忘れ得ぬことどもII

資源大国日本?

 愛知県沖でメタンハイドレートの採掘試験に成功したとの報があり、続いて南鳥島附近のレアアース鉱床が予想をはるかに上回る規模であることがはっきりしてきました。日本は資源の乏しい国であると子供の頃からずっと教わってきたものですが、ここへ来て急激に資源大国への道が拓けてきた観があります。
 日本の国土は、何度も主張しているとおり決してそれほど狭小ではありませんが、比較的早い時期から多くの人口を抱えていたため、陸上はもうしぼり尽くしたと言えるかもしれません。
 例えば、黄金の産出なども、一時は世界を圧するほどのものがありました。日本史上、ゴールドラッシュと呼ぶべき時代が2回訪れています。一度目が11〜12世紀頃の東北地方でのことで、中尊寺金色堂に代表される奥州藤原氏のきらびやかな栄華は、黄金の力に支えられていました。この時代、大陸のなどに赴く留学生たちは、滞在費として潤沢な砂金を携えてゆくことが多く、宋では日本を黄金の国であるかのように思い、もう少しあとのの時代に訪れたマルコ・ポーロ『東方見聞録』にそのように記述しました。それを読んだコロンブス「黄金の国ジパング」への西回り航路を見つけようとしてアメリカ大陸を発見してしまったのですから、この時期の日本の黄金は世界史を動かしたと言っても良さそうです。

 二度目のゴールドラッシュは16世紀で、戦国後期に相当します。早くは北条早雲、のちに武田信玄などが黄金に着目し、大いに採掘しましたが、織田信長に代わって豊臣秀吉が天下人の座に就いた頃から、佐渡などの金山が本格的に産出を始めました。秀吉政権のきらびやかさは、実際に黄金の産出量が飛躍的に増大した時代であったからこそのものでした。その次の時代の地味さというか、枯淡を愛するようになった美意識からするとどぎつすぎるような、黄金の茶室とか、金泥の屏風絵とかも、豊富な産金量の裏打ちがあれぼこそ当時は格好良く思われたはずです。この時代に作られた天正大判は、今に至るも世界史上最大の金貨として認められています。
 しかし、秀吉政権の終焉とほとんど時を同じくして、日本の黄金鉱脈も枯渇しました。取り尽くしてしまったのです。石見銀山などの銀鉱はもう少しあとまで機能してしましたが、それもやがて掘り尽くし、近代を迎えるにあたって、日本は貴金属とは縁のない国として出発せざるを得なかったのでした。
 もちろん19世紀においては、金銀もさることながら、石炭を産することが強国の条件となっていました。明治維新以来の日本の躍進は、もちろん人材の良さもあったでしょうが、石炭がかなり豊富に取れたことも一因であったに違いありません。北海道や北九州をはじめとして、大規模な炭田がいくつも発見されました。貴金属の産出こそありませんでしたが、この時点において、日本は決して資源小国とは言えなかったのではないでしょうか。
 ところが、20世紀に入ると、エネルギー源は石油にシフトしました。中東で大規模油田が次々と発見され、石油がべらぼうに安くなりました。液体である石油は、固体である石炭よりも当然エネルギー効率が良く、扱いも容易です。この石油の産出が無かったことが、日本の20世紀を決めてしまいました。太平洋戦争なぞは、石油を求めての戦争という側面が大きかったと思います。
 石油の他、鉄鉱石なども国内ではほそぼそとした産出になっていましたし、アルミの原料であるボーキサイトに至ってはどこを掘っても一粒も出やしません。要するに、「近代」というものを支えるべき資源に関しては、20世紀の日本は実際かなり「乏しい国」であったと言わざるを得ませんでした。19世紀まではそんな意識は無かったのに、20世紀において日本は「資源小国」である、という意識が国民のあいだに定着したわけです。

 もっとも、「資源小国」だからこそ良かったのだ、という説もあります。
 第二次世界大戦が終わって、多くの産油地域が大国の植民地から脱して独立した状態になると、日本は安いところから買うということが簡単にできるようになりました。この場合、国内に資源が無いからこそ、国内資源産業を保護する必要が無く、そのためのコストを払わなくとも済んだという見かたができます。もし国内にそれなりの規模の油田などがあったら、中東の安い石油がそのまま入ってくると国内の油田が潰れますから、関税をかけるなどして価格を高水準に維持しなければならなかったでしょう。しかし、そうやって保護された業界が長く保つものではありません。実際、石炭業界がそうやって保護された結果、昭和30年代くらいまでにはほとんどものの役に立たなくなって、廃れてしまいました。
 以降の高度成長は、日本が資源に関してフリーハンドで、どこからでも買えたからできたことだとも考えられるのです。石油も鉄鉱石も、いちばん安いところから買えば良かったのです。途中で2回ばかり石油ショックがありましたが、日本は中東にあまり利権を持っていなかったために、中東で高くなれば他の地域に切り替えることも容易でした。実のところ日本では、石油ショックの被害は言うほど大きくなかったと思います。ただ、「これは大変だ」という意識が蔓延した結果、世界最高水準の省エネ技術を達成してしまったのがまたすごいところではあります。これもまた「資源小国」であったればこそ、かもしれません。

 ところでちょっと横道に逸れますが、

 ──ずいぶん前から、「石油はあと30年で枯渇する」とか言われていたが、一向に無くならないようだ。実際にはどのくらいあるんだろう?

 と疑問に思われたかたは多いはずです。私の知る限り、石油は「常にあと30年」であったと記憶しています。
 石油が無限でないのは当然ですが、この「枯渇」論にはひとつの前提が抜けています。「石油がいまの状態であれば」ということです。実際には「あと30年」というのは、「現在の埋蔵量を現在の年間産出量で割れば30年」ということになります。
 つまり、石油の産出が減ってくれば、価格が上がりますから、それまで不採算として捨てられていた油田が、採算がとれるようになって復活する可能性が出てくるのです。そうすると、埋蔵量が増えるのでした。「埋蔵量は決まっているのじゃないのか」と思われるでしょうが、そうではありません。石油業界で言う埋蔵量というのは、採算のとれる埋蔵量「可採埋蔵量」であって、実際の量とはあまり関係がないのです。価格と採算ラインがバランスしているため、いつまで経っても「あと30年」という妙な話になっているわけです。
 しかし、いずれは産出量が激減するのは確かなことです。そうすると価格がさらに上がり、その時点でもっと安上がりなエネルギー源が生まれていれば、そこで石油の役目は終わることになります。物理的な意味での「枯渇」はたぶん実際には起こらないでしょう。石炭がいい例で、日本の国土にはまだかなり多量の石炭が埋まっているはずですが、石油に較べて高くつくから掘られなくなっただけのことです。
 メタンハイドレートの採掘試験が成功したのは喜ぶべきことです。しかし問題は、石油を買うよりも安いエネルギー源になりうるかということにかかっています。

 日本は、国土は世界的に見ればそう広い国ではありませんが、群島国家であるために、海域は非常に広くなっています。領海面積は世界第6位だそうです。
 そしてこの海域の中に、巨大なプレートが3つ(ユーラシア、太平洋、フィリビン海)も含まれており、その境界はいまも押し合いへし合いして高温高圧のもとにあります。時にその辺が砕けて大地震が起こったりするものの、そんな状況である以上、いろんな物質──例えばレアアースが生まれて蓄積していても不思議ではありません。世界の地震の一割が集中しているという苛酷な自然環境ですから、せめてそのくらいの見返りはあっても良さそうです。
 が、結局これも、採算がとれるか否かということになります。深海底から泥をすくい上げるという作業に、かなりお金がかかりそうだということは想像できます。
 今までのところ、レアアースは中国から輸入するのが安上がりだったのでそうしていたわけですが、尖閣問題で上陸した活動家を捕らえた際に、報復措置として禁輸されたりして、どうも中国に頼り切るのは危ないのではないかという意識が芽生えました。それでようやく、自分のところの倉を開いてみる気になったというわけです。今まで、自分の家にどれだけの財産が眠っているのかを確かめることさえしなかったのですから、つくづく日本人というのは呑気だなと思います。もしかして、資源小国という意識がしみつき過ぎて、

 ──どうせ採算がとれるほどあるわけがない。試掘する費用だけでももったいないってもんだ。

 なんてことをひとり決めしていたのでしょうか。
 ともかく、中国という国は政治的に供給を止めることがあり得るという、考えてみれば当然のことに気がついて、あわてて調査にかかったというのが正直なところでしょう。
 それが、向こう数百年分を賄うに足るほどの大鉱床だったというのですから、怪我の功名というか、ヒョウタンから駒というか。しかも中国のものよりも、はるかに良質な鉱床だったというのです。最大6500ppmとのことですが、ppmというのは100万分の1ですから、これは泥を適当に1キログラムすくえば、その中に6.5グラムものレアアースが含まれていることを意味します。採算がとれないわけが無さそうです。
 レアアースは高性能な磁石やLEDを作るのに欠かせない材料であり、また研磨剤、蛍光体、電池、磁気ディスクなどにも使われ、現代の科学技術のほとんどすべての面に必要とされています。携帯電話には必ず使われているので、日本では廃棄された携帯電話は貴重なレアアース資源ともなっています。「現代」もしくは「近未来」を支える重要性から言えば、20世紀の石油、19世紀の石炭、それ以前の金銀などに匹敵するか、それ以上かもしれません。
 それを大量に握るとすれば、現在の産油国どころではない、とてつもない富を産み出す可能性があります。早く採掘が商業ベースに乗らないものかと心待ちにしたくなります。
 またそうなれば、その莫大な富を狙う者が動き始めることも確実です。早くも中国では「南鳥島は日本の領土とは言えない」などと言い出す手合いが現れているようです。好むと好まざるとに関わらず、紛争に巻き込まれることが多くなるでしょう。それは、宝くじで3億円当てた途端に、必然的に詐欺師や泥棒の標的になってしまうのと同じで、それは当てた人の人格とはなんの関係もありません。日本も、詐欺師や泥棒の跳梁に備える必要が出てきます。それはもしかすると、「資源小国」の気楽さが懐かしく思えるほどのことかもしれません。しかし、もう後戻りはできないのです。

 メタンハイドレートのほうは、次世代エネルギー源などと騒がれていますが、石油や天然ガスと基本的には同質の化石燃料です。カロリーあたりのCO2の排出は石油の半分くらいだそうですから、環境に多少は優しいと言えそうですが、私の印象としてはやはり「つなぎ」程度かなあ、というところです。とはいえもちろん、選択肢をいくつも増やしておくというのは悪くありません。
 採掘試験は、天候などの理由で、予定したより早く切り上げたようです。本当にそれだけの理由だったのかどうか。メタンハイドレートの採掘が商業ベースに乗ってしまうと、いろいろ打撃を受ける業界もありそうなので、ちょっと勘繰ってみたくなります。
 ともあれ、にわかにわが国が資源大国として注目を浴びることになりそうな雲行きになってきました。こういう時の国の舵取りは、むしろ難しいと思われます。首相が素人のような鳩山由紀夫氏や菅直人氏の時代でなくて本当に良かったと言いたいところです。

(2013.3.23.)

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