忘れ得ぬことどもII

「ガラシヤ」から考える

  「女の名前」の話題で、細川ガラシヤの名前が出たので、ちょっとこだわってみたくなりました。と言っても考えるのは、歴史上の人物としてのガラシヤではなく、やはり名前、というか言葉に関することです。
 ガラシヤというのはもちろん本名ではなく、もともとの名前は明智たまでした。「玉子」「珠子」などとしてある史料もありますが、これは上記エントリーで触れた「敬称としての『子つき』」あるいは「署名する時の『子つき』」というだけのことで、タマコと呼ばれていたわけではありません。たぶん結婚前は「おタマさん」みたいな呼ばれかたをしていたことでしょう。
 明智光秀の三女で、父の同僚──という以上に同志であった細川藤孝幽斎)の息子忠興と結婚しました。光秀と藤孝は、足利義昭を将軍位につけるために共に奔走し苦労した仲です。やがて両人とも織田信長に認められて、義昭と両属のようになり、みごと義昭を将軍にしますが、のちに信長と義昭の関係が悪くなると、義昭を見限って信長についたという点でもまったく同じ履歴を持つ人物でした。子供同士が結婚することになったのも、これだけ深い関係であってみれば、自然な流れだったと言えます。
 ところが光秀はご承知の通り、本能寺で信長を斃してしまいます。光秀としては、信長さえ殺せばなんとかなる、と思ったらしいのですが、実際に斃してみると、不安だらけであることに気づきました。何しろ織田家の軍団が、あちこちに手つかずで残っています。そもそも光秀の謀反が成功したのは、軍団をあちこちに派遣しすぎて信長自身を護衛する兵力が著しく手薄になったところを衝いたためなのですから、それも当然でした。
 大きなものだけでも、山陽筋に出張っている羽柴秀吉の部隊、北陸方面に居る柴田勝家の部隊、四国攻めのために大坂湾あたりに集結していた織田信孝丹羽長秀の部隊が、それぞれ数万の軍勢を擁しています。彼らが一斉に反攻してきたら、とても守りきれるものではありません。
 光秀がなんとか味方を増やそうとしたのも自然です。中でも非常にあてにしていたのが、大和方面でかなりの軍勢を抱えていた筒井順慶と、古くからの盟友と言って良い細川藤孝でした。
 ところがこの、いちばん必要なふたりが、どちらも味方になってくれませんでした。この時点で光秀の覇業は破綻したと言えるでしょう。
 筒井順慶は、例の洞ヶ峠の日和見の伝説はどうやら事実ではなかったようですが、一応様子を窺ったようです。秀吉が予想外に早く反転してきた情報をつかんだので、これは勢いのある秀吉のほうにつくべきだと判断したのでしょう。順慶は秀吉にも光秀にも格別の義理は無く、純粋にどちらについたほうが自分にとって得かということを考えたに過ぎません。
 それよりも、細川藤孝の態度のほうが光秀には意外だったかもしれません。藤孝は息子の忠興ともども、髻(もとどり)を切って信長の喪に服してしまったのです。

 細川氏は、室町時代を通じて、ほとんど常に将軍のそばで政略に携わってきた家系です。また藤孝自身は、12代将軍足利義晴のご落胤と言われる人物で、いずれにしろ権謀術数というものを骨の髄からわかっていたはずです。情勢を見る眼の確かさは、ぽっと出の才人に過ぎない光秀などよりはるかに透徹したものがあったでしょう。そういう眼で見れば、光秀の立場はいかにも危うく、うかつに協力などできないと考えたのも無理はありません。喪に服したのは、光秀には与しないが、光秀を狙って攻め寄せてくる他の武将にも味方はしないという意思表示であり、それがかつての盟友への、精一杯の義理立てだったのだと思われます。別に信長の死を心から悼んだというわけでもなさそうです。
 さて、この時藤孝は、息子の嫁になっていた光秀の三女たまを幽閉します。
 実を言うと、本当は幽閉する必要はありませんでした。離縁すれば済んだことです。このときたまを離縁しなかったのは、どうやら忠興がベタ惚れ状態で手放したがらなかったからであるようです。
 とはいえ実父がいきなり謀反人となり、我が身は山里に幽閉されたたまからしてみれば、心に大きな傷を負ったのは事実でしょう。彼女がキリスト教に帰依したのは、このときのトラウマが要因となっていることは間違いありません。
 しかも、慣習に反して離縁しなかったほどにたまを愛していたはずの忠興が、この幽閉中、側室を置いて子供まで作っていたことにも失望したことでしょう。もちろん、武将として奥を司る女性が必要なのは当然のことで、そういう女性を近くに置けばナニしてしまうのも無理はなく、当時の慣習からも、このことは必ずしも忠興の不実さを表しているわけではありませんが、たまにしてみれば、恣意的に慣習に逆らったり従ったりしている忠興が、なんともいい加減な男に見えたとしても不思議はありません。また、父の光秀が、戦国武将には珍しく、正妻の生前は一切側室というものを置かなかった人だったことも、たまの潔癖性を助長していたかもしれません。
 ともあれそんなこんなで、夫にも世の中にも失望したたまは、侍女の薦めもあってキリスト教に入信し、ガラシヤという洗礼名を貰います。
 ここまでが、実は前置きです(笑)。このあと忠興とたまの、なんともやりきれない長い相剋が始まるのですが、そちらのほうへは今は話を進めません。

 ガラシヤという洗礼名は、原語で言えばGratiaです。
 ラテン語で「恩寵」を意味します。「アヴェ・マリア」という典礼文があって、アルカデルトグノー他多くの作曲家が曲をつけたりしていますが(私もやっている)、この冒頭は

 Ave Maria, gratia plena

 とはじまります。「めでたしマリア、恩寵に満ちたかた」と訳されます。
 ラテン語の発音はいろんな流儀がありますが、歌唱する際には、通常gratiaは「グラーツィア」と発音されます。母音のあとの-tiaはティアではなくツィアと発音されるのが慣例なのでした。
 Gratia、つまり恩寵という言葉を女性名にするのは珍しいことではありません。英語名にすればGrace(グレイス)となり、よくある名前のひとつです。モナコ王妃になったグレイス・ケリーなどが有名ですね。日本名に訳せば恵(めぐみ)さんというところでしょうか。
 これをスペイン名にするとGracia(グラシア)となります。たまに授洗した神父はおそらくスペイン人であったでしょうから、ラテン語で洗礼名をつけるにしても多少スペイン訛りが入っていた可能性があります。「恩寵」という洗礼名をつけるにあたって、Graciaという発音で言ったのだと思います。
 それを日本人が聴きとって、「ガラシヤ」という表記をおこなったわけです。
 こう見てくると、「ガラシャ」とヤの字を小さく書いて拗音のように表記するのは不適当な気がします。ラテン語でもスペイン語でも、ti(ci)とaは別の音節であり、独立した拍を持っています。当時の日本人が、-tia(-cia)を一音節として聴きとったとは思えません。当然ながらずっと「ガラシヤ」と表記されていたものを、戦後、誰かが拗音と勘違いして「細川ガラシャ」「ガラシャ夫人」などと書き始めたのでしょう。

 「ガラシ」でなくて「ガラシ」となっているのは不思議ではありません。母音が連続する場合、先行する母音にあとの母音がひっぱられるのはよくあることで、発音しているのを聴くと実際「ヤ」に聞こえます。現代人は原語のスペリングにひきずられる傾向があり、虚心に耳から受け止めていただけの昔の人のほうがむしろ正しい発音を探り当てていたように思われます。Americanをメリケンと聴きとったのはまったく正当ですし、Russiaをオロシヤと聴いたのも実に正確でした。
 同様のことが、語頭の「ガラ」にも言えます。われわれはGratiaという原語をスペリングで知っているので、発音をカナ書きしようとすると「グラツィア」と書いてしまいますが、gra-という発音には本当は「グ」という音はありません。子音字をウ段で書くという、誰が決めたのだかわからない慣習によってそうなっているだけのことなのです。
 gra-に含まれる母音はaだけです。そして、gra-と発音する時の欧米人の口をよく見ていると、最初からaの形になっています。
 日本人が、例えばgratiaという言葉を歌おうとすると、gra-の部分は、まずあたかもuの母音があるかのように口をすぼめてgを発音し、それからやにわに口を拡げてraを発音することが多いようです。どうも完全に「グラ」というカナ表記に囚われているのだと思われます。
 そんなことをしているので、本当はaの部分が拍の頭にこなければいけないのに、妙に時間がかかったりしてしまいます。
 gra-に含まれる母音がaだけである以上、実はgを発音する時にも、すでに口の形はaになっていなければなりません。同様によく歌に出てくる「gloria(栄光)」のglo-も、最初からoの口の形でgを発音するべきなのです。
 そして、そのように発音すると、虚心に聴けば、gra-は「ガラ」と、glo-は「ゴロ」と聞こえるのでした。もちろんカナでそう書かれたものを読もうとすれば、つい「gara」「goro」のようになってしまい、もとの発音を復元できなくなってしまうのは、日本語の表記体系がそうなってしまっているのでやむを得ません。しかし耳で聞いた音を、できるだけ忠実にカナで表記しようとすれば、やはり「ガラ」「ゴロ」のほうが「グラ」「グロ」よりも適切と言えるのではないでしょうか。
 日本に入ってきている外来語には、そういうパターンのものがたくさんあります。ほかならぬ「キリスト」だってそのひとつです。コロッケ、ガラス、タラップなどいろいろ思い浮かびますね。語尾の子音が本体の母音のままで表記されるブリキやインキやトロッコなどの例もあります。
 これを、「本当はglassはグラスなのに、昔の人は母音にひきずられてガラスと聴いてしまった」などと考えるのは現代人の驕りというものです。「本当はglassはグラスでもガラスでもないのに、今の人はスペリングにひきずられてグラスと書いてしまう」という言いかただって成立するわけです。

 私は合唱指導などする際、gratiaのような言葉がでてくると、よく細川ガラシヤの話を持ち出します。
 「gratiaはまさしくガラシヤなんで、『ガラシヤ』と言うつもりで最初から口をアの形にしてごらん。『グ』と言おうとしちゃダメですよ」
 そう説明すると、これがけっこう有効だったりします。口の形がuーaと動きませんので、非常に短時間にgra-を発音することができて、拍にぴったりはまるのでした。
 こんなに有効なら、いっそラーツィアというような表記(「ガ」を小さくして母音が無いことを示す)をしてみてはどうかと思えるほどです。gloriaもローリアでいかがでしょうか。「アヴェ・マリア」でgratiaの次に来るplenaもレーナとカナを振ることにしては? ラテン語だけではなく、英語からの借用語などにも応用できそうです。まあ、リンリッして新しいラウザを起ち上げるなんて書いたらかえってわかりづらそうではありますが。

(2012.6.23.)

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