忘れ得ぬことどもII

『印度の虎狩り』制作記

I

 友人に頼まれていたチェロとピアノのための小品を作曲しました。宮澤賢治「セロ弾きのゴーシュ」の朗読劇で使う挿入音楽とのことです。少し前に、4つ抱えている作曲の仕事のうち、これを最初に済ませるのが良いと書いているのに、もう6月に入ってしまっています。
 そんなにサボっていたつもりはないのに、なぜこんなに時間がかかったのでしょうか。
 少し急がなければならない合唱編曲の仕事があり、それにある程度日数をとられました。また、Music shop経由で依頼された譜面作成の仕事もありました。
 さらに、オペラ公演の編曲で、あらたなパート譜を作らなければならないはめに陥ったりもしました。なんだかんだとやらなければならないことが多くて、なかなか作曲に手がつかなかったというのが正直なところです。いくら小品といえども、作曲となると、それなりに発想が熟さないことには仕上げることができません。発想を熟させるためには、雑念に気をとられずに済む時間が必要になります。
 それでいままでかかってしまった(実際の作業時間は少なかったにしろ)わけですが、作曲仕事の中でこれを最初に仕上げるという段取りを組んでいたのですから、当然ながら他のものは進んでいません。急がなければならないのはオペラ『セーラ』ですが、多少は進めたものの、まだ本格的再開というフェイズには至っていないのが現状です。大丈夫だろうか……

 『セロ弾きのゴーシュ』挿入音楽「印度の虎狩り」は、今日依頼者に渡さなくてはならなかったので、とにかく無理矢理進めて、昨日の夜に仕上げた次第です。
 いろんな文学作品の朗読に生のチェロ演奏を重ねるという企画であるようで、チェロだけではなくピアノも加わることになっており、そのピアニストから私に依頼が来たのでした。
 『セロ弾きのゴーシュ』は確か故林光氏がこんにゃく座のためにオペラ化しており、私は見たことがありませんが、当然「印度の虎狩り」も音楽になっていたと思われます。それを使ったらどうですか、と私は最初言いました。
 が、そのためにこんにゃく座に問い合わせるというのも物憂いものがあったようです。それにそういったものは、けっこうな使用料を取られる場合があります。そのくらいなら、安く引き受けてくれる作曲家にオリジナルの曲を作らせたほうが、いろんな意味でやりやすいということだったと思われます。
 私もあとになって、林光がこんにゃく座のために書いたオペラはいずれも「ピアノオペラ」、つまりピアノ伴奏で演奏するオペラであったことを思い出しました。『セロ弾きのゴーシュ』の場合は題材的にチェロを加えていたかどうか、それは知りませんが、「印度の虎狩り」にしてもチェロ向きの音楽にはなっていなかった可能性もあります。私としても作曲仕事を逃したくはありませんし、それならということで引き受けたのでした。

 どんな曲であるかは、賢治が文中に丁寧に書いています。
 ゴーシュが自分の小屋でセロ(チェロ)をさらっていると、猫が訪ねてきます。ゴーシュは昼間のリハーサルで楽長に叱られまくったため不機嫌だし、猫はなめた口をきくしで、すっかり怒ったゴーシュは、「トロメライ、ロマチツクシユーマン作曲」をリクエストした猫にこの「印度の虎狩り」を聴かせるわけです。
 聴かせるにあたって、ゴーシュは自分の耳にハンカチを破いて詰め込み、「嵐のやうな勢ほひで」弾きはじめます。

 ──すると猫はしばらく首をまげて聞いてゐましたがいきなりパチパチパチツと眼をしたかと思ふとぱつと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶつつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたといふ風にあはてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐつたがつてしばらくくしやみをするやうな顔をしてそれからまたさあかうしてはゐられないぞといふやうにはせあるきだしました。

 読点を使わずに畳みかけるように連なった文章で、猫のあわてぶりがうまく表現されていると思います。つまりは印度の虎狩りというのはそういう曲であるわけです。
 猫はたまりかねて、もうやめてくださいとゴーシュに頼みますが、ゴーシュは面白くなって、「これから虎をつかまへる所だ」と言い、曲を強引に続けます。

 ──猫はくるしがつてはねあがつてまはつたり壁にからだをくつつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまひは猫はまるで風車のやうにぐるぐるぐるぐるゴーシユをまはりました。

 なかなか大変な曲であるようです。
 まず冒頭は「嵐のような勢ほひ」で始まらなければなりません。自分の耳を塞がなければならないほどの音ですから、フォルティッシモで、しかもsul ponticelloにするのが良さそうです。sul ponticelloは「ブリッジ(コマ)の上で」という意味で、弦楽器特有の演奏法です。通常よりもがさがさとした、雑音の多い音色が出ます。現代作曲家はこの音色を好む人が多いようで、学生の頃、先輩がたが
 「こないだ書いた曲さ、弦が最初から最後までずっとスルポン(sul ponticelloのこと)になっちまったよ」
 「あ〜、おれもそんな感じだわ」
 などと言い合っているのを耳にしたことがあります。
 それから猫が壁に体当たりしたり、目から鼻からひげから火花を散らしたりするわけですから、烈しい曲調がずっと続いてゆくはずです。しかも、そこまで猫があわてふためくところを見ると、無調だったりするのかもしれません。トロメライ(トロイメライ?)をリクエストして無調の烈しい曲がはじまれば、なるほどぎょっとするに違いありません。
 『セロ弾きのゴーシュ』が発表されたのは1934年昭和9年)で、賢治の死後のことです。執筆した時期はよくわからないようですが、賢治は1926年大正15年昭和元年)に大津三郎にレッスンを受けており、そのあとではあるでしょう。
 1920〜30年代といえば、バルトークやらストラヴィンスキーやらが大活躍していた時代でもありますし、彼らの荒々しい表現が、モダンなものとして受け容れられつつありました。一方でクラシックな音楽に親しんだ人々からは「こんなものはただの騒音だ」などとも酷評されていました。現代のわれわれが聴けば、バルトークもストラヴィンスキーもしっかり「クラシック」なのですが、それが時代の変遷というものなのでしょう。もっとも、CDショップなどへ行くと、いまだにバルトークもプロコフィエフシェーンベルク「現代音楽」のコーナーに並べられていたりすることがあって、苦笑せざるを得ないのですが。
 というわけで、バルトーク式に「Allegro barbaro」(速く、野蛮に)という速度標語を与えました。バルトークのピアノ曲に、そのまんま「アレグロ・バルバロ」というのがあります。
 この曲、物語のラストでもういちど出てきます。大盛況の演奏会のアンコールで、急にゴーシュが楽長から指名されて弾くことになり、ゴーシュはやけくそで「印度の虎狩り」を披露するわけです。オーケストラの演奏会のアンコールでチェロの独奏曲というのも不思議な気がしますが、昔はそんなこともあったのかもしれません。
 ところがこの時、聴衆は、

 ──しいんとなつて一生けん命聞いてゐます。ゴーシユはどんどん弾きました。猫が切ながつてぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶつつけた所も過ぎました。

 で、大喝采となり、ゴーシュは楽長や仲間に褒められて面目を一新するのでした。楽長の曰く、

 ──「あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になつて聞いてたぞ」

 とのことで、「あんな曲」というのはやはり「曲の出来が悪い」ということよりも、当時としての現代音楽で「耳慣れない」という意味だったでしょう。猫相手に弾きまくったのが格好のリハーサルになっていて、結果的に「印度の虎狩り」を充分聴かせられるレベルの演奏になっていたわけだと思います。
 この流れだと、「印度の虎狩り」は無伴奏チェロ曲であると考えられるのですが、今回はピアノも入るということですので、前半の猫に聴かせるあたりは無伴奏で、そのあと途中からピアノが加わるという曲のつくりにしました。

 ところで、チェロとピアノのための曲を書いたのは、実ははじめてです。
 私の結婚式の時、マダムの友人のチェリストが私の「ノスタルジア」をチェロで弾いてくれたということはありましたが、それはまあ番外みたいなものでしょう。
 そもそも私はあんまり弦楽器と縁がありません。作品1、つまり習作の域を越えて作品であると自分で認めた最初の曲が無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」でしたが、初演したのは作曲してから7年もあとのことでした。
 大学1年の時にヴィオラソナタを書きかけ、第一楽章だけは試演できたのですが、いろいろ方向性に悩んでいた時期であり、試演を聴いた先輩から酷評されたりしたので、あとが続かず、未完に終わってしまいました。自分のスタンスが定まってさえいれば、いくら酷評されても「黙らっしゃい」と一喝できますが、迷っている時というのは人から言われたことをいちいち深刻に思い悩んでしまうものです。その少し前に練習していた平尾貴志男ピアノソナタにちょっと似た感じの曲であったと記憶しており、なるほど現在の私の方向性とは違っていたようです。
 その後、アンサンブルの中に弦を含むということはちょくちょくやっていますが、弦楽のための作品と呼べるものとなると、「"念仏"変奏曲」弦楽四重奏曲、それに上記の「ノスタルジア」(ヴァイオリンとピアノ)くらいではないでしょうか。
 チェロを用いた曲も、音楽劇作品を中心にけっこうあるものの、独奏楽器として使うということはやったことがありません。
 オーケストレイションの仕事をやって長いので、基本的な奏法などは心得ています。自分で弾くことはできませんが、チェロという楽器で「できること・できないこと」は大体わかっています。ただ、一歩を進めて「やりやすいこと・やりにくいこと」「やり甲斐のあること・無いこと」「快いこと・気持ち悪いこと」というような要素になると、これは他の楽器でも同様なのですが、なかなか見当がつきません。演奏可能であることはもちろんですが、演奏者にとって「やりやすく」「やり甲斐があり」「快い」曲であることが、繰り返し演奏されることの条件であろうかと思います。自分でも演奏に関わっている声楽とピアノに関してはある程度わかりますけれども、他の楽器のために曲を書こうとすると、その辺がつい気になってしまいます。
 だから難渋したかというと、実はそうでもなくて、開放弦を多用した、野性的な主題はわりとすぐに思いつきましたし、途中ピアノが加わってからはけっこう一気に書いてしまいました。ピアノが加わる前あたりで少し日を要しましたが、これは曲想が煮詰まったというより、他の作業を優先させなければならなくて物理的に書けなかったという面が大きい気がします。
 チェリストが弾きやすいのか、弾き甲斐があると思えるのか、気持ち良いのか、それはわかりませんが、少なくともチェロの書法そのものは、自分で考えていたよりも身についていたようです。

 全面的に調性が無いという曲も久しぶりに書きました。最初からバルトークっぽくしてしまおうという方針があったので、あまり迷い無くできたかもしれません。
 初演は今年(2014年)の7月12日(土)東京建物八重洲ホールの予定です。15時からと18時半からの2回公演で、「美しい日本の歌と音楽付き朗読『セロ弾きのゴーシュ』」という演題です。チェロは羽川真介氏、ピアノは笈沼甲子さんで、朗読は磯辺万沙子さんおよび矢島祐果さん、この朗読的と関係ないソプラノリサイタルの歌い手は紺野恭子さんです。
 私の作曲した部分は3分もかからないような短い小品に過ぎませんが、お時間のあるかたはどうぞお聴きにいらしてくださいまし。

(2014.6.3.)

II

  

 「美しい日本の歌と音楽付き朗読『セロ弾きのゴーシュ』」という催しを観てきました。『印度の虎狩り』の初演ということになります。
 普通、作曲というのは初演までが責任と考えられています。学生の時にも、

 ──初演がお粗末だったら、それは演奏者ではなく作曲者のせいだ。

 ということは先生がたからさんざん言われていました。再演以降は少し責任が軽くなると言えますが、初演は全面的に作曲者が責任を持たなければならないと思います。なんとなれば、作曲者は「楽譜」という「物品」を作成するのが仕事ではなく、楽譜を介して奏でられる「音楽」を創っているのであるからです。従って、書いたものが最初に音になって、はじめて作曲者の役目は完了するのだと言えましょう。
 だから、初演前には何度かリハーサルに顔を出すのが義務とも言えます。初演者への礼儀というよりも、作品に対する責任なのです。初演地が遠いような時は思うに任せない場合がありますが、それでも一度は足を運ばなければならないと考えています。
 ところが、演奏者側で、作曲者が事前に顔を出すことを好まないということが時折あります。私も数回そういう対応に出遭ったことがあるのでした。リハーサルに参上するので日程を教えてくださいと言ってもはかばかしい返事が無く、結局初演日まで聴いたことがないなんてことが、残念ながら起こりうるのです。
 作曲者が出向くとなると足代くらい出さなければならないだろうから、そういう余分な経費を使いたくないということもあるでしょう。そんな場合は当方が足代を辞退すれば済むことですが、そうではなく、口を出されたくないというケースもなきにしもあらずです。ある作品を委嘱されて、作った楽譜を送り、さてリハーサル日程はと問い合わせると、

 ──任せてください。

 とだけ答えが来たということがあります。そこまで言うならあまりしつこくするのも失礼ではあるし、言われたとおり任せておくことにしました。さて初演を聴きに行くと、やっぱり私の意図とだいぶ違うことをやっています。楽譜に書ききれることというのは限られており、リハーサルで補足説明することはどうしても必要です。それでは市販の楽譜はどうするんだと思われるかもしれませんが、一旦初演がおこなわれれば、それがいわば演奏の目安となりますので、そこに新しい解釈を施そうがどうしようが、そこは再演者の自由です。しかし初演だけは、作曲者の説明を聞いて貰わないと困るのです。
 リハーサルに作曲者を呼ばない初演者に限って、

 ──あ、この部分、難しかったんで少し変えましたから。

 などということもわりと平気でおこなう傾向があるようです。勘弁してくれよ、と言いたくなります。

 長々とこんなことを書いてきたので、ははあ今回もリハーサルに呼ばれなかったんだな……と見当がついているかたもおられるでしょう。
 まあその通りなのですが、今回は「音楽付き朗読」という企画のため、音楽だけの稽古にとれる時間が無かったというのが理由であったようです。つねに朗読もコミの稽古であって、チェロとピアノの合わせなどは休憩時間などにちょこちょことおこなうしかなかった感じで、作曲者が訪れても、そもそも稽古の中でいつ合わせができるのかわからない状態だから申し訳ない、ということだったのでしょう。
 それはまあ理解できないでもありませんが、それでもやはり、一度くらいは聴いておくべきだったと思いました。私が聴きに行っても良い稽古日があったら連絡してください、と言っておいたのですが、ついに本番までその連絡がありませんでした。いささか残念です。

 さて、公演は今日の昼と夜と2回ありましたが、教室の仕事があるので昼は無理です。生徒の枠を前にずらして貰って、かろうじて夜公演には行けることになりました。だから正確に言うと私の曲も「初演」を聴いたのではなく、二度目の演奏を聴いたわけです。
 八重洲ホールの入り口がわかりにくくてしばらく迷いましたが、開演10分前には到着しました。もともとキャパシティの少ないホールでしたが、それにしてもほとんど満員で、係の人が観客に声をかけて詰め合わさせていました。私は幸い、通路に面した席に坐れました。ただ見たところあとで追加したような椅子で、若干通路にはみ出しています。出演者もみんなその通路をとおって出入りするもので、私は少し邪魔になっていたような気がします。
 最初は紺野恭子さんによるソプラノミニコンサートで、山田耕筰中田喜直木下牧子の歌曲を何曲かずつ歌いました。紺野さんはその後の朗読の時にもいくつか歌を歌いました。
 そのあとが朗読となり、宮澤賢治「双子の星」「よだかの星」そして「セロ弾きのゴーシュ」という順番になります。
 「よだかの星」を読んだ矢島祐果さんと「ゴーシュ」を読んだ磯辺万沙子さんが中心なのでしょうが、主人公以外のセリフはそれぞれもっと若手の役者が読んでいました。若手は8人ほど出ていましたが、みんな同じ演劇学校の出身であるようです。「双子の星」は彼らのみによる朗読でした。聴き較べると、やはりベテランと若手とはこんなに差があるものなのかと驚きました。
 ちなみに磯辺さんは少し前にやっていた「いなり、こんこん、恋いろは。」というアニメに出演していて、実は私はそれを視聴していたのでした。つまりすでに声は聴いたことがあったわけです。今日の初登場は、「よだかの星」に出てくる「鷹」の声でしたが、聴いた途端に

 ──あ、この人か。

 とわかりました。
 「音楽付き朗読」であって、今回の委嘱者であった笈沼甲子さんが出ずっぱりでピアノを弾いていました。チェロも全部つくのかと思っていたら、「セロ弾きのゴーシュ」だけの出演でした。防音が不完全なホールのようで、出演する前に、チェロをさらっているらしき音がときどき洩れてきていました。
 「双子の星」にはいくつか歌がついており、宮澤賢治自身が作曲した「星めぐりの歌」なども含まれています。そういうところは紺野さんが歌っていたわけです。
 「よだかの星」ではシューマンユーゲントアルバムの何曲かと、ショパンの数曲が要所要所で流れました。「セロ弾きのゴーシュ」のほうはドビュッシーラヴェルなどフランス物をBGM的に使っていました。そういう選曲は笈沼さんの役目なのでしょう。
 さて、「ゴーシュ」です。チェロの羽川真介さんがようやく登場します。
 冒頭の「第六交響曲」は、当然と言うべきか、ベートーヴェンの第六、すなわち「田園」を使っています。ゴーシュはこの曲のリハーサルで楽長にさんざんツッコまれるのですが、羽川さんは特に下手くそに弾くような演出はしていませんでした。
 これ、「のだめカンタービレ」などのアニメ版・ドラマ版など見ていても違和感を覚えたところです。のだめの演奏が、特に先輩や先生があきれてしまうようなシロモノには聞こえないわけです。みんなは、のだめの演奏を聴いて「をいをい」とツッコみながらも、どこか惹きつけられるものを感じる……という設定なのに、一向にそんな気はしません。どれを聴いても「そこそこうまい」演奏になっています。
 実のところ、「ヘタだけど惹きつけられる」なんて演奏を「わざと」やるほど難しいことはないわけなので、これは仕方のないことですが、演奏に関するコメントのセリフが白々しく思えてならなかったのは、これまたやむを得ません。
 まあ、今日のような催しで、チェロの演奏に物語上のリアリティを与える必要もないでしょう。私が全面的に音楽を担当していたとしたら、少し考えたかもしれませんが。
 やがて猫が登場し、いよいよ「印度の虎狩り」スタートです。私は宮澤賢治の記述になるべく則るように書いたわけですが、やはり難しかったのかもしれません。テンポは私のイメージより少し遅めでした。怒濤のように続いてゆく重音も、少々無理な書きかたをしていた可能性があります。それはそれとして、若干音を間違えているのではないかと思われる箇所もあって、やっぱりリハーサルを聴いておきたかったと切実に思いました。リハーサルに顔を出していれば、無理のある重音などはそのとき再考する余地もあったはずなのです。
 前に書いたように、この曲は最初の3分の1くらいを無伴奏チェロにしてあり、中間部からピアノが加わるという構成でした。猫の前で弾く時と、演奏会のアンコールとしてフルヴァージョンで弾く時と2回あるので、猫の時には無伴奏の部分だけやれば良いという仕掛けになっていたわけです。
 なんと、不意を衝かれた猫があわててめまぐるしくかけまわるシーンの朗読が、この無伴奏部分にぴったりと重なったので、私も驚きました。磯辺さんが読むスピードを調節してくれていたということはあったかもしれませんが、あとで羽川さんに聞いたところでは、

 ──なんでこんなにぴったりはまるんだ?

 と関係者一同びっくりだったそうです。読むスピードを調節すると言っても、所要時間があまりかけ離れていては、不自然なことになります。やはり私の予測がだいたいちょうど良かったということなのでしょう。
 かっこうの登場のところはチェロで啼き真似をしただけでした。狸が出てくるシーンでは「愉快な馬車屋」という曲が演奏される設定でしたが、これはスコット・ジョプリン「ジ・エンターテイナー」を流用していました。どうせならこちらの曲も私がオリジナルを作りたかったような気がします。
 野ねずみの親子が出てくるシーンでは、「なんとかラプソディ」という曲をゴーシュが弾くことになっています。ここで使われていたのはポッパーハンガリー狂詩曲でした。
 そして演奏会アンコール。「印度の虎狩り」フルヴァージョンです。ほとんど全曲無調で書いていたりしたので、他の選曲と並べて浮いてしまうのではないかと若干心配していましたが、案外そうでもなかったのでほっとしました。この演奏中は、朗読も一旦中断し、お客が曲に集中できるようにしてくれていました。恐縮至極です。
 演奏後、ちょっと拍手しかけてやめたような気配が感じられました。昼公演では拍手が出たそうで、夜公演のお客は若い人が多くて拍手をして良いのかわからなかったようだ、とあとで笈沼さんが言っていました。
 エンディングにはトロイメライがフルで演奏されて終わりです。猫のリクエストがここでようやく果たされたわけです。ちなみにオープニングのほうはバッハ無伴奏チェロ組曲前奏曲でした。

 「虎狩り」はそんなわけで、多少の安堵と多少の後悔を残しました。確かにわずか3分ばかりの曲ですし、わざわざ来て貰っても……と考えたであろうことはわかるのですが、やはり責任が充分に果たせなかったという想いがあります。安堵のほうは、全体から見てそう浮かない音楽であったという点でした。
 この催しは地方公演もおこなうかもしれないという噂を聞いていますが、そのリハーサルにはぜひ呼んで貰いたいものです。
 また朗読附随音楽という形態に関して、今回のように大部分アリモノでつなぐというのも悪くはないのですが、個人的にはすべてオリジナル曲でつなげてみたいという気がします。プーランク「ぞうのババール」みたいな作りかたですね(なお、「音楽物語」の代表みたいに思われているプロコフィエフ「ペーチャと狼」は私にはちっとも良いと思えません。音楽が社会主義リアリズム特有の野暮ったさ全開である上に、肝心の物語がつまらな過ぎます)。まえにいわむらかずお氏の絵本でそういうものを作ってみようかと思ったところ、寺島尚彦さんがすでにやっていることがわかって断念したなんてことがありましたが、他にもネタはありそうです。いずれ実現させたいと思います。

(2014.7.12.)

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