忘れ得ぬことどもII

ネットの力について

 連日暑いせいか、変な連中があちこちで湧いているようです。
 少し前に、コンビニエンスストアのアイスクリーム用の冷凍庫に入り込んで、寝そべって写真を撮った店員が居ました。それをバカなことにツイッターで流して、大騒ぎになったのでした。
 見も知らぬ人が寝そべった冷凍庫のアイスクリームなど、やはり食べる気にはなれません。しかも写真はかなり鮮明だったために精査され、その店員のズボンの股間が見事にテントを張っていたことが判明しました。なんだか知らないけれど、彼はこの背徳感(?)に性的昂奮を覚えていたようです。ますます気持ち悪いことになりました。
 こういうことになると、ネットの捜査力というのは新聞社や警察をはるかに上回るところがあるようで、この写真が撮られたコンビニエンスストアはたちどころに特定され、本社に大量のご注進が行った模様です。
 本社は驚愕し、すぐにその店舗をフランチャイズから外すという対応をとりました。つまり、潰してしまったわけです。
 問題の店員は、実はその店舗のオーナーの息子だったこともわかりました。バカ息子の愚行のために親父は店を失ってしまったというわけでした。どこの店舗であるかはいまでも調べればすぐわかる状態なので、他の系列のコンビニのフランチャイズになろうとしても難しいかもしれません。要するに商売を替えないとどうしようもないようです。バカ息子を育てたのは自分なのでどこにも文句のつけようは無いとはいえ、哀れな話です。

 さて、そんな騒ぎがあったので、食品関係の店が性根を入れ替えた……と思いきや、最近になって、あるハンバーガーショップと、ある持ち帰り弁当の店で、似たようなバカが登場しました。両方ともアイスクリームの時と同じく、ツイッターで写真を流していたのです。ツイッターのことを「バカ発見器」と呼んでいる向きがありますが、こういう事件が相次ぐと、まったくその通りだと感じざるを得ません。
 ハンバーガーショップの件は、「平日なのに忙しすぎる」等々とぼやいた揚句に、大量のバンズを床に積み重ねた上に寝そべっている写真がアップされていたようです。加熱前のバンズらしく、さすがにビニールで包装された状態ではありましたが、それにしても不潔な印象を与えることに変わりはありません。実際、「もうこのチェーンでは二度と食べない」というようなコメントも多く寄せられています。わりに近年日本でも増えてきたチェーンで、うちのマダムなども気に入っているらしいところだったので、残念な話です。
 弁当屋の件は、「今日暑くね?」という呟きと共に、やはり店の冷蔵庫に入って寝ている写真がアップされていました。こちらは食品の上に直接寝ていたわけではないようですが、別の棚に食品があったのは確かで、これまた不潔なのは間違いありません。
 冒頭のコンビニの件で、店が潰れるはめになったのは、ネットではもう有名な話であるのに、こんなに模倣者が生まれるというのはどうかしています。やはり、暑さで頭のネジが飛んでしまった手合いが多いのかもしれません。
 たぶん、本人たちとしては、店を潰してやろうなどというつもりはなく、仲間うちでウケをとろうとしてふざけただけなのでしょうが、ツイッターというのは決して仲間うちで済むものではありません。私はやっていないので、他のソーシャルネットワークのように公開範囲を絞ることができるのかどうか知らないのですが、たとえミクシィでいうところの(私はミクシィもやっていませんがマダムがやっているので)「親しい友人」までの公開だけだとしても、どこかで洩れてしまうものです。それを意識せずになんでも流してしまうから「バカ発見器」だというわけです。

 ハンバーガーショップの本社は「この店員に対し厳しい処分をおこなった」とコメントし、弁当屋の本社は「再発防止に努めて参ります」とコメントしましたが、どうもおざなりな対応という印象があったようで、この点にも批判が出ています。
 「厳しい処分って、まさかこいつをクビにしただけなんてことはないだろうな?」
 というコメントを読んで、思わず噴き出してしまいました。
 弁当屋の店舗もすでに特定されているようですし、これは冒頭のコンビニ並みに、店舗を潰すまでは許して貰えないかもしれません。
 今度はオーナーの息子とかいう話ではなさそうですし、そんなことになったら店長はまったくとばっちりを食ったようなものです。さすがに店員を雇う時、「こいつは冷蔵庫に寝るかもしれない」なんてところまで予測しろというのは、たいていの店長に期待される眼力をはるかに超えているでしょう。不運であったとしか言いようがありません。

 それにしても、ネットの捜査力にはいつもながら驚かされます。わずかな背景や断片的なデータから、おそるべき速さで場所や人物を特定してしまう様子を見ていると、警視庁の凄腕プロファイラーでもこうはゆくまいと思えてしまいます。写真があれば、きっと「おれ、ここ知ってるぞ」という人が現れますし、知識の欠片を持っている人々がすぐに集まって全体像をあぶり出します。2ちゃんねるに潜り込んで、他の投稿者を煽ったり罵っていたりした人物が、某テレビ局某新聞社の社員であったなどということもすぐさま暴かれてしまいました。
 ひとりひとりはもちろん微力ですが、ネットワークを介してマスとなることで、名探偵さながらの能力を発揮するわけです。そのうち、本当に難事件を解決するようなことが起こるかもしれないと思います。
 そういうタイプの探偵小説も書かれるのではないでしょうか。主人公の探偵がネットを駆使して捜査するというのであればもう普通でしょうが、ネットそのものが探偵役というのはまだ無さそうな気がします。どういう形で書けば良いのかも私などにはよくわかりません。それとも、すでにその種の探偵小説は世に存在しているのでしょうか?
 もちろん、ネットで「物証」までは得られませんので、「犯人を断罪する」などということは無理でしょうが、蓋然性の精度は相当に高いところまで得られそうな気がします。
 ネットの情報はあてにならない、という意識を持っている人は多いことでしょうが、実はネットというのは二言目には「ソースは?」と訊ねられる厳しい世界でもあります。情報源のことですね。ソースが示せない情報は信用されませんし、ソースそのものもすぐに検証されます。その意味では、事前に眼を通すのがせいぜいデスクと編集長程度である新聞記事よりも、よほど「事実性」のチェックが厳しいとも言えるのです。

 最近は逆に、新聞記事の「事実性」をネットが検証して、報道の不備を批判するというようなことも盛んになってきました。ここ数日かまびすしい麻生太郎財務大臣の、ナチスにからむ「失言」問題などもその好例で、新聞記事になった発言の「要旨」が、ためにするような恣意的な切り貼りに過ぎなかったことがすぐにバレました。つまり、発言の「要旨」ではなく「全文」が発見され、その発言を直接聞いた人からのコメントも寄せられた結果、麻生氏があたかもナチスを賛美したかのような印象を与えるように編集された記事の「事実性」がたちまち覆されたのでした。
 最初にその編集をおこなったのはどうやら共同通信だったようですが、続いたのは読売新聞でした。しかしネットで大騒ぎになったのに気づいたらしく、あとでこっそりとweb版の見出しを差し替えるということをしていました。前の見出しは、まさに「ナチスを見習え」と言ったかのような印象を与えられるものだったのですが、それをもっと穏当なものに変えたわけです。
 あわてて差し替えても、こういう時には必ず誰かが差し替え前の「魚拓」というものをとっており、ごまかしは利きません。読売新聞の見出し差し替えについては、「姑息だ」と批判する人と、「とにかく訂正したのはよろしい」と評価する人が半々くらいだったようです。何しろ朝日新聞毎日新聞、あるいは多くのテレビ局では、それから何日か経ってもまだ「麻生はナチスを賛美している、とんでもないことだ、すぐに辞任しろ、安倍首相も任命責任をとれ」等々と浮かれまくっているので、読売はまだマシか、という気にもなるのでしょう。

 この一連の騒ぎでもはっきりしましたが、新聞記事というものが「明確な事実」を伝えるものではなく、記者の持つある意図に基づいて、事実の一部を「切り取って」伝えるものに過ぎない、ということが、近年だいぶ明らかになってきました。切り取りかたによっては、事実の正反対のことを伝えることも可能なのです。
 記事からカットされた事実について、なぜこの部分を報道しないのかと抗議を受けた新聞社が、開き直って「報道しない自由」なる珍妙な「権利」を持ち出したことも記憶に新しいところです。「報道しない自由」は、ネットではすっかり流行語になりました。
 「ネットが無かった頃は、われわれは相当新聞やテレビに騙されていたんだな」と気づく人が増えてきています。ネットに縁のない高齢者などと話していて、彼らがいかに新聞記事やテレビニュースを盲信しているかがわかって愕然とし、自分もネットを見ていなかったら同じ有様だったのだろうと思えば、空恐ろしいような気にもなることでしょう。
 新聞記事もテレビニュースも、すぐにネットで検証されてその「事実性」が明らかにされてしまうのですから、記者にとってはおそろしい時代です。しかも匿名記事であっても、執筆した記者が誰であるか特定されることも多くなりました。
 ほとんどの新聞社が、当初ネットを目の敵にしていたのも無理はありません。これまで情報も、その料理の仕方も思うがままであったのが、「それはおかしい」と堂々と指摘されるようになったのですから、「こいつらはなんなんだ」と怒り、恐れたのは当然です。「美味しんぼ」で唯我独尊的なレストランのシェフが、山岡さんにいきなりツッコまれたようなものです(この原作者がいちばん唯我独尊的であるように見える点は、今は措きます)
 が、そのツッコミに対する態度で、新聞社やテレビ局に対する評価があらたに定まってきます。あくまでもネットなどという新参者を蔑視し、何を言われても門前払いで終わらせるか──多少は気にして、こっそりと見出しや記事を差し替えるか──批判を真摯に受け止めて、間違いや偏向にはきちんと謝罪し訂正、せめて説明をするか──どういう応じかたをするかが厳しく注目されていると言えます。
 いまのところ、まだ最後のタイプのような報道機関は、本当の意味では存在しないようです。自らの「無謬性」のようなことへのこだわりが捨てられないのでしょう。とりわけ朝日新聞などは、ネットでどう指摘されようと、バカどもが天下の朝日に向かって何を言っているか、というような態度を崩さないように見えます。朝日新聞がネット上で大いに嫌われたり嗤われたりしているのは、朝日の論調のせいでも、ましてやネット上に「ネトウヨ(笑)」ばかりが居るせいでもなく、そういうかたくなな態度に問題があるのだということを、関係者は肝に銘ずるべきでしょう。同様に産経新聞がわりに評価されているのも、論調が右がかっているのが「ネトウヨ」に好まれているという点よりも、「比較的」自らの過ちを認めるにやぶさかでない(充分とは言えませんが)と考えられているためだと思います。かつての教科書検定報道の時に、「文部省(当時)が検定で、戦前の日本の『侵略』を『進出』と書き換えさせた」という真っ赤な誤報(教科書には最初から「進出」と書いてあり、文部省が書き換えさせたなどという事実はありませんでした)を謝罪した唯一の新聞社であったという経歴が物を言っているのです。

 ネットはすでに微力な存在ではなく、企業の売り上げを大きく左右するだけの力を持っています。ネットからの批判に不誠実な対応しかしなかったために、不買運動を展開されて、目に見えて売り上げが減ってしまったという企業もいくつも実在します。ネットの力を認めて、共存共栄を図ることしか、これからの報道機関が生き残ってゆく方法は無いように思えます。
 まずは報道の不備の指摘に対して誠実に対応するということでしょう。もちろん、指摘のほうが勘違いをしているという場合もありますし、指摘に納得がゆかないという場合もあるでしょう。その時には事を分けて報道意図を説明することが大事です。麻生氏の発言をどうしてああいう切り取りかたで報道したのかと問われたら、本当は正直に「わが社としては麻生氏をひきずりおろして安倍政権を弱体化させたいのです」と答えてくれるべきなのですが、まあそこまで言うのはさすがに無理としても、せめて「ナチスという言葉を強調することで記事に対する注意を惹きたかったのです」という程度には説明して欲しいところです。「全文を読みましたが、わが社としてはナチス賛美が麻生氏の発言趣旨としか考えられませんでした。あなたはどうして違うと思うのですか?」でも結構です。要するにしっかりと、同じ土俵で議論に応じて貰えれば良いわけです。たぶん現在のところ、「同じ土俵に立ってしまったら負けだ」というような意識が各報道機関にはあるのではないでしょうか。
 客商売をしている企業では、どこもクレーム対応に苦慮しています。モンスタークレーマーと呼ぶべきイチャモン屋もちょくちょく出現するので、担当者は胃が痛む想いでしょうが、それでも誠実な対応をしていれば、どこかで誰かが見ているもので、いつの間にかその企業の社会的評価が上がっていたりします。今まで象牙の塔のようであった報道機関各社も、見習うべきでしょう。ネットからの批判を無視し続けるところは、早晩潰れるに違いないと私は思っています。

(2013.8.3.)

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