忘れ得ぬことどもII

いまこそ「十七条憲法」の精神を

 憲法を改正するかしないかでかまびすしくなっていますね。世論調査でも「改正すべき」という意見が半数を越えているようです。ほんの10年前には考えられない流れになってきています。
 私自身が憲法改正についてどう思っているかは、ずいぶん前に書いた文章がありますが、いまでも基本的に変化はありません。他ならぬ憲法の中に改正方法が定められているのだから、その必要があるならばどんどん変えれば良いと考えています。とにかく最終的に改憲の是非を決めるのは国民投票によるわけですから、どの政党の議員がどれだけ賛成するかなどということは、枝葉末節とまでは言いませんが、副次的な事柄だと思います。
 憲法を不磨の大典扱いするから改憲が一大事のように思えてしまうのですが、どこの国も不都合があれば軽やかに改正を繰り返しています。日本もそういう流儀で、常に時代に合った憲法を備えるようにしてゆけば良く、そのうちに日本にとっていちばん妥当な形が生まれてくることでしょう。一字一句変えてはいけないと思い込んだ揚句に、統帥権干犯問題が起きても有効な対策がとれずに軍部の独走を許してしまった戦前の轍を踏むべきではありません。

 しかし実際に改正しようとすると、第96条に規定してある「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」で発議するという条件が、どうにも足枷になるようです。これを言い換えれば、2013年現在の議員定数であれば、衆議院で321人、参議院で161人の賛成が必要になるということです。これは相当な数であって、先進国中でこれだけ発議条件が厳しい国はありません。一見これより厳しい条件に見えるところも、よくよく見てみると「過半数の3分の2(つまり総数の3分の1)」となっていたり、同じく3分の2でも発議ではなくてそれで決定ができてしまったりと、どう考えても日本よりは条件がゆるいのでした。
 これだけ意見を揃えなければ発議=提案すらできないというのは、事実上改正の禁止に等しいと言えます。実際、いまの憲法の草案を作ったGHQでは、そう簡単に変えられないようにこういう条項にしたようです。
 とはいえ、日本人がGHQの統治から離れて半世紀以上経っても、まだその時の憲法を後生大事に使い続けていることになろうとは、当の草案作成者たちですら予想しなかったようで、日本のジャーナリストにその旨を聞いて絶句していたという話もありました。
 とにかくこれではあまりに不便なので、とりあえず改正手続きにまつわる第96条を改正しようではないかというのが安倍晋三首相の提案です。そのあとの国民投票については、安倍首相自身が第一次内閣の時に法案を通して、いつでも実施できるようにしてあります。安倍氏のもくろみは一貫しているようです。
 両院で3分の2ずつ賛成させるなどというのは、事実上の一党独裁状態か、あるいは翼賛議会となっているか、どちらにしても、民主主義にとってはあまり好ましいこととは言えません。これを「過半数の賛成」ということにすればだいぶ使いやすくなります。各論反対ではあっても、この点に関しては賛成する野党もあるわけで、まずここから条文を変えるというのは無理のないやりかただと思います。
 が、これにも反対している連中がまだたくさん居ます。過半数などということになると、時の政権党の都合で憲法がころころ変えられることになってしまうとか、なし崩しに9条も変えられて、徴兵制が敷かれて、戦争に行かなければならなくなると人々をおどかすことに余念がありません。9条を変えることがなぜ徴兵制に結びつくのか、なぜそこで戦争が起こらなければならないのか、その必然性についての説明がまったく無いので、そういうことを言っている手合いの頭の中を覗いてみたいと思ったりするのですが、それはともかく、改憲を決定するのはあくまでも国民投票だということを忘れているとしか思えません。
 このことは前にも書きましたが、改憲に反対ならば、発議されてから国民投票がおこなわれるまでに、国民を説得すれば良いだけのことです。その説得がもっともだと思う人が多ければ、国民は投票によって、改憲にNoの判断を下すでしょう。
 その段階をすっ飛ばして、憲法が政権党によって簡単に変えられるようになるみたいなことを言って人々をおどかすのは、自分らには国民を説得する能力がありませんと白状しているようなものです。主張のいかんにかかわらず、国民への説得能力の無い政党などに、存在意義があるようには思えません。そんな連中はとっとと政界から退場して貰いたいものです。
 そんなわけで、私は96条の改正には大いに賛成しています。そのあとで9条を変えるのが是か非かというのは、また別の問題になります。

 ところで憲法というのは、英語で言うとconstitutionです。これは、constitute(構成する)という言葉の名詞形ですから、本来は法律とはあまり関係がありません。「成り立ち」とでも訳すべき言葉です。
 憲法=constitutionというのは、まさに「国の成り立ち」そのものと言えそうです。

 ──わが国は、こういう国なのだ。

 ということを、内外に高らかに宣言するのがconstitutionです。だから本当は、あまり些末な条文が増えるのは好ましくありません。国を形作る骨格をしっかりと謳い上げ、細かいことはその下の法律=lawに規定するというのがすっきりした形です。
 そこで思い出したいのが、聖徳太子の作ったと言われる十七条憲法です。
 聖徳太子は、最近ではなんだか「実在しなかった」などという論が声高になっているようで、教科書にも「厩戸皇子」としか書かれていないなんてことがあると聞きます。厩戸皇子に聖徳太子という諡号が贈られたのがだいぶ後世になってからということはあり得るかもしれませんが、そういう場合は遡って聖徳太子と呼ぶのが歴史の便宜であるはずで、わざわざ教科書を書き換えるほどのことではなさそうに思えます。
 実在しない、というのが、のちに聖徳太子と呼ばれた厩戸皇子その人が架空の人物であったというのか、聖徳太子の業績とされていたことが実在した厩戸皇子とはなんの関係もないものであったというのか、そのあたりの論者の意図がはっきりしないのですが、ともかく古代の大和朝廷の位置づけをできるだけ過小評価したい一党が史学界に居ることは確かなようです。彼らの中には、煬帝に国書を送ったのも、大和朝廷とは関係のない九州あたりの豪族だろうなどと言っている手合いも居るのでした。
 ともあれここでは、通説どおり、聖徳太子が十七条憲法を作ったということにしておきます。
 この「憲法」は、一部「公務員服務規程」みたいなものが混じっていますが、そういうレベルの法体系の混乱は、7世紀という時期を考えればやむを得ません。
 第1条が、有名な「和を以て貴しと為す」からはじまる条文です。安倍首相は、昨日東京都内のホテルで開催されていた美術展に自ら「以和為貴」と揮毫した色紙を出品したそうですが、十七条憲法の精神に立ち返ろうというのが氏の本意であるのかもしれません。
 条文はそのあと、「忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし……」と続くのですが、第1条の趣旨を簡単に言えば、「無用の争いをせず、仲良くしなさい」ということに尽きます。これを冒頭に置いた聖徳太子の想いはいかなるものであったのでしょうか。聖徳太子の生きた時代は、物部氏蘇我氏の戦いがあったり、九州へ派兵したりと、決して平和な世の中ではありませんでした。
 第2条は「篤く三宝を敬え」という、これもけっこう有名な条文です。仏教の理念によって国を運営するという宣言と言えます。
 第3条は「詔(みことのり)を承けては必ず謹め」からはじまります。天皇の命令には従いなさい、ということを言っているので、問題視する人も居ますが、当時は蘇我氏など、天皇にひけをとらない権威を持つ勢力もいくつかあったので、それを踏まえれば、それらの勢力からの命令よりも天皇の命令が優先する、ということを規定しているのだと思われます。
 第4・5条、第7・8条、第12〜15条などは、官吏の心得を諭したようなものなので、「憲法」に含めるのはどうかとも思えますが、「賄賂を取るな(第5条)」とか「勝手な税を取るな(第12条)」などという項目は、中国あたりの官吏のありかたとは一線を画した、日本独自の「官吏道」を打ち上げたかのようにも見えます。われわれにはあたりまえのように思える条文ですが、中国は今もって賄賂が無いと何事もさっぱり動かない社会です。「勝手な税」だっていくらでもおこなわれています。それはもう古来そうなのであって、「清官三代(清廉と言われる官吏でも、地方官を何年か務めれば三代食えるくらいの実入り──賄賂──がある)という言葉は有名です。中国で貪官汚吏などと呼ばれるのは、適正水準を超えて賄賂を取りまくった輩のことに過ぎません。
 もちろん、禁止されたとて賄賂を取るヤツは居たに決まっていますが、それでも最高法規に「ダメ」と書かれていれば、うしろめたさを覚えるのは確かです。日本の役人は、有能無能は別として、世界でも珍しいほどに清廉と言って良いのですが、その淵源はやはり十七条憲法にあったのではないでしょうか。
 第6条は勧善懲悪の勧めです。善いことは必ず顕彰し、悪いことは必ず正すようにという教えです。
 第9条は信義を説きます。信(まごころ)をもって当たればできないことは無いという教えです。まさにごもっともとしか言いようがありません。
 第10条は寛容の勧めとなっています。他人との違いを心広く認めよという内容で、これもまた現代に通じる教えだと思います。
 第11条は信賞必罰を説いています。第16条は人民を賦役にかり出す時の心得ですが、時期をよく考え、人民の負担にならないようにと戒めています。
 そして第17条は、独断の戒めであり、重要なことは話し合って決めるようにと教えています。日本の歴史を見ると、この第17条は非常によく守られてきたように思えるのですが、実はこの条文の中には、「さほど重要でないことは、会議にかけるまでもなくさっさと決断するべき」という箇所が含まれています。近年は、その部分が少々おろそかにされているような気がしないでもありません。

 以上、十七条憲法を簡単に見てきましたが、私はこれこそ日本のconstitutionにほかならないのではないかと思えてなりません。上で賄賂や勝手な税のことについて述べましたが、その項目だけ見ても「中国とは違う。日本はこうなんだ」という意思がはっきりと感じられるではありませんか。「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、つつがなしや」と堂々と煬帝に言い放った聖徳太子ならではの気概が光彩を放っています。
 「日本とはどういう国なのか」と外国から問われた時に、この十七条憲法を説明すれば、百万言を費やすよりもくっきりと日本をわかって貰えるのではないでしょうか。
 明治天皇五箇条のご誓文も、「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」はまさに十七条憲法第17条の焼き直しです。「上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」は第1条や第15条に通じるものがあります。他の項目も、十七条憲法が下敷きにあるとしか思えません。もし十七条憲法と無関係に書かれたものだとしたら、日本の国のあるべきかたちというものが、7世紀の人が考えても19世紀の人が考えてもさほど変わりがなかったということになり、それはそれで素晴らしいことです。やはりこれこそが、日本のconstitutionなのです。
 考えてみれば、十七条憲法は、その後律令が発布されても、御成敗式目やら公家・武家諸法度やらができても、それどころか大日本帝国憲法日本国憲法が生まれても、一度も停止させられていません。法律というものは、原則として新しいものができた場合、「旧○○法は某年某月某日をもって失効する」という一文が附則に添えられますが、十七条憲法の失効を明記した文書は存在しないのです。
 ということは、日本人は今なお、十七条憲法に記された聖徳太子の教えを守ってゆく義務があるということになります。これが守れないようなヤツは日本人ではない、と言っても決して言い過ぎではありません。実際のところ、よく読んでみても、普通の日本人であれば、守るのが困難というような条文はひとつも見当たりません。つまり、日本人の道徳律や倫理観は、1400年前からそれほど変わっていないということです。やはりconstitutionなのです。
 今後、もし新しい憲法が起草されるとしても、十七条憲法の精神を残しておきさえすれば、大きな間違いにはならないと私は信じています。安倍首相が揮毫したのも、同じ気持ちからだったのではないでしょうか。
 中国や韓国が、軍国主義云々と因縁をつけてきても、あたふたすることはありません。

 ──日本は「以和為貴」の国である。1400年前からそう決まっているのだ。

 と、堂々と言い返してやれば良いのです。
 ちなみに「和して同ぜず」という言葉があります。和というのは、相手に同調することではありません。足し算の答えのことを和というのでわかるとおり、違ったものを加え合わせてつりあいのとれたものにするのが和です。
 春秋時代の晏子は、スープを作るたとえで和を説明しました。水に水を足してもスープはできません。水とまったく違う、火を用いることで、はじめておいしいスープができあがります。
 音楽をやっていると、和音というのがあるのでさらによくわかります。ドだけでは和音になりません。ミやソが加わって鍋に味噌を入れる?)はじめて美しいハーモニーができます。
 上の言葉に続けて、

 ──日本はいつでも諸君と和する用意がある。しかし諸君と同ずることは金輪際あり得ない。

 と言ってやったらどうでしょう。彼らがよく言う「日本は歴史認識を改めろ」という言葉は、実際には「こっちの歴史認識に従え、同調しろ」という意味ですので、そういう無理強いに対する実に毅然とした反論になるではありませんか。
 改憲を企図している安倍首相が、十七条憲法の精神を重んじる意識を持っていることに、私は安心と頼もしさを覚えます。そして今さらながらに、聖徳太子という人は偉大であったと感服せざるを得ません。

(2013.8.9.)

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