忘れ得ぬことどもII

こども展

 遅ればせになりますが、六本木ヒルズ森アーツセンターギャラリー「こども展 名画にみるこどもと画家の絆」を見に行ってきました。アンリ・ルソーの描いたいささか不気味な表情の「人形を抱く子供」の肖像(ちょっと岸田劉生麗子像を思い出してしまいます)がメインとなったポスターがあちこちに貼られていたので、ご存じのかたは多かったのではないでしょうか。
 展覧会の開催期間は2014年6月29日までで終わりになります。ほとんど最後近くなったわけですが、なかなか足を運ぶ時間的余裕がありませんでした。私がオペラ公演を終え、マダムも珍しく仕事が休みで一日空いていたので、今日出かけてきたのでした。
 もっともマダムは、足を伸ばして自由が丘にも行きたいなどと言っていました。確かに六本木から自由が丘は、メトロ日比谷線東急東横線のシームレスな乗り継ぎにより、ごく楽に行くことができますが、それにしても2箇所をまわるのは大変で、私は自由が丘行きには消極的でした。
 それでもまあ、朝のうちに展覧会を見て、どこかで昼食をとり、午後に自由が丘へ行くというプランで良いかと思い、そのつもりで居ました。ところが、マダムはぐっすり熟睡しており、起きてきたのが10時半頃でした。私も、起こして良いものやら、マダムが何時頃に出かける心づもりであったのかわからなかったので、自分で起きてくるまで放っておいたのでした。
 それから朝食にしたり、マダムに至っては洗濯をはじめてしまったりして、家を出たのは11時50分頃になっていました。これでは自由が丘までは回れまい、と私は思いました。

 最初、マダムが会場を「森ビル」と言っていたので、王子で乗り換えてメトロ南北線六本木一丁目に出るつもりでした。ところが、京浜東北線の電車に乗ってから確認すると、「六本木ヒルズの森アーツセンター」であることがわかり、急遽有楽町まで乗っていくことにしました。森ビルは六本木一丁目の駅ビルみたいな位置ですが、六本木ヒルズとなると六本木一丁目からはかなり離れています。南北線に乗り換える前にわかって良かったと思います。それにしてもビルであったりヒルズであったり、また元の大地主か何か知りませんが「森」を冠した建物があのあたりにはたくさんあって、時に混乱します。
 六本木ヒルズであれば六本木駅からそのまま入れます。で、六本木ならば有楽町で下りて日比谷駅に歩き、日比谷線に乗るのがいちばん簡単です。
 日比谷線の六本木駅は、以前はプラットフォームの両端に階段があるだけのシンプルな構造でしたが、六本木ヒルズができた頃からか、真ん中のあたりにエスカレーターが設置されました。しかし改札口が増えたわけではなくて、エスカレーターを上がると、変に曲がりくねった通路を歩かされて、もともとあった広尾寄りの改札口のところに出るのでした。私はこの駅で下りることがちょくちょくあるのですが、いつも神谷町寄りの改札口しか使っていないので、反対側がそういうことになっているのを知りませんでした。
 歩かされる距離は長いし、せっかく接続路線となった都営大江戸線との乗り換えはえらく不便だし(何しろ大江戸線の六本木駅は現在の所地下鉄でもっとも深い駅となっています)、もう少しうまい設計はできなかったのかと思ってしまいます。
 改札口を出て地下通路を直進すると、すぐにヒルズの地階につながっています。真正面の長いエスカレーター(地上階を無視して直接2階のデッキに上がってしまいます)に乗れば良いのですが、私が案内図を見間違えたようで、少し迷ってしまいました。
 六本木ヒルズには何度か行ったことがあるはずなのですが、なぜか日比谷線で行ったのははじめてだったようです。メトロ千代田線乃木坂あたりから行くことが多かったかもしれません。ともかく2階デッキに昇り、3階で入場券を買い、エレベーターで一気に52階まで上がりました。こんな高いところにあるギャラリーは珍しいのではないでしょうか。

 「こども展」はオランジュリー・オルセー両美術館の協力により、19世紀から20世紀にかけての、主にフランスを中心とした画家たちが描いた子供の肖像を集めた展覧会でした。お金持ちに依頼されてそこの子女を描いたという絵もありましたが、多くは自分の子をモデルにしたもので、彼らがお金を稼ぐために描いた絵とはおのずから違った面が顕れているのではないか、というのが展覧会の趣旨であったようです。
 なお18世紀以前の絵は出品されていません。それは、18世紀以前には子供は絵のモデルとして考慮されていなかったためだそうです。マリア・テレジアの少女時代の肖像画など非常に愛くるしく、「世界史上最萌え」などと評した人も居るくらいですが、子供が肖像画のモデルになるなどというのは、そういうきわめて限られた王侯貴族などだけの話でした。
 ただ、聖母子像の幼子イエスとか、天使などの造形において、実在の子供の姿をモデルにしたということはあったに違いありません。修業時代のレオナルド・ダ・ヴィンチが、親方から壁画に描かれる天使のひとりを任され、道端で遊んでいた子供をモデルにしたという伝承があります。うろ覚えのエピソードですが、確か子供の愛くるしさに霊感を受けたレオナルドが一心にデッサンしていると、子供の母親が出てきて、勝手に人の子供の絵を描くとは何事か、と怒ったのでした。レオナルドが謝ると、母親はモデル料を要求し、無一文だったレオナルドは着ていた服を脱いで与えたというのだったと思います。
 やがて壁画が出来上がると、その母親が子供を連れて見にきました。レオナルドが担当した天使の清らかな美しさに撃たれた母親は、その場にくずおれて涙を流し、「ありがとうございますありがとうございます」と繰り返した……という話を、子供向けの歴史エピソード集みたいな本で読んだ記憶があります。
 このエピソードが事実なのかどうかは知りませんが、ともかく宗教画の時代から、子供をモデルにするということはあったと考えられます。しかし、それはあくまで素材としてであって、子供をその子供の人格として肖像画を描くということはなかったらしいのです。「子供の人格」ということが人々に意識されるには、ジャン・ジャック・ルソーの出現を待たなければなりませんでした。ルソーは褒貶相半ばする人物で、家族や地域社会といった枠組みの解体をもくろんだ虚無主義者と批判されても居ますが、子供の人格、人権といったことをヨーロッパ社会ではじめて唱えたのは事実でしょう。彼の主張により、子供を子供自身として見つめ、そのありのままの姿を描くという美術上の思潮も生まれてきたわけです。

 わが子を描くことは家族を描くことであるわけですから、この展覧会には何箇所か、系図が示されているパネルが展示されていました。デュビュッフ家ルアール家など、何人もの画家を輩出したり、あるいは多くの画家に関わりを持った家系があって、なかなか興味深いところでした。
 アンリ・ルソーの「人形を抱く子供」と共にポスターになっていた、ルノワールによる肖像画のモデルとなった少女ジュリー・マネも、その周辺を見ると実に華麗です。印象派の開祖ともされるエドゥアール・マネの姪(弟の娘)であり、母はマネのモデルを務め自身も女流画家として活躍したベルト・モリゾで何作も娘の絵を描きました。母の死後はルノワール、ドガマラルメという錚々たる面々に後見され、ジュリー自身も画家となり、上記のルアール家の一員エルネスト(彼も画家)と結婚しています。
 ルノワールは普段、滅多にデッサンということをしない人だったらしいのですが、ジュリーの肖像画を描く時だけは、何枚も綿密にデッサンをとったと言われます。そのせいか、いつものルノワール調より輪郭がくっきりして、すっきりした目鼻立ちの少女像となっています。
 ちなみにルノワールは自分の息子たちもモデルにして描いていますが、長い髪にリボンをつけていたり、スカートみたいな服を着ていたりで、一瞬女の子のように見えました。マダムは
 「クロード(ルノワールの三男で、上記のリボンをつけて描かれている人)って男女両方に使われる名前なんだよ」
 と言い、これは娘なのではないかと言い張りましたが、説明にちゃんと「三男」と書いてありましたので男であることに疑いはありません。どうも、息子たちに女の子の格好をさせるのは親父(ルノワール)の趣味だったのではないかと思えます。

 いろんな画家が自分や他人の子供を描いていますが、「子供を描いた絵」として私がいちばん素敵だと思ったのはモーリス・ドゥニでした。ポスト印象派として、少々平面的に思われる絵の多いドゥニですが、子供の表情は実に活き活きとして、いまにも話し声や笑い声が聞こえてきそうな気がします。実際、非常に子煩悩な画家であったそうです。
 ピカソも子煩悩であったらしく、子供のために自ら切り絵のオモチャを作って遊んでやったとか。今回展示されていたのは、何番目だかの愛人フランソワーズ・ジローとの間の子を描いた作品でしたが、このフランソワーズもキュビズムから入ったらしき画家で、子供たちの絵を何枚も描いています。ちなみにフランソワーズは93歳だかでまだ健在だそうです。
 展示の最後はレオナール・フジタでした。フジタ自身には子供が居ませんでしたが、フランス人形の蒐集家だったそうです。道理で、絵の中にたくさん登場する子供たちは、生身の子供というより、どこか人形にポーズを取らせたみたいな印象があります。じっと見ているとなんだか戦慄を覚えるような気がするのはそのためかもしれません。

 展覧会の趣旨どおり、確かに子供の絵を通して、少し当方のイメージに修正が加わった画家が何人も居ました。その意味で、興味深い展覧会であったと思います。
 ただひとつ私が内心憤慨したのは、展覧会のタイトルが「こども展」となっているのに、中のパネル記事ではことごとく「子ども」表記になっていたことです。冒頭にリンクを張っておいた展覧会のサイトの記事も「子ども」になっており、気持ち悪くてなりませんでした。「こども」か「子供」か、どちらかにして貰いたいもので、「子ども」表記は勘弁してくれと言いたくなります。なぜそうなのかは前にも書きました。この不自然な交ぜ書き表記が、教育界などでほぼ絶対的なものになってしまった過程が、私には薄気味悪く思われてたまらないのです。

 六本木ヒルズの中の食堂で、遅い昼食を食べました。
 「もう自由が丘に行く時間はないんじゃないか?」
 と私は言いましたが、マダムは行くと言い張ります。仕方なく、また日比谷線に乗って、中目黒で東横線に乗り換えて自由が丘へ赴きました。
 マダムの行きたい店が決まっていたようで、思ったほどの時間はかかりませんでした。買い物をしたあと喫茶店に入ってしばらくお茶を飲み、帰宅しました。
 だいぶ疲れましたが、マダムがご満悦であったので、まあ良しとしましょう。

(2014.6.26.)

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