忘れ得ぬことどもII

国の借金について

 昨日(2013年6月19日)は板橋区演奏家協会総会がありました。協会のメンバーは現在110名が登録されていますが、それぞれに仕事を抱えている身で、総会と言ってもなかなかみんな集まるというわけにはゆきません。今回の出席者は25名でした。会則の規定では、総会は全メンバーの3分の1で成立することになっているので、これでは成立もしません。それで、しばらく前から委任状をとることにしています。委任状を出すことで、参加数にカウントします。それだと74名ということになってめでたく成立しました。
 25名に過ぎなくとも、普段の役員会で顔を突き合わせているのとは違う顔ぶれがある程度並ぶので、新鮮な感じがします。
 総会で話し合うべき事柄というのは、実はそんなに無くて、大体は前年度の活動報告と今年度の活動計画、また会計報告などに終始します。あるいは新しく協会に入会した人の紹介などがおこなわれます。そういう、毎年共通した議題の他に、その年度限りの緊急議題が提議されることもありますが、深刻な問題はそれほど発生していません。たいていは全会一致で可決されます。
 私は副会長を務めていて、活動報告書・活動計画書の作成はその職務に含まれています。資料の整理が悪くて、活動報告を作る時に、はてあの時はどうだったかなと首を傾げ、あわてて雑然とした資料をひっかきまわすということはいつものことですが、まあそれほど問題なく作れています。
 しかし会計報告のほうは大変です。これは会計担当の長野佳奈子さんが毎年苦労して作成してくれていますが、演奏家協会は曲がりなりにも法人なので(最初の頃は任意団体に過ぎませんでしたが、金銭の授受などが多いので、12年ほど前に法人化しました)、ちゃんと税理士にも眼を通して貰い、詳細な収支報告を作らなければなりません。

 そうやって大変な想いをして作ってくれても、音楽家という連中はおおむね数字を見るのが苦手で、詳細な数字が並んでいても模様のようにしか見えていなかったりします。事業費と管理費の配分などと言われても、何かの呪文のようにしか聞こえていないかもしれません。それでたいてい、質問も出ずに終わってしまいます。長野さんがもし不正をしようと思ったら容易なことではあるまいかと思ったりします(もちろん、そんなことは決してありませんけれども(^_^;;)。
 私だってよくはわからないのですが、貸借対照表などを眺めていて、ふと思いました。

 板橋区演奏家協会ごとき零細な法人でも、会計は複式簿記を用いています。資産と負債を併記し、「実際には」どのくらいの経済状態なのかがすぐにわかるようになっているわけです。
 たいていの企業の経理では複式簿記を使用しているはずです。そうしないと、銀行からの借入金の利払いひとつとっても実に面倒くさいことになります。
 工場に新しい機械を導入すれば、そこだけ見ると大赤字になってしまいますが、もちろんその機械によって効率を上げたり生産を増やしたりできるので、差し引きでは得になるはずです。複式簿記だと、機械の代金の支払いがマイナスとして記載されると同時に、機械そのものが新たな資産としてプラスに記載されますので、その時点では、全体としての収支はプラスマイナスゼロとなります。
 家計簿などの場合は、こんなことをする必要はありません。収支を日付順に記載してゆけばそれで充分です。ローンを組んだりしていると少々考えなければならない場合がありますが、それでも家計のレベルであれば、月々の支払いを「支出」としてつけておいて、別に不都合はないわけです。
 しかし、企業となれば、納品と入金のタイムラグがあったり、株式会社であれば多くの人から資金を募る必要があったり、先行投資などもしてゆかなければなりませんから、家計簿式の単式簿記では非常にわかりづらくなるわけです。
 単式簿記と複式簿記では一長一短がある、などと言っている学者も居ますが、それは経済規模や収支の様相によってはどちらが便利ということがあり得るというだけではないでしょうか。ある程度以上の規模を持ち、借り入れ・売り上げ・支払い等々が多岐にわたる組織であれば、複式簿記のほうが良いに決まっています。少なくとも、透明性は高いと言えます。
 ところが、相当に大規模であり、収入も支出もきわめて多岐にわたるにもかかわらず、一向に複式簿記を導入せず、単式で押し通している組織があります。多くの地方自治体、そして日本国そのものです。

 この会計方式については、石原慎太郎氏が昔から批判し続けています。この前の国会でもそういう趣旨の質問をしていました。氏は都知事時代、東京都の会計をそれまでの単式簿記から複式簿記に改めさせました。石原氏を好まない人でも、この業績だけは評価すると言っている向きが多いようです。
 東京都の財政は、このおかげでかなりの程度透明度を増しましたし、長期の計画なども立てやすくなりました。それより何より、東京都がどのくらいの資産を持っているのかが一目瞭然になったことが大きいと言えるでしょう。経済規模として韓国一国よりも大きいということが判明したのも、資産が明瞭化した結果ではなかったでしょうか。
 石原氏が改革するまで、大東京の会計が単式簿記によるものであったことに驚いた人も多かったようです。いや、他の大半の自治体、そして国までもが、零細企業でさえ導入している複式簿記を採用していないというのは、まったくあきれた話です。
 国会での石原氏の質問に対しても、国の答弁はなんとなく煮え切らないものでした。まるで、複式簿記にして資産が明瞭化することを好まないのではないかと疑わしくなるほどです。
 国や自治体のような、営利事業でない団体の場合は複式簿記がそぐわない、などと主張する人も居ます。しかし、板橋区演奏家協会だって別に営利事業ではありません。

 国の借金が1000兆円を超えるのではないかと騒がれています。国民ひとりあたりにして七百何十万円の借金ということになる、などとおどかす手合いも後を絶ちません。普通の国民は、何百万円などという借金をする機会は、住宅ローン以外ではまずありませんから、それは大変だ、という気持ちになるのも無理はありません。なんとか倹約して借金を返してゆかなければならないと思ってしまいます。それで、公共事業をやめろとか、補助金をカットしろとかいう話になってゆきます。
 しかし、これはおかしな話です。なぜなら1000兆円のうち、そのほとんどは国内からの借金です。つまり国内の銀行国債を買うという形で、国にお金を貸しているのです。その銀行にお金を貸しているのは預金者です。
 つまり、国民はひとりあたり七百何十万円かの借金を背負っていると同時に、ひとりあたり七百何十万円かを国に貸し付けているということになります。貸借対照表を作ってみれば、貸方と借方にほぼ同じ七百何十万円という数字が並ぶわけです。
 もちろん、そんな実感は国民の誰にも感じられないでしょう。七百万の借金があると言われてもぴんと来ないと同時に、七百万の債権があると言われても首を傾げたくなるはずです。それで良いのです。あくまで数字の上での遊びに過ぎません。
 この1000兆円の、大半が外国からの借金だったりしたら、これはえらいことです。それこそ国民ひとりあたりいくら、ということを実感として受け取らなければなりません。しかし、ほとんどが国内からの借金である限りは、国民は借り手であると同時に貸し手でもあり、その額はほぼ相殺されていますから、ひとりあたりいくら、などと考えるのは単なる遊びということになります。
 さらに大事なことは、この「1000兆円の借金」というのは、複式簿記で言えば借方のほうだけを見た数字であるということです。
 借方に1000兆円と記載されていても、貸方のほうにいくら入るのかを見てみないと、経営状態はまるでわかりません。企業を評価するに際して、借入金の額だけを見て「この会社はダメだ」などと騒ぎ立てるバカがどこに居るでしょうか。思いきった設備投資などしようと思えば、借入金の額が大きくなるのはわかりきったことです。
 問題は、日本国の貸方のほうにいくら入るかというデータが無い、もしくは少ないことにあります。
 国が複式簿記の導入に消極的なのは、ここのデータをはっきりさせたくないという思惑があるのではないかと考えたくなるわけです。
 財務省のお役人にとっても、「借金が1000兆円になってしまった、さあ大変だ、支出を引き締めなくては、増税しなくては」と騒いでいたほうが、何かと都合が良いようです。貸方、つまり実質的な保有資産の全貌が明らかになると、増税をおこなうための論拠が弱くなってしまうのに違いありません。

 繰り返しますが、1000兆円の大部分は、国が国民から借りているお金です。従って、この額が増えたところで、財政が破綻することにはなりません。どうしても解消したければお札を刷れば済みます。もちろんそんなことをすればハイパーインフレが発生して社会が大混乱になってしまいますが、理論的には借金をゼロにすることは可能です。
 そもそも国民からの借金であるこの額を、解消する必要が本当にあるのかどうかも、諸説ある状態です。国が国民に借金を返すということは、国民の債権を減らし、国が資産を減らすということでもあります。そして、流通する通貨量を増やすことと同義でもあります。いずれにしろあまりたちの良くないインフレが待っているような気がします。
 本当の財政危機になるとすれば、国債を持っている銀行や企業が軒並み左前になって、片端から外資に買収されたというような場合だけでしょう。その時は、借金の証文を外国人に押さえられたみたいなものですから、もう身動きがとれません。実のところ韓国なんかはそんな状態になっているのではないかとも考えられています。
 はたして「本当に」日本の財政は危ないのか、それは「国家の貸借対照表」が明らかにならないと、なんとも言えないはずです。お役人は「知らしむべからず」という発想からもう脱却し、勇気を持って複式簿記を導入し、日本の「貸方」をはっきりさせて下さい。それがはっきりしないと、仮に百人の経済学者がよってたかったところで、満足な政策が出てくるとは思えないのです。

 先日のG8で、安倍晋三首相の経済政策であるアベノミクスは、おおむね各国首脳に好評をもって迎えられていた様子ですが、ただ、日本国の厖大な借金額に懸念を表明した首脳が何人か居たようです。それみたことかと嬉しそうに(?)報道した新聞もありましたけれども、私は「ちょっと待てよ」と思いました。
 現在、G8の国の中では、アングロサクソン系の英国USAカナダはいち早く複式簿記方式に移行しました。フランスロシアも移行済みです。ドイツイタリアが現在どうなっているのか、私の調べが足りなくてわかりませんでしたが、イタリアなどは複式簿記の発祥の地でもありますから、たぶんすでに国家財政にも導入しているのではないでしょうか。
 要するに先進国の大半は複式になっていると見て良さそうです。石原氏は「(単式簿記などという)ばかげた方式を使っている先進国は日本の外にはひとつもない」と断言しましたが、まあちょっとそれは言い過ぎかもしれません。それにしても、もはや少数派であり、ガラパゴス化しつつあるのは事実でしょう。
 それで考えたのは、G8に参加した他国の首脳は、もしかして、まさか日本がいまだに単式簿記でやっているとは思わなかったのではなかろうか、ということでした。
 日本がとっくに複式でやっていると勘違いしていたのだとすれば、彼らは「1000兆円」という借金を、「純負債」、つまり資産でバランスをとることができない純然たる借金であると認識したのではないかという疑いが出てきます。そうであれば、1000兆円というのはかなり由々しき事態であり、懸念を表明したのも無理はありません。
 1000兆円というのが単に借方の金額に過ぎず、しかも債権者のほとんどが自国民であると知れば、どの首脳も
 「なあんだ、それなら日本にはなんの問題もないじゃありませんか」
 と苦笑したのではあるまいか……どうも私には、そう思われてならないのでした。もちろん私は経済学にも簿記にもまったく無知であり、その道の玄人からすれば噴飯ものの妄想かもしれませんけれども。

(2013.6.20.)

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