忘れ得ぬことどもII

「現代のベートーヴェン」の転落

I

 全聾の作曲家として知られ、「現代のベートーヴェン」などと呼ばれていた佐村河内守氏が、実は別人が書いた曲を自分の作品として発表していたことをカミングアウトして騒ぎになっています。
 私は佐村河内氏の作品とされていた曲を聴いたことがなく、そもそも名前も去年のいつだったかにはじめて眼にして、最初はサムラ・カワチノカミなどと読んでしまったていたらくですので、特に感慨というほどのものは覚えないのですが、今朝がたからマダムがずっと騒いでいます。ソチ・オリンピックに出るフィギュアスケートの高橋大輔選手が、佐村河内氏の曲を使うことになっていたとかで、何もこんな時にカミングアウトして高橋選手に動揺を与えなくとも良いじゃないか、というのがマダムの主張でした。
 マダムは朝っぱらから携帯電話のニュースでこの話を発見して、あれこれまくしたてながら検索したりして、もう少し寝たいと思っている私の耳元でウィキペディアの佐村河内氏の記事を大半読み上げていたもので、私も氏のおおまかな経歴などは諒解してしまった次第です。マダムがしゃべくり続けているので、ついに私は又寝することができませんでした。

 なおウィキペディアの記事は、今日だけでずいぶん書き直されていたようです。マダムが見た時にはすでに「元作曲家」という肩書きになっており、その後マダムの友達が見た際には「自称作曲家」となってしまっていたそうです。その後また「作曲家」に戻されたらしいと聞きましたが、いまはどうなっていることやら。もう少し経過を見ようということで編者の意見がまとまったのかもしれません。
 カミングアウトは弁護士を通じてなされたそうですが、その後のニュースなどを見ても、あんまり要領を得ませんでした。わかったのは、十数年前からゴーストライターを立てていたらしいということ、自分のイメージやニュアンスを伝えてゴーストライターに書いて貰うという方式でやっていたこと、非常に反省しているということ、くらいでしかありません。本人が出てきて記者会見などをやったわけではないので、詳しい事情がわかるまでにはもう少し時間がかかりそうです。

 十数年前からゴーストライターに書かせていたということになると、どうもタイミング的には、聴力を失ったとされる時期以降はほとんど自分で書いていなかったということになりそうです。
 しかも、世に出た曲というのは、大体が、聴力を失ったあとに書かれたタイミングになるのではないでしょうか。とすると、彼自身の作品なるものが本当にあったのかどうかも疑わしくなります。
 作曲法はもっぱら独学で習得したということになっています。「現代音楽の技法に疑問を持っていたので」音楽大学にはゆかなかったとのことですが、要するに彼の修行時代を証明できそうな人はあんまり居なさそうだということにもなります。高校時代にぐれて喧嘩に明け暮れたの、ホームレスになったことがあるの、何度も自殺未遂を起こしているのと、彼の経歴なるものを見ると、正直言ってひとりの人生の物語としてはあまりに波瀾万丈に面白すぎて、そういう「設定」であるに過ぎなかったのではないか、という気がしてなりません。
 若い頃の習作でも出てくれば良いのですが、何しろ急にほぼ完成されたスタイルで登場したという感が強く、いかにも唐突に見えます。「『全聾の作曲家』というキャラクター」が「作成」された、ような出現でした。はたして「佐村河内守の作品」というものは本当に存在したのでしょうか。

 残念なことですが、ゴーストライターというのは世に後を絶ちません。芸能人がゴーストライターに自叙伝を書かせる程度のことであれば、まあご愛敬というところでしょうが、文筆を本来のなりわいとする者が「自分の作品」を他人に書かせるとなると、やはりあまり褒められたことではないでしょう。
 工房とかプロダクションという形で、その代表者個人の名前を冠して作品を発表する、ということもわりとよくおこなわれています。音楽関係だと、ポピュラーのほうではそういうケースも少なくないかもしれませんが、一応「芸術」音楽とされる方面でも、無いわけではありません。
 現に、私自身ある有名作曲家の作品のオーケストレイションの仕事をかなり長いこと続けています。この場合は、私に渡される原譜はその作曲家自身が書いたものと思われますが、もしかすると他のスタッフがすでに一次加工をおこなったものかもしれず、その辺は私もあえてつっこまないようにしています。もちろん、一般にはオーケストラまで全部その作曲家がやっているものと思われているわけです。時折、その人のオーケストラ書法を褒めた批評が雑誌などに出ることがあり、私は内心舌を出しています。
 この場合は、その作曲家は若い頃はちゃんと自分で曲を仕上げており、その後いろんな活動で忙しくなったのでオーケストレイションなどは外注するようになった、という経緯がはっきりしています。元の曲の構成、フレーズ、モティーフなどはまぎれもなくその人のものなので、その人の名前で発表されるのは当然です。「ラプソディ・イン・ブルー」をいまの形にしたのはグローフェという人ですが、作曲者と見なされているのはあくまでガーシュウィンです。これはこれで問題ありません(ただ、そう知ってがっかりする人は居るでしょうね)。
 しかし例えば、ある人Aがソナタの主題だけ作って、
 「これを使って曲に仕上げてくれ」
 などと別人Bに頼む……ということになると、どちらが作曲者と呼ぶべきなのか微妙になってきます。というよりこの場合は、
 「A氏の主題によるソナタ」B作曲
 というような表記になるのが普通ではないかと思います。
 ハイドンなどには、最初の部分(呈示部)しか残されていないソナタなどもあります。ソナタは通常、呈示部・展開部・再現部の3部分から成っていますので、後世の研究者などが展開部と再現部をつけて、演奏できるようにしていたりします。補作部分のほうが多いのですが、これはやはりハイドン作曲・誰某補作ということにするのが普通でしょう。
 こういう、複数の手が加わって出来上がった楽曲について、「作曲者」としての栄誉が与えられるのがどの範囲なのかということは、必ずしも自明ではなく、微妙な領域があるように思えます。
 その意味では、佐村河内氏のしでかしたことがどの程度けしからん話であるのかは、やはりもう少し事情が明かされてからしか判断しにくいとも言えそうです。発表どおり、イメージやニュアンスを「言葉で」伝えて別人に書かせていたというのであれば、これはさすがに「作曲者」を主張することは難しいでしょうが。

 繰り返しになりますが、私は佐村河内氏の「作品」を聴いたことがないので、その「作品」が、「耳の不自由な人が書いた」という情報を付加されない状態であっても、言われるほどに佳い曲であるのかどうかはわかりません。交響曲第1番を指揮した大友直人氏は
 「譜面を見て、佳い曲であると思ったので演奏した」
 と、「作曲者」が全聾者であるかどうかにはかかわらず評価したようなことを言っています。
 「作曲者情報」を離れた状態でも、充分に音楽的価値が高いものであるならば、逆説的かもしれませんが、作曲者が別人であるかどうかなどは、さほどの問題ではないと私は考えます。高橋大輔選手も、それほど動揺するには及びません。もちろん、その価値に応じた報酬を、真の作曲者が得ていて貰いたいと思いますが。
 しかし、演奏する者、聴く者の心のどこかに、「耳が聞こえない作曲家の書いた曲」「『日本のベートーヴェン』の曲」という触れ込みによる補正が、何割増しかでかかっていたと考えたほうが、むしろ自然かもしれません。「耳が聞こえないのにこれだけのものを……」と思ってしまえば、どうしたって実際以上の音像を耳に結んでしまうでしょう。たぶん、例えば私が同じくらいの出来の作品を発表したとしても、さほど話題にもならないはずです。そもそも私という作曲者にさして話題性が無いからです。佐村河内氏はほぼ同年齢に近いので、ついそんなことを考えてしまいますが、ともあれ全聾であるということは大きなセールスポイントであったに違いありません。
 「そういう聴かれかたをされたくないので、しばらく耳が聞こえないことは明かさなかった」
 と本人が言ったとか言わなかったとかいう話がありますが、結局は「そういう聴かれかた」を享受したことになります。

 なぜこんなことをはじめてしまったのか、それはまだわかりません。上に書いたように、活躍していた作曲家が聴力を失ったというよりも、この人の場合、タイミング的に最初から「全聾の作曲家」としてデビューしていたような気がするのです。「キャラクター」として作られた存在であるように思えます。
 ゴーストと示し合わせて、「衝撃のデビュー」を飾るためにこういう設定にしたのかもしれません。最初は冗談半分だったのが、NHKスペシャルで採り上げられたりして、それと共にCDなどもバカ売れしたり、あちこちで委嘱を受けたりと、大ごとになってしまい、ひっこみがつかなくなったというところなのかもしれません。
 真相はだんだん明らかになることでしょう。とにかく私に言えるのは、作品そのものに罪は無いということです。「作曲者」がニセモノだったからと言って、良作(だったとして)が闇に埋もれてしまうということだけは、あってはならないと思っています。

 クライスラーが古人の名前を騙って多くの曲を作っていたのはよく知られています。有名な「序奏とアレグロ」も、最初はブニャーニの名前で発表された作品です。クライスラーはまったく悪びれることなく、
 「作曲者がおれの名前になってると、他のヴァイオリニストが弾きづらいと思ってな」
 と哄笑していたとか。
 最近ではヴァヴィロフが居ます。あちこちで聴く「カッチーニのアヴェ・マリア」の作曲者です。この曲、いまだに「カッチーニ作曲」としてあるプログラムなどが多いのですが、私ははじめて聴いた時から、16世紀末〜17世紀初頭に生きたカッチーニの作品にしては「7度(セブンス)」が多用されすぎていておかしいと思っていました。17世紀どころか、1980年代に作られた曲だったのです。
 こういうケースは、世を惑わすというか、聴衆を小馬鹿にしているようなところがあって、種明かしされると多少腹が立ちますけれども、一方で騙された自分が可笑しいみたいな感覚もあって、笑えるエピソードになっています。
 今回の話が笑って済ませられないのは、やはり「聴覚障碍者」という立場をいわば「利用した」ように見えるあたりに、どうしようもない後味の悪さを感じるからでしょう。ブームに乗ってしまう人の弱さのようなものを、醜悪な形で見せつけられた想いもあるのかもしれません。
 佐村河内氏は単に「ちょろい成功」を愉しんでいただけなのでしょうか。それとも本当に音楽への真剣な想いがあって、それを自分の力で形にできない苦悩が、こういうやりかたを選ばせてしまったのでしょうか。しでかしたのは言い訳のしようのないことですが、この騒動で何かを学んで貰えればと思うばかりです。

(2014.2.5.)

II

 ソチ・オリンピックがはじまって、「現代のベートーヴェン」こと佐村河内守氏の話題も少々下火になってきた模様ですが、数日間の騒ぎはすごかったですね。
 こういうのは、ひとたび火がつくと、たちまち燃え上がるものであるようで、彼の「嘘」を証明するような事象が次から次へと出てきました。妻の母親のインタビューまで出てくるに至っては、まあ勝負あったというところでしょう。
 作品が別人のものであったというだけではなく、全聾というのも嘘だったようですし、ゴーストライターの新垣隆氏にあれこれ指示して作らせていたというのすらも怪しくなってきました。指示書なるものが明らかに妻の筆跡であったというのです。下手をすると、最初から最後まで、曲の制作にはタッチしていないなんてこともありそうです。
 まだ本人の発言が無く、最初に弁護士を通じて示された簡単なメッセージがあるばかりですので、いろいろ立ちのぼってきた疑惑の数々が、本当のところはどうなのか、まだはっきりとはしていないところがあります。しかし、「現代のベートーヴェン」なる人物が基本的に嘘で塗り固めたような存在であったことは、どうやら確かなように思われます。
 上に、私は、

 ──佐村河内氏は単に「ちょろい成功」を愉しんでいただけなのでしょうか。それとも本当に音楽への真剣な想いがあって、それを自分の力で形にできない苦悩が、こういうやりかたを選ばせてしまったのでしょうか。

 と書きました。
 私としては、やはり後者であって貰いたいという気持ちがありました。私も表現者のはしくれとして、「表現しきれないこと」の焦りやいたたまれなさといったものは、いちおう理解できるつもりです。その結果としてとった手段はとても弁護の余地が無いものであったとしても、ある程度自分の中で納得することはできたように思えます。
 音楽大学に入る前の、充分な技術が伴わなかった頃は、私自身も「表現したいこと」と「表現できること」のギャップに悩みました。だから未完の習作がおそろしくたくさんあります。多楽章形式の曲のつもりではじめて、1、2楽章だけできてやめてしまったというものも数多くあります。
 いちおう形になったものにしても、あとで音にしてみて、われながらどうにも無理が感じられるところが、どの曲にも何箇所かは存在するのでした。転調が不自然であったり、構成が無理矢理であったり、明らかに何かのパクリっぽかったり。
 そういう中からかろうじてすくい上げて作品番号を与えたのが、「無伴奏ヴァイオリンのためのシャコンヌ」「無伴奏フルートのためのパルティータ」「混声合唱曲『道』」の3曲ですが、これにしたって、いまの眼でみた時の不満はいくらでもあります。
 シャコンヌがバッハの真似であることは言うまでもありません。ただ、作曲して7年くらい経ってから桐山建志くんに音にして貰ったのですが、これはこれでわりと佳いと彼は思ったようで、暗譜した上に、その後私に会うとちょくちょくこの曲の出だしのところを奏でたりしてくれます。
 パルティータは、音大に入る前という時点での私なりの「無調性」への到達点ではあったものの、構成曲である古典舞曲(アルマンドクーラントサラバンド等)への理解が充分でなかったことが悔やまれます。グリーク『ホルベア組曲』ラヴェル『クープランの墓』でおこなわれていたことを、ごく皮相になぞっただけであったと思います。
 その点「道」はまあまあかもしれませんが、まだ構成の散漫さが感じられます。
 いずれにしても、自分の表現力が、自分の夢想に追いついてくるまでは、ギャップがあるのがあたりまえです。自作の曲を客席や音源で聴いてみて、

 ──おっ、こりゃ実はなかなか佳い曲なんじゃないか。
 ──おれってもしかして才能ある?

 などと厚顔な感想を持てるようになったのは、大学を出てしばらく経ってからのことでした。
 とはいえ、考えてみれば、大学では別に言うほどの「技法」などは学んだ憶えがありません。最初についた八村義夫先生のところで、対位法楽曲分析を勉強はしましたが、それが直接自分の役に立っているかどうかは微妙です。他の先生のところではそれさえもありませんでした。和声法楽式などは受験前に叩き込まれて、入学した時にはすでに身についていました。逆に管弦楽法については大学ではさほど身につかず、卒業後にオーケストレイションの仕事などをして、現場で場数を踏まなければ習得できませんでした。
 では、大学で私は何を学んだのかと言えば、主なものは音楽という「空気」だったのではないかと思います。同じ作曲を志している同級生が居り、さまざまな楽器や歌を学んでいる仲間が居り、いろいろ辛口の批評や示唆をしてくる先輩たちが居り、私のほうからも他人の作品の譜面を見ていろいろ考え……という「場」で、自分の至らなかったところに気づき、自分が本当に書きたかったものを見つけられたのが、音大に4年間通ったことの、私にとっての意義であったろうと振り返ることができそうです。
 私だけではなく、作曲科に限って言えば、たいていの人がそうであったでしょう。そういう「場」になじめなくてリタイアした仲間も居ました。群れたがらぬ孤高の表現者であったと言えないこともありませんが、その後ちっとも名前が聞こえてこないところを見ると、やはり切磋琢磨のストレスから逃げただけだったのかもしれません。また、上に書いた「気づき」や「発見」ができなかった仲間は、結局筆を折ってしまっているようです。
 そういう意味では、「独学で作曲を習得する」ことの難しさを感じざるを得ません。確かに、誰に習わなくとも、美しいメロディやいかしたリズムを思いつく人は居るでしょう。しかし、それを「作品」に仕上げるためには、まったく別の要素が必要なのです。
 教科書によっていろいろ独習することは可能ですけれども、例えば和声法などは、やはり適切な指導を受けないと、間違いに気づくことができません。課題を実習する上で犯してしまう数限りない間違いを、どうしてそれが間違いなのか納得しつつクリアしてゆかないと、結局わけがわからないことになります。
 そしてそれ以上に、音楽という「空気」を感じずに大成することはまず無理であろうと思うのです。天才には、「先生」は必ずしも居なくて良いかもしれません。しかしその場合でも、「仲間」は必要なのです。自分と同レベルかそれ以上の仲間(同業者でなくても良いのですが)と、歯に衣を着せぬやりとりをしてこそ、何事かを見つけることができるはずです。「玉磨かざれば光なし」とはまさしく至言であると感じ入る次第です。

 結局、佐村河内氏の実像とは、なんだったのでしょうか。
 耳が聞こえないのも嘘だったことが判明しました。全聾どころか、難聴ですらなかったふしがあります。彼を特集したテレビ番組で、出演者にうしろから話しかけられてうっかり返事をしているシーンが、動画サイトに上げられていました。なんの気なしに返事をしてしまって、あわてて手話通訳者のほうを見た時のうろたえた表情までばっちり映っていました。
 言うまでもなく、背後からの声というのは、全聾者が返事できないのはもちろん、難聴者にとってもいちばん聴き取りづらいもので、前触れ無く何か言われれば、確実に聞き返すでしょう。
 「これが『HIROSHIMA』の譜面ですか」
 「そうですね」
 こんな自然なやりとりができるはずはありません。
 こんなシーンが映っているのに、番組のスタッフが何も気づかなかったというのも奇妙な話です。確かに視聴者も、放映時には誰も気づかなかったようですが、ひとたび疑惑が起きればすぐに検証できることでした。編集時になんども映像を見たはずのディレクターは、おかしいとは思わなかったのでしょうか。思わなかったのなら無能と言って良いほどのぼんやりですし、変に思ったにもかかわらず

 ──番組に穴はあけられない。

 と考えて眼をつぶったとすれば、番組スタッフも佐村河内氏の共犯者だと言われても仕方がないでしょう。最近テレビ番組の捏造や誤誘導が盛んに問題となっていますけれども、この件もそのひとつに数えられそうです。
 ゴーストライターの新垣氏も、彼の耳が聞こえないと感じたことはいちども無い、と証言しています。そもそも、新垣氏の作った音源を聴いて佳いものを選んだり指示を出したりしていたと言うのですから、何をか言わんやです。
 いつも濃い色のサングラスをかけていたのは、太陽光に弱かったのではなく、音に反応して眼がうっかり動いてしまうことを他人に悟られないようにするためだ、などと推測する人も居ました。
 2級の障碍者手帳を持っていたようですが、全聾どころか難聴ですらないとすれば、この手帳も詐取したことになってしまいます。
 楽譜を読むことも書くこともできなかったとささやかれていますが、この点はどうでしょうか。
 幼い頃に母親から基礎をみっちり教わったというのは、佐村河内氏ではなくて新垣氏のエピソードであったとも言われています。
 バンド活動や、ゲーム音楽を作っていたというのは事実であるようです。もちろん、楽譜を読み書きできなくとも、バンド活動はできますし、コンピューターミュージックを作ることもできます。ゲーム音楽業界ではそこそこ知られた存在であったとも聞きます。ゲーム音楽を何かの機会にアコースティックな形に編曲しなければならず、オーケストレイションができる人を探していて新垣氏と知り合った、という経緯だったのでしょう。
 しかしそれが、

 ──「全聾の作曲家」という触れ込みで売り出すことにしよう。

 という「企画」にどう結びついていったのか、これはやはり本人の告白が無ければわかりません。ゲーム音楽くらいをちょこちょこと作っていた人間が、交響曲などという大それたものを企画するには、やはり新垣氏と知り合ったことが契機になっているのでしょうが。
 そこで、やっぱり私の最初の疑問に戻ってしまうのです。

 ──バンド活動やゲーム音楽制作などのしがない仕事に携わりつつも、いつか大交響曲を書き上げることを夢想していた男。しかしさしたる音楽教育も受けず、独学でつまみ食い的に勉強していただけの彼には、そんな表現技術があろうはずもなかった。夢想と現実のギャップに苦悩する彼。そこへ、確かな専門技術を持ったもうひとりの男が現れる。彼はその男に夢想を語る。その男は、彼の想いにある程度共感し、夢想を形にすることに手を貸す。

 こういう事情なら、擁護はできないものの、理解はできるのです。しかし、

 ──たまたま知り合った無名の作曲家を見て、こいつを使って世間をあっと言わせてやろうと考えた。

 というシンプルきわまる事情である可能性も捨て切れません。これだったらどう考えても詐欺師であり山師であり、いかなる同情のしようもありません。根底には世の中への不信と不遇感があったのかもしれませんが、舐めた話であることに変わりはなさそうです。
 ともあれ「全聾の作曲家」というキャラクターを創ったのは、明らかに話題性を狙った行為だったと思います。その経歴なるものも大半は「キャラ設定」に違いありません。まさにゲームのアバター(プレイヤーの分身としてゲーム内で動くキャラクター)を作るようにして自分のキャラクターを「作成」したのでしょう。
 もしかしたら最初は「シャレ」であったのかもしれません。しかし、そうやって発表した「交響曲第一番『HIROSHIMA』」が、自分で思ったよりもずっと話題を呼び、時の人のようになってしまい、作曲の注文も続々来るようになって、もはやゲームを下りるわけにゆかなくなってしまった……というところが真相ではないでしょうか。そして唐突に、ゲーム・オーバーが訪れたのです。

 ゴーストライターを辞めたいと言う新垣氏に対し、佐村河内氏は、
 「それなら自殺する」
 と脅していたと言います。本当に自殺する気があったのかどうかはともかくとして、新垣氏に去られては作曲家としてやってゆくことは不可能であり、必然的にすべてがばれてしまいますから、自殺したいような気分になるであろうことは確かでしょう。
 佐村河内氏が何度も自殺未遂を起こしているというのが、「キャラ設定」であるのか本当のことであるのか、それもわかりません。ただまあ、「自殺する」とすぐわめくような人間は、滅多に本当の自殺などしないものです。実際、すべてがばれてしまった現時点で、佐村河内氏はまだ生きているようです。一向に姿を現さないのは、
 「世間に顔向けができない」
 という感覚を、まだかろうじて持っていたからと思いたいところです。
 しかし、可能ならばやはり自分の言葉で語って貰いたいものです。「全聾の作曲家・佐村河内守」を「作成」するに至る詳しい経緯を。

【後記】このエントリーをアップした翌朝(12日)、佐村河内守氏から届いたとされる謝罪文が公表されました。耳は前は確かに聞こえなかったが、最近になって少し聞こえるようになってきている、という内容です。これまたにわかには信じがたい話です。記者会見ではなく、一方的に謝罪文を送りつけてきただけですから、検証のしようもありません。
 また、エントリーで私が書いた疑問に対する答えにはまったくなっていませんでした。「全聾の作曲家」の誕生までのストーリーは、まだまだ穴だらけと言わざるを得ません。

(2014.2.11.)

III

 佐村河内守氏が記者会見をおこないましたね。暴露がおこなわれてから一応2本も所感を書いたので、フォローしなければとは思いましたが、なんだかだんだんと興味が失われてきました。
 記者会見の模様はリアルタイムでは見られず、あとから動画に上げられているのを見ただけですが、私が知りたかったことはほとんど解明されていないようです。通り一遍の謝罪があったのちに、ゴーストライターを務めていた新垣隆氏が嘘を言っているという批難に移り、名誉毀損で訴えるなどと言い出しました。こういうところであまり常套句を用いたくはないものの、盗っ人猛々しいというのはまさにこれでしょう。
 どうひいき目に見ても、この人物には私が予想したような深刻な屈折や苦悩があったようには思えないのです。あったとすれば名声への渇望とか、そんなものだけでしょう。
 表現そのものについて、夢想と能力とのギャップに苦しんだ揚げ句、芳しからぬ手段を採ってしまった……ということであれば、前にも書いたように、私にも理解はできるのです。もちろん擁護はできませんが……。
 しかし、どうやらそんな表現者特有の煩悶があったとは、会見の様子を見る限りにおいては、まったく感じることができませんでした。

 そうなると、この男は単なる出たがり屋に過ぎなかったことになります。とにかく自分がちやほやされればそれで良いという、薄っぺらい人間でしかなかったのでしょうか。
 私自身がインタビューでもすることができれば、もう少し違った人物像が見えてくるのかもしれませんが、記者の質問も上っ面をひっかいている程度に思えました。もう少し、表現とか芸術とかいうことに本気で取り組んでいる記者に質問させるわけにはゆかなかったのでしょうか。私が知りたいのは、世間を騙している意識があったか無かったかだとか、被災地の女の子を騙したことをどう思うかなどということではありません。ゴーストライターを立ててまで交響曲を発表したいと思うに至る、心の道筋です。そこが見えてこないことには、佐村河内守という人物に対する自分の中の位置づけを確定することができません。
 ともあれ、最初に思ったほど深みのある人物ではなさそうだという気がしてきて、興味もなくなってきたわけです。

 暴露があってから1ヶ月ほど、いくつか擁護論みたいなものも眼にしました。学問の世界でも、助手が書いた論文を教授の名で発表するようなことがざらにあるのだから、そんなに批難されるべきことでもないのではないか、という風な議論がわりに多かったように思います。

 ──ゴーストライターなんか、どうせみんな使っているに決まっているのだし。

 と、どういう根拠からか決めつけている人も居ました。
 ゴーストライターというものが、どの程度使われているのかはわかりません。わかったらゴーストとは言えないでしょう。いわゆるタレント本なんかは、自分では書いていないことが多いのではないかと思いますが、それだって決めつけはできません。
 小説、特に娯楽小説のたぐいはゴーストライターがわりに多かったとも聞きます。江戸川乱歩などは起筆がいつも遅いので、業を煮やした編集部が、第一章だけ別人に書かせることがしょっちゅうだったという話が伝わっています。また戦後の「十字路」という作品がありますが、これはほぼ全篇が別人の筆に成るものであったようです。道理で、はじめて読んだ時に、乱歩作品にしてはなんとなく毛色が変わっているような気がしたものです。
 時代小説などでもそんなケースはあるかもしれません。ただ、こうしたゴーストライトの場合は、名前の出ている、乱歩なら乱歩なりの人物が、まったくノータッチということはあり得ません。すでに確立された彼の文体なり筋運びなり、あるいは明智小五郎という主人公なりがあって、そのフォーマットのもとでゴーストライターが書くということはあっても、例えばシリーズ主人公の造形までも人任せにするなどということはさすがに無いでしょう。しかし佐村河内氏が新垣氏にやらせていたのは、そのレベルのことではないかと私は思います。

 曾野綾子氏のコラムでは、作家とか作曲家とかいう人種に高潔な人格を期待するのは間違っているという論が展開されていました。確か都知事を辞めた猪瀬直樹氏について触れていた時にも似たようなことを書かれていたので、まあ曾野氏の持論なのでしょう。これについては私も同意見です。作者自身が性格最低だろうと、カネや女にだらしなかろうと、良い作品を産み出してくれるなら別に構いません。作家のことは詳しくありませんが、作曲家なら、モーツァルトは下品で無神経、ベートーヴェンは傲慢で独善的、ヴァーグナーはすぐ根に持って陰湿な報復を企てるような人物で、決して友人に持ちたいような連中ではありません。
 だから佐村河内氏についてもそれほど目くじら立てることもない、ということだったようですが、ここはちょっと同意しかねます。性格が悪くても良いし、がめつくても下半身がだらしなくても差し支えはありませんが、表現者にはただひとつだけ、どうしても譲れない点があるはずです。それは「自分の作品にだけは嘘をつかない」ということです。ここを破ってしまったら、もう彼を表現者とは呼べないと思うのです。
 佐村河内氏がけしからんのは、別に、彼の人格が陋劣(ろうれつ)であるからではありません。「作品」なるものに嘘をついていたからです。その嘘の上に築かれた名声を享受するばかりであったからです。
 曾野氏が当該コラムを書いたのは、まだ新垣氏の記者会見がある前だったと記憶していますので、事件の全貌がまだ見えて居ない頃でした。いまとなっては曾野氏も、佐村河内氏を擁護しようとは思わないのではないでしょうか。

 本人は、もう音楽からは足を洗うと言っているようですし、私もこれ以上佐村河内守の消息をフォローしても大して得るところが無いように思えます。私の知りたいところ──繰り返しになりますが、そもそもの動機──が明らかになり、その事情になんらかの興味を覚えることがあれば、もういちどくらい何か書くこともあるかもしれませんが、当分はそんなことも無さそうです。
 それにしても、髪を切ってサングラスを外すと、教祖めいた風貌がまるで失われ、普通のおっさんになりましたね。おすぎに似ているとか「我が家の杉山」に似ているとか、ネットではいろいろ話題になっていますが、まあどうでも良いことです。
 私がゴーストライターなどを使うようになることは、たぶん無いでしょう。創作力の枯渇を覚えれば筆を断つか、あるいはもう少しライトなものばかり書くようになるかもしれません。作家で言えば、小説を書くのはやめてエッセイばかりにするとか、そんな状態になる可能性が無いとは言えませんが、他人に書いて貰ったものを自分の作品として世に出すようなことは、私にはできないと思います。とにかく、世間に嘘はついても、自分の作品には嘘をつくまいとあらためて考えさせられる出来事ではありました。

(2014.3.7.)

トップページに戻る
「商品倉庫」に戻る
「忘れ得ぬことどもII」目次に戻る