忘れ得ぬことどもII

「場末」の魅力

 この話題は、一部のかたがたにやや不快な気分を与えてしまうかもしれませんので、あらかじめお詫びしておきます。

 板橋区演奏家協会の用事で家から出かけるとき、私は雨が降っていない限りは自転車で向かいます。電車で行こうとすると、赤羽池袋という、乗り換えに手間のかかる駅で2回も乗り換えなければなりません。赤羽からバスという手もありますが、電車に較べると便数が少ないのでこれも厄介です(もっとも、他の用事から板橋に立ち寄る際、帰りには赤羽までのバスをよく使います)。
 何よりも、電車やバスを使う方法より、自転車のほうが明らかに速いのでした。東川口のピアノ教室に向かう場合は、前後の徒歩時間などを加算した場合の電車やバス利用と、自転車利用の場合の所要時間が「さほど差がない」レベルであるため、まあ運動のためなるべく自転車を使おうという選択なのですが、板橋の場合ははっきりと自転車が最速であると言いきれます。電車だとどうしても45分はかかりますが、自転車であれば40分を切り、特に下り坂の多い帰り道なら30分ちょっとで到達できます。バスの場合は電車よりもっと時間がかかります。
 なお「板橋」と言ってもJRの板橋駅ではありません。JRの板橋駅は、板橋区・北区・豊島区の境界あたりにあって、板橋区の中心部からは少し離れています。都営三田線板橋区役所前が中枢にいちばん近く、そこから東武東上線大山へと連なる商店街あたりが、まあメインストリートと言って良いでしょう。演奏家協会が本拠にしている区立文化会館は大山駅の近くにあります。これがJR板橋駅近くであれば、私も電車利用が多くなると思うのですが。

 ともあれ、会議であっても演奏会やリハーサルであっても、たいていは自転車で往復しているわけです。
 会議にしろリハーサルにしろ、だいたい21時くらいに終わることが多くなっています。会議の場合はたいてい19時から21時という時間帯に開いていますし、施設の使用時間が21時半完全撤収になっているので、リハーサルでも本番でも21時には切り上げるのが普通です。
 21時に用件が終わると、独身の頃は文化会館の近くの店などでみんなで食事をして帰ることが多かったのですが、最近はそのまま別れて帰途につくことがほとんどです。まあ、独身時代ほどお金を使えなくなったというのが大きな理由ですが。
 というのは、マダムも夜まで出ていることが多いので、すぐに帰ったところで夕食が待っているなんてことも滅多に無いのでした。そうすると、途中で惣菜などを買って帰るか、あるいは途中で簡単に食べて帰るかという選択肢になります。
 板橋からの帰りのルートを考えると、買って帰ろうとすると赤羽の西友くらいしか寄るところがありません。また食べて帰るにしてもやはり赤羽駅近辺になります。板橋から赤羽までは住宅街の中の抜け道を使うことが多いし、家は荒川の近くなので、赤羽方向から来ると川口の繁華街は通りません。そんなわけで、いずれにしろ赤羽を利用することになります。
 赤羽という街は、JR駅の近くは再開発でだいぶ近代的になりましたが、その昔は「場末」という言葉にふさわしい、野暮ったさと猥雑さとが漂うところでした。いまでも、一歩裏通りに入るとそんな雰囲気が残っています。道幅いっぱいに拡がった酔っ払いの一行が闊歩し、少々いかがわしい店が軒を並べ……
 いかがわしい店、となるとうちの近くでは西川口なんかも目立ちますが、赤羽の「場末感」はそういうのとはまた違うように思えます。東京という大都会の周縁部独特の空気と言いましょうか。実際には、東京圏という都会エリアは、現在ではもっとずっと拡がって、隣接県である埼玉・千葉・神奈川のかなり深いところまで達していますから、赤羽なんぞが周縁部などと言ってもピンとこないかもしれませんが、街の持つ空気感というのは、10年や20年でそうそう変わるものではありません。いくら区画整理しても、ビルが建ち並んでも、表通りを外れると執拗に残っているものです。その辺は私の住む川口でも同様でしょう。

 赤羽だけでは納得されないかもしれませんので、次に挙げる街のイメージを考えてみてください(まあ、首都圏のかたにしかわからないことでしょうが)。

 金町。
 小岩。
 蒲田。
 西荻窪。


 いずれも、東京23区のいちばん外側に位置するJR駅です。金町は常磐線、小岩は総武線、蒲田は東海道線京浜東北線)、西荻窪は中央線です。金町の先は江戸川をはさんで千葉県の松戸、小岩の先は同じく江戸川をはさんで市川、蒲田の先は多摩川をはさんで川崎、そして西荻窪の先は吉祥寺となります。
 この中で、23区と市部との境目に過ぎない西荻窪だけは、最近では「オシャレな街」と認識している若い人も居るかもしれません。しかしその他は、どうひいき目に見ても「オシャレ」という感覚とはそぐわないのではないでしょうか。世代にもよるでしょうが、私などのイメージではいずれも安酒場などが建ち並ぶ感じです。蒲田はそれに加えて町工場が密集しているといったところです。
 23区のいちばん外側というのは、長いこと「東京という都会の周縁部」という位置づけであった街にほかなりません。これらの街にはやはり、曰く言いがたい「場末感」がいまなお共通して漂っているように思えるのです。
 そしてこれらの街の先にある、松戸にしても市川にしても川崎にしても、そして川口にしても、近年のことは知らず、どこか田舎臭さのあった街であり、「都会」ではないだろうという気がしてしまいます。
 吉祥寺だって、いまでこそハイセンスでオシャレな街とされていますが、私が住んでいた35年前は、まだまだ「多摩地区」らしい野暮ったさが残っていました。言ってみれば、「ここからは東京の『郊外』になるんだよ」という宣言をしているような街だったのです。
 それらの一歩手前である「23区でいちばん外側のJR駅」共通の場末感というのが、なんとなく面白く、しかもどこかいとおしいような気がするのは、私だけでしょうか。

 なお、私鉄駅に関して言えば、23区でいちばん外側と言っても、JR駅ほどの共有の空気があるわけではなさそうです。またJRでも、京葉線埼京線といった、比較的新しい路線であればこの限りではありません。京葉線では葛西臨海公園、埼京線では浮間舟渡が該当しますが、これらはいわゆる「場末」というのとは違いそうです。葛西臨海公園駅周辺は東京都らしからぬ「さいはて感」が漂い、浮間舟渡駅周辺は住宅街であって繁華街みたいなものはありません。「場末の街」という風情が形成されたのは、昭和40年代くらいまでに蓄積された雰囲気が大きくものを言っているのでしょう。
 私鉄の駅は住宅街であることが多く、それだけではあまり大きな繁華街を形成していないという事情があるでしょう。いちおう該当する駅を列挙してみると、

 メトロ東西線葛西
 都営新宿線篠崎
 京成本線江戸川
 
北総電鉄新柴又
 
つくばエクスプレス六町
 
東武スカイツリーライン竹ノ塚
 
埼玉高速鉄道赤羽岩淵
 
東武東上線成増
 メトロ有楽町線
副都心線)の地下鉄成増
 西武池袋線
大泉学園
 
西武新宿線武蔵関
 
京王線千歳烏山
 
京王井の頭線久我山
 
小田急小田原線喜多見
 
東急田園都市線二子玉川
 
東急東横線多摩川
 
京急本線六郷土手

 がそうなります。
 北総、TX、埼玉高速などは比較的近年の開通で、途中の駅周辺にもまだ充分な繁華街のようなものはできていませんので、新柴又や六町などはここで言う場末感には無縁です。赤羽岩淵は赤羽の街外れという位置ですので、まあ赤羽に含めて考えてしまって良いでしょう。
 比較的JR駅と似た場末感が感じられるのは葛西・成増・二子玉川くらいでしょうか。二子玉川は最近になって東急が頑張り、代官山に次ぐくらいのオシャレ感を醸成しようとしていますが、上に書いたとおり街の空気感というのはそんなに簡単には変わりません。
 あと、その駅自体ではなく、そこに近い比較的大きな(急行が停まるような)駅周辺を考えると、ややJR駅に近い場末的な雰囲気があるというケースもあります。京成の高砂、スカイツリーラインの西新井、西武池袋線の石神井公園と新宿線の上石神井などが相当するでしょうか。小田急なら成城学園前がこれに当たりますが、成城は学園町ということもあってむしろハイソなイメージがあるようです。

 場末、場末と、なんだかそれらの街を貶めているようで、実際にそこに住んでいるかたがたにとっては面白くないかもしれず、その点については重々お詫び申し上げます。
 が、私はそういう雰囲気が嫌いではありません。都会の端っこにあって、しかし郊外にはなりきれないという、微妙な混在感がここで言う「場末感」でして、都会のお高くとまった感じでもなければ、郊外住宅地の取り澄ました感じでもない、何やら「人間」の体臭が感じられるようなざっかけない感じが、なんとも心地良い気がするのです。
 早い話が赤羽にしても、「東京都北区赤羽」なるそのものズバリのタイトルのマンガ(清野とおる著)が、妙にマニアックな人気を保っていたりします。このマンガは去年だったか、深夜ドラマにもなり、マダムがはまってしまい、主人公の山田孝之(本人役)が住んでいたアパートを自転車で探すのに私も付き合わされたりもしました(聖地巡礼か?)。
 これなどは、上に書いたような、場末ならではのそこはかとない心地良さが、読んでいて(観ていて)伝わってくるところがその人気の理由なのではないでしょうか。
 時代は遷(うつ)り、世代も遷り、これらの街もいつまでも場末のままではないでしょう。いまはまだ表向きだけの再開発も、やがては街全体に及んで、名実共に「都会」に組み込まれることになるのかもしれません。そうなったときには、場末の雰囲気は、県境を越えてもっと外側に拡がることになりそうです。
 しかし、江戸川、荒川、多摩川という物理的な「境界線」の威力は、まだまだ強いようでもあります。上の「外側の駅」の中でも、隣の駅とのあいだに大きな川のような物理的境界が無い西荻窪だけが、少し場末感から脱してきたようなのもうなづけます。
 道路や線路といった「線」は、川を軽々と越えますが、街という「面」が大きな川を越えるのは容易なことではありません。「面」にとっては、境界となる川はいまだに「果て」であると思います。
 これは、かつて武蔵下総の「国境」であった隅田川に面した街を考えても言えることである気がします。町屋・南千住・浅草・浅草橋などが相当しますが、これらの街を総括する「下町」という言葉が、私の言う「場末」に少し重なる概念かもしれません。
 東京23区という、いわば行政の都合で仕切られただけの領域ですが、その周縁にある「場末の街々」は、川という境界線があるために、もうしばらくはその空気を保ってくれるのではないかと私は期待しています。
 場末、それは生の人間が息づく街なのです。

(2016.9.1.)

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