忘れ得ぬことどもII

『いのちの渦紋』制作記

I

 4台8手、すなわち4台のピアノに奏者がひとりずつついて演奏するというどえらい編成のオリジナル曲を書くことになりました。。
 「レ・サンドワ」というピアニスト集団から委嘱された作品です。洗足学園のピアノの先生たちが10人集まって作ったユニットで、いろんな組み合わせでアンサンブルを主とした曲を演奏しています。
 私が彼らの演奏会を聴きに行ったときは、2台しかピアノがありませんでしたが、4台使うこともあるそうで、実際2016年5月21日(土)浜離宮朝日ホールで開催予定の演奏会では4台ピアノを使用することになっています。そのとき初演するために委嘱されたのでした。これまでにも何度か委嘱作品をやったことがあるそうです。
 4台のピアノなんて、いったいどんなことになるのか見当がつきません。
 ロスアンジェルスオリンピックの開会式で、26台のピアノで『ラプソディ・イン・ブルー』を演奏したなんてことはありましたが、そんなのはお遊びであって、2台ピアノとかピアノとオーケストラといった形で演奏するよりも感動が深まったなどということはありません。
 ピアノは2台あればたいていの交響曲も演奏できてしまうものです。私が長々とつきあったマーラー『嘆きの歌』も、大編成オケを2台ピアノでやってしまう試みでした。音色の多彩さという点ではオーケストラには太刀打ちできませんが、響きの拡がりや深みに関してはそうそう劣るものでもありません。そして何より大事なことは、3台か4台のピアノ用に編曲したとしたらもっと良くなるかというと、別にそんなこともなさそうだという点です。
 去年の秋の100回記念ライブリーコンサートで、2台ピアノの曲をいろいろ聴きましたけれども、ラヴェルラフマニノフの2台用作品を聴いてしまうと、もうおなかいっぱいというか、

 ──これ以上音を増やして、なんの意味があるんだ?

 とむなしい気分に襲われたりしました。音の厚みに関しては本当に2台で充分であって、それが3台4台と増えたところで厚くなったり深くなったりはしないのではないかという気がしてなりません。

 そんなこんなでなかば方向性を見失って、なかなか着手できませんでした。
 演奏時間は7分くらいと言われています。この時間では、例えば交響曲的な手の込んだものはできないでしょう。
 発想の転換が必要であると感じました。音の厚みなどを2台ピアノの延長線上で考えてもあまりらちはあきません。逆に、2台ピアノで「できないこと」とはなんだろうか、と考えてみました。
 3種類以上の、別々の「呼吸」を要するものならば、たぶん奏者ふたりでは困難です。4声のフーガなど弾いていると、4種類の呼吸を使い分けなければならないかと思われてきますが、実際にはそんなに厄介ではありません。独奏用のフーガは、ちゃんとブレスが連動するように作られています。少なくともバッハのように緻密に作られたフーガならそうなっているはずです。
 音を増やす必要はないけれども、息づかいの多彩さといったことを考えてゆけば、4台のピアノの曲が書けそうな気がしてきました。
 息・呼吸というと生命活動の一環であり、私のライフワーク(?)でもある「生命への讃歌」というコンセプトにもぴったりしそうです。
 そんなところで、昨年末に『いのちの渦紋』というタイトルだけ決めて伝えておきました。ただし曲想はなかなか思いつかず、他の作業を先にやらなければならなかったこともあって、ようやく3月末になって着手しました。
 そんなに長い曲ではないので、一旦着手すればさほど期間を要せずに書けると思います。ただしピアノ4台分の音符というのはやはり多いので、「想い」に手許がついてゆかないのではないかという懸念はありますが。
 なんにしろ、そろそろ今年の板橋オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の編曲にもかからなければならないし、さっさと済ませてしまわなければなりません。
 それに演奏会までもう1ヶ月半くらいしかありません。想像するに、いままでの委嘱作品もわりとぎりぎりに出来上がってきたのではないかという気がするのですが、それに甘えるわけにはゆきません。練習期間は多いほうが良い初演になるに決まっています。
 私は一体に、アマチュアからの委嘱はきわめて早い時期に仕上げるのですが、プロ演奏家からの委嘱は遅れてしまうことが多く、この習癖はなんとかせねばならないと思っています。

(2016.4.2.)

II

 今月(2016年4月)は、5年近く塩漬けになっていた『月の娘』を再開し、歌の部分のみとはいえ形にしなければなりませんでした。
 さて、作らなければならなかった曲がもうひとつあります。4台のピアノのための作品『いのちの渦紋』です。
 こちらも、本当ならもっとずっと以前に出来上がっていなければならなかった曲なのですが、ようやく着手したのが3月末でした。それも、ある事情により、自分のパソコンやテレビなどを使えない環境にほぼ丸一日滞在する必要のある日があったもので、やっと着手する気になったという困った話でした。
 その環境で、ピアノは使えたので、かなり頑張って書きました。最終的に出来上がったものの4分の1強くらいなところまで、その日一日で書くことができました。こういう、なかば「強制的な暇」が無いと、着手すら覚束なかったかもしれません。それほどに「4台のピアノ」という編成に底知れないものを感じていたようです。
 長さとしては4分の1とはいえ、最初の方向性が定まったわけなのですから、作曲の仕事としては半分くらい済んだ気がしました。
 ところがその後、なかなか続きを書く時間が見つけられませんでした。編成が特殊かつ大型であるゆえに、続きを書きはじめるまでにも、ある程度の気合いと覚悟を要します。
 こちらが滞っているあいだに、『月の娘』の終曲を書き、さらに今年の板橋オペラ『ドン・ジョヴァンニ』の編曲も開始しました。
 しかしこれも、15日には譜面を渡すという約束になってしまいました。委嘱者はレ・サンドワという洗足学園のピアノの先生たちのグループですが、窓口となっているのは私が指導している女声合唱団クール・アルエットの伴奏をしてくれている山本佳代子さんで、アルエットの練習のときに渡すのが都合が良いわけです。その機会が15日だったのでした。
 今週に入ってからはもうカウントダウンという様相で、それなのに『ドン・ジョヴァンニ』のほうを先に進めたりして、本当にヤバい状況になってきました。最後の数日で死力を尽くした感じです。
 なんとか14日の深夜──というより15日の未明に草稿を仕上げ、短時間眠って、起きたあとにデータ入力をはじめました。クール・アルエットの練習に出かけるまで、約4時間というものパソコンのキーとマウスボタンを叩き続けました。入力にこんなに手間取るとは予想していなかったのですが、やはりピアノ4台分の音符の数というのは半端なものではありませんでした。
 遅刻せずに済む時刻までに印刷を済ませることができ、心の底から安堵しました。もっとも、見直しをしたりする時間はありませんでしたので、いろいろ不備があるかもしれません。また演奏の便宜のためパート譜を作ると申し出ていたのに、それは間に合いませんでした。後日ということになるでしょう。
 『いのちの渦紋』は、全体としては調性はありませんが、私の好きなオクタトニック(8音音階、メシアンのいわゆる「移調の限られた旋法」の2番にあたります)の響きを多用しているので、そう聴きづらい曲ではないと思います。
 ……そう思ったのですが、試みにFinaleのプレイバック機能で鳴らしてみると、いやもうぐちゃぐちゃな響きで、何が何やらわかりません。まあこのプレイバック機能は非常に簡易なもので、例えば私がわりと多用するfp(フォルテピアノ、大きな音を出してからすぐに小さくする)などには対応していません。この記号のあと弱音が欲しいのに、いつまでも無遠慮に強音を鳴らし続けたりしますから、実際に人間の手で演奏された場合にはもっと整理されて聞こえるとは思いますが。
 ファのシャープというひとつの音が繰り返し鳴らされる中で、それにからみつくように、あるいは反撥するように、各種のモティーフが登場します。私のよくやる、生命誕生のイメージです。1分半ほどそれが続いていろいろ繁茂してきたのちに、今度はオスティナート(同型反復)が目立つ部分となります。生命の持続のイメージです。
 後半は意識してフーガにしました。同じモティーフがいろんな形で何度も出てくるのが生命の繁栄と変転のイメージであることもありますし、4人の奏者がそれぞれのパートを担当することで、ひとりで4声のフーガを弾くときにはとてもできないような組み合わせかたが可能になるはずです。今回はとにかく、「奏者が4人居ないとできないようなこと」を書くことを志しました。フーガの主題も、通常のフーガのような単音ではなく、重音になっている部分があります。
 何しろ音符の数が多いので、書いても書いても小節が増えない気がしましたが、フーガに入るとある程度構造が決まっているため、どんどん進むようになりました。最終的には、Fnaleの演奏時間ユーティリティによれば7分40秒ほど、実際に演奏すればおそらく8分程度の、いちおうまとまった作品になりました。

 『月の娘』と『いのちの渦紋』を、いわば同時進行で書いていたわけですが、一昨年の『セーラ』『星空のレジェンド』の同時進行に較べると、気が楽ではありました。『セーラ』と『星空』の場合、かたやオペラかたやオラトリオ風とあって、どちらも劇的作品ということで共通していました。声楽が主体となる点も同様。そして使っている響きも、あんまりゲンダイオンガク的にはならない、誰でも素直に愉しめるようなものをという方針でした。こうなると、お互いが似てしまわないようにするのがひと苦労です。実際にも、『セーラ』第2幕冒頭でミンチン先生ミス・アメリアが話しているシーンと、『星空』の終曲のお祭りシーンとで、使っているリズム型がほとんど同一になってしまっていました。
 その点、今回の同時進行は、かたや音楽劇(今回作った部分に関して言えばほぼ歌曲)、かたやピアノ曲で、発想そのものが異なります。『月の娘』はモダンな響きの部分もありますがいちおうは調性音楽で、『いのちの渦紋』は無調性ですから、これも似てしまう懸念はありません。むしろ『セーラ』作曲中で言えば、『印度の虎狩り』が並行した時期に近いかもしれません。

(2016.4.16.)

III

 5月21日(土)は私の新曲初演があったので、いつもの土曜日の教室の仕事を翌日に振り替え、聴きに行きました。
 初演されたのは、「4台ピアノのための『いのちの渦紋』」です。洗足学園のピアノコースの先生がたが結成しているレ・サンドワというグループの演奏会のために委嘱された作品です。
 レ・サンドワ(Les cent doigts)はフランス語で「百本の指」を意味し、メンバーの数が10人であること、そしてソロによる演奏ではなくアンサンブルを活動方針にしていることから名付けられたようです。1台4手、2台4手、2台8手から、4台8手に至るさまざまな形のピアノアンサンブルを聴かせるという、ちょっと珍しいピアニスト集団なのでした。ひとつの音大のピアノ講師だけでこんな団体を作り、恒常的に活動しているというのは、他に例が無いかもしれません。洗足のピアノの先生がたは比較的年齢層が密集しているようで、まとまりやすいのはそのためかもしれない、とあとで伺いました。
 ともあれそのメンバーのひとりが、私の指導している女声合唱団クール・アルエットで伴奏を弾いてくれている山本佳世子さんなのでした。いつだったか彼女にクリス・ヘイゼル『3匹の猫』の2台ピアノ版編曲を渡しておいたところ、去年(2015年)の秋のレ・サンドワの演奏会で弾いてくれて、引き続き新作を委嘱されたというわけでした。

 委嘱まで、いやにスムーズな流れだったので、新作委嘱などわりにしょっちゅうおこなっているのだろうと思っていたのですが、そうではなく、この団体はじめての試みであったとのことでした。
 団体の立地からして、まずは洗足の作曲の先生にでも委嘱するのが順序ではないかとも思えました。洗足の作曲には、確か私の同級生だった山田武彦くんが居るはずですし。彼らを差し置いて私が最初に頼まれたのは、光栄なようでもあり申し訳ないようでもあります。山本さんは去年『セーラ』を観にきてくれており、そのときに私の書いたものを3時間ほどにわたって聴いてみて、まあこいつならそんなにヘンテコな曲は書かないだろうと判断したのかもしれません。

 ともあれ委嘱されたのが去年の夏頃であったかと記憶しています。年内に書くつもりがちっとも進まず、年末ごろにタイトルだけでも出してくださいと言われて「いのちの渦紋」なるややキザな言葉を伝えました。実はその時点で、まだ全然曲想も浮かんでいませんでした。ただ私のライフワークとして「生命への讃歌」というテーマがあり、大学1年のときの『オノゴロ島』からはじまって、『時の福音』『進化の構図』『生々流転』『有為転生』『満潮に乗って』『水の変想曲』『The Dance at Twilight』などの作品がこの系列に属しています。何も思い浮かばないときは、この系列に属するものとして考えるのがいちばん無難にして妥当と思われました。それで「いのちの渦紋」というタイトルを呈示したのですが、実はこのタイトル、宮城谷昌光氏の『太公望』の章題のひとつです。むろん小説と曲の内容にはまったく関係がありません。
 年明けになると多少焦りはじめましたが、山本さんが
 「どうせ合わせなんか、先生がたが忙しくてまだ当分できませんから、それほど急がなくても結構ですよ」
 と言ってくれたのに甘えて、さらに着手を遅らせてしまいました。1月が過ぎ、2月が過ぎると、さすがに
 「どんな感じですか」
 と訊かれるようになり、これはまずい、と思いました。
 しかし結局着手したのは3月31日のことでした。この日、ちょっと事情があって、自分のパソコンもテレビなども使えないところに一日滞在しなければなりませんでした。ただピアノだけは使える場所だったので、下書き用の五線紙を一冊持ち込み、ほぼ丸一日こもりきりで作曲に打ち込んだのでした。
 この日だけで、4分の1くらいまで進められました。しかしその先はまたしばらく中断してしまい、デッドラインと決めた4月15日の数日前になってスパートをかけるはめになりました。後半をフーガにしたのは好い判断だったと思います。フーガはある程度定型があるので、それほど智慧を搾らなくとも曲が進んでゆきます。
 15日のクール・アルエットの練習の直前までかかって譜面を打ち込み、まさしくぎりぎりで山本さんに渡すことができました。
 後日山本さんから、
 「音源があればいただけませんか」
 と言われたのですが、これは無理でした。Finaleのプレイバック機能でMIDIファイルを作ることは可能なのですが、試演させてみると、なんだかまったくわけのわからない曲になってしまい、私自身愕然としたほどでした。
 Finale附属のソフトシンセサイザーはごく簡易なものなので、書き込んだ音符や記号が、必ずしも私の思ったように音に反映されるわけではないというのがひとつの理由です。前にも書きましたが、例えば強く発音してすぐに弱音に移行するfpという記号は、そのとおりの効果にはなってくれません。またテンポの変化などもずれることがあります。
 そのため、音源を求められると、「音源用の譜面」というのを別に作らなければならないことが多いのでした。上に書いたfpは、例えばfpに分離させて指定します。テンポも実際の譜面には必要のない指示を書き込んで、ソフトシンセサイザーが理解できるようにしてやらなければなりません。
 今回は、音源用の譜面などを別に作成している暇がとれませんでした。『ドン・ジョヴァンニ』の編曲作業も急がなければならなかったのです。
 また、シンセサイザーではやはり、演奏が「無神経」なのでした。『いのちの渦紋』はどちらかというと、奏者同士が神経を研ぎすまして、お互いの呼吸を読み、関係性を構築してゆくという演奏方法を主眼としています。そんな「気づかい」はコンピュータには望めないわけです。
 それで音源は、申し訳ないけれどもお渡しできない、と答えました。
 とは言うものの、そんな「気づかい」をすることで、あの支離滅裂だったFinaleでの試演が、ちゃんと聴くに堪える音楽になってくれるものかどうか、少々心許ないものがありました。私が愕然としたのはそのせいです。譜面を書いているときは、頭の中ではきちんと響きができているのですが、実際に音を出すとわけのわからんことになるのではないか……という不安は、新作の初合わせの前にはいつも感じることです。

 5月5日に、リハーサルがありました。4台もピアノを使える場所はそうそうありません。そのときは江戸川橋の近くの楽器屋さんのショールームを使わせて貰っていました。
 『いのちの渦紋』に関してはそのときが初合わせだったとのことです。それはそうでしょう。
 私が到着したとき、リスト『レ・プレリュード』の合わせをやっていました。これも4台による演奏です。さすがに大音量が出ていて、驚きました。
 『いのちの渦紋』の合わせも、最初は手探りだったせいもあって、案の定というか、てんでに動いていてさっぱりまとまりがない感じでした。それが演奏のせいなのか曲のせいなのか、その時点でははっきりせず、

 ──おいおい、こんな曲を発表してしまって良いのか?

 と心配になりました。
 4台ピアノという編成の曲を書くにあたって、私は、音を増やすとか音量を増やすとかいう方向ではないものを心掛けたつもりです。ラフマニノフ『組曲』とか、ラヴェル『ラ・ヴァルス』などの2台用作品を聴いてしまうと、この方向で倍の楽器を使ったところで何になるのだろうかと疑問に思いました。それで、『いのちの渦紋』では、こけ威かしの大音量はなるべく控えて、4台の楽器がそれぞれ別のことをやりつつ全体としてバランスがとれているという響きを追究してみたのでした。
 が、委嘱新作がはじめての試みであるとすると、言い換えれば4台ピアノによるオリジナル曲というものを彼らは演奏したことがないとも考えられます。いままでは編曲ものばかりだったのかもしれません。とすれば、とりあえず思いきりガンガン弾きまくるというのも当然だった可能性があります。
 少しずつ止めながら私が意見をさしはさんでゆくと、さすがにプロ集団、見る間に音楽が調ってきました。私が考えていた音にだんだん近づいてきます。やはりfinaleのソフトシンセサイザーなどより、生身の人間が弾く音楽のほうがよく響きます。
 この調子なら大丈夫だろうと思いましたが、それでも本番前にいちど聴いておきたいと思いました。
 「本番前は……ほんとに一度通せるかどうか程度の時間しかとれないと思うんですが……」
 と恐縮そうに言われました。暗に、来て貰うには及ばないと言われているようでもありますが、初演がうまくゆかなかったら演奏者ではなく作曲者の責任である、ということを、学生時代にくどいくらい叩き込まれました。初演には全責任を負わなければなりません。
 「本番のホールだと、また少し響きが変わるかもしれないんで、いちおう聴かせてください」
 そう言って押し切りました。

 浜離宮朝日ホールに、16時10分くらいに到着しました。
 4台のピアノの並べかたというのはいろいろあって、ピアノの尖端を向き合わせた扇形、逆に演奏者が集まる形になる扇形、4台を互い違いに並べるやりかたなどが考えられます。今回はいちばん普通というか、第1ピアノと第2ピアノが上手(客席から見て右側)向き、第3ピアノと第4ピアノが下手(客席から見て左側)向きに突き合わせて並べてありました。第2ピアノと第4ピアノは奥になります。
 この形だと、第2ピアノ以外蓋を開けられず、あとはすべて蓋を取り外すことになります。反響が若干弱まります。また、第2・第4ピアノは奥にあるので少し聞こえづらくなるという欠点があります。しかし、奏者同士のアイコンタクトはとりやすいでしょう。どういう並べかたにしても一長一短があるのでした。
 一度通せるかどうか、という話でしたが、『いのちの渦紋』のリハーサルとして30分ほどの余裕をとってくれてありました。ありがたいことです。やはり若干バランスが良くない箇所があったりしたので、来ておいて良かったと思いました。
 開演は18時です。リハーサルが終わると、調律師が大急ぎで4台のピアノの調律にかかっていました。開場してもしばらく調律が続き、開演10分くらい前になってようやく終わりました。4台はすべて浜離宮朝日ホールの所属だそうですが、スタインウェイ3台にベーゼンドルファー1台とあって、調律もなかなか一筋縄ではゆきません。大変だったろうと思います。
 前半は2台ピアノによるアンサンブルでした。最初が1台4手による連弾でドビュッシー『古代の墓碑銘』から抜粋。わりに地味な曲ですが、幕開きとしてはちょうど良い感じでした。
 次がルトスワフスキ『パガニーニの主題による変奏曲』。2台ピアノの演奏会では演奏されることが多い曲であり、またルトスワフスキのピアノ曲の中でもいちばん演奏頻度が高い曲と思われます。リストブラームスラフマニノフ一柳慧などが挑戦したパガニーニの主題ですが、それ自体が魅力的なメロディーとかそういうわけではなく、シンプルにまとまっているがゆえに変奏を作りやすいというのが人気の理由ではないかと思います。長々と多数の変奏を連ねるケースが多いのですが、ルトスワフスキはパガニーニの原曲と同じ12の変奏で、比較的短時間できっぱりと終わる観があります。
 それからプーランク『悲歌』サンサーンス『死の舞踏』、ここまでが2台4手による演奏です。
 前半最後は2台8手となり、チャイコフスキー幻想序曲『ロミオとジュリエット』を演奏しました。やはり第二主題のあの息の長いメロディーは、ピアノの音色では少々物足りない気がしますが、迫力はなかなかありました。
 後半が4台ピアノとなります。江戸川橋のリハ会場に行ったときにやっていたリストの『レ・プレリュード』、それから『いのちの渦紋』、ラストがラヴェルの『ラ・ヴァルス』という順番でした。リスト、ラヴェルという両巨匠のあいだにはさまれて、恐縮というか、たまったものではないというか。ここまで来たら、腹を据えて聴いているしかありません。

 続けて聴いてみると、『レ・プレリュード』と『いのちの渦紋』は、4台のピアノを用いての演奏という形において、ふたつの異なった方向を指し示しているようで、意外と興味深いものを感じました。つまり、とにかく大オーケストラの大音響を模す方向でゆくのか、より繊細なアンサンブルを追究する方向でゆくのかというふたつの道です。もちろん私は後者を目指して曲を書いたわけですけれども、その思惑が予想以上に当たっていたことを感じました。その意味では好いプログラミングであったと言わざるを得ません。『レ・プレリュード』より先に演奏されていたら、私の狙いがいささか伝わりづらかったかもしれません。
 あとで聞くと、『いのちの渦紋』がいちばん良かったというお客がけっこう居たそうです。それも結構「わかっていそうな」お客からそういう評が出ていたらしく、

 ──さすがに(編曲ものとは違って)、最初から「4台のピアノ」ということを意識して作られた作品だけのことはあるね。

 ということでした。そこがちゃんと伝わっていたとすれば作曲者冥利に尽きるというものです。何しろ、「4台のピアノで何をすればよいのか」→「ピアノが4台無いとできない音楽とはなんなのか」ということを、私としてもけっこう考え抜いたつもりでしたから。実際に着手してから脱稿するまでは半月ほどの期間でしたが、なかなか着手できなかったのは思い惑っていたからでもあり、その意味では半年かかった作品とも言えるのです。
 思いもよらず、珍しい編成の作品を書くことになったわけですが、編成の珍しさを活かしきることができたのは幸いでした。演奏者も頑張ってくれたと思います。
 ここまでレ・サンドワのメンバーの名前をほとんど出していませんでしたが、自作の初演者くらいは記しておきましょう。仲介を務めてくれた山本佳世子さんは第4ピアノでした。
 メンバー最年長と思われる希代智子さんが第1ピアノ、逆に最年少と思われる鳥羽瀬宗一郎さんが第2ピアノでした。なお鳥羽瀬さんはうちのマダムの大学の先輩にあたります。マダムが1年生のときの4年生であったようです。音大は男子学生が少ないところなので、男子の先輩は印象に残っているのでしょう。
 第3ピアノは山内のり子さんで、この人もマダムと同じ大学です。ただし在籍は重なっていないようで、鳥羽瀬さんが学部1年生のときに大学院の1年であったとか。しかしマダムが活動に参加していた(というか部長もやっていた)フランス音楽研究会、略称フランケンのOGなのだそうです。なおフランケンの指導にあたっていた山口博史先生は、私が大学1〜2年のときにソルフェージュを教わった恩師でもあり、マダムと私は全然違ったところで同じ先生の指導を受けていたことになります。まったくこの世界は狭いものです。

 プログラム最後の『ラ・ヴァルス』は、2台ピアノ用のものをメンバーのひとりが4台用に再編曲したものだそうです。2台で弾いているときよりも、役割分担が可能であるせいか、整理されて聞こえてきました。なるほどこの曲はこういう構造だったのかということがよくわかる気がします。ただ、ラストではテンションが上がりすぎたのか、4人が4人とも激しく弾きまくり、かなり兇暴な『ラ・ヴァルス』になっていたようでした。
 アンコールは、10人がかりの『ボレロ』で、両方の舞台袖からひとりずつ歩み出てだんだん増えてゆくという演出をしていました。同じメロディーとリズムのくり返しばかりで、音色と音量の変化だけで最後まで持ってゆくような『ボレロ』を、ピアノだけで演奏するのはかなり無謀と言えるのですが、この演出があったおかげで退屈せずに聴けました。
 さらにそのあとに、グノー『アヴェ・マリア』で締めました。これも10人がかりですが、使うピアノは2台だけです。昨秋のヤマハホールでのコンサートのときもアンコールでこれをやったそうです。私はそのとき、仕事があって前半だけで帰ってしまったのですが、最後まで聴いていたマダムに『アヴェ・マリア』のことを聞き、いったいどういう風に10人がかりでやってのけたのだろうかと、呆れ半分に興味を持ちました。よく見ると、全員が片手を椅子に突いています。2台20手連弾かと思ったら、実は2台10手なのでした。レ・サンドワ(100本の指)ならぬレ・サンカントドワ(50本の指)でした。

 誘われたので、打ち上げにもお邪魔しました。ちょっと顔を出して、すぐおいとましようと思っていたのですが、居酒屋のようなところではなく寿司屋で、ちゃんとした寿司のコースだったりしたもので、つい長居してしまいました。
 しかし、レ・サンドワについてここまで書いてきたことの多くは、この打ち上げの場で皆さんと話をして得た情報です。また親睦を深めておけば、また何か仕事につながるかもしれません。演奏会の打ち上げというのは、私らのような者にとっては一種の営業活動の場でもあるのでした。
 2曲目の委嘱が来るかどうかはわかりません。普通に考えて、次の機会にはまた別の作曲家ということになりそうな気もします。しかし、編曲だったら今後も頼まれる可能性があります。こういう珍しいアンサンブル活動をしている団体にとっては、レパートリーが限られることがいちばんの悩みだと思われますから。
 ともあれ、面白い仕事ができました。

(2016.5.22.)

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