忘れ得ぬことどもII

詩を探す

 目下、ある男声合唱団のために新曲を書かなければならないのですが、いつも困るのがテキストの選定です。
 もう何度かあちこちに書いたことがあると思いますが、歌われるにふさわしい詩というものは、実はそうそうあるものではありません。百篇の詩を読んで2、3篇あれば良いほうです。これは、その詩の文学的価値とは必ずしも関係が無くて、文学的な見地から見ればすぐれた詩であっても、どうにもメロディーにならない……というケースもしばしばあります。
 これはおそらく、現代の詩人の多くが、紙とペンによってのみ詩を書いているからではないかと思います。つまり、形の上で分かち書きはされていても、実際には散文に近い作りかたなのでしょう。音読されたとき、耳から入ってきたときに、どんな心地よさを、あるいは刺戟を感じるかというようなことが、あまり考慮されていないような気がします。
 本来詩というのは、人々に朗々と読み聞かせるべきものだったはずで、それだからこそ「耳への心地よさ」である韻律が重視されてきたのです。あるいは常套句といったものも、耳で聴いたときにある決まったイメージを喚起することで、冗長な説明を省くといった役割を持っていたものと思われます。
 ところが現代詩では、韻律も常套句も嫌われまくっています。なんだか、「自由こそが唯一絶対の価値」みたいな捉えられかたをしているようですが、本当はそれは散文において成立する価値観なのではないでしょうか。
 ともあれ、「耳で味わう」ことを意識していない詩が、メロディーに乗りづらいのは確かなことです。
 独唱曲にしろ合唱曲にしろ、作詩者がわりに偏る傾向があるのは、そのためです。詩人本人が意識しているにしろしていないにしろ、聴覚型の人と視覚型の人が居て、視覚型の詩人はどうしても「活字にしたときの効果」を重視してしまう傾向があります。例えば漢字に不思議なルビを振るなんてのはまさに視覚効果ですし、そうでなくとも漢語が多用されがちです。漢語というのは同音異義語が多く、どうしても耳で聴いただけではわかりづらいのです。

 作曲家がテキストとして使う頻度が多い詩人というと、ここ何十年かを通じて、おそらく谷川俊太郎さんがぶっちぎりのトップを走り続けていることでしょう。私はアマノジャクなのでなるべく谷川作品には近づかないようにしていますが、それでもそのような人気のことを知らなかった高校生時代には「道」という詩をテキストに選んだことがあります。
 なぜ谷川俊太郎がこれほど作曲家に好まれるかというと、やはりその詩が本質的に「メロディーを欲する詩」であるということに尽きるでしょう。そしてなぜメロディーを欲しているかと言えば、谷川さんは常に「耳に訴える詩」を書き続けているからにほかなりません。
 谷川さんは岩波ホールなどで、しょっちゅう自作の朗読会を開いています。集まった人々に、自作の詩を読み聞かせ、じかに反応に接する、ということを長年続けておられるわけです。眼で読むのではなく、耳で味わう詩ということをこれほど意識している詩人は居ません。
 だから、作曲家が谷川さんの詩を読むとき、活字の背後につねにメロディーを感じてしまうのです。それゆえに、声楽曲の作曲を依頼されたときにまず手が伸びるのが谷川俊太郎の詩集になってしまったりもするわけです。
 他にも、川崎洋高田敏子吉原幸子片岡輝など、常連とも言うべき詩人が何人か居ます。谷川俊太郎ほどではないにしても、いずれも「表記」よりも「響き」にこだわる傾向の詩人ではないかと思います(吉原さんの旧かな遣いへのこだわりなどはもちろんありますが)。
 もちろん作曲家は、新聞記事にメロディーをつけろと言われれば、つけてしまうことも可能です。しかし、やはりそういう作業はいささか索漠とした心象の中で進められることになりそうです。作曲家がメロディーを作っていていちばん充実感を覚えるのは、テキストの持つ「響き」に自分がシンクロしたときなのです。

 さて、「響き」が良ければ「内容」はどうでも良いのか、と言われれば、やはりそうもゆきません。ことに、作曲依頼者からなんらかの注文がついている場合は、詩の内容も大いに選考条件に関わってきます。
 ところが、依頼者の注文というのは、往々にして多くの詩にはあてはまらなかったりします。特に、ポジティブな明るい雰囲気の音楽を要求されたときは困るのでした。
 言うまでもなく、現代詩の大半が、ネガティブな感情を謳ったものであるからです。むしろネガティブでないと認められないみたいな雰囲気すらあるようです。現代社会とか現代文明への違和感、そこから生じる胸苦しさ、といったことを、あまりあからさまでなくメタフォリックに、むしろ個人的に描いたものが高評価を受ける傾向がありそうです。
 要するに、大部分の詩が、あまりに私小説的なのです。この「私小説」はドイツ語の原義であるIch Roman(一人称の小説)ではなくて、日本文学史上でいう「私小説」です。筆者自身を主人公とし、さしたる事件が起こるわけでもなく、身近な人や物事についてのやや斜視気味の観察や感想を書き綴るという、「随筆」とほとんど区別がつかないような文章のことです。
 日本の近代文学は、この私小説をほぼ至上の価値のごとく扱ってきました。詩にもその傾向がしみついてしまったとしても、不思議ではありません。
 そもそも小学校での詩の教えかたがおかしいのです。1年生の時から、
 「思ったこと、感じたことを自由に書いてみましょう」
 みたいなやりかたをしています。これは散文のありかたであって、断じて「詩」の教えかたではありません。詩を教えるのであれば、韻と定型をまず教えるべきであって、その意味では俳句からまず入るのは悪くないでしょう。近代以降の自由律の詩というのはその「韻と定型」に反撥して生まれたものであって、詩全体からすればきわめて例外的だということを、教える先生自身が認識していないような気がします。
 詩本来の作りかたを教えられないままで育った人が詩を書こうとしても、「分かち書きされた散文」になってしまうのは避けられません。そしてその内容が著しく私小説的であるのも、もともとの発想が散文であるのならば仕方のないことです。

 そういった事情のため、私はいわゆる「詩集」よりも、「詩画集」とか、あるいは少し低年齢層向けの「詩の本」などにテキストを探すことが多くなっています。詩画集をもとにしたのは『一輪ざしの四季』『あいたくて』など、低年齢層向けの本では『移る季節』『今日からはじまる』『天と地とが』などを作曲しました。むしろこの種の本のほうが、私小説的成分が少なく、変に用語に凝ったりしていることもなく、歌のテキストとしては向いている場合が多いのです。
 この方面では、星野富弘さんの作品などが好まれているかもしれません。以前、星野さんは自作を用いた作曲を一切禁止していたという噂を聞いたことがあるのですが、最近は解禁されたのか、「星野富弘作詩」の合唱曲などが少しずつ増えているようです。
 そして、不思議とポジティブな内容のテキストが多いのも、この方面の特色であるようです。若い人向けの詩ということを意識すると、詩人各位もなんとなくポジティブな気分になるものであるようです。また、絵と組み合わせるということを考えると、あまりドロドロした怨念みたいなものをぶつける気はしなくなるのかもしれません。少なくとも、ある程度「お客様」を意識した作りかたになるのは確かでしょう。
 ゲイジュツというものに対する考えかたとして、「お客様」などを意識するのは邪道ではないかという意見もあるかもしれません。その意見は尊重すべきと思いますが、そんなことを言っていたら詩人も作曲家も干上がってしまうというのも事実です。「古典」と呼ばれる芸術作品でも、作者がカネのために制作したもの、あるいはただ愛する者を喜ばせようとして制作したもの、などはいくらでもあるわけで(というか18世紀以前はほとんどがそうではないでしょうか)、芸術性などということはあくまでも評論家、あるいは後世が判断すべきこととも言えます。われわれはただ、ひとりの人間として、自分にできることをやってゆくしかないのでしょう。

 今回用いるテキスト候補は、昨日図書館に行ってなんとか探し当てました。
 詩画集とまでは言えませんが、ところどころイラストの入った本で、著者も「詩人」というよりは「造形作家」が本業の人のようでした。
 その本に行き当たるまで、いろんな人の「詩集」を何冊も読んだのですが、結局ピンとくるものが無かったわけです。もちろん、「今回依頼された合唱曲には」ということであって、別のところからの別の趣旨の依頼であれば、使えるものがあったかもしれませんが。
 実は今年末くらいまでに作らなければならない曲で、テキストが必要なものがもうひとつあります。そちらも探さなければならないと思うとちょっとうんざりしますが、これも仕事のうちだと自分に言い聞かせています。
 それにしても、谷川俊太郎氏ももう若くはないし、衣鉢を継いで朗読会など開く若い詩人は他に居ないものでしょうか。きっと作曲家にモテモテになると思うのですが……

(2012.7.17.)

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