忘れ得ぬことどもII

『司馬遼太郎が考えたこと』を読み返す

 しばらく前鴨居玲展の関係で『司馬遼太郎が考えたこと』という本をひっぱり出したのでしたが、それ以来、ゆっくりと第1巻から読み直しています。
 司馬遼太郎が生涯に書いたエッセイのたぐいのうち、『この国のかたち』とか『風塵抄』などにまとまっていないもの、また『街道をゆく』『草原の記』のような長篇やシリーズものを除いた文章を、できるだけ洩れなく集めて15巻にまとめ、新潮文庫から出ている文集です。従来各社から出ていたエッセイ集との重複もずいぶんありましたが、年代順にまとめられているので、司馬遼太郎という作家の考えかたの変遷などがよくわかります。
 本人は「自分自身にまったく話題性を見出せないから、随筆など到底書けるものではない」と繰り返しぼやいていますが、それでもこれだけ浩瀚な文集になるだけの分量を書いていたわけです。自分の小説の予告やあとがき、他人の本の序文・跋文・推薦文など、あるいは文芸誌のアンケートへの回答などまで網羅されており、並べてみるとそれなりに壮観です。
 当然ながら、近接した時期の文章には、同じ事柄が書かれていることもありますが、そういう箇所は筆者が特にその時期訴えたかったり感銘を受けたりしたことなのだろうと思えるわけで、なかなか興味深いのでした。

 司馬作品を最初に読んだのは『項羽と劉邦』だったと記憶しています。それから『風神の門』だったかな。『戦雲の夢』『馬上少年過ぐ』などもわりに最初の頃に読んだ憶えがあります。『坂の上の雲』は少しあとでしたが、旅行中にだいぶ夢中になって読んだのだったと思います。『翔ぶが如く』はもっとあとに読みました。
 意外と『国盗り物語』『竜馬がゆく』『菜の花の沖』といった、代表作と見なされているものが未読だったりしますが、それにしても相当にいろいろ読んできたと思います。『箱根の坂』などは繰り返し読み過ぎて、『項羽と劉邦』ともどもカバーはちぎれ去り、表紙もとれかけてきました。ここまで読み込まれれば、本としても満足なのではないかと思うほどです。
 エッセイ集や対談集も、文春中公の文庫で出ていたものを中心にだいぶ読みました。だから『考えたこと』を読んでも既読のものが少なからずあったわけですが、年代で並べると、

 ──ああ、これはこの時期に書いていたのか。

 と納得できるといったこともよくありました。

 司馬氏の肩書きはまあ「歴史作家」であると言って良いのですが、エッセイなどで、書かれた時点での現在進行形の出来事に関しても、歴史を俯瞰する立場からコメントしているので、説得力があります。
 ただ年代を並べて読んでいて、いくつかの事柄については、こんにちの眼から見るといささか、どうかな、と思えることも当然あります。
 まず挙げられるのが「土地」についての考えです。
 土地問題に関しては、司馬氏は田中角栄「日本列島改造論」の頃から警鐘を鳴らし続けてきました。土地を投機の対象にすることで財産を肥らせるというのは決して健全な資本主義のありかたではない、という意見には、まったくそのとおりだと同意できます。
 ただその行き着くところ、土地は国有にすべきだという議論になると、少々首を傾げたくなります。
 この点については、確か司馬氏の歿後すぐ、渡部昇一氏が誰かとの対談でコメントしていました。
 土地を国有化するということは、土地の使いかたを官僚が考えて指示するという意味であり、自分としてはそこまで日本の官僚の能力を信じ切れない、という趣旨でした。これもそのとおりだと思います。
 司馬氏が土地国有化を考えた時期は、まだ役人の有能さが信じられていた頃だったのかもしれません。日本の政治家は三流だが、役人が一流の能力を持っているので大きな破綻もなく国家が運営できているのだ、と、わが国では長いこと信じられていました。司馬氏もそういう一般的認識を共有していたのでしょう。
 しかしだんだんとボロが出てきて、役人だって言うほど有能ではないということが判明してきました。日本の稀に見るほどの戦後の発展は、政治が良かったからでも役人が有能だったからでもなく、国際状況がそういうめぐりあわせであったことと、社会を支える製造業などがちゃんとしていたからであったのでした。渡部氏のコメントは、そういうことがわかってきてからのことですので、これまたそのとおりであると思わざるを得ません。
 土地については、東京都の地価で全米が買い取れるとか、日本全土の地価で日本以外の土地を全部買い切れるとかいう異常な状態がしばらく続いたのちに、唐突にバブルがはじけて「神話」が終焉しました。そのハードランディングが不手際すぎたという話は措くとして、

 ──土地の値段は下がることもある。

 という、考えてみればあたりまえの事実をみんなが知ったことで、司馬氏の懸念していたことはほぼ解消されたと思います。たぶん、もう二度と日本では「土地神話」は復活しないでしょう。
 いまの若い人には信じられないかもしれませんが、25年くらい前までは、土地の値段が下がることは絶対に無いと信じられていたのです。「借金は良くないが、住宅ローンだけは積極的に借りるべき」と論じている本もありました。銀行は企業に融資するとき、その企業の業績ではなく、保有している土地を審査の主対象にしていました。ろくでもない業績しか上げてなくとも、土地をたくさん持ってさえいればじゃんじゃん融資を受けられたのでした。
 いま考えれば、どう見てもおかしな話であり、それがおかしいという感覚が一般的になっただけ、日本人は賢くなっていると言えます。

 それから、中国についての見かたが、いまの眼から見ると相当に甘々であるように思えます。司馬遼太郎ともあろう人が、中国の宣伝にこれほど眩惑されてしまっていたのか、という感慨を覚えるほどです。
 例えば少数民族政策絶賛しているのですが、これも向こうの宣伝をそのとおり真に受けてしまっていたとしか思えません。その後明らかになった、チベットウイグルへの非人道的な抑圧政策を洞察できなかったことを責めるのは、さすがに酷でしょうが。
 「何はともあれ、毛沢東は中国の民に食わせることに成功した。この『食わせる』ということを抜きにしては、いかなる議論も空虚なものになる」
 と司馬氏は論じました。共産主義というイデオロギーの眼鏡をかけて見るのは良くない、という意味では確かにうなづける意見ではあるのですが、実際には毛沢東は大躍進政策で数千万の餓死者を出していたことが判明しています。それを知らずに済んだのは司馬氏の幸せであったでしょうか。
 2千年以上骨肉にこびりついてきた儒教の弊害を棄てるために、別の原理を必要とした、それが毛沢東主義である……という好意的な見かたもしていましたが、はたして儒教なるものがそれほどに中国人の骨肉に密着していたかという点も疑問です。安能務氏などは、むしろ儒教イデオロギーを外して見たほうが中国史の本質がよくわかるという立場でした。儒教にしろ共産主義にしろ、中国人というのは利用するだけで、本気で信じてやいないのだという論は、いまとなっては納得できる気がします。
 とにかく、「新中国」(昭和30〜40年代頃の中華人民共和国の謂い)になって、すべてが生まれ変わったかのように見えていたのでしょう。十億の人間集団が、そんなに簡単に生まれ変われるわけはないし、司馬氏とて冷静に考えればわかったはずなのですけれども、どこかやはり、唐朝の頃長安を訪ねた奈良期や平安期の日本人が、大中華文明を「仰ぎ見た」気分が、司馬氏のどこかに残っていたように思われます。
 司馬氏は日本の文化は中国文明の周辺化したものであると考えていたようですし、どうしても自国を小さな国、粟粒のように脆弱な国であるとする意識が抜けなかったようです。『坂の上の雲』の書き出しは、まさに、

 ──まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。

 というものでした。これが司馬氏の眼に映った、日本という国の原像だったのでしょう。
 ちなみに現在では、日本は中国とは別個の独立した文明圏を、一国だけで形成しているという見かたが主流になっています。

 大東亜戦争へ至る道筋を、「日露戦争後の40年間の異常な時代」にのみ求めているのも、こんにちから見ればいかがなものかという気がします。これについては『この国のかたち』に詳述されており、『考えたこと』のほうでは断片的に出て来るばかりですが……
 このことに関しては、実際に戦車兵として戦争を体験した実感からの述懐でしょうから、体験していない者としては何を言っても詮無いことかもしれません。しかし、逆に自身の体験がものの見かたを歪めてしまうということも無いとは言えません。
 確かに日本史を俯瞰した場合、19051945年という時代が、何か異質なものに見えるというのはわからないでもないのですが、日本が自分からねじ曲がって行ったに過ぎないのかといえば、そんなこともなさそうに思えます。日露戦争時のUSAは非常に頼れる仲介役だったのですが、日本が勝つや否や、USAは日本の擡頭を抑えるために信じがたいほどの権謀術数を使うようになり、それに気づかず友人のつもりで居た日本の立場をことごとく貶めようとしたのは確かです。
 決定的だったのが排日移民法でしょう。露骨な人種差別法であり、こういうUSAの執拗な画策を無視しては、当時の日本の動きは理解できず、何やら異質な時代、司馬氏の言う「鬼胎」に見えるのも無理はありません。
 このあたりについては前に小林よしのり氏がかなり失敬な書きぶりで批判本を出したことがありましたが、要するに補助線の引きかたを間違ってしまったために結論が異様なものになってしまったということなのだろうと私は思います。司馬氏はつねづね「完結した人生こそ面白い」ということを言っており、歴史小説を書くにあたってはつねにそのことを念頭に置いていたようなのですが、日露戦争以降というのは司馬氏にとっては近すぎて、まだ「完結」していなかったために、適当な補助線を引くことが難しかったのでしょう。

 以上のように、司馬遼太郎の文学を愛しつつも、ときに首を傾げたくなるところもあるわけですが、まあそれぞれの時代を考えれば無理もないとは思います。その時代における思考の限界というものはどうしてもあるものですし、司馬氏がいかに慧眼の持ち主であっても、氏のみがその限界を超えていることを期待するのは、さすがに無理でしょう。
 ともかく、昭和30年代から平成はじめ頃に至る、ひとりの良識ある人間の考えかたの履歴という意味で、やはり『考えたこと』には通読する価値があると思います。私も、今後も幾度となく再読することになるのではないかと感じています。

(2015.8.20.)

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