忘れ得ぬことどもII

『法楽の刻』制作記

I

 8月12日(火)13日(水)と、墓参りの都合があって家を離れていました。『セーラ』を進めなければならない時に、家を空けなければならなかったのはちょっと困りましたが、代わりに別の仕事を持って出かけました。
 この夏のうちに済ませなければならないのが、立正佼成会から頼まれているお琴の曲です。演奏時間は10分程度ということなので、作曲もそれほどの手間ではあるまいと思われますが、何しろ邦楽の作曲というのがはじめてのことです。いろいろ勝手が違うことがあるはずです。8月も間もなく後半に入ろうという時期、『セーラ』と並行してこちらも進めないと、月末あたりしんどいことになりそうです。
 このお琴の曲を頼まれた顛末を簡単に記しますと、2013年の暮れにChorus ST佼成会病院でボランティアコンサートをおこなった際、会場にいた病院スタッフの人に呼び止められたのでした。正確に言うと、Chorus STのメンバーに病院の管理栄養士であるゆきえちゃんが居て、そもそも彼女がこのボランティアコンサートの話を持ってきたわけですが、終演後にゆきえちゃんが私を呼び止め、Yさんというスタッフの人に引き合わせてくれたのです。

 Yさんは病院では「退院支援係」という役職に就いているのですが、「宗教法人立正佼成会」の一員としては、会の中の文化活動を主導する役目のひとりでした。佼成会の音楽活動といえばウインドオーケストラが有名で、一般的にもけっこう高い評価を受けています。それとは別に邦楽にも力を入れているらしいのでした。Yさんはその邦楽のほうの取り仕切りをやっていたわけです。
 Chorus STのボランティアコンサートは何回か聴いたことがあったようで、特に前に演奏したことのある『春の情景』(私が編曲した春の歌メドレー)にインスパイアされたらしく、同じようなメドレーを作って貰ったと言いました。あとで譜面を見せて貰うと、本当に同じようで、『春の情景』同様ヴィヴァルディ『四季〜春』からはじまっていました。途中の流れはさすがにそのままではありませんでしたが……
 ともあれそんな具合で、私の合唱編曲を何度か聴いた上で、作曲を依頼してきたということでした。編曲だけ聴いて作曲依頼というのも、少し勇気が要ることであるような気もしますが、もちろん私にとってはありがたい話です。

 その時は立ち話みたいなものだったので、Yさんとはその後数回お目にかかり、正式な依頼をいただきました。箏曲部の練習の時にお邪魔したこともあります。Yさんによれば「あまりうまくはないんですが」ということだったのですけれども、どの程度の技術レベルであるのか確認したかったのでした。
 もっともその練習の時の様子では、はっきり言ってよくわかりませんでした。人数も揃っていなかったようですし、まだ演奏として整っていない時期であったのでしょう。
 それで、5月に定期演奏会が開催されたので聴きに行ってみました。やはり「本番に」どういう演奏をするか知っておかないと、イメージを作りづらいと思ったのです。
 邦楽の演奏会というのは4時間5時間かかるのがあたりまえという先入観があったのですけれども、その定期演奏会は1時間半ほどのあっさりしたものでした。古典曲ももちろんやっていましたが、「初音ミクの千本櫻」なんてのまでプログラムに載っていて、一体に新しい曲に取り組むことに熱心なクラブであるようでした。
 考えてみれば、この箏曲部の流派は山田流で、私が学生時代にやっていた生田流に較べると新曲に力を入れる傾向があります。Jポップのアレンジ譜なども、実は驚くほどたくさん出版されており、そうでなくとも明治以後に作曲されたレパートリーがかなり多数を占めるようです。
 私が頼まれたのは、立正佼成会の式典の前などに「此間(このかん)奏楽」といった趣きで演奏する曲であるそうです。式典音楽だからと言って特に荘重にしたりする必要は無くて、むしろ明るめの親しみやすい曲がお望みとのことでした。来年からの演奏会でプログラムに載せるつもりでもあるのでしょう。
 定期演奏会からの帰りのバスの中で、なんとなく頭の中に鳴っている音がありました。しかしそれはすぐに形になることなく、月日が過ぎました。

 Jポップのアレンジができるくらいですから、お琴というのはやろうと思えばいろんなことができる楽器ではあります。他の邦楽演奏会でも、かなりモダンな響き、いわゆる現代音楽に近い音使いをしている新曲を聴くことがありました。
 調弦を自分でするわけですので、理窟の上ではどんな音階に設定することも可能なわけです。ピアノのように1オクターブに12の音を置くことだってできます。高音域のほうは柱(じ)の間隔が狭くなるので難しいかもしれませんが……
 ただし、今回の依頼でひとつ注文がつけられました。調弦は、できれば平調子とか雲井調子とか、古典曲と共通するものにして貰いたいということです。あまりかけ離れていると、式典で他の曲を演奏する時に、調弦のやり直しのためにいたずらに時間がかかってしまうためです。少なくとも、1オクターブに5音という古典調弦の基本は守っておくべきでしょう。
 さてそうすると、どの音に調弦するかということが重要になってきます。お琴の場合、半押し(ヲ)や全押し(オ)で半音や全音上げることができますので、必ずしも1オクターブ中5音しか使えなくなるということではありませんが、弦を押すには相当な力が要り、ヴァイオリンのようにはゆかないということは自分の経験でもわかっています。「押し」は極力避けるように作るべきです。
 私自身の作風を考えてみると、ハーモニストという面が強いのではないかと自分で思っています。メロディーやリズムよりも、和音の微妙な変化で色合いを作ってゆくのが得意で、アレンジにそれなりの評価を貰っているのもそのあたりでしょう。そう考えると、使える音が物理的に限られているという状態は、少しばかり困難を伴うかもしれません。
 ひとつの救いは、十七絃にありそうです。今回の依頼では、十三絃が2部と十七絃が1部という編成でした。十七絃というのは「ヴァイオリンに対するチェロみたいな楽器」という認識があり、調弦は十三絃と同様で少し下のオクターブに延長しているようなものだろうとばかり思っていました。しかし練習に行って訊ねてみると、ピアノの白鍵と同じように、1オクターブに7音を充てるというのが普通であるらしいのでした。これなら半押しだけで、12半音すべてを出すことが可能になります。ベースの音で半音階が可能なら、それなりに色彩感のある音楽が作れるのではないか、と思いました。

 先月末に「健康ランド」ハシゴの旅をした際、風呂に漬かりながら音のイメージを組み立ててみました。そして部屋で、持ってきた五線紙に書いておきました。曲は3楽章というか3部分というか、とにかく3つくらいに分かれる予定で、その3つの大体のモティーフを、風呂に入るたびに思いついては書きつけました。忙しい中での2泊3日の空白を無駄にはしなかったと、自分なりに満足したものでした。
 その中で、最後の部分(第3楽章と言うべきか)のモティーフは、かつて定期演奏会を聴いた帰りのバスで、頭の中で鳴っていたものと、そのまま一緒ではありませんけれども、ある程度共通する性格の曲想になりました。
 旅行から帰ってきてからは『セーラ』に集中していましたが、一昨日・昨日と家を空けるに際し、お琴の曲のモティーフを書きつけた五線紙を持って出かけました。ピアノを使えない場所ではなかったのですけれども、やはり自宅のように張りついているわけにはゆきません。『セーラ』はどうしてもピアノにはりついて音を探してゆく必要がありますので、お琴のほうを進めようと考えたのでした。こちらは使う音が限られているだけに、必ずしも目の前に楽器が無くとも、なんとかイメージだけで進めてゆけます。基本的に3声しか無いというのもシンプルで、オーケストラの響きを考えながら音を置いてゆかなければならないオペラに較べればだいぶ楽です。
 幸い、上記の「第3楽章」をかなりの分量進めることができて、ホッとしました。
 私は学生時代に、副科で生田流箏曲のレッスンを受けていましたので、まったく素養が無いというわけではありません。いちおう演奏不可能なことは書かなかったと思います。ただ、重音がどのくらい使えるのかとか、離れた弦へ素早く移動するのにはどの程度の困難を伴うのかとか、そのあたりがやはりわかりません。まあ演奏者の技倆にもよるはずで、ピアノだって重音や跳躍は、うまい人が弾けばできるし、下手な人が弾けば失敗するというものです。ただ、「困難だけれどもよく練習すれば可能」であることと、「どんな名手でも原理的に不可能」であることの境目が、演奏については初級者レベルである私にはなかなか判別できないのでした。
 とりあえず、音符の上に弦数字を添え書きして、なるべく無理が起こらないように確認しながら進めました。私は五線譜で書いていますが、演奏者に渡す譜は漢数字の書かれた数字譜になります。五線譜で書いておけば、Yさんが数字譜に直してくれることになっていましたが、最初の段階から使う弦を意識しておいたほうが良いはずです。
 2部の十三絃は、ごくたまに「押し」を使うだけで、ほぼ1オクターブ5音(ペンタトニック)の範囲で書くことができました。ただしこの楽章はけっこう急速な舞曲風の曲であるため、かなり忙しいことにはなりそうです。
 予想したとおり、十七絃が自由に音を選べるため、十三絃の音が限られていても、けっこう躍動感・色彩感のある曲が書けたような気がしています。
 まだ他の楽章は全然進んでいませんし、全体のタイトルすら決まっていませんが、なんとか8月中に仕上げられるかな、と心づもりをつけることができました。

(2014.8.14.)

II

 お琴の新曲がようやく仕上がりました。
 完成、とは言えないかもしれません。むしろ叩き台ができたという程度に考えるほうが良さそうです。お琴の奏法については、学校の副科でやった程度のごく基本的なところしか知らないので、思い違いとか、未知のやりかたとかも、たくさんあるはずです。これから稽古して貰いつつ、先方からも意見をいただいて、修正してゆくことになると思います。ひとまず仮の楽譜ができたという段階です。
 タイトルは最後まで決まりませんでした。3つの楽章から成っているのですが、最初に書いたのは終楽章で、邦楽には珍しい3拍子の急速な曲です。これがなんとなく舞踊音楽っぽい曲想であったため、仮に『舞踊組曲』などとつけておきました。これは、楽譜データのフォルダ名をつけなければならなかったのでやむを得ずの緊急待避です。
 しかし、次に書いた第2楽章は、どうにも踊りとは思えません。単旋律のテーマモティーフに和音モティーフが答えるというような形をとった、ゆったりとした曲です。日本舞踊であればこういうのもアリかな、とも思いましたけれども、長調を基調としているせいか、日舞としてもしっくりきません。

 冒頭にくる第1楽章は、モティーフの形では先月末健康ランド旅行に行っているあいだにメモしておいたのですが、結局そのままの形では使えませんでした。
 実は昨日の朝、トイレに入っている時にしょっぱなの形を思いつき、ほとんど一気に書き上げたのでした。旅先で思いついたモティーフは、中間部で応用することができましたので、無駄にはならなかったわけです。
 トイレに入っている時などとわざわざ言わなくても良いと思われそうですが、昔から作品の構想を練るのは「三上」と言われます。「馬上」「枕上」それに「厠上」の三つの「上」です。
 馬上というのは現代ならさしづめ列車やバスに乗って長距離移動中でしょうか。飛行機は映画や食事や機内ショップなど、いろいろ気を散らすものに事欠かないのでいまひとつ想を練るのにふさわしくない気がしますが、列車やバスに揺られながら車窓をぼんやり見ている時などは、漠然としたイメージが湧きやすいようです。
 枕上は言うまでもなく寝ている時です。ただし、ひとりで寝て、しかも寝つけないような時に限られるかもしれません。
 もうひとつが厠上、つまりトイレの中なのでした。トイレで楽想を得るというのは、いわば古式に則った由緒正しい発想法なのです。もっとも、「三上」は漢詩の作成法について言われたことではありますが……
 ともあれトイレの中でモティーフを思いつき、すぐに五線紙に向かって、昼までには大体のスケッチを終え、晩にはFinaleで打ち込み終わっていたのですから、近年の私にしては稀に見る手際の良さでした。
 さて、この第1楽章はどういう曲かというと、オスティナート的に流れる伴奏型の上に詠唱調の旋律が載るという主要部と、その伴奏型を基本モティーフにしたかのような細かい動きを持つ中間部から成っています。
 第2・第3楽章を書いた時点では、なんとなくソナタの第2・第3楽章の性格に近いようでもあり、例えばソナチネであるとか、あるいはいっそのことそのものずばりの「箏三重奏曲」といったタイトルにしようかとも考えていました。しかし、出来上がった第1楽章を見ると、もちろんソナタ形式にはなっていませんし、あんまりソナタの第1楽章という印象の曲想でもありません。といってこれまた舞曲のようでもなく、とりあえずこの段階で「(仮)」つきであった『舞踊組曲』の線は消えました。

 各楽章には特にタイトルをつけてはいなかったのですけれども、こうなったら先に楽章題を先につけてみるかと考えつきました。第3楽章は「踊り」といった名前で良さそうです。「○○の踊り」にしてやるかと思いましたが、「○○」が思いつきません。
 第2楽章は「歌」ということで良い気がしました。アリアなどとするか、「○○の歌」とするか、それはまだ決められませんが。
 ところが、ここでも第1楽章に困りました。「踊り」とか「歌」といった端的な性格がつかみづらいのです。あまりとってつけたような題名をつけるのもどうかと思います。
 そこで、楽章題を、名詞ではなく動詞にしてしまったらどうかと考えました。近年の作品としては、『きょう、いきる ちから。』の中に「くりかえす」というのがあり、それがヒントになったかもしれません。なお『きょう、いきる ちから。』の各曲のタイトルは、もとの詩にはついておらず、文中の言葉を拾って私がつけたものです。
 第3楽章は「踊る」、第2楽章は「うたう」とシンプルにつけてみて、そうすると第1楽章は「読む」と、すんなりと決まりました。つけてみると、なるほどこの楽章は「読書をしているイメージ」というのがふさわしいように思えてきました。
 「読む」「うたう」「踊る」と並べてみて、委嘱元が立正佼成会であることを考え合わせると、全体のタイトルがようやく見えてきました。

 箏曲三重奏のための『法楽の刻(とき)というのが、最終的に決めたタイトルです。
 なんだか抹香臭いというか、いかにも仏教音楽っぽいタイトルになりましたが、上に長々と記したとおり、仏教音楽を書こうとして作曲したわけではありません。作ったあとでいろいろ考えて、なんとかこのタイトルに落ち着いたのです。
 「法楽」を辞書で調べると、

 ──1 仏法を味わって楽しみを生じること。また、仏の教えを信受する喜び。釈迦が悟りを開いたのち1週間、自分の悟った法を回想して楽しんだことが原義。
 ──2 経を読誦(どくじゅ)したり、楽を奏し舞をまったりして神仏を楽しませること。また、和歌・芸能などを神仏に奉納すること。
 ──3 なぐさみ。楽しみ。放楽。「見るは―」
 ──4 見世物などが、無料であること。「―芝居」


 とあります。
 3と4は派生的な意味のようですのでこの際無視して構いません。しかし2の説明は、「読む」「うたう」「踊る」という楽章題にぴたりと一致しているではありませんか。繰り返しになりますが、楽章題はあくまで各楽章の曲想から宛てたものであって、宗教的な意図はありませんし、また「法楽」という言葉とも関係がありません。
 タイトルをつけるにあたり、仏教団体からの委嘱であることを思い、「法悦」という言葉がまず浮かびました。
 私の好きな作曲家であるスクリャビン『法悦の詩』というオーケストラ曲があります。法悦という言葉はそれで親しかったのですが、ただこの言葉を使ってしまうと、何かスクリャビンの向こうを張ったようなイメージが自分の中でしてしまいますので、少し躊躇しました。また、『法悦の詩』と訳したのは誰か知りませんが、英題を見ると「The Poem of the Ecstacy」となっており、

 ──うわ、「エクスタシー」かよ。

 と驚いたことがあります。エクスタシーであれば、「法悦」という言葉からイメージする宗教的な忘我状態の他、性的な意味(「オーガズム」の同義?)もあって、普通はむしろそちらが思い浮かぶでしょう。もともとスクリャビンの作品は、ピアノソナタなどでも顕著ですが、宗教的な側面と性的な側面との、危ない境界線みたいな境地を表現したものが多く、『法悦の詩』もおそらく『絶頂の詩』という意味合いを兼ねているに違いありません。
 いずれにせよ、「法悦」という言葉がそういう「かけのぼる絶頂感」みたいなイメージを備えているならば、私の作品に使うにはいささか意味が強すぎるように思えました。
 それで、いくぶん宗教的な色合いを込めた「喜び」を表す言葉が他に無いかと考えて「法楽」という言葉があったはずだと思い出したわけです。
 ただし「法楽」の正確な定義をよくわかっていなくて、辞書を引かなければならなかったのですから、何しろ私の知識もいい加減なものです。
 そして辞書を引き、2番目の定義がすでにつけた楽章題と見事に一致しているのを見てびっくり、というのが今回の命名の順序でした。こういうこともあるんだなあ。

 『法楽の刻』と「刻」をつけたのは、この作品の委嘱意図が、佼成会の儀式の前座として演奏されるものだったということと、「楽興の時(モメント・ミュージカル)みたいなノリを狙ったというのが理由です。
 しかしこう題名をつけてみると、なんとなく「法楽」の第一の定義にある、悟りを開いたお釈迦様が1週間にわたってその時のことを回想して愉しんだ、という故事にも適っているみたいな気がしてきました。長い苦行ののちにこの世の真理を会得するに至った喜びをかみしめていると、お釈迦様といえども思わず鼻歌が出てしまったり、手足が勝手に舞いはじめるようなことがあったのではないでしょうか。1週間のあいだ、端座したままでただニンマリし続けていたのだとしたら、むしろ変な人と言わなければなりません。
 ともあれ、これ以上無いようなタイトルに辿り着いたようです。
 楽譜データをさっそく佼成会のYさんに送信すると、折り返しメールが来ました。曲の細部についてはまだ見ていないと思いますが、「すばらしいタイトルなのですね」とまずそこを褒めてくださっていたので、思わず微笑してしまいました。

 今回は曲のタイトルに苦労しましたが、タイトルというのはすんなりつくこともあれば、いろいろ迷うこともあります。
 声楽曲の場合には、たいていテキストとした詩に題名があるので、そのまま用いることが多く、そんなに頭を使うことはありません。それでも『インヴェンション』や『きょう、いきる ちから。』のように、題名が無いこともあり、そういう場合は考え込むことになります。
 器楽曲の場合、『パルティータ』『弦楽四重奏曲』『ソナチネ』のように形式名そのものをタイトルにできたり、あるいは『ノクターン』『バルカロール』のようにキャラクターピース名である時にはわりと楽です。問題はいわゆる「標題」です。
 これは、書く前にタイトルを決めてしまうケース、少し書き始めてからタイトルを決めるケース、書き終わってからつけるケースの三とおりがあります。
 書く前に決めるのは、「標題音楽」的なありかたと言えましょう。ここに標題音楽と呼ぶのは、タイトルのついた音楽全般を言う言葉ではありません。主にロマン派時代に流行した形態で、文学や絵画など他のジャンルの芸術作品、もしくは山川田園の景観などを「音楽化した」ものを意味します。つまり表現したい概念が先にあって、それを音楽で表そうとしたのが狭義の標題音楽です。音楽以外のものに依存する面が大きいために、ハンスリックなどが大いに批判した形態でもあります。
 その意味では、メンデルスゾーン無言歌は実は標題音楽ではありません。作曲者自身がつけたタイトルは「ヴェニスのゴンドラの歌」「二重唱」「民謡」といったどうでも良いようなものばかりで、「甘い想い出」「狩の歌」「詩人のハープ」等々といったいかにもなタイトルはすべて後人がつけたものに過ぎません。狭義の標題音楽は、「森の水車」だの「ワーテルローの戦い」だの、よく子供のピアノ発表会で弾かれるような曲をイメージしていただければ、ハンスリックがなにゆえそんなに批判したのかも、なんとなくわかる気がします。
 私の器楽作品中では、先にタイトルが決まっているというのは少ないかもしれません。『オノゴロ島』はそうだったと思います。『水の変想曲』も確かそうでした。『La Valse de Mariage』もそうだったかもしれません。たぶんその程度です。あとの2曲は標題というより形式名の変形みたいなものであり、こうして見ると、私はあまり標題音楽的な発想の作曲家ではないようです。
 いちばん多いのは、書き始めて間もなく、もしくはひとつふたつ楽章を書いてからタイトルを決めたというケースであるように思われます。『Mes Petites Amies』『進化の構図』『生々流転』『有為転生』『South Island Lullaby』『満潮に乗って』『Suite:Sweet Home』『The Dance at Twilight』などみなそうです。モティーフを思いつき、少し書いてみてから、曲想に適ったタイトルをつけ、全体構成を組み上げる上でそのタイトルを手がかりにしてゆくというパターンが私の場合は多いのでした。そもそもモティーフを考える前に全体構成くらい決めておけという先生も居そうですが、私の発想法がそうなっているので仕方がありません。
 そして今回のように、最後までタイトルがつけられなかったというケースも少数ながらあります。『ノスタルジア』や、ヴォカリーズのための『バガテル』などがそれにあたります。『月姫の舞』に至っては他人(この曲のMIDIデータを作ってくれた白鷺皐さん)につけて貰ったタイトルです。
 どういう状況ならばこのケースになる、という一般化はあまりできそうにありません。作業の流れや環境、あるいは委嘱された状況など、いろんなことに関わって決まってくるのでしょう。

 脱稿した曲のことよりも、すっかり「タイトルのつけかた」の話ばかりになってしまいましたが、作曲家なる人種の舞台裏を見たいと思う向きには多少の参考になったかもしれません。他の作曲家も同じであるという保証は何もありませんけれども(笑)。

(2014.8.23.)

III

 『法楽の刻』の稽古を見に行ってきました。
 何度も書きましたが、委嘱元は立正佼成会です。佼成会の中にいろんなサークルがあり、有名なのは吹奏楽団の佼成ウインドオーケストラですが、箏曲の会もあって、そこの部長──というのか、幹事役みたいなことをしているYさんという人が、佼成会病院で毎年末にボランティアコンサートをやっている(今年は病院の移転でごたごたしているらしいため中止となりましたが)Chorus STの演奏をよく聴いており、病院の管理栄養士でボランティアコンサートの肝煎りもしているゆきえちゃんを通じて私に新曲を依頼してきたというわけでした。ゆきえちゃんなんて気安い呼びかたをしていますが、今日Yさんが他の人に説明しているのを聞いていたら、現在の地位は課長なんだそうです。若い頃から知っているので実感が湧きませんが、Chorus STももう来年は設立25周年を迎えるという時期で、比較的初期からのメンバーは、それぞれの部署においてそれなりに偉くなっているのも当然なのでした。
 ともあれYさんはChorus STの演奏会を何度も聴いて気に入り、私が構成編曲した春の歌メドレーの『春の情景』など、構成を真似してお琴用にアレンジして貰ったりしていたそうです。
 他にもアレンジものはいろいろストックしてあったようですが、そろそろ「自分たちの曲」と呼べるものが欲しくなったのだと言います。それでオリジナルの作品を頼んできたのでした。

 頼まれて引き受けはしたものの、私はいままで邦楽の作品を作ったことはなく、わからないことが多かったのはやむを得ないでしょう。
 ただ、現代の邦楽家というのは、実はほとんどなんでもできるようです。音域が広すぎたりするのはどうしようもないでしょうが、クラシック音楽でもJ-popでも、アレンジさえちゃんとしていれば軽々と演奏してしまいます。私は邦楽の演奏会を聴いた経験はそう多くありませんが、その中でけっこう新曲を演奏していることもあって、クラシック音楽風であったり、軽音楽風であったり、あるいは「ゲンダイオンガク」風であったりと、従来の邦楽のイメージではとらえられないようなものが続々お目見えしています。
 古くは宮城道雄が、80絃というとてつもない大きさ(ほとんどピアノに匹敵します)の箏を作らせて、バッハを見事に弾きこなしたという話もあり、実際のところ作曲家が配慮すべきは音色の問題だけとすら言えそうです。邦楽器だからどうこう、と考えすぎる必要は無いようです。
 とはいえ、そんな風になんでもこなしてしまうのはやはりプロか、それに近い技倆の演奏家であろうということも残念ながら確かなことです。佼成会の箏曲部は、熱心ではあってもアマチュアであり、何を書いてもなんとか弾きこなしてくれるというような人々ではなさそうです。

 アマチュア相手に書く時は、相手の技倆レベルを見きわめる必要が出てきます。私がかなり正確に見きわめられるのはピアノと声楽くらいなものですが、そのどちらにしても、初心者同然のレベルからプロ顔負けなレベルまで、実に幅広いバラエティがあります。ひとことでアマチュアと言っても、到底ひとくくりにできるものではありません。
 もちろんプロにだって技倆の差はありますが、プロの場合は、

 ──仮にもプロを名乗るんなら、この程度はこなしてくれ。

 という最低要求ラインは厳として存在するので、演奏が少々期待はずれということはあっても、まったく歯が立たないというようなことはまず無いでしょう。しかしそれがアマチュアとなると、何をどうしたって無理なものは無理、ということが出てきます。
 ピアノと声楽くらいは見きわめが利く、と上に書きましたが、それでそのレベルに合わせて書いたつもりでも、

 ──MICさんの書いたものは難しすぎる!

 と文句を言われることが少なくありません。たぶん「初見補正」がかかるからではないかと私は思っています。例えばツェルニー30番なら30番というレベルでピアノパートを書いたにしても、それを弾く人ははじめて見る譜面なわけであり、しかも参考になる先人の演奏音源などがあるわけでもないとなると、実際以上に難しく感じてしまうものです。
 まして他の楽器になると、どう書けば易しくてどう書けば難しいかということ自体が私にはわかりづらいので、

 ──あまり難しくしないでくださいね。

 などと頼まれても、途方に暮れてしまうことがあります。
 邦楽器となれば、さらに馴染みがないため、自分の書いたことが易しいのか難しいのか、演奏者は演奏できるのかできないのか、そういう基本的なところが実に心許ない状態となってしまいます。確かに学生時代に3年間ほど副科で生田流箏曲を学びましたが、ほとんどお試し期間みたいなもので、そもそも技倆レベルを云々する段階にも達していないでしょう。
 アマチュアのお琴サークルのために、どんな書きかたをすれば良いのか、考え込まざるを得ません。

 とにかくどのくらい弾けるのか、つまりどのくらいのことを書いて良いのかを確かめるために、3月頃にいちど稽古場を訪ねたことがありました。その時はいろんな曲を弾いてみせてくれましたが、実のところあまり参考になりませんでした。どれもこれも、久しぶりに弾いてみたという感じで、アンサンブルも調っていないし、弾きかたも雑でしょっちゅうつまづいては
 「あ、ごめんなさい」
 という声が聞こえるという調子で、正直なところ、これが精一杯なら新曲など書きようがないと思ったほどでした。
 それで5月におこなわれた演奏会を聴きに行きました。やはり本番を聴いてみないと技倆などわかりません。遅刻してしまいましたが、後半を聴くことができました。古典曲は前半にまとまっていたようで、後半はJ-popその他のアレンジものが主でした。
 メンバーが入れ替わり立ち替わりで登場していて、上手な人もそれなりの人も居るんだなあとは感じました。どのメンバーが私の新曲に関わることになるのかはわかりませんので、依然として不確かではあるものの、まあ大体のイメージをつかむことはできました。実際、その演奏会の帰りのバスの中で、『法楽の刻』第3曲の原型となったモティーフが頭の中に流れはじめていたのでした。そのモティーフをそのまま使ったわけではありませんでしたけれども、流れとしては似たようなものになりました。
 形になり始めたのは7月末です。「健康ランド」ハシゴの旅の時に、風呂に漬かりながら思いついたモティーフを、部屋に帰っては持ってきた五線紙に書きつけるということを繰り返しました。その旅のあいだに、3楽章分それぞれのモティーフの着想を得てしまったのでした。第1曲だけはそのまま使うことができず、別のモティーフを導入しなければなりませんでしたが、部分的には活用できましたので、無駄にはならなかったわけです。
 書き出してみると、わりとすらすらと進み、8月なかばには完成しました。ただ、これが果たして佼成会の箏曲部にとってどれほどの難度を感じるものであるのかは、私には判断できません。

 楽譜を送って少し経って、稽古をはじめたというメールを受けました。
 意外にも、ゆっくりしたテンポで造りもシンプルな第2曲で、「意識改革が必要」と言うまでの難しさがあったとのことでした。この第2曲、途中にフーガ的な展開をおこなうところがあり、2部の十三絃と1部の十七絃が、それこそ三重奏的にからみあったりするので、そういうのが邦楽としては難しいのかと思ったのですけれども、そうではなくてもっと単純なことでした。3連符に馴れていなかったのです。とりわけ2連符と3連符が同時進行するところで釣られてしまうというのでした。
 その後、稽古で合わせた時の録音データを送ってくれましたので、聴いてみました。まだいろいろ問題はありますが、何よりも、「頑張りすぎ」な印象を受けました。
 これはやはりいちど稽古場を訪れて、私の意図などをきちんと伝えてくる必要があると考え、Yさんと打ち合わせて、今日行ってきたというわけです。

 新宿から京王バスに乗って、「佼成会聖堂」で下車します。というか「佼成会聖堂」行きという路線があって、その終点です。終点近くは「佼成行学校」「母子寮前」など、いかにも立正佼成会の本拠地らしい名前のバス停が連なっています。
 新宿駅を出た時はたくさん乗っていた乗客も、途中でおおむね下りてしまい、終点まで乗ったのは私を含めて3人だけでした。まだ18時半くらいですが、佼成会の敷地内に入るとほとんど寝静まったような様相です。
 このバスで来たのは2度目ですが、またバス停までYさんが迎えに来てくれていました。だだっ広い上に暗くて、どの建物に入れば良いのかもよく憶えていなかったので、助かりました。
 建物内も消灯されており、もう誰も居ないかのようですが、かすかに琴の音が聞こえます。
 部屋に入ると、4面ほどの琴が並んでいました。うち1面が十七絃です。その他に十何面か棚に収められていますし、ドアを隔てた隣室からも別のメンバーが弾いているらしき物音が伝わってきます。さすが宗教団体、予算に不自由は無いようです。
 早速、合わせを聴いてみました。いつも十七絃を弾いている人が今日は休みで、代わりに指導にきている若い先生が弾いてくれて、むしろ良かったのかもしれません。
 音源データを貰った時に較べると上達のあとが見られましたが、まだ本番を迎えられるにはかなりの距離がありそうな演奏でした。まあお披露目は早くとも来年の春ということなので、じっくり練習してゆけばものにはなるでしょう。
 現時点では、「指揮者が居れば……」というところかもしれません。もちろん邦楽には、基本的には指揮者というものが居ません。お互いのパートをよく感じられるようになることが重要と言えます。
 とりあえず、テンポや息づかいなどのことは伝えてきました。本番が近づいたら、もういちどくらい訪ねることになると思います。難しいことは難しいとはいえ、何をどうやっても無理というような難しさではなく、練習次第でなんとかなりそうな難しさであったようなので、作曲者としてはひとまず安堵しました。

(2014.11.19.)

IV

 去年(2014年)、『法楽の刻(とき)という曲を作りました。十三絃箏2部と十七絃箏1部を用いる三重奏曲です。
 この曲の委嘱主が、立正佼成会の傘下の佼成箏曲部でした。立正佼成会はもちろん日蓮宗系の有力な宗教団体であり、杉並区和田あたりに広大な本部を構えています。その教団の下に、言ってみればクラブ活動みたいなものがいくつかあって、佼成文化協会というところが管轄しています。吹奏楽の佼成ウインドオーケストラなど非常に有名ですね。
 箏曲部は、ウインドオーケストラほどの拡がりやレベルの高さは無いにせよ、

 ──教団の式典荘厳に寄与する目的として

 昭和49年に発足して以来、40年以上にわたって活動を続けている、伝統のあるサークルなのでした。
 式典荘厳、とは聞き慣れない言葉ですが、年間を通じて数々おこなわれる教団の儀式に、音楽で彩りを添えようということでしょう。作曲を委嘱された時も、

 ──式典の幕開きの奏楽として使えるような曲を……

 という要望が出されたのでした。
 はたして式典にふさわしい曲想になったかどうかはわかりませんが、とにかく8月頃に書き上げて、渡しておきました。

 その初演が、今日、佼成箏曲部の定期演奏会でおこなわれました。
 佼成会本部の中に、法輪閣という建物があります。いちばん目立つのはなんだかロシア正教の教会を思わせるような大聖堂ですが、その隣にある法輪閣もなかなか豪勢な建物で、名刹の宝物殿みたいな趣きがあります。その中の大ホールが演奏会場です。
 私は去年の定期演奏会にも足を運びました。作品委嘱を受けたのは一昨年の12月でしたが、何しろどの程度のことができるのか、どんな傾向の曲を好むのかといったことが一切わかりません。いちど練習日に顔を出してみたものの、とりとめなくいろんな曲を聴かせてはくれましたが、どれも練習が足りているようではなく、実際の演奏にあたってどのくらいのレベルを期待できるのかは判別できませんでした。
 ここはやはり、本番をいちど聴いておかなくては、曲の発想も浮かばないと思いました。それで、去年も同じ法輪閣大ホールで開かれた定期演奏会を聴きに来たのでした。
 実は開演時刻を間違えていたのだったか、遅れてしまって前半を聴くことができませんでした。前半はわりと古典曲が多かったようなので、聴けなかったのは残念ではありましたが、後半ではJ-popのアレンジものとか、なんと初音ミク「千本桜」なんてのまで演奏していました。世に出て多少なりとも話題になったような曲は、すぐに箏曲用にもアレンジされるのであるようです。要するに、スタイル的にはどういう書きかたをしても構わないのだな、と納得しました。
 帰りのバスの中で、早くも曲想の断片が浮かんできたのを憶えています。それがそのまま使えたわけではなかったのですが、『法楽の刻』の第3楽章「踊る」のイメージの原型になりました。
 メインとなる曲想は、主に去年7月末の、「健康ランド」ハシゴの旅の最中に思いつきました。『セーラ』『星空のレジェンド』、そしてこの『法楽の刻』の作曲が重なって気分的に余裕が無く、旅行にも五線紙をたずさえて行ったのでしたが、風呂に漬かっているあいだにいくつかの曲想が浮かび、持参の五線紙に書き留めておきました。上記の第3楽章「踊る」、それから第2楽章「うたう」のメインテーマはこの時にほぼ定着でき、第1楽章「読む」についてはこの時思いついたフレーズをメインテーマにはできなかったものの、途中のつなぎとして活用することはできました。
 最初はタイトルを何も考えておらず、「ソナチネ」とか「箏三重奏曲」とか、なんのヒネリもないものにしようかとも思ったものの、ソナタ形式の曲が含まれていないところから断念し、楽章題から先につけて、あれこれ考えてからようやく『法楽の刻』というタイトルが決まった……といういきさつは、かなり詳しく書きました。一旦ついてみると、なかなか良いタイトルです。箏曲部部長のYさんも、まず最初にタイトルを褒めてくださいました。

 譜面を渡して3ヶ月ほど経ってから、いちど練習に顔を出しました。それまでにも練習を録音した音源を送って貰ったりしていたのですが、一体に「頑張りすぎ」という印象があり、これはやはり、行って直接に話をする必要があるだろうと思いました。
 難しい曲だと言われましたが、何をどうすれば易しくなるのか、私にはよくわかりません。難易度のコントロールが自分の感覚としてできるのはピアノと声楽くらいで、それでさえ
 「MICの曲は難しい!」
 と文句を言われることが少なくないのです。もっとも、
 「馴れると弾きやすい(歌いやすい)んだけどね」
 ともよく言われます。とっつきが悪いということなのでしょうが、これは「初見補正」のせいではないかと私は思っています。
 他の楽器では、どういう音の動きなら演奏しやすくて、どうなれば難しいのか、本当に見当がつきません。その楽器の奏者に訊いてみても、あんまり参考になるような答えが返ってきたためしがないのです。せいぜい、フルートではトリルが困難な音がある、という程度しか把握していません。
 箏曲は、学生の時に生田流を3年間学びましたが、いまでも音と運指がある程度そらで浮かんでくるのは「六段」だけです。あと「八千代獅子」「千鳥の曲」を試験で弾いたことがあるはずなのに、さっぱり記憶がありません。全曲ではなく一部だけの演奏であったからかもしれません。
 こんなていたらくでは、箏曲の易しさ難しさなどはろくろくわかっていないのも仕方がありません。箏曲は「六段」にはじまり「六段」に終わる、と言われるくらい、技術的な弾きやすさと内容的な奥深さが同居している曲ですが、具体的にどこがどうなのかとなると、私程度の技術レベルでは判別のしようがないのでした。
 稽古場に行って聴いてみると、なるほど確かに苦戦しているようです。ただ、いちばん苦戦しているのが「3連符」であったことには、驚いたというか拍子が抜けたというか。
 ひとつのパートが1拍を2等分する音価で奏し、他のパートが同時に1拍を3等分する音価で奏する……というのは、確かにピアノの初心者などでもよくつまづくところではあるのですが、西洋音楽においてはそんなに珍しい事態ではありません。2対3、3対4、あるいは3対5など、しょっちゅう登場します。
 ところが、佼成箏曲部の皆さんは、ここでどうしてもお互い釣られてしまい、拍そのものが見えなくなってしまうようなのでした。邦楽には基本的に無い合わせかただったのかと、眼からウロコが落ちるような気がしました。
 もっとも、現代邦楽というのは正直言ってなんでもアリであって、西洋音楽で用いられるあらゆる技法が普通に採り入れられています。3連符くらいでくじけて貰っては困るわけで、四苦八苦しているのをまのあたりにしながら、結局書き直しはしませんでした。

 演奏会が近づいたら、もういちどくらい稽古に顔を出すつもりだったのですが、あいにくと『セーラ』の稽古がほとんど水曜日に入ってしまい、箏曲部の練習日は水・土であったため、行く機会がなくなりました。あとはともかく、練習の成果に期待するしかありません。
 今日は、マダムが実家に帰るかもというので、ひとりで聴きに行くつもりだったのですが、実家に帰る用が無くなったらしく、一緒に聴きに行くと言い出しました。私の作品初演ではあるし、義父が都山流尺八の千葉県支部長まで務めている関係で邦楽にもけっこう造詣が深いので、何か実になる意見を言ってくれるかもしれません。喜んで同道しました。
 新宿駅から京王バスで大聖堂前へ。そこが終点だと思ったら、もっと先へ行くようなので驚きました。もう1区間先の、佼成病院まで行く便が、1時間に1本くらいずつあって、私たちが乗ったのがそのひとつであったようです。佼成病院はずっと丸ノ内線中野富士見町の駅前にあり、Chorus STが毎年のように、おもに年末にボランティアコンサートを開いていました。Yさんが私を知ったのもそのボランティアコンサートの場だったのです。しかし移転することになって、去年はおこなわれませんでした。移転先が、現在のバス終点のある、環七通りにほど近い場所であり、実は今週の土曜に、そのあらたな病院でまたボランティアコンサートを開くことになっています。
 法輪閣の入口にさしかかると、すぐ声をかけられました。作品委嘱にあたって事務的な作業をしてくれていたIさんが、私を待ち構えていたかのように迎えてくれたのでした。ホールまで案内してくれましたが、特に招待席のようなものはなく、適当な場所に坐りました。
 貰ったパンフレットを見ると、『法楽の刻』はいちばん最初の演奏だったので、胸を撫で下ろしました。去年のように遅れていたら、聴けなかったところです。
 開演すると、曲についての説明も無く、いきなり演奏がはじまりました。パンフレットにも曲目解説は書いておらず、楽章題も載ってなくて、そもそも「3つの楽章から成る」ということすら記載がないので、少々面食らったお客が多かったのではないだろうか、と心配になりました。
 演奏は、さすがにだいぶ上達していたようで、これも安堵です。私の意図とそう食い違ったことをしていたということもありませんでした。ただ3連符のくだりはやはりかなり苦労して、明らかにその部分のテンポが変になっていましたし、第3楽章の後半でアンサンブルが崩壊しかけてヒヤヒヤもしましたけれど、ちゃんと持ち直して結末をつけてくれました。
 初演なので、本当はやっぱり私がもういちど見に行くべきだったかとも思いました。ただ、初演してそれで終わりというつもりは無いようで、最初の話のとおり式典でも実際に使うのでしょうし、演奏会でも今後ちょくちょく採り上げてくれる予定であるらしいのでした。何度もやっているうちに、もっと練れてゆくのではないでしょうか。

 去年は十数曲演奏していたような記憶があるのですが、今年は『法楽の刻』を含めて6曲だけでした。うち古典曲は「六段」だけで、2曲はポピュラー曲のアレンジものでした。もう1曲「鷹」沢井忠夫作曲の現代箏曲で、「越後の子守唄」川村晴美による編作曲というていの作品です。なおこの「越後の子守唄」も佼成箏曲部のオリジナルレパートリーです。
 休憩無しの1時間あまりの演奏会で、邦楽の会としてはコンパクトですが、ちょうどお手頃な午後のコンサートという趣きでした。 

(2015.5.17.)

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