忘れ得ぬことどもII

大統領の竹島上陸

 韓国李明博大統領が竹島に上陸したというニュースに接して、ああやっちまったか、と思ったのは私だけではないでしょう。今まで、きわめて反日的と言われた金泳三廬武鉉などの大統領でもやらなかったことを、とうとう決行してしまったわけです。
 韓国の大統領は任期満了が近づくと反日ゲージがアップすると言われています。5年の任期の最後が近づくと、たいてい支持率が下がりますし、しかも困ったことに、引退した大統領には、ほぼ例外なく悲惨な末路が待っています。
 ネットではよく知られたことですが、初代大統領李承晩は国外逃亡に追い込まれ、3代朴正熙は暗殺され、5代全斗煥は死刑判決を受け、6代廬泰愚は懲役刑、7代金泳三は断罪こそされなかったものの卵をぶつけられ、8代金大中は本人は無事でしたが次男と三男が逮捕され、9代廬武鉉は不正資金疑惑で取り調べられている最中に不審な転落死をとげました。2代目の?、4代目の崔圭夏はこういう憂き目は見ずにすみましたが、いずれもごく短期間、中継ぎ的に大統領位にあっただけの人物です。
 支持率を維持することで、次代での断罪を逃れようと考えるのでしょうか。とにかく対日強硬姿勢を見せれば少しは支持率が回復すると踏むようで、廬泰愚あたりからは洩れなく政権末期になると日本に難癖をつけ始めます。
 現在の李明博は、大阪生まれで日本在住経験があるため、当初、少しは物分かりが良いだろうと期待する向きがありました。しかし、政権末期になればやはり同じことだろうと醒めた見かたをする人も少なくありませんでした。
 そして事実、任期満了を今年の12月に控えて、御多分に洩れず支持率が20%割れのジリ貧になってくると、ついに竹島上陸という行動に踏み切ってしまったのでした。むしろ在日韓国人上がりだっただけに、余計に日本に対して強硬に出る必要があったのかもしれません。

 森本敏防衛大臣が

 ──上陸は韓国の内政上の判断でお決めになった。他の国の内政にコメントするのは控えるべきだ。

 と発言したのは、おそらく上記の事情をよく知っていたからだと思います。本業の国際政治学者としては、いわば常識的なことを言ったまでなのでしょうが、しかし仮にもわが国の国防を担う重責に居る者としては、失言としか言いようがありません。
 竹島は1905年に、日本政府が無主の地であることを確認した上で島根県に編入した固有の領土です。世界のどこからも文句は出ませんでしたし、何よりも当時の大韓帝国からもまったく苦情は寄せられませんでした。
 戦争が終わって、日本はいくつかの領土を放棄することを要請されましたが、その放棄さるべき土地はいちいち箇条書きで伝えられています。竹島はその中にも含まれていません。
 韓国の李承晩はこの島を手に入れようとして、まずは戦勝国側に名を連ねようとしましたが、これは連合国からあっさり拒否されました。それは当然で、戦争中朝鮮半島は日本の一地方であり(「植民地」ではありません)、そこの出身の将兵は「日本の軍人」として各国と戦っていたのですから、連合国から見れば「敵の片割れ」が何を寝ぼけているのだ、としか思えなかったでしょう。
 李はさらに、日本が放棄すべき土地に竹島を含めて貰いたいと食い下がりましたが、これも却下されています。誰が見ても「未だかつて日本以外の国のものになったことが無い島」だったのですから、これも当然でしょう。
 業を煮やした李は、いわゆる「李承晩ライン」なる「国境線」を勝手に設定し、その「国境線」の内側にあるという名目で、武装解除されていた日本が手を出せないうちに、実力で竹島を奪取してしまいました。具体的には周辺海域で漁をしていた日本の船を次々と拿捕し、4000人に近い漁民を抑留しました。そのうち44人が死傷しています。ちなみにこの李承晩ラインの設定は、すでに朝鮮戦争が始まっている時期におこなわれており、こんなことに気をとられていたから北朝鮮軍に懐深くまで攻め込まれてしまったという評価もできそうです。
 李承晩ラインは日韓基本条約の締結により撤廃されましたが、実はこのとき、竹島の帰属については棚上げされたのでした。帰属について議論し出すといつまでもけりがつかず、条約締結などいつのことになるかわかったものではなかったから、とりあえず双方で宙ぶらりんのままにしておく黙契ができたのでしょう。今となっては、なぜこの時にもっと詰めておかなかったかと悔やまれますが。
 二国間の交渉ではらちがあかないと見た日本政府は、国際的な場で判断をあおごうと、数回にわたって国際司法裁判所への付託を韓国政府に提案しています。しかし、韓国側はその都度拒否しています。国際司法裁判所への付託は、紛争を抱える当事国双方の了解がなければできないことになっており、韓国はいわばその条項を楯にとって、ぬるぬると逃げ続けているわけです。
 逃げ続けていることについての韓国の主張は、

 ──独島(竹島の韓国名)は明らかなわが国固有の領土なのであるから、そんなところに持ち込んで判断を仰ぐ必要は無い。

 ということであるようですが、実は持ち込んだら手もなく敗訴することがわかっているからであるとも言われています。つまり、竹島の領有についての正当性を示す証拠が何ひとつ無く、客観的に調べられると日本領であるという証拠しか出てこないことが明らかであるため、決して応じようとしないと言うのです。
 各地の領土紛争では、普通、占拠している側が平然と知らんぷりをしており、奪われている側が大声で批難するものですが、竹島については逆に、占拠している韓国のほうが大騒ぎしています。これは、自国民に冷静になられては困る理由があるからでしょう。
 この件に関しては、韓国の政府もマスコミも、全力を挙げて自国民を煽り続けています。「独島」が韓国領であることをあらゆる方法で叫び続け、何百年も前から固有の領土であったという捏造の歴史を創作し、それが1905年に日本に「奪われた」こと、戦後になって「取り返した」こと、それにもかかわらず邪悪なる日本はいまだに虎視眈々と「独島」を狙って策謀をめぐらせていること、などを、幼稚園児くらいの段階から繰り返し繰り返し刷り込んでいるわけです。
 その功あって、韓国人は「独島」と聞くと、もう理性も教養も吹き飛んで、反射的に兇悪な「敵国」としての日本を連想するようになってしまっています。日本人がことを分けて史実を説明しようとしても一切聞く耳を持ちません。
 そればかりか、日本の学校の教科書に、竹島に関する記述があるだけで激昂し、いちいち修正を求めてきたりします。紛争中の領土について、当事国それぞれが自国の見かたに即した教科書を作ったりするのはどこでもあたりまえの話なのですが、韓国人は「タケシマ」と聞くだけでボルテージが振り切れてしまい、その呼びかた自体が日本の獰悪な侵略意図を示しているように思ってしまうようです。これは、長年の教育によって刷り込まれた「感情」ですので、説得などではどうにもなりません。
 国民への「煽り」は大成功をおさめたと言って良いでしょう。もはや、国際司法裁判所の付託に応じて、しっかり白黒をつけようじゃないか、などという、冷静にして無知な(まさか、韓国領である正当性を示す証拠が無いのだとは思わないでしょうから)意見を述べる韓国人は皆無と言えそうです。
 むしろ国民のほうがヒートアップし過ぎて、時の政府が火消しに苦労するような現象がちょくちょく起こっていたようです。李承晩ラインのてんまつなどまるで知らない(知らせていないのだから当然ですが)世代が多くを占めるようになり、「独島」についての日本の「妄言」に対してなぜもっと政府レベルで強硬に抗議しないのか、という突き上げが大変な勢いになってきました。
 さすがに大統領ともなると、過去の「本当の事情」を知らざるを得なくなり、竹島=独島問題が「棚上げ」されているに過ぎないこともわかってしまうため、「強硬な抗議」などできないと悟るでしょう。かと言って、もはや国民に「本当のこと」を打ち明けられる状況ではありません。そんなことをすれば、たちまち激昂した国民によって政権からひきずりおろされます。まさにジレンマです。不正直というのは、結局こういう、にっちもさっちもゆかない状態へと追い込まれるのが関の山なのです。
 李明博大統領は、とうとうその国民からのプレッシャーに堪えかねて、踏んではいけない地雷を踏んでしまったのだと言えそうです。その意味では、これが内政問題だという森本大臣の発言は、決して間違ってはいません。
 しかし、間違っていないと言えるのはあくまで学者としての、第三者的立場でのことであって、防衛大臣は当事者そのものです。一国の大統領が他国の領土に無断で侵入するとは何事であるか、わが国は密入国を決して認めず、もし強行するなら実力をもって排除する、くらいのことは当然言うべきでした。それが可能か不可能かの問題ではありません。一国の大臣とはそういうことを言わなければいけない立場なのです。森本氏の発言は、学者か評論家のものであって、大臣の発言ではありませんでした。ただし、これは森本氏だけの問題ではありません。いまの日本の政治家たちは、どいつもこいつもどこか評論家的で、当事者としての切迫感というものがさっぱり感じられなくなっています。

 日本政府は、この「侵入」に対し、可能な限りの対抗措置を講じるべきでしょう。とりあえず得意技の「必殺・遺憾の意」は顕したようですし、大使を呼び返すこともしましたが、どうも大使は「召還」ではなく「一時帰国を命じた」だけのことらしく、あんまり抗議にはなっていません。
 どこの誰に遠慮しているのか、「経済関係に影響を及ぼさない範囲でできるだけの抗議をする」などと発言した閣僚も居ました。これまたバカな発言で、経済関係に影響が及ぶくらいの抗議行動をしなければ、向こうはちっともこたえないはずです。たとえ内心では経済関係に配慮するつもりがあったとしても、それをバカ正直に打ち明けてしまうとはなんというナイーブさでしょうか。国内政局にはあれほどの駆け引きの才を発揮する政治家たちが、こと外交となるとまるで駆け引きができなくなってしまうのは、いったいどうしたことでしょう。憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」云々というのを鵜呑みにしているのかもしれません。これも森本発言同様、大臣の発言としては失格です。
 もう、竹島問題を、今までのように事なかれで済ませることはできない状況となりました。これまで30年以上のあいだ、韓国政府の立場をおもんぱかって中断していた国際司法裁判所への付託提案を再開したのは、まあひとつの抗議行動として評価できます。ただし今回も韓国は逃げてしまうでしょう。片方の国からの提訴だけでも審査できるように、国際司法裁判所のルールを改めるよう働きかけるなどの行動を併せて起こす必要があります。
 事なかれで済ませてきたことについては、現在の民主党政権だけでなく、自民党政権にも多大な責任がありますが、今回の李大統領の暴挙を直接誘引したのは、まぎれもなく、一昨年の尖閣事件での対応ぶりでしょう。明らかにそれに誘発されて、すでにロシアの指導者が北方領土を訪れました。この時にも、日本政府は通り一遍の抗議しかできませんでした。李明博が内政問題でのプレッシャーに負けて竹島上陸という挙に踏み切ったのは確かですが、日本政府は大した抗議をしてこないだろう、と読んだからとも考えられます。だとすれば日本政府は舐められきっているというものでしょう。
 スワップ停止でも、生産財の禁輸でも、渡航自粛でも良いので、何か実効ある抗議行動をとらなければ済まない情勢であるように思われます。そのまた対抗措置で韓国が何かの禁輸などをしてきても、日本がそれで困るというイメージが、なぜかまったく湧きません。遠慮なくやって差し支えなさそうな気がします。

 奇しくも同じ日、ロンドンオリンピックで、日本チームに勝った韓国のサッカーチームのひとりが、

 ──トクトヌン ウリタン

 と太極旗に書き込んだプラカードを掲げて走り回るというパフォーマンスをおこないました。「独島はわが地」という意味で、歌の題名でもあり、韓国人にとってはもはや政治的なフレーズとすら思えない、日本に対するアピールとしてごく普通の言葉になっています。
 韓国内では「よくやった!」という反応だったようで、新聞もトップ面に大々的に写真を載せました。
 しかし、もちろんこれは政治的なフレーズに決まっています。オリンピックの場で政治的アピールをすることは厳禁されており、かつて表彰式で黒人差別反対のアピールをした選手がメダル剥奪、永久追放をくらったことがあるほどです。
 当然今回も問題となり、IOCが調査にかかりました。韓国チームはこの対戦で銅メダルを獲りましたが、チーム全体の処分はまだ未決とはいえ、パフォーマンスをやった当人は表彰式に姿を見せず、早々と帰国してしまったとか。
 しかし韓国内では、どうしてそれが問題になるのかすらわかっていないようです。「愛国心に免じて寛大な処置を」みたいな見当はずれの意見も上がっているそうで、やはり「トクトヌン ウリタン」が政治的フレーズであるという認識自体がすでに失われていると見ざるを得ません。「あたりまえのことを書いただけなのに、何が悪いのか」と不思議がる向きが多いらしい。
 こんな、いわば畸形となってしまった韓国人の妄執は、やはりどこかで断ち切らなければいけないように思います。日本人はやはりどこかで韓国に対して引け目を感じてしまいますが、言うべきことを言わず、するべきことをせずに、なんとなく棚上げ、事なかれで先送りにしてきたことが、ここまで彼らの妄執を育ててしまったことには、引け目以上に責任を感じる必要がありそうです。今からでもそれを正すべく、先方の感情的な反撥や大声の罵倒をものともせずに自信を持って「真実」を突きつけてゆき、膿を出しきってしまうことが、長期的な日韓関係の安定にもつながると思うのですが、いかがなものでしょうか。

(2012.8.12.)

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