忘れ得ぬことどもII

蜘蛛の糸

 前に「蜘蛛の話」という文章を書きました。その中で、「蜘蛛の糸は繊維界の目標のひとつになっている」ということにちょっと触れました。
 蜘蛛の糸の強度は相当に強く、鋼鉄の4倍とか5倍とか言われることがあります。わりと専門的なサイトを参照したところ、「ひっぱり強度は鋼鉄の約半分」と書いてあったので、4倍5倍と言われる根拠がよくわからないのですが、「ひっぱり強度」でなく何か別の基準があるのかもしれません。また弾性度(伸縮性)はナイロンの倍くらいだそうです。
 1990年頃、USAで、人工的に蜘蛛の糸を作り出すことに成功しています。軍用の防弾チョッキやパラシュートの紐などに使うことを考えていたそうです。ある種のバクテリアの遺伝子をいじって蜘蛛の糸と同じ成分の物質を合成させたということですが、残念ながら糸に加工するにあたって用いる薬品が高価で、それこそ軍用くらいにしか活用できないものであったようです。また、その薬品の毒性が強いのも問題とされてきました。
 ところが昨日、山形県のバイオベンチャー企業が、はるかに短時間で大量に合成させることができ、しかも安価で毒性も無いという「蜘蛛の糸」を開発したという報道がありました。
 この企業「Spiber」は、六本木ヒルズのウエストウォークで、この蜘蛛の糸で織られた青いドレスの展示を、今日から4日間おこなっているそうです。写真を見ると、独特の、どこか神秘的と言っても良いような光沢を持ったドレスでした。
 蜘蛛の糸の強度と伸縮性は、実は含まれる水分によっていろいろ変わるようです。この企業では、強度と伸縮性を用途によって自在にコントロールする技術も開発しており、それこそTシャツから自動車の車体まで、なんにでも使える繊維ということになりそうです。自動車の車体については、「人にぶつかっても怪我をさせない」なんてところまで考えているようです。

 それにしても、地方のベンチャー企業からこんなのが飛び出してくるあたりが、日本の底力というものなのだろうと思います。
 バイオ技術による新素材というのは、実にいろんなものができていますが、実用化されるかどうかは、結局量産化にかかっています。材質としては素晴らしいものができても、量産化できずにお蔵入りになったというケースが、多いと言うよりもほとんどなのではないでしょうか。蜘蛛の糸にしても、すでに20年以上前に合成が成功していたのに、今までさほど普及しなかったのは、量産化ができず、コストパフォーマンスを下げられなかったからに他なりません。おそらく、これを量産化=実用化する研究は、世界のあちこちでおこなわれていたに違いありませんが、日本企業の手でそれが成し遂げられたということは、やはり誇らしく感じられます。明治以来、繊維をお家芸としていた日本の面目躍如という気がしました。
 強靱な繊維というと、最近はカーボンナノチューブがもてはやされています。こちらは化学的に作られる素材ですが、これも日本人研究者によって実用化されたものです。やはり夢の繊維として多くの応用が期待されています。ただ、真偽は明らかではありませんが、アスベストに似た健康被害があるという指摘もなされています。これが本当であれば、アスベスト同様、使用が禁止される可能性も無いとは言えません。
 その点、蜘蛛の糸は100%天然素材ですから、健康被害などは考えられません。遺伝子を組み換えたバクテリアに合成させたとはいえ、そのバクテリア自体が材料として入っているわけではありませんので、納豆や豆腐のパッケージに書いてある「(遺伝子組み換えでない)」というような注意書きは必要なさそうです。

 蜘蛛は、自分の巣が古くなったり破れたりすると、糸を食べてしまうそうです。成分はタンパク質ですから、食べることもできるわけです。そして新しい巣を張るための糸の原料にします。研究者がマーキングして調べたところ、食べた糸の8〜9割は30分以内に再利用されたそうですから、驚くべき効率と言わざるを得ません。
 今回実用化された蜘蛛の糸も、高度なリサイクル利用が期待されます。8〜9割というわけにはゆかないでしょうが、半分以上リサイクルできるのなら上乗でしょう。
 いま、古着屋に古着を持ってゆくと、売り物にならないようなものはキロ1円で買い叩かれます。断裁して、自動車のシートやぬいぐるみなどの詰め物にするそうですが、蜘蛛の糸素材の古着であれば、一旦分子レベルまで分解して再度繊維を紡ぎ出すというようなことも、それほどのコストをかけずに可能なのではないでしょうか。
 Spiberはこの繊維を「QMONOS Fiber」と呼ぶことにしたそうです。言うまでもなく「蜘蛛の巣」から命名された名称です。Spiberという社名も、蜘蛛(Spider)と繊維(Fiber)の合成でしょう。企業サイトによると、クモノス・ファイバーの本格的量産化は再来年くらいから始めるそうですが、ナイロンが出現した時のような飛躍的な変化が世の中に訪れるのかどうか、いまから楽しみです。

 万有引力を発見したり、原子を見つけ出したり、相対性理論を考えついたり、DNAの二重螺旋構造を解明したり……そういう、世界のありかたについての認識を変えてしまうような大発見や大理論は、日本人にはあまり向いていないかもしれません。ノーベル賞をとった科学的業績を見ても、湯川秀樹中間子理論など少数の例を除くと、新しい理論を提唱した功績というよりも、すでにある理論を実証した功績に対して与えられたものが多いように思えます。
 理論を実証するより、新しい理論を提唱するほうがなんだか偉いような気がしてしまいますが、理論というのは実証されてはじめて価値が出てくるわけで、実証されない限りはただの思いつきに過ぎません。その理論によって、多くの現象を説明できるならば、それが真理である蓋然性は高くなりますが、やはり「有力な仮説」以上のものにはなり得ません。理論を実証するというのは大変なことです。
 「車椅子の天才」スティーヴン・ホーキングがあれほどもてはやされながらノーベル賞を獲っていないのは、彼の理論を実証する方法がいまのところ無いからです。特異点定理にせよ量子重力論にせよ、話が壮大すぎて、本当に宇宙の本質をえぐっているのか、それともただのヨタ話であるのか、現在(そしてこの先当分のあいだ)確認することはできなさそうです。ホーキング博士はもう71歳になっているはずで、ノーベル賞が存命の人物にだけ与えられる賞であることを鑑みると、たぶん与えられることは難しいのではないでしょうか。
 理論の実証をおこなうためには、気の遠くなるほどの集中力と根気の持続が必要になります。小柴昌俊ニュートリノの発見にしても、来る日も来る日も、わずかな発光を求めて水槽の中の変わりばえのしない写真を何千枚も眺め続けるという、常人なら考えただけでメマイがしてきそうな作業を地道に積み重ねて得られた成果でした。
 しかしこういう作業になると、日本人というのは異能を発揮するようです。
 ノーベル賞クラスでなくとも、諸外国では無理とされたものを根気強く研究し続け、ついに実用化したという例には枚挙にいとまがありません。トランジスタラジオロータリーエンジンなどもその好例でしょう。時として、木を見て森を見ないようなドツボにはまってしまうこともなきにしもあらずですが──例えば初期の戦車はエンジンが燃えやすく、そこに手投げ弾など投げつけられるとすぐ行動不能に陥っていました。そこで日本では大変な苦労をしてエンジンのディーゼル化に成功、燃えにくい戦車を開発したのでしたが、ノモンハンで対峙したソ連軍の戦車には、エンジンのところにカウキャッチャーみたいな網をとりつけるという実にシンプルな方法で防火対策が施されていました。高価なディーゼルエンジンなど開発しなくても、その方法で充分に効果があったわけです。これなどは「木を見て森を見ない」痛々しい例と言えます──、この愚直さが日本の強みであることは確かだと思います。
 「ものづくり」を国是にしようという政策がとられるのは結構なことですが、画期的な「ものづくり」というのは、簡単に成果が出るものではありません。Spiberだって、会社を設立してから今回の発表に至るまで6年かかっています。お役所の単年度主義では、「ものづくり」の育成など困難であることを知るべきでしょう。
 幸いなことに、日本人にはまだ、投機とか企業買収とかで大もうけした人を称えるUSA流の人物評価は根付いていません。そういうもうけかたに、どこかうさんくさい雰囲気を感じる気分は残っています。土地が暴騰した頃、日本人から地道な製品開発や誠実な商行為をよしとする「健全な資本主義」の感覚が失われてしまうのではないかと、司馬遼太郎さんなどがさかんに心配していましたが、ありがたいことにそうはなっていません。ホリエモンにしろ村上ファンドにしろ、一定の称賛者は居たものの、主流にはなりませんでした。彼らがつまづいた時に「やっぱりね」と思った人が多かったのは、彼らの、何も産み出さずにただお金だけを増やすというやりかたが、どこか不健全であるという印象が共有されていたからに他なりません。
 そういう感覚が残っているあいだは、「ものづくり」の伝統は失われることはないでしょう。個々の製品のシェアが外国、例えば韓国あたりに抜かれたところで、焦ることはありません。あの国には「匠(たくみ)」に敬意を払うという伝統がこれっぽっちもなく、長い歴史を通じてつねに商工業者を賎民扱いしてきました。そういう国に、製造業における底力があるとはとても思えないのです。
 日本人は、いつも「匠」に対して惜しみない称賛を持ち続けてきました。織田信長がしがない瓦焼きに対してまでも「天下一」の称号を与えて顕彰したのはよく知られています。匠たちも人々の称賛に応え、人々に喜ばれるものを作ろうという気概を持ち続けました。大発見、大理論はさほど無くても、実用技術の開発ということになれば、日本はいまなお世界でも一二を争う国であり、日本のありかたとしてはそれで良いのだと私は思っています。

(2013.5.25.)

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