忘れ得ぬことどもII

NHK人形劇の想い出

 NHKの人形劇というのもずいぶん伝統があるものだとときどき思い返します。
 私の幼児期にやっていたのは「ひょっこりひょうたん島」でした。この作品は、私の生まれる前の1964年4月から1969年まで、なんと5年間に及ぶロングランだったので、記憶に残っている人も多く、NHKの人形劇といえば、まず「ひょうたん島」を思い浮かべるケースが多いのではないかと思います。

 波をチャプチャプチャプチャプかき分けて……

 という調子の良いテーマソングも人口に膾炙しました。私の通っていた中学・高校(一貫校)で、毎年校内合唱祭のようなものが開催されているのですが、なぜか一時期、とっくに放映終了していたはずの「ひょうたん島」のテーマが流行ったことがあって、毎回のようにどこかのクラスが歌っていたことがありました。
 もっとも、どんなお話であったのかまでを憶えている人はほとんど居ないのではないでしょうか。当時はまだビデオフィルムが貴重でしたしかさばったりもしたもので、保管はほとんどされておらず、従って再放送という機会もありませんでした。90年代になってリメイク版が作られたことはありますが、ごく一部のピックアップに過ぎません。
 私がこの番組を見ていたのは確かだと思うのですが、私にしてもよく憶えては居ません。ドン・ガバチョとらひげダンディサンデー先生ハカセライオンリトルキッドといったキャラクターには憶えがあるのですが、物語の内容となるとさっぱりです。そもそもわが家にはいつからテレビがあったものか。3歳のときから住んだ長岡の家でテレビを見ていたのは確実ですが、それまでの札幌の家での記憶はありません。もし3歳くらいから見ていたとすれば、前半はすっかり見逃したことになります。
 いまウィキペディアで調べてみて、ひょうたん島の子供たちは「死者」だったのだと知り、遅ればせに愕然としてしまいました。放送開始間もなく、作品全体のプロローグみたいな部分で、子供たちはサンデー先生に連れられてひょうたん島に遊びに行くのですが、そのときに大噴火がおこって島が切り離され、ぷかぷかと漂流し始めます。実はこのとき、本当は子供たちと先生は噴火に巻き込まれて死んでいたというのが裏設定だったのだそうです。あんまり知りたくなかった事実かもしれません。しかしまあ、井上ひさしセンセイならこのくらいやらかすだろうなあ……とも思えます。
 どちらにしろ、ひょうたん島の物語は、自分の記憶としては残っていません。従弟の家にあった絵本で、エピソードをひとつふたつ読んで憶えているくらいです。

 「ひょうたん島」の前番組であった「チロリン村とくるみの木」になると、生まれる前のことですのでもちろん全然わかりません。これもwikiで調べてみて、1956年64年、実に「ひょうたん島」をはるかに上回る8年間のロングランであったことを知り、唖然としました。テレビ草創期を支えた番組と言っても過言ではなさそうです。当時としては、テレビある限り続く番組のように思えたかもしれません。
 そういえば、星新一のショートショートに、この番組の終了を題材にしたような作品がありました。いや、文中には「チロリン村」などの名前はいちども出てこないのですが、「永遠に続くかと思われた平和な世界」がなぜか「終わる」ということの哀愁を描いており、オチで「ある長寿人形劇の最終回」であったことが明かされています。これはどうも「ひょうたん島」よりは「チロリン村」にふさわしい「追悼文」であったように思われるのです。
 ずっと後年になって、アニメとしてリメイクされましたが、さほど話題にもならずに終わりました。

 私自身の記憶にはっきり残っているのは、「ひょうたん島」の次の「空中都市008」からです。これは1年間しかやらなかったせいか、同世代の誰に聞いても

 ──そんなのあったっけ?

 と首を傾げられるのですが、小松左京原作の未来ものなのでした。小松作品らしく、SF考証は非常にしっかりしています。
 まあ話の内容自体はあんまり記憶に無く、小学生になってから図書館で原作本を読み、

 ──あれ、こんな話だっけ?

 と思ったりもしました。基本は生活もので、ちょくちょくSFっぽいちょっとした冒険に出かけるというエピソードが続きます。「サンダーバード」の影響を受けたとか受けてないとか。

 それから「ネコジャラ市の11人」というのが3年間放映されました。これも井上ひさし脚本ということで、「ひょうたん島」と近いテイストでした。
 1970年73年の放映ですから、私の年齢としては幼稚園年長から小学2年生ということになります。このくらいになればいろいろ憶えているはずなのですが、「ネコジャラ市」のストーリーとなると「ひょうたん島」よりさらにあいまいで心許ないものがあります。これまたwikiで調べてみると、子供番組とは思えないようなシュールな設定や展開がおこなわれていたようで、なんとなく記憶につかみどころがないのもそのせいかもしれません。
 キャラクターすら、主人公である黒猫のガンバルニャン以外、ほとんど憶えていないのでした。それなりに面白がって見ていたような気もするのですが、なぜこんなに記憶が残っていないのか、不思議なほどです。

 さて、その次からがいよいよ古典ものとなります。「新八犬伝」「真田十勇士」「笛吹童子」「紅孔雀」と続きます。人形も辻村ジュサブロー氏が担当していきなりクオリティが上がりました。
 私も「新八犬伝」から急に記憶が鮮明になります。人形劇を見ながら、子供向きにリライトされた「里見八犬伝」を読んだのも記憶の補強になっているのかもしれません。
 坂本九ちゃんによる名調子の進行も愉しめました。私は坂本九を、歌手としてよりもまず「新八犬伝」の進行役として認識しており、「六・八・九トリオ中村・坂本で次々とヒットを飛ばしたアイドル的人気歌手であったと知ったのは後年のことです。
 ここでまた知りたくなかった事実を一席。九ちゃんはたいてい黒衣(くろこ)の衣裳をつけて登場していたのですが、何しろ多忙な身なので、ときどき中の人が代わっていたそうです。顔には九の字が書かれた布を垂らしていたのでわかりませんでした。もちろん、声はアフレコで全部九ちゃんが入れていたわけですが。
 それはともかく、滝沢馬琴が生涯を傾けた、すさまじいほどの大長編を、2年間の人形劇で堪能できたのは幸せでした。八犬士の名前と、持っている珠の字はいまでも忘れません。ただし、人形劇で出てこなかった各犬士の「諱(いみな)」はよく知りませんが。
 「われこそは、たまずさがお〜んりょう〜」とおどろおどろしい名乗りを上げてやたらと出てくる敵役・玉梓の怨霊など、私の同年代の人にはだいたいネタとして通じるのではないかと思います。原作では最初に出てくるだけなのですが、人形劇では繰り返し登場して存在感をアピールしていました。
 また原作では、犬塚信乃がらみと犬村大角がらみで出てくるだけの毒婦・舟虫を、全篇通しての悪役として出し続けたのも良かったと思います。考えてみると八犬伝には、全篇通してのヒロインというものが存在しません。早々と命を落とし、あとは霊として犬士たちを導く伏姫がそれにあたるかもしれませんが、何しろ霊です。信乃の恋人の浜路とか、大角の新妻の雛菊とか、ピンポイントで出てくる女性キャラは居るのですが、すぐ死んでしまいます。悪役とはいえ舟虫がずっと登場するのは良改変でした。

 「真田十勇士」も面白く見ましたが、原作が柴田錬三郎版で、なぜかときどき変なところがありました。何しろ、呉羽自然坊とか、高野小天狗とか、あやしげな人物が十勇士に名を連ねています。どうも、十勇士の中でもわりと印象の薄い「六・六・八トリオ(……というのは私の命名。望月六郎・海野六郎・根津甚八の3人)を下げてしまい、代わりに押し込んだようです。ちなみに真田幸村の息子の大助も十勇士のひとりにされていました。私はこの番組で十勇士を憶えていたため、後年友人と話していて大笑いされてしまいました。
 「クレハ……? え? 何それ?」
 と問い返してきたときの友人の生温かい眼は忘れられません。おのれ柴錬!
 他にも、霧隠才蔵を英国人にしてしまうなどのトンデモ設定がありました。これ、真田十勇士の元ネタを知っていて、アレンジを愉しめる人ならともかく、子供に刷り込む設定じゃないよなあ。真に受けて、

 ──えっ、霧隠才蔵ってイギリス人だよね?

 と言ってしまって大恥をかいた人も居るのではないでしょうか。
 猿飛佐助武田勝頼の遺児で、その恋人の夢影石田三成の娘で……といったような、ツッコミどころ満載な設定もあったっけ。まあ、そのツッコミどころも、あくまで「いまとなっては」の話で、当時はそんなものかと思いながら見ていたのでした。
 それにしても十勇士が本当にこんなすごい連中なら、駿府城に忍び込んで徳川家康の首を掻いて戻るくらい簡単にできそうなんですけどね(笑)。

 「笛吹童子」「紅孔雀」は1年ずつの放映だったと思います。私も中学生になって、さすがにあまり見られなくなりました。平日夕方の帯番組でしたから、放映時間にはまだ帰宅していないことも多くなったのです。いずれもかつて映画やドラマになっていた物語を人形劇化したものでした。笛吹童子の主題歌の

 ♪ヒャラ〜リ ヒャラリコ♪

 というフレーズは、映画もドラマも見た記憶がないのに、なぜかそれ以前から知っていました。
 紅孔雀のほうはほとんど最初から見ていないと思いますが、元ネタがそんなに長くない(東映のお正月向け中篇映画)のを1年間にふくらましているため、最後のほうはだいぶたがが外れ、アステカ帝国あたりまで話が拡がっていたようです。
 あと、どうでも良い記憶ですが、古谷三敏氏の「ダメおやじ」の最後のほう(社長編)で、ダメおやじが紅孔雀の大ファンだという設定が出てきていました。ダメおやじといえば鬼嫁と子供たちに徹底的にいじめられるかわいそうな中年男を描いた衝撃作でしたが、最後のほうでは大財閥の娘さんに認められて会社を任されるようになります。この唐突な方針転換は、作者が奥さんから
 「まだそんな(みじめな)マンガ描いてたの?」
 とあきれられたからだという伝説がありますが、さていかがなものやら。ともかく、社長になったダメおやじは、海外から来た取引相手と交渉することになるのですが、「紅孔雀」を見たいために早く帰りたく、かなり強引に交渉を進めて、かえって相手から好感を得る……というエピソードがあったのでした。

 4作続いた時代劇シリーズでしたが、その次が「プリンプリン物語」でした。「ひょうたん島」系列の、歌がやたらと入るファンタジーなお話です。
 時間帯が同じなので、私があんまり見られなかったのは「紅孔雀」あたりと同様でしたが、この番組は妹が夢中になって見ていたので、私もなんとなく記憶に残っています。また、同級生の中にもなぜかファンが居ました(男子校だけど)。
 全体のストーリーなどはうろ覚えですが、ポイントポイントの印象はだいぶ鮮烈です。何かというと
 「う……るぅるぅるぅ……予感、です」
 と耳を動かすカセイ人(キャラ名)とか(ちなみに予感はたいてい外れる)、
 「知能指数、1300!」
 のルチ将軍とか。ややタイムボカンシリーズっぽいヘドロ姐さんとシドロ・モドロの悪役三人組も面白かったですね。
 難を言えば、ヒロインであるプリンセス・プリンプリンにあんまり感情移入ができなかったことでしょうか。石川ひとみの棒演技のせいもあったと思いますが。

 「プリンプリン物語」をもって、20年くらい続いた「平日夕方の連続人形劇」枠は終了しました。
 人形劇そのものがしばらく中断したのだと私は思っていたのですが、意外にもわずか半年後に「人形劇三国志」がはじまっています。ただし、放映時間は土曜日の夕方となりました。1回の時間は長くなりましたが、45分間ですので、それまでの「平日に15分間」に較べると、週あたりでは5分の3の内容ということになったわけです。
 それまでのシリーズと比較すると、大軍団が激突するようなシーンが多く、人形劇という制約の中で作るのはなかなか大変だったろうと思います。
 「三国志」のあと、こんどこそ中断したろうと思うと、そうではなくて、「ひげよさらば」というのが1年間放映されていました。また平日夕方の帯に戻ったものの、1回がわずか10分です。これについては私はまったく知りません。
 そしてついに長期中断期に入ります。その次に作られたのは1993年「人形歴史スペクタクル 平家物語」でした。しかもすでに子供向きでもなんでもなく、放映時間も「ドラマ新銀河」の枠で、20時40分から21時となっていました。何部かに分けて、飛び飛びに放映されたので、なんだか「ときどき眼にする」みたいな感じになり、私はほとんど見ていません。
 そのあとまた空白期が続き、2009「新・三銃士」、そして2014年「シャーロックホームズ」が制作されました。このふたつは三谷幸喜氏の脚本によりますが、どちらも三谷作品らしくパロディに近い作りかたで、子供が見た場合、私がかつて「真田十勇士」で笑われたようなはめに陥らないか、少々心配でもあります。

 NHKの人形劇は、NHKが積極的にアニメを作るようになったのと期を同じくして消えて行ったように思えます。そういえば「紅孔雀」から「プリンプリン物語」の放映時期に、ちょうど「未来少年コナン」「キャプテン・フューチャー」「ニルスのふしぎな旅」などNHKが本格的に制作しはじめたアニメ放送が重なっています。子供番組は人形劇よりアニメを、という方針転換があったのかもしれません。
 確かに人形劇には動きの制約がありますし、背景もジオラマで作らなければならず大変です。アニメは、昔は1枚1枚手書きで絵を描かなければなりませんでしたが、現在では動きのポイントポイントを決めてやれば、そのあいだの部分はコンピュータで制御できるようになっています。制作の面倒くささが、人形劇とアニメとではかつてと逆転してしまいました。
 しかしながら、人形劇にはCGで置き換えられない、アナログな魅力があることも確かです。制作が大変だからこそ、他の局よりも資金力のあるNHKには、これからも散発的で良いので人形劇を作り続けて貰いたいように思います。

(2016.10.23.)

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