近かったようですので、「tipu」ないし「tip」といった発音だったと思われ、そしてこれが当時の「蝶」という字の中国式発音にも近かったと想像されるのです。
 また、「ん」の字が比較的新しいことも注意しなければなりません。
 「馬(うま)」や「梅(うめ)」などは、訓よみのように思われますが、実は音よみだそうです。「馬(マー)」「梅(メイ)」という中国語の発音だったのが、当時の日本人には語頭のmがかなり強調されて聞こえたようで、「mma」「mme」のように聴き取ったのでした。ところが、それをかな書きにしようとしたとき、まだ「ん」の字が発明されていなかったため、「んま」「んめ」と書くわけにゆかず、「う」で代用したわけです。
 この話を聞き、漢字の音読みに含まれる「う」は、かなりの確率で実は「ん」だったのではないかと思いました。
 簡単な例で言えば、「王」という字。これは現代中国語でワンと読み、おそらく古代からずっとワンだったと考えられます。
 ワンという発音を昔の日本人が聞いて、それをかなで書こうとしたところ、「ん」の字がまだ無かったとしたら……「馬」「梅」と同様「う」で代用したことでしょう。つまり表記としては「わう」となります。そして、「王」の旧かなによるルビはまさしく「わう」となっています。それが後世音便化して「をう(ウォウ)」となり、現代では最初のwも落ちてしまって「おう」となりました。本来はワンという発音を写そうとしたのではないかと思われるのです。
 現代音で音読み「オ段+ウ」という形になっている漢字は非常に多いのですが、これらは旧かなでルビを振れば、次の4つのパターンになります。

 ・ア段+ウ(かう、なう、やう等)
 ・ア段+フ(たふ、はふ等)
 ・オ段+ウ(そう、もう等)
 ・オ段+フ(こふ、ろふ等)

 このうち最初のもの「ア段+ウ」は、「王」がそうであるように、元の発音は「ア段+ン」であったのではないでしょうか。

 「あう」……央、桜等……元の発音はアン?
 「かう」……交、好、考、江等……カン?
 「さう」……双、早、争、倉等……サン?
 「たう」……刀、当、島、湯等……タン?
 「なう」……脳、嚢等……ナン?
 「はう」……方、包、邦等……ハン?
 「まう」……妄、猛、網等……マン?
 「やう」……洋、様、養等……ヤン?
 「らう」……老、労、浪等……ラン?
 「わう」……王、横等……ワン?

 現代中国語から類推してそのとおりだったろうというものもあれば、ちょっと無理があるかと思われるものもありますが、「ア段+ウ」のウが実はンだという考えは、けっこう妥当性があるのではないかと思っています。
 現代語で「こう」と発音する字にはほかに「くゎう」「くゎふ」、「よう」と発音する字には「えう」「えふ」という綴りもあります。「くゎう」(光、荒等)はグァン、「えう」(妖、腰等)はイェンというのが元の発音だったのではないかとひそかに考えています。
 「ふ」の綴りが本来のものの場合は、「てふ」がそうだったように、発音はpだった可能性が高いような気がします。数字の「十」は旧かな遣いでは「じふ」ですが、これも本来の発音は「jip」ないし「zip」だったでしょう。だから、「十本」は「じっぽん」と読むのが正しく、「じゅっぽん」はおかしいことになります。「じふ」が音便化して「じゅう」になったので、その音便にはpという子音に連なる要素が含まれていないからです。「じふ」の「ふ(正しくはp)」が、「本(ほん)」に連なるに際して促音化することで発音が落ち、「じふ=ほん」が「じっぽん」と変化したと見られます。
 それから、サ行は当時は「シャ行」もしくは「チャ行」で発音されていた可能性が高いようです。これについては、戦国時代の「日葡字書」でも現代音の「セ」を「she」という綴りで記していたりするので、かなり後年までの発音習慣であったと思われます。
 こうしたさまざまな配慮を加えた上で、前記の「春暁」をもういちど音よみで書き直してみます。

 ──シュンミンプーカクギェン ショッショーモンティーティェン ヤーライプーウーシェイ カーラクチーターシェン

 漢字一文字は、音よみする場合は日本語としては2拍と考えたほうが調子が良いので、お経の読み下しルビと同様、1拍の「不」「処」「夜」「雨」「花」などは長音化しておきました。「暁」は旧かなルビで「げう」なのでギェンと仮定しました。「声」はシェイと仮定し、最後の文字「少」は「せう」なのでおそらく「せん」、発音はシェンだったろうと予想しました。
 上記の現代中国語発音では、殷は「ャォ」で踏まれていることになっていますが、こちらでは「イェン」となり、それなりに一致しています。
 昔の漢字の発音を復元できた!……などと胸を張る気は毛頭ございませんが、旧かなを媒介にすれば、けっこうそれらしい推測ができるように思われ、頭の体操としては面白いのではないでしょうか。

 ところで漢字とは関係ないのですが、能や狂言で犬の吠え声を表すときに、
 「びょうびょう」
 と言うのがお約束になっています。犬の声がなぜ「びょうびょう」なのか、どう聞いてもそうは聞こえないと思われるかたが多いのではないかと思います。
 これもたぶん、音便化したことでわけがわからなくなった一例です。
 旧かな遣いで書くと、これは
 「べうべう」
 となるのでした。そして本来これはbeu-beuと発音するべきなのであって、音便化させてはいけない文字だったように思われます。
 beu-beuなら、英語のバウワウbow-wowにも近く、確かに犬の吠え声という感じがします。能や狂言なら室町時代くらいの成立ですから、この「う」は「ん」の代用ではないでしょう。
 「べうべう」……現代の「ワンワン」に較べても、妙にモダンな響きがするように感じられませんでしょうか?

(2016.11.6.)

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