忘れ得ぬことどもII

嘘つきランキング

 とあるテレビ番組で、「嘘つきな国ランキング」なるものが発表されて話題になっています。39ヶ国を対照にした調査で、日本はペルー・アルゼンチン・メキシコに続いて第4位の嘘つき国だったとか。スタジオでも驚きの声が上がったそうです。
 もっともこの調査、その国へ行ってその国の人に
 「あなたは嘘をよくつきますか?」
 と訊ねるという、おそろしく素朴なアンケートだったようなので、これをもって日本人が世界でも指折りの嘘つきであると判断することはできません。
 そもそも、人間が社会生活を送る以上、大小の嘘をまったくつかずに生きてゆくことはまず無理と言って良いと思います。社会生活というのは、国や地域によって多少表現の差はあるかもしれませんが、多かれ少なかれ、自分の言動によって相手がどう感じるかということを思いやりながら形作らなければならないものであり、そのために自分の正直な気持ちをありのままぶつけることを遠慮せざるを得ないことがしじゅう起こります。
 例えば私が家から外に出たとして、近所にいつも気が狂ったように吼えかかってくる犬がいたとします。うるさいこのバカ犬、とっととくたばってしまえ、と舌打ちしたくなることでしょう。しかし、そこへ飼い主が出てきて
 「すみませんねえ」
 とでも言ったとしたら、私としても
 「いや、気にしないでください。いい番犬じゃないですか」
 などと言わざるを得ないでしょう。ありていにいって、これは嘘です。私が自分の本心に正直に言うとすれば、
 「毎回吼えつかれて迷惑してるんで、いい加減、殺処分にでもしてくれませんかねえ」
 というようなことになりかねません。ただそんなことを言えば、飼い主は傷つき怒るでしょうし、それ以後の近所づきあいはずっとぎくしゃくして、犬に吼えられる程度とは較べものにならないくらいのストレスが生じることは間違いありません。大きなストレスを抱え込まないように小さな嘘をつく、ということは、誰でもやっていることでしょう。

 ランキングで日本より上位に来ているペルー、アルゼンチン、メキシコの人々が、それほど嘘つきであるとも思えませんし、これは「嘘つきな国ランキング」ではなく、「嘘を嘘と認める国ランキング」というのが正しいところなのではないでしょうか。
 言い換えるなら、「あれは嘘だった」と認められる嘘というのは、大した嘘ではありません。上記のような、社交辞令というか、人間関係の維持のための方便というか、その程度の軽い嘘がほとんどでしょう。そういうことをあっけらかんと認めるのが、上位の中南米3国(グアテマラ人に言わせるとメキシコは中米ではなく北米なんだそうですが)であると言われれば、ああなるほど、と思いたくなります。日本人が4位だというのも、「まあこういうのも嘘といやあ嘘だよな」と考えた結果と思えば、むしろ逆に正直すぎるような気がしてしまいます。
 変なメンツを重んじて、自分は嘘などつかないと言い張る国民も居るでしょう。嘘とは思わずに嘘をついている国民も居るでしょう。要するにこの調査は、その国民の自己評価を調べているだけであって、決して客観的なランキングではないわけです。

 嘘と自己言及というのは、論理学でよく扱われるテーマです。「嘘つきのパズル」は論理学の本にしょっちゅう出てきますし、自己言及は現代数学、特に集合論のきわめて重要な要素となっています。その意味でも、「嘘つきであるかどうかを自己言及させる」という調査がほとんど意味のないものであることは明らかなのでした。
 嘘つきのパズルというと、もっとも古典的なのが「エピメニデスのパラドックス」というものでしょう。

 ──クレタ島人のエピメニデスが言った。「クレタ島人はみんな嘘つきだ」……

 この話のポイントは、エピメニデスが本当のことを言っていたとしても嘘をついていたとしてもおかしなことになるというところにあります。
 エピメニデスが本当のことを言っていたとしたら、クレタ島人は嘘つきであるということになります。しかしエピメニデス自身もクレタ島人ですから、彼の言ったことは嘘であることになってしまいます。
 一方、エピメニデスが嘘をついていたのだとしたら、クレタ島人は嘘つきではなく正直者でということになります。ところがそのエピメニデス自身がクレタ島人である以上、彼の言うことは正しいはずです。
 どちらにしても矛盾が生じてしまいます。だからパラドックスと言うわけです。
 が、これは実はよく考えるとパラドックスではありません。集合論でいう∀とか∃とかの記号を用いるとわりと一目瞭然なのですが、「クレタ島人はみんな嘘つきだ」という命題の否定とは何かという問題です。
 ちょっと考えると、「クレタ島人はみんな正直だ」ということになりそうな気がしますが、そうではありません。論理学では、「すべてのXはYである(∀X=Y)」の否定は「あるXはYでない(∃X≠Y)」つまり「YでないXがある」となります。「クレタ島人はみんな嘘つきだ」の否定は、「中には正直なクレタ島人も居る」です。従って、クレタ島人の中にエピメニデスという嘘つきが居ても、別に矛盾にはならないわけです。
 この話は「みんな」の否定、というところで抜け道が見つかりましたが、それでは次のものはどうでしょうか。

 ──一枚の紙が落ちていた。拾ってみると、「この裏に書いてあることは嘘だ」と書かれていた。裏返してみると、「この裏に書いてあることは本当だ」……

 こうなると、どうも抜け道は見つからなくなります。嘘と自己言及を組み合わせると、パラドックスというのはわりと簡単に作れるようです。

 こんなパズルも古典的です。

 ──ある村へ行こうとしたら、道がふたつに分かれていた。どちらを行けば良いのかわからない。迷っていると、ひとりの原住民が現れた。ここらの原住民には2つの部族があり、片方は決して嘘を言わないが、片方は必ず嘘をつく。しかし、現れた彼がどちらの部族の人間であるのか、私にはわからない。また、彼は非常に急いでいるようで、どうも質問は1度しかできなさそうだ。さて、目的の村への道を確実に選びたければ、私は彼にどんな質問をすれば良いだろうか?

 この「嘘つき部族と正直部族」は「頭の体操」などにもちょくちょく出てきます。
 この場合は、相手が正直部族だろうと嘘つき部族だろうと、同じ答えが返るような質問を考えれば良いわけです。例えば、「あなたは正直者ですか」と問えば、どちらの部族でも「はい」と答えるはずです。ここからいろいろ発展させて考えてみると、
 「左(あるいは右)の道が村に通じているかと私があなたに訊いたら、あなたは『はい』と答えるか?」
 という質問が正解ということになります。右の道が村に通じていた時に、正直部族が「いいえ」と答えるとしたら、嘘つき部族もやはり「いいえ」と答えます。少しややこしいのですが、

 1)単に「左の道は村に通じていますか?」……と訊ねた場合、正直部族は「いいえ」と答え、嘘つき部族なら「はい」と答えるでしょう。

 2)つまり「その質問を受けて『はい』と答える」というそのことについても嘘をつくわけですので、上の質問の答えは「いいえ」となります。

 逆に正直部族が「はい」と答える状況であれば、やっぱり嘘つき部族も「はい」と答えることになります。結果として「私」は正しい道を選べるわけです。
 嘘からでも真実を知りうる、というのは、なかなか素晴らしいことではありますまいか。

 ただ、現実世界というのは、もっと面倒くさいものです。
 決して嘘をつかない人というのが、現実にはまず存在しないだろうということは、最初のほうに書いた通りです。
 一方、どんな時にでも嘘をつくなどという人も、現実にはまあ、居るとは思えません。
 世の中のほとんどの人々が、ある時には本当のことを言い、ある時には嘘をついて暮らしていると言って良いでしょう。
 有能な詐欺師の手口は、10の真実のあいだにひとつの嘘を交えることだと言います。ある人の言うことが大体真実であったならば、その人の言った他のことについていちいち真偽を確かめることをしなくなるのが人情というものでしょう。たとえその中に、致命的な嘘が隠されていても、なかなか見抜けるものではありません。
 嘘を嘘と見抜けないままそれを他人に伝える人も居るでしょう。多くの擬似科学、そして風評被害などがそうやって拡がります。伝えている人には、嘘をついているという自覚はありません。
 また人は、大きな、深刻な嘘ほど、それを嘘とは認めたがらない傾向があります。例えば竹島、例えば尖閣諸島について韓国中国が主張していることはどう考えても嘘なのですが、それを嘘と認めることはすでにそれらの国々にとっては政権がふっとぶくらいの大ごとになってしまっていますから、決して認めることはないでしょう。
 くだんのランキング、韓国は第15位だったそうです。また中国に関してはどうだったのか、私はその番組を見ていませんので言及があったかどうかも知らないのですが、話題に昇っていないところから見るとデータが無かったのかもしれません。この結果、どうご覧になるでしょうか。
 「あなたは嘘をよくつきますか」「はい」……
 この答えには、むしろ「大した嘘ではありませんが」という含意が感じられるような気がしてなりません。そうでなければ非常に偽悪的であるか、あるいは非常に自省的であるかでしょう。いずれにしろ、日本人というのはどちらかというと「大きな嘘」をつくのは下手な国民であるように思います。だから外交などでもハッタリをかませることができずに損をしているところに、むしろ問題がありそうです。

(2013.3.19.)

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