忘れ得ぬことどもII

ヘイトスピーチという言葉

 ヘイトスピーチなる言葉をよく聞くようになりました。
 こういう英語がもとからあるのかどうか知りませんが、直訳すれば「嫌悪の言辞」ということになるでしょうか。
 昔からある言葉である「罵詈雑言」というのとどう違うのかよくわかりません。罵詈雑言を横文字で言ってみただけであるような気もします。
 ただ、ヘイトスピーチという言葉をよく使う連中の発言を見ていると、単に「相手を嫌悪する言葉」というだけではなく、ある決まった意味合いが含まれているようです。つまり差別的言辞のことです。差別と言ってもいろいろありますが、身分差別とか学歴差別とかのことは指していないようで、もっぱら民族的差別、その中でももっぱら在日朝鮮・韓国人に対する差別的言辞に限ってこの言葉が使われているらしく見えます。そんなに狭い意味に限定してしまって良い言葉なのかと首を傾げたくなります。
 在日特権を許さない市民の会、略して在特会というのがあって、在日朝鮮・韓国人が本来の日本人にすら与えられていないような優遇的特権を有していると考え、そのことに対し抗議のデモなどをおこなっています。その時のシュプレヒコールなどで、確かにかなり汚い言葉が使われることがあり、もともとはそれを指してヘイトスピーチと呼んでいたようです。

 ただ、ヘイトスピーチという言葉を多用する側によって、この言葉は瞬く間に守備範囲を拡げてしまいました。
 「死ね」「叩き殺せ」といった言葉がヘイトスピーチであることは、まあわかります。しかしまあ、かつて過激派がよく気勢を上げていた「○○をフンサイせよ!」なんてのも似たようなものではないかと私には思えますが。
 それでは(自分の国に)帰れ」というのはどうでしょうか。
 私も何人か在日の知り合いは居ますが、彼らは普通に仕事をして普通に暮らしています。特にいまの状態に文句があるようではありません。しかしながら、主に学者とかジャーナリストとか、高い地位に就いている在日のかたがたほど、なぜか現状が不満であるらしく、日本国や日本人をやたら悪く言う傾向があります。日本は過去に朝鮮に「世界最悪」の「植民地支配」をおこない、「あらゆるものを奪い」、いまなお「とんでもない差別国家」であるというようなことを平然とおっしゃったりします。
 日本についての情報がコントロールされている本国の人がそんなことを言うのなら、首肯はできないにせよ、まあ理解はできるのですが、日本に生まれ育ち、歴史資料にも文献にも簡単にアクセスできるはずの在日朝鮮・韓国人、それもそれなりの地位の人がそういうことを平気で言うのはどうにも解せません。日本は朝鮮を植民地にしたわけではなく内地扱いにしたのであり、創氏改名といっても別に強制的に名前を変えさせたわけではなく(創氏のほうは強制。戸籍制度を整備するために不可欠でした)、その「世界最悪」の支配のわりには最初と最後を較べれば平均寿命も人口も倍くらいになった、などなど、ちょっと調べればすぐにわかることです。そもそも日本の半島経営は、それまでの半島に基礎的な近代インフラが何もなかったために、まずそこから建造せねばならず、必然的に大赤字であって、収奪などおこないようがありませんでした。
 そんな事実を、まったく見もしなかったように日本の悪口を言い続けるものですから、

 ──それほど日本がお嫌いなら、お国へ帰ってはいかがですか?

 と言いたくなるのは無理もないことです。日本が好きで、もっと良い国にするためにあえて苦言を呈しているというのであればともかく、どう見ても日本と日本人が嫌いだとしか思えません。そして「偉大な祖国」のことをいつも持ち上げています。日本が嫌いで、祖国がそんなに偉大な国なのなら、帰国すればお互いに幸せだと思います。
 ところが、どうやら帰る気などさらさら無いらしく、しかも「帰ったら?」と薦めることさえヘイトスピーチだというのだからわからなくなります。

 さらに、「在日特権がある」と主張すること自体がヘイトスピーチになるらしいのです。
 特権、つまり特別に認められた権利が実在するかというと、それは実在すると思います。その筆頭が「通名」でしょう。在日朝鮮・韓国人の多くは日本名を持っています(上に挙げた、私の知り合いの人たちはいずれも本名を名乗っていましたが)。事件を起こした時など、本名ではなくこの日本名で報道されたりします。それだけではなく、その日本名を変えることも簡単な手続きでできるようです。ここまでなら、まあペンネームとか芸名に類するものとして納得できるのですが、問題は、その日本名で銀行口座などを開けるという点です。つまり、名義を変えていくつもの口座を開くことが可能なわけで、隠し財産が簡単に作れることになります。これだけでも大変な特権と言えます。
 しかしそれを指摘すると、彼らは、

 ──強制的に半島から日本へ連れてこられたわれわれの当然の権利であり、特権などではない。

 と言い張ります。ちなみに強制連行というのもずいぶん騒がれましたが、そんな事実はほとんど無いということがわかってきました。いまだにかまびすしい(いわゆる)従軍慰安婦」のことはひとまず措くとして、強制的に連れてこられて労働させられたというのは要するに戦時徴用のことで、内地の日本人も当然やらされていました。当時、半島も「国内」であったために戦時徴用が施行されましたが、海を渡って本土に連れてこられた人数はそう多くなく、終戦時で二百何十人とかそんなものだったようです。戦後、帰国を希望する者にはすぐ許可が出ています。
 その他は自分の意志で内地に渡ってきた人々であって、誰も強制などしていません。それがはっきりしてきたので、最近では、

 ──生活が苦しくて内地へ渡らざるを得なかった。これも広い意味での強制と言える。

 などと無理な論を立てている向きもありますが、さすがに賛同する人は多くないようです。こんな論が認められるなら、東北あたりから出稼ぎに出てきている人はみんな「広い意味での強制労働」になってしまいます。というか、生活の資を稼ぐために仕事をすることはすべて強制労働ということになりそうです。
 「強制連行」がまやかしであれば、「当然の権利」というのも根拠を失います。それだから必死で「広い意味での……」云々と言い張ることになります。

 こうなると、どうも朝鮮・韓国人にとって愉快でない言辞がすべてヘイトスピーチということになりそうです。
 こういう事情は、似たような話がずいぶん前からありました。
 ネット右翼、すなわちネトウヨなる言葉です。
 これも、本来はインターネットの上でのみ国粋主義的な勇ましいことを主張する人を指していたはずなのですが、たちまち変質し、主に韓国、それから在日朝鮮・韓国人に対して批判的なことを言う人がみんなネトウヨ扱いされるようになりました。
 かねてから、韓国の新聞などでは、韓国に批判的な日本の政治家や言論人を「右翼」「極右」などと呼ぶのが通例になっていたので、その影響と思われます。ちなみにこの意味での「右翼」「極右」の対語は「左翼」「極左」ではなく、「良心的日本人」となります。韓国の主張を全面的に受け容れ、できれば日本社会に対し韓国の代弁をしてくれるような政治家や言論人が、彼らにとっての「良心的日本人」であるわけです。少しでも疑問を呈したら「右翼」に格下げです。
 その流れで、ネット上で韓国や在日の批判や抗議をする人がみんなネトウヨということになりましたが、ここ数年、その批判や抗議がネットを飛び出し、実際のデモ行動などになりはじめました。在特会はもっとも先鋭的と言えますが、別に在特会だけのことではありません。
 さすがに実際行動を起こしている人々を「『ネット』右翼」とは呼べませんので、それに代わる概念として「ヘイトスピーチ」というのが持ち出されたと考えられます。いや、少なくともこの言葉を多用し流行らせた連中はそのつもりであったと思われます。

 そうであってみれば、ヘイトスピーチなどという言葉は実に軽いものになってしまったと言わざるを得ません。本来、もっと重い意味を持つ言葉であるような気がするのですが、多用する連中によって、いとも軽い意味合いになってしまいました。
 彼らが主張するような差別があるのかどうかも、考えてみなくてはなりません。
 「特権」を指摘される以上(それが当人にとって特権とは思えないとしても)、在日朝鮮・韓国人に対しては、差別どころか優遇がおこなわれていると言えそうです。
 実は、これは一種の差別待遇です。在日朝鮮・韓国人に対してではなく、それ以外の在日外国人に対しての差別です。他の国の人には、通名は認められていません。犯罪を犯せば当然国外退去となります。
 「なぜコリアンだけ優遇されているのだ? われわれに対する差別ではないか」
 と、他の国の人から文句が出て然るべきところです。
 在特会は、日本人と較べても在日朝鮮・韓国人が優遇されていると主張して抗議のデモをおこなっていますが、その主張が妥当かどうかはひとまず措きましょう。しかし少なくとも、他の在日外国人と較べて優遇されていることは疑いを得ません。
 では、なぜ彼らはすぐ「自分たちは差別されている」と叫ぶのでしょうか。何を求めているのでしょうか。
 彼らが求めるのは選挙権であり、民族学校への補助金であり、企業の採用枠です。他にもいろいろありますが、要するに日本人と同じ扱いできればもっと有利にしろというのが本音でしょう。そしてその主張が認められないと「差別だ」と騒ぎ立てます。
 どこの世界に、自国民より特定の在留外国人を有利に扱う国があるでしょうか。国家というものの定義はいろいろありますが、少なくとも近代的な国家とは、その国民を優先的に護ることが最大の使命です。時に「進歩的」な政権がその垣根を取っ払ったりすることもありますが、たいてい国民の不満が高まって、長続きはしないようです。
 外国人がそこの国民と同じ扱いを受けたければ、そこの国民になる、つまり帰化するしかありません。もちろん、帰化すれば国民と同じ権利を与えられますが、同時に国民と同じ義務をも課せられます。
 ちなみに、在日朝鮮・韓国人に対し、「帰化したら?」というのもヘイトスピーチなんだそうです。どうしろと言うのでしょうか。
 帰化すると何か不都合が生じるのではないかと疑いたくなります。どんな不都合かといえば、何かいままで可能だったことが不可能になるとか、そんなことであるとしか考えられません。例えば「通名を使えなくなる」というのはかなり重大でしょう。
 帰国も帰化も拒むという行動自体、在日特権の存在を証明しているようなものではないでしょうか。帰国しても帰化しても、当然ながら特権を失います。他に何か失うものがあるのかどうか。「『在日というアイデンティティ』を失う」などと意味不明なことを言っている人も居るようですが……

 日本人に較べてどうであるかはさておき、他の外国人に較べて明らかに特権的である在日朝鮮・韓国人への扱いは、「もと国民」への配慮であったかもしれません。また、「かつて日本は朝鮮に『ひどいこと』をした」という刷り込みから来る贖罪意識といったものもあったことでしょう。すぐ徒党を組んで「差別だ」と抗議や脅迫をおこなう連中と事を構えたくないという気分もあったに違いありません。
 しかしまあ、それらもそろそろ有効期限が切れつつあるようです。3世代も経てば「もと国民」としての扱いも見直すべきでしょうし、かつてやった「ひどいこと」というのがかなりの程度眉唾ものである(皆無とは言いませんが)ことが一般に知られてきて、

 ──われわれはそんなに謝るような筋合いでは無いのではないか?

 と考える人が増えてきました。ほんの20年前には、

 ──日本は(朝鮮において)良いこともした。

 と、いま思えばあたりまえのことを発言した政治家が、辞職を余儀なくされるほどのバッシングを世間から受けていたことを考えると、隔世の感があります。
 それ以上に韓国や在日の極端な反日的言動に嫌気がさした人が多く、とうとう抗議の声を挙げるようになったというのが昨今の状況です。ここには別に、政治的な意味での左翼右翼は関係ないようです。
 先日の「朝まで生テレビ」で、

 ──日韓の関係を改善し、「反日」「嫌韓」を解決するためにはどうしたら良いのか?

 というリアルタイムアンケートをとったところ、テレビ局側が用意したどの選択肢をも圧倒して、

 ──解決はできない。
 ──解決する必要はない。


 という意見が大多数を占めており、出演者を唖然とさせたそうです。これはまあ「朝生」の視聴者に限られた分布であって、そのまま世論を代表しているわけではないかもしれませんが、この番組を見ていてアンケートに答えた以上、多少なりとも日韓関係に関心のある層であることは間違いありません。
 日本人という人種は、以前私が「談合民主主義」と呼び、井沢元彦氏が「話し合い絶対主義」と呼んだほどに話し合いを好みます。そのわりにディベート力が弱いのが困ったものなのですが、ともかく何事も何事も、話し合いによって解決しようとし、トップダウン式に結論を押しつけられることを嫌います。その日本人が、「解決はできない」「解決する必要はない」などと言い放ち、しかもそれが限られた範囲にせよ多数を占めるなどとは、まったく尋常ではありません。尋常でなくなるほどに、韓国や在日の反日言動が眼に余るということにほかなりません。
 いわゆるヘイトスピーチについて、日本人の閉塞感のあらわれであるとか、自信の喪失を反映しているとか、したり顔で解説する人はたくさん居ますが(わりと好きだった保守系の論客にもそう言う人が居て、ちょっとがっかりしています)、なぜいちばん重要かつ簡単なポイント、

 ──それほど日本人が怒っている。

 ということに言及する評論家や学者がほとんど居ないのか、私には不思議でなりません。原因が相手側にあるなどと言ったらマスコミや学会から干されたりするのでしょうか。

 テーマがテーマなので、なるべく冷静に、ニュートラルに書いたつもりではありますが、これもネトウヨ乃至ヘイトスピーチ扱いされるのでしょうか。「彼らにとって都合の悪いことを言う」のがネトウヨやヘイトスピーチの現時点での定義であるならば、たぶんそういうことになるのかもしれませんね(笑)。

(2014.5.31.)

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